October 7, 2020, 10:35 pm
夏四月、大伴坂上郎女、奉拝賀茂神社之時、便超相坂山、望見近江海、而晩頭還来作謌一首
標訓 (天平九年)夏四月に、大伴坂上郎女の、賀茂神社を拝み奉りし時に、便(すなは)ち相坂山を超(こ)へ、近江の海を望み見て、晩頭(ゆふぐれ)に還り来て作れる謌一首
集歌一〇一七
原文 木綿疊 手向乃山乎 今日超而 何野邊尓 廬将為子等
訓読 木綿(ゆふ)畳(たたみ)手向(たむけ)の山を今日(けふ)越えにいづれの野辺(のへ)に廬(いほり)せむ子ら
私訳 木綿の幣を重ねて神を祝う山を、今日越えて行くのに、どこの野辺に仮寝をするのでしょうか。あの人たちは。
十年戊寅、元興寺之僧自嘆謌一首
標訓 (天平)十年戊寅に、元興寺の僧(ほふし)の自ら嘆ける謌一首
集歌一〇一八
原文 白珠者 人尓不所知 不知友縦 雖不知 吾之知有者 不知友任意
訓読 白珠は人に知らそす知らずともよし 知らずとも吾し知れらば知らずともよし
私訳 海の底の真珠は人には見つけられない。見つけられなくとも良い。人が見つけられなくても、私が海の底に真珠があることを知っていれば、人が見つけられなくても良い。
左注 右一首、元興寺之僧、獨覺多智、未有顯聞、衆諸押侮。因此、僧作此謌、自嘆身才也。
注訓 右の一首は、元興寺僧、獨り覺(さと)りて智多けれど、未だ顯聞(あらは)れず、衆諸(もろもろ)の押し侮(あなど)れり。此に因りて、僧の此の謌を作りて、自ら身の才(ざえ)を嘆けり。
石上乙麻呂卿配土左國之時謌三首并短哥
標訓 石上乙麻呂卿の土左國に配(なが)されし時の謌三首并せて短哥
集歌一〇一九
原文 石上 振乃尊者 弱女乃 或尓縁而 馬自物 縄取附 肉自物 弓笶圍而 王 命恐 天離 夷部尓退 古衣 又打山従 還来奴香聞
訓読 石上(いそのかみ) 布留(ふる)の尊(みこと)は 手弱女(たわやめ)の 惑(まど)ひによりて 馬じもの 縄取り付け 鹿猪(しし)じもの 弓矢囲みて 王(おほきみ)し 命(みこと)恐(かしこ)み 天離る 鄙辺(ひなへ)に退(まか)る 古衣(ふるころも) 又打(まつち)し山ゆ 帰り来(こ)ぬかも
私訳 石上の布留の御方は、手弱女に惑わされたことで、馬のように縄で縛り付けられて、鹿猪のように弓矢で囲まれて、王の御命令を謹んで承って、王の居られる都から離れた田舎に退いた。古い衣を打ちなめす、その真土の山からこの都に帰って来ないでしょうか。
集歌一〇二〇
原文 王 命恐見 刺並之 國尓出座耶 吾背乃公矣
訓読 王(おほきみ)し命(みこと)恐(かしこ)み さし並(なみ)し 国に出でます 吾が背の公(きみ)を
私訳 王の御命令を謹んで承って、次ぎ次ぎと継がる遠くの国にお出かけになる。私の尊敬する御方よ。
集歌一〇二一
原文 繋巻裳 湯々石恐石 住吉乃 荒人神 舡舳尓 牛吐賜 付賜将 嶋之埼前 依賜将 礒乃埼前 荒浪 風尓不合遇 草管見 身疾不有 急 令變賜根 本國部尓
訓読 かけまくも ゆゆし恐(かしこ)し 住吉(すみのえ)の 荒人神(あらひとがみ)し 船(ふな)し舳(へ)に 領(うしは)き賜ひ 着き賜はむ 島し崎々(さきざき) 寄り賜はむ 磯の崎々 荒き浪 風に遇(あは)せず 草慎(つつ)み 病(やまひ)あらせず 急(すむや)けく 還(かへ)し賜はね 本(もと)し国辺(くにへ)に
私訳 御名を口に出すのも甚だ畏れ多い住吉の社に居られます神功皇后の神、船の舳先に鎮座なされて、到着なされるでしょう島々の崎ごとに、立ち寄りなされるでしょうそれぞれの磯の崎ごとに、荒々しい浪や風に遭遇させることなく、田舎に慎しんでいて、病にも罹らずに、すぐにお帰り下さい。元のお国に。
または、
集歌一〇二〇/一〇二一 (原文の句切れに議論があり、どのように分けるか結論が出ていません)
原文 王 命恐見 刺並 國尓出座耶 吾背乃公矣 繋巻裳 湯々石恐石 住吉乃 荒人神 船舳尓 牛吐賜 付賜将 嶋之埼前 依賜将 礒乃埼前 荒浪 風尓不令遇 莫管見 身疾不有 急 令變賜根 本國部尓
訓読 王(おほきみ)し 命(みこと)恐(かしこ)み さし並(なみ)し 国に出でます 吾が背の公(きみ)を かけまくも ゆゆし恐(かしこ)し 住吉(すみのえ)の 現人神(あらひとがみ)し 船(ふな)し舳(へ)に 領(うしは)き賜ひ 着き賜はむ 島し崎々(さきざき) 寄り賜はむ 磯の崎々 荒き浪 風に遇(あは)せず 障(つつ)み無く 病(やまひ)あらせず 急(すむや)けく 還(かへ)し賜はね 本(もと)し国辺(くにへ)に
私訳 王の御命令を謹んで承って、次ぎ次ぎと継がる遠くの国にお出かけになる、私の尊敬する御方を、御名を口に出すのも甚だ畏れ多い住吉に居られます現人神よ、船の舳先に鎮座なされて、到着なされるでしょう島々の崎ごとに、立ち寄りなされるでしょうそれぞれの磯の崎ごとに、荒々しい浪や風に遭遇させることなく、差し障りもなく、病にも罹らずに、すぐにお帰り下さい。元のお国に。
注意 この集歌一〇二〇及び集歌一〇二一の歌は連続した長歌と扱うものと、別々の二つの長歌として扱うものとがあります。ここでは両案を同時に紹介しました。
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October 8, 2020, 10:44 pm
集歌一〇二二
原文 父公尓 吾者真名子叙 妣刀自尓 吾者愛兒叙 参昇 八十氏人乃 手向為等 恐乃坂尓 弊奉 吾者叙追 遠杵土左道矣
訓読 父公(ちちきみ)に 吾(あれ)は真名子(まなご)ぞ 母(はは)刀自(とじ)に 吾(あれ)は愛児(はしこ)ぞ 参(ま)ゐ昇(のぼ)る 八十(やそ)氏人(うぢひと)の 手向(たむけ)する 恐(かしこ)の坂に 弊(へ)き奉(まつ)り 吾(あれ)はぞ追(お)へる 遠き土佐道(とさぢ)を
私訳 父君にとって私は立派な名を継ぐ子であるぞ、母君にとって私は愛しい子であるぞ、都に参上する多くの人々が手向けをする神の居ます貴い坂で、幣を捧げてその神を祝い、私は追い立てられる遠い土佐への路を。
反謌一首
集歌一〇二三
原文 大埼乃 神之小濱者 雖小 百船能毛 過迹云莫國
訓読 大崎の神し小浜(をはま)は狭(せば)けども百(もも)し船(ふね)のも過(す)ぐと云はなくに
私訳 大崎の神の居ます小浜は狭いけれど、多くの船がただ通り過ぎるだけとは云いません。
注意 国歌大観で歌番号を「一〇二〇/一〇二一」と二つ付けられる歌は、先に紹介したように歌が二つに分けられるとする説と一つの長歌であるとする説の間で、未だに結論が得られていないようです。そのために、その折衷案のような歌番号の表記の仕方です。集歌一〇一九の歌の標題では「謌三首并短哥」となっているため、集歌一〇二〇/一〇二一の歌を二首と数えると落ち着きが良いようですが、その場合、長歌、短歌、長歌と反歌の組み合わせとなります。なお、西本願寺本等の伝統はこの二分割案ですが、標準解釈では歌番号一〇二〇を欠番としての長歌一首説を取ります。
秋八月廿日宴右大臣橘家謌四首
標訓 (天平十年)秋八月廿日に、右大臣橘の家(いへ)にて宴(うたげ)せる謌四首
集歌一〇二四
原文 長門有 奥津借嶋 奥真經而 吾念君者 千歳尓母我毛
訓読 長門(ながと)なる奥津借島(かりしま)奥まへに吾(あ)が念(も)ふ君は千歳(ちとせ)にもがも
私訳 (私が管理する)長門の国にある奥まった入り江にある借島のように、心の奥深くに私が尊敬している貴方は、千歳を迎えて欲しいものです。
左注 右一首、長門守巨曽倍對馬朝臣
注訓 右の一首は、長門守巨曽倍對馬朝臣なり
集歌一〇二五
原文 奥真經而 吾乎念流 吾背子者 千歳五百歳 有巨勢奴香聞
訓読 奥まへに吾(あれ)を念(おも)へる吾(あ)が背子は千歳(ちとせ)五百歳(いほとせ)ありこせぬかも
私訳 心の奥深くに私を尊敬してくれている私の貴方が、千年と五百年を迎えてくれないものでしょうか。(ねえ、巨勢部の貴方)
左注 右一首、右大臣和謌
注訓 右の一首は、右大臣の和(こた)へたる謌
集歌一〇二六
原文 百礒城乃 大宮人者 今日毛鴨 暇無跡 里尓不去将有
訓読 ももしきの大宮人は今日もかも暇(いとま)を無(な)みと里に去(ゆ)かずあらむ
私訳 沢山の岩を積み上げて造った大宮に勤める官人は、今日もまた、暇が無いと里に下っていかないのでしょう。
左注 右一首、右大臣傳云、故豊嶋采女謌。
注訓 右の一首は、右大臣の傳へて云はく「故(いにし)への豊嶋采女の謌なり」といへり。
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October 9, 2020, 10:47 pm
万葉雑記 番外雑話 墨子と聖徳太子と11月22日
始めに、11月22日は大工さんの日という記念日で、その記念日の行事の中で大工さんの重要な道具や技術を伝えた人として聖徳太子を讃えるそうです。ただ、一般に紹介するような聖徳太子が大工道具の尺金を世に紹介したとするのは誤解釈です。ここで、聖徳太子の場合の大工とは大匠(おおたくみ)のことで、本来は古代の土木建築事業の総監督を意味します。同じ漢字ですが現代の建築職人さんに区分される大工さんを意味しません。強いて言えば、棟梁です。つまり、聖徳太子が大工の神と讃えられるのは古代の建築土木事業の総監督を養成する師匠だったからなのです。今回は、この話題から古代日本社会と墨子の関係について与太話を行います。
最初に寄り道します。
中国では「墨学學派與道教、前者為學術流派、後者為宗教、二者之性質當是南轅北轍」と評論する言葉があります。墨学は学術の側面を、他方、道教は宗教の側面を持ち、それは人力車の引き棒と車輪の関係と同じと評論します。「道」と云うものの見方により墨学であり、道教です。
話が飛びますが、日本には修験道という独自の宗教形態があり、それは日本古来の山岳信仰を基底に置き、それに真言密教と道教が習合したもので、平安時代の聖宝によって体系化されたと解説します。その修験道の先駆を代表する人として飛鳥から奈良時代の役行者がおり、その彼には百済経由の道教思想と金剛蔵菩薩に代表される華厳系の密教との関係が想定されるとも指摘されます。加えて、その時代より少し前の斉明天皇に関係する多武峰の両槻宮は道観の指摘がありますから、従来の古代史研究者は古代日本に道教や墨子の影はないとなっていますが、実際は隋・唐もそうであったように相当な影響があったと考えられます。唐では道教は国教ですから遣隋使や遣唐使の一行、また、渡来知識人が道教の概要を知らない可能性は全くにありません。現代において米国に文化・科学・行政を学びにそれぞれに派遣された留学生が、その全員が全くにキリスト教についてその概要を知らずに帰国する可能性はありません。少なくとも指定された研究者はその学域においてキリスト教の概要と影響を含めて研究し、その成果を持ち帰ったはずです。そのように推定するのが社会人と思いますが、昭和期までの古典研究者は、どうもそのようには考えなかったようです。なお、当然ですが、近代自由主義を研究する時にキリスト教の影響を考慮しない研究が成り立たないと同じように、飛鳥時代から平安時代中期までの研究をするときに中国の隋から唐時代の社会情勢を反映して道教とそれに影響を与えた墨学を儒学や仏学と同様に基礎知識として知る必要があります。一方、日本では一般の古代史に興味を持つ人向けの道教や墨学のテキストがほとんどありませんから、興味を持つ人が自力で資料を整備する必要がある分、大変です。
さて、少し先の期日になりますが、最初に紹介しましたように11月22日は大工さんの日だそうで、その大工さんの重要道具を日本へと導入した貢献者に聖徳太子に置くそうです。大工仕事の重要な製作図を行うときの最重要で基礎となる技術に規矩術(きくじゅつ)というものがあります。木材などを加工する時に直線と直角を得て、それを材木に印し、それを基準に加工するという基礎中の基礎の製作図技術です。土台も同じように直線と直角に基準高さを得て整えます。この建築土木の基礎的技術を規矩術と云います。
この規矩術は大工の数学のようなもので、古語成語の規矩準縄(きくじゅんじょう)というものを由来とします。成語の「規」とは「円を描く」、「矩」とは「直角」、「準」とは「基準、水平」、「縄」とは「直線」ということを意味し、家造りでの最も基本となるキーワードです。更に大工道具の中でもモノを計る道具を指し、「規=コンパス」、「矩=差し金」、「準=水盛り」、「縄=墨縄」です。墨子の『法儀篇』では「百工、為方以矩、為圓以規、直衡以、水以繩、正以縣。無巧工不巧工、皆以此五者為法。(百工は矩(く)を以(もち)い方(ほう)を為(つく)り、規(き)を以(もち)い圓(えん)を為(つく)り、直(ちょく)は衡(さし)を以(もち)い、水(すい)は繩(じょう)を以(もち)い、正(せい)は縣(けん)を以(もち)う。巧工と巧工あらずと無く、皆此の五者を以って法(のり)と為す。)」と紹介し、材木などの加工・組み立て技術以前の建築の基礎知識を紹介します。
先に聖徳太子を大工さんの始祖と紹介しましたがその理由は、この規矩準縄の技術と理論を日本の職人さんたちに教え、建築土木や造船を行う上で最重要な測定・測量の技術を持った建築建設技術者となる大匠たちを育成したと伝わるからです。
その話題とします測定・測量の技術は本質的に数学の分野であり、そこには数学として点、線、面、立体等の概念と定義が必要となります。師匠弟子間の徒弟制度による技能伝承ではなく、広い範囲での技術の普及や大規模な構造物の建築には統一された技術・理論が必要となり、それには科学としての理論形成が必要です。例えば、飛鳥時代を代表する超巨大建築物となる大官大寺の中心伽藍の敷地の大きさは144m x 197m、建物では金堂の規模は45m x 21mであり、九重塔は塔の初層一辺長15mで高さ100mと発掘された基礎構造から推定されています。そこには正確にモノを計測し、計画通りに整える必要があります。それを実行させるのが規矩準縄で示す測定の理論と技術なのです。聖徳太子の大工の神様とは尺金の道具のようなレベルの話ではないのです。当時の最先端の科学技術の話なのです。
この分野での科学としての理論形成を東アジア文化圏で最初に行ったのが墨学集団で、その墨子の経篇で概念の定義や理論の展開を行っています。経篇では基礎となる幾何学の基本概念について厳格に定義を行います。例として、空間を“同じではない全ての場所”と定義し、また、東、西、南、北、中という方向概念を提案します。さらに、低い所を基準として高い所の高さを量として測定することを提案します。相対的なものではなく量を計る為に計測の概念を定め、計測での基準を定義します。経篇からすると墨学は既に、東西(縦)、南北(経)、高低という空間の三つの概念を持っていたことが推定出来ます。つまり、墨学は点、線、面、立体など一連の幾何学概念を考え出しており、墨子の経篇においてはそれらを、“端”、“尺”、“区”、“穴”と定義としての名称を与えます。
墨子の経篇では、その空間概念を基準にその他のいくつかの重要な概念を示します。例えば、“平”は二つの高さが同じものを意味し(“同高也”)、“直”は三点が同一線上にあることを意味し(“参也”)、“円”は一つの中心から等距離にある線で構成されるもの(“一中同長也”)、“方”は辺と角が四つそれぞれ等しいもの(“方柱隅四讙也”)。これらの定義は、作図を行うときの操作を説明をすることでも表現できます。例えば、正方形は“矩(=直角定規)”で描いて線が交わる(“方、矩之交也”)、円は“規(コンパス)”で描いて線が交わる(“圓、規写交也”)などです。なお、墨子で使う漢字は隋から前漢初期での言葉ですので、近現代での漢字の意味と相違する場面があります。例として、「参」とは“参、承也、覲也。三相参爲参”ですから、経上篇で「直、参也」と示す定義は「直線とは三点が同一線上にある」と解釈することになります。
ここで幾何学からの重要なことは、コンパスで円を描くことが出来、同時に直線と直角の概念を持つと、コンパスと直線を用いて直角を得ることが出来ます。また、円と直線の組み合わせから相似形を描くことも可能となり、基準の図形に対して縮尺・拡大を得ることもできます。大官大寺の超巨大な建築物も最初にスケールダウンした模型を作り、その模型部材を計測し均等にすべての部材を拡大すると、予定する超巨大建築物が得られます。ただ、古代では構造力学や材料工学はまだありませんから、構造体や部材の強度、また、そこから定まる部材断面や継ぎ手方法などは経験工学の扱いです。そこは経験と経験の延長線に立つ感性の世界です。世に云う巧工と不巧工との差はここにあります。
墨子の経篇では規矩準縄の技術の基盤となる幾何学の基本概念と定義付けを行い、用法も示します。さらに墨学の集団は経篇で示す理論を用い防護陣地や城郭の構築で実践・実用を示します。それを応用すると古代にあっても超巨大な建築物が建設できるのです。つまり、墨子の経篇は建築土木の定義書であり、理論書ですが、同時に実学書でもあるのです。古代において、このような建築技術に係る理論・実学書は墨子以外にはありませんから、聖徳太子が規矩準縄の理論知識を持っていたとしますと墨学に学んでいた可能性が非常に高くなります。確認しますが、聖徳太子は現場監督ではありませんから、規矩準縄の技術に加えて経験工学が必要な「巧工不巧工」の世界とは違う立場の人です。そこを誤解しないようにお願いします。
ここで、聖徳太子の話題に戻りますと、有名な憲法十七条の内、次に示す第八条は墨子の非楽上編に載る言葉に由来すると考えられていますから、時代と社会状況からすると聖徳太子は秦朝始皇帝の末裔を自称する秦一族などから墨子を学んでいた可能性があります。ただ、従来の学説では「日本には墨学は到来していない」を前提に議論をしますから、専門家になるほどこれを拘束され荘子、孟子などに根拠を求めるようになります。その分、若い真面目な研究者には辛い慣習や古風です。
日本書紀;推古天皇十二年の夏四月丙寅朔戊辰の条より抜粋。
原文 八曰、群卿百寮、早朝晏退。公事靡監、終日難盡。是以、遲朝不逮于急、早退必事不盡。
解釈 八に曰く、群卿(ぐんけい)百寮(ひゃくりょう)、早く朝(ちょう)し晏(おそ)く退(さが)れ。公事(くじ)は監(うしお)に靡(なび)きて、終日(ひねもす)にても尽(つく)しがたし。是を以って、遅く朝(ちょう)すれば急に逮(およ)ばず、早く退(さが)れば必ず事(こと)尽さず。
引用されたと推定される墨子の文章
巻八 非楽上編より抜粋
1. 王公大人蚤朝晏退、聴獄治政。此其分事也。
王公(おうこう)大人(たいじん)は蚤(はや)く朝(ちょう)し晏(おそ)く退(しりぞ)き、獄(ごく)を聴き政を治む。此れ其の分事なり。
2. 今唯母在乎王公大人説楽而聴之、則必不能蚤早朝晏退聴獄治政。
今唯母(ただ)王公(おうこう)大人(たいじん)に在りて楽を説(よろこ)びて之を聴かば、則ち必ずや蚤(はや)く朝(ちょう)し晏(おそ)く退(しりぞ)き獄を聴き政を治めること能(あた)わざらむ。
ここで少し墨子に対し車の轅と轍の関係に等しいとされる道教について飛鳥・奈良時代に遊びますと、「神道」と云う言葉が重要な問題を提起します。もし、この「神道」と云う漢字文字を中国語となる漢語の言葉としますと、三世紀以後の中国の典籍では、道家の思想や神仙の術ならびにそれに依拠する種々の呪術、すなわち、道教ないし道教的なものを総括して「神道」の名で呼ぶのが一般的であったと評論しますから、つまり、「漢語」の「神道」とは現代での道教を指します。この問題を受けて、日本書紀が編纂された時代、そこで使われる「神道」なる言葉は「和語」の言葉か、「漢語」の言葉かを問題にする研究者がいます。
日本書紀に「神道」の言葉が使われる箇所
用明天皇即位前紀;天皇信仏法尊神道
孝徳天皇即位前紀;尊仏法、軽神道。
大化三年四月壬午;惟神者、謂随神道。亦謂自有神道也。
その研究者は次の延喜式 祝詞「東文忌寸部献横刀時呪の祝詞(東文祝詞)」を紹介し、そこで朝廷からの祝詞奏上を受ける皇天上帝、三極大君、日月星辰、八方諸神、司命司籍、東王父、西王母、五方五帝、四時四気は道教の神々であることを指摘します。なぜ、朝廷が国家を挙げて行う六月と十二月の年二回の祓い神事で道教の神々に国土からの邪気退散をお願いするのかです。「神道」が和語であれば、日本古来の神々にお願いするのが本来ではないかの主張です。ここから日本書紀の原型が創られつつあった飛鳥時代の「神道」は「漢語」のものではないかと確認します。つまり、日本書紀の「神道」とは中国語であり、道教ではなかったとの指摘です。
延喜式 東文忌寸部献横刀時呪の祝詞(東文祝詞)
謹請、皇天上帝、三極大君、日月星辰、八方諸神、司命司籍、左は東王父、右は西王母、五方の五帝、四時の四気、捧ぐるに緑人をもちてし、禍災を除かむことを請ふ。捧ぐるに金刀をもちてし、帝柞を延べむことを請ふ。呪に曰く、東は扶桑に至り、西は虞淵に至り、南は炎光に至り、北は弱水に至る、千の城百の闘、精治万歳、万歳万歳。
道教についてその歴史的なあり方からいえば、成立道教(又は教団道教)と民間道教の二つに分れます。成立道教は教団や組織の体裁を備えているもので、寺院に相当する道観と云う建物を布教や修道の中心にして、そこを拠点とする僧尼に当る道士や女道士によって維持されているものです。いわゆる教団道教です。一方、民間道教は在野の個々人の信心に従い教団や組織の体裁を持ちません。その分、民間道教は歴史の表舞台には現れません。逆に教団道教は斉明天皇の多武峰の両槻宮は道観と指摘があるように、斉明天皇は道教の信者ではないかなどと物的証拠での議論が容易になります。
現在の神道を確認すると、延喜式 祝詞「東文祝詞」などが示すものが神道の古風の姿とするならば、飛鳥時代から奈良時代にかけて土着原始宗教が道教と習合したのではないかと指摘できます。その時、歴代の朝廷指導者がそれを公式に容認するかです。もし、平安時代以降の神道なるものが道教を理論基盤に置き飛鳥時代から奈良時代に古来の土着原始宗教を取り込んで、儒学や仏学に相当する古代宗教たる様式・形式が整ったものして成り立っているとすると、日本神話の根底が崩れます。古事記や日本書紀が示す国家神道は飛鳥時代以降の非常に若い宗教となり、日本神話に示す久遠の過去の物語にはなり得ません。ほんの200年程度の話になります。為政者の立場からすれば、国家神道の基盤となるような道教は日本に存在しなかった。和語の神道は久遠の過去から存在した。だから、天皇とそれを補佐する人々の祖は天に命じられ天降りしてこの日本を統治すると扱うはずです。それを証明するように、国学を研究する人たちが信心するように聖徳太子の憲法十七条に道教と表裏一体と指摘される墨子があってはいけないのです。
墨子があるとすれば「以和為貴。無忤為宗」は「和」を「同」に置き換えれば唱える本質は尚同篇の理論そのままですし、「承詔必謹。君則天之。臣則地之」もまた尚賢篇の理論そのままです。ちなみに聖徳太子の時代の漢字解釈は、「和;順也、諧也。同;共也、又和也。」となっています。つまり、和と同は同義語です。このように墨子があると認めると憲法十七条の条文は非常に判り易いものになりますし、それ以降の朝廷が取る儒学と相反する薄葬政策との整合性も取れます。しかしながら、墨子は無かったとする古代史専門家の立場からすれば、和語の神道は久遠の過去から存在しますし、聖徳太子に墨子はありません。
一方、聖徳太子の憲法十七条に道教と表裏一体と指摘される墨子があるなら、聖徳太子(又はブレーン)が墨子の書籍を読み、それを構成する経篇の内容を理解した上で建築技術の部分を抜き出し、規矩準縄の技術として人々に教えた可能性があります。そこから伝説が生まれますと、聖徳太子は大工さんの祖となり、毎年11月22日にお祭りをする必要とその根拠が明白になります。
いろいろと述べて来ましたが今回も全くに与太話ですし、トンデモ論です。読み捨ての笑論としてください。
おまけ、その1
飛鳥奈良時代の道教と神道の習合に関して、ネット上には次のような文があります。そこでは「神」とは神仙思想の神のことを指すとしますから、認識は漢語の「神」であって、和語の「神」ではありません。
日本書紀の天武紀を見ますと、第四十代天武天皇の和風の諡は、「天淳中原瀛真人」(あまのぬなかはらおきのまひと)といいます。「天淳中原」は沼の中の原ということで、天武天皇が水沼を開拓して飛鳥浄御原宮の都づくりをしたことに由来しています。瀛州は東海に浮かぶ神山の一つです。八色の姓の最上位は真人であり、真人は仙人の上位階級になるので、天皇も道教の最高神に近い存在であることを示しています。ここに天武天皇の宗教観に道教の要素がみられるのです。「天皇は神にしませば」と詠まれるときの神は、神仙思想の神のことを指し、仙人の上位にいる存在であったのです。天武天皇は天文遁甲を重視していたことがわかります。この道教への関心は天武天皇だけではなく、母の斉明天皇に顕著にみえます。天武天皇の没後以後は、日本の道教と神道と分かちがたく融合し、独立には存在していないといいます。
おまけ、その2
天武天皇以降の伊勢の皇大神宮を頂点とする国家神道は神が常座する御舎を持ち、定型の祝詞とその奏上儀礼・式次第を持ちます。それも律令が施行された地域ではほぼ統一された様式を持ちます。太古の和語の「神道」の神は天に常座し、時に磐座に天降りします。また、奇祭が伝わるように神祀りには地域独自性があります。つまり、土着原始宗教が昇華して飛鳥・奈良時代の神道になったのではありません。天武天皇以降の国家神道は土着原始宗教と何かが習合し、国際都市である藤原京や平城京に相応しい儀礼の整った宗教となったのです。
さて、日本人の多くは東照宮の華よりも皇大神宮の素を好みます。また、天皇が神祭りの為に自ら田植えをすると祝詞奏上の形で宣言します。このような精神構造は天武天皇以降に整ったようですが、どこに由来するのでしょうか。
当然、昭和までの古代史や哲学者には墨子の精神は存在しないことになっています。ですから、墨子は研究者が読んではいけない禁書なのです。
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October 10, 2020, 10:57 pm
後撰和歌集(原文推定、翻文、解釈付)
止遠末利也末幾仁安多留未幾
巻十八
久左久左乃宇多与川
雑歌四
歌番号一二五〇
加者徒遠幾々天
加者徒遠幾々天
蛙を聞きて
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 和可也止尓安飛也止利之天春武加者徒与留尓奈礼者也毛乃八加奈良之幾
定家 和可也止尓安飛也止利之天春武加者徒与留尓奈礼者也物八悲幾
和歌 わかやとに あひやとりして すむかはつ よるになれはや ものはかなしき
解釈 我が宿にあひ宿りして住む蛙夜になればや物は悲しき
歌番号一二五一
飛止/\安満多志利天者部利个留於无奈乃毛止尓止毛多知乃毛止
与利己乃己呂者於毛比佐多女多留奈女利堂乃毛之幾
己止奈利止堂者布礼遠己世天者部利个礼者
飛止/\安満多志利天侍个留女乃毛止尓友多知乃毛止
与利己乃己呂者思定多留奈女利堂乃毛之幾
事也止堂者布礼遠己世天侍个礼者
人々あまた知りて侍りける女のもとに、友だちのもと
より、このごろは思ひ定めたるなめり。
頼もしき事なり、と戯れおこせて侍りければ
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 堂満衣己具安之加利遠不祢左之和个天多礼遠多礼止可和礼者さ多女无
定家 玉江己具安之加利遠舟左之和个天誰遠多礼止可我者定女无
和歌 たまえこく あしかりをふね さしわけて たれをたれとか われはさためむ
解釈 玉江漕ぐ葦刈小舟さし分けて誰れを誰れとか我は定めん
歌番号一二五二
越止己乃者之女以可尓於毛部留左満尓可安利个武
於无奈乃遣之幾毛己々呂止个奴遠三天安也之久
於毛者奴左万奈留己止々以比者部利个礼八
越止己乃者之女以可尓於毛部留左満尓可有个武
女乃遣之幾毛心止个奴遠見天安也之久
於毛者奴左万奈留己止々以比侍个礼八
男の、初めいかに思へるさまにか有りけむ
女の気色も心解けぬを見て、あやしく
思はぬさまなること、と言ひ侍りければ
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 美知乃久乃於布知乃己満毛乃可不尓八安礼己曽万左礼奈川久毛乃可八
定家 美知乃久乃於布知乃己満毛乃可不尓八安礼己曽万左礼奈川久毛乃可八
和歌 みちのくの をふちのこまも のかふには あれこそまされ なつくものかは
解釈 陸奥のおぶちの駒ものがふには荒れこそまされなつくものかは
歌番号一二五三
知宇之与宇尓天宇知尓佐布良比个留止幾安比之利多利
遣留於无奈久良宇止乃佐宇之尓川本也奈久比於以
加个遠也止之遠幾天者部利个留遠尓八可尓己止
安利天止遠幾止己呂尓満可利者部利个利己乃於无奈乃毛止
与利己乃於以加个遠々己世天安者礼奈留己止
奈止以比天者部利个留可部之己止尓
中将尓天内尓佐布良比个留時安比之利多利
遣留女蔵人乃佐宇之尓川本也奈久比於以
加个遠也止之遠幾天侍个留遠尓八可尓事
安利天止遠幾所尓満可利侍个利己乃女乃毛止
与利己乃於以加个遠々己世天安者礼奈留事
奈止以比天侍个留返事尓
中将にて内裏にさぶらひける時、相知りたり
ける女蔵人の曹司に壺やなぐひ、
老懸を宿し置きて侍りけるを、にはかに事
ありて、遠き所にまかり侍りけり。この女のもと
よりこの老懸をおこせて、あはれなる事
など言ひて侍りける返事に
美奈毛堂乃与之乃々安曾无
源善朝臣
源善朝臣
原文 伊徒久止天多川祢天幾徒良无多万加川良和礼者无可之乃和礼奈良奈久尓
定家 伊徒久止天尋幾徒覧玉加川良我者昔乃我奈良奈久尓
和歌 いつくとて たつねきつらむ たまかつら われはむかしの われならなくに
解釈 いづくとて尋ね来つらん玉葛我は昔の我ならなくに
歌番号一二五四
堂与利尓川幾天飛止乃久尓乃加多尓者部利天美也己尓
比佐之宇満可利乃本良左利个留止幾尓止毛多知尓
徒可者之遣留
堂与利尓川幾天人乃久尓乃方尓侍天京尓
比佐之宇満可利乃本良左利个留時尓止毛多知尓
徒可者之遣留
便りにつきて、人の国の方に侍りて、京に
久しうまかり上らざりける時に、友だちに
つかはしける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 安佐己止尓三之美也己地乃多衣奴礼者己止安也万利尓止不飛止毛奈之
定家 安佐己止尓見之宮己地乃多衣奴礼者事安也万利尓止不人毛奈之
和歌 あさことに みしみやこちの たえぬれは ことあやまりに とふひともなし
解釈 朝ごとに見し都路の絶えぬれば事誤りに問ふ人もなし
歌番号一二五五
止遠幾久尓々者部利个留飛止遠美也己尓乃本利多利止
幾々天安比末川尓万宇天幾奈可良止者左利个礼八
止遠幾久尓々侍个留人遠京尓乃本利多利止
幾々天安比末川尓万宇天幾奈可良止者左利个礼八
遠き国に侍りける人を、京に上りたりと
聞きてあひ待つに、まうで来ながら訪はざりければ
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 伊川之可止満川知乃也末乃左久良者奈万知天毛与曽尓幾久可々奈之左
定家 伊川之可止満川知乃山乃桜花万知天毛与曽尓幾久可々奈之左
和歌 いつしかと まつちのやまの さくらはな まちてもよそに きくかかなしさ
解釈 いつしかと待乳の山の桜花待ちてもよそに聞くが悲しさ
歌番号一二五六
堂以之良寸
題しらす
題知らす
以世
伊勢
伊勢
原文 以世和多留可者々曽天与利奈可留礼止々布尓止者礼奴三者宇幾奴女利
定家 以世和多留河者袖与利奈可留礼止々布尓止者礼奴身者宇幾奴女利
和歌 いせわたる かははそてより なかるれと とふにとはれぬ みはうきぬめり
解釈 いせ渡る河は袖より流るれど問ふに問はれぬ身は浮きぬめり
歌番号一二五七
堂以之良寸
題しらす
題知らす
幾多乃部乃比多利乃於本以万宇知幾三
北辺左大臣
北辺左大臣
原文 飛止女多尓美衣奴也末知尓堂川久毛遠多礼寸三可万乃計无利止以不良无
定家 人女多尓見衣奴山地尓立雲遠多礼寸三可万乃煙止以不良无
和歌 ひとめたに みえぬやまちに たつくもを たれすみかまの けふりといふらむ
解釈 人めだに見えぬ山路に立つ雲を誰れすみがまの煙といふらん
歌番号一二五八
越止己乃飛止尓毛安万多止部和礼也安多奈留
己々呂安留止以部利个礼者
越止己乃人尓毛安万多止部我也安多奈留
心安留止以部利个礼者
男の人にもあまた問へ。我やあだなる
心あると言へりければ
以世
伊勢
伊勢
原文 安寸可々者布知世尓加者留己々呂止者美奈加美之毛乃飛止毛以不女利
定家 安寸可河淵世尓加者留心止者美奈加美之毛乃人毛以不女利
和歌 あすかかは ふちせにかはる こころとは みなかみしもの ひともいふめり
解釈 飛鳥河淵瀬に変る心とはみな上下の人も言ふめり
歌番号一二五九
飛止乃武己乃以末満宇天己武止以比天満可利尓
个留可布美遠己寸留飛止安利止幾々天比左之宇
満宇天己佐利个礼者安止宇加多利乃己々呂遠
止利天加久奈武毛宇寸女留止以比川可者之个留
人乃武己乃今満宇天己武止以比天満可利尓
个留可布美遠己寸留人安利止幾々天比左之宇
満宇天己佐利个礼者安止宇加多利乃心遠
止利天加久奈武申女留止以比川可者之个留
人の婿の「今まうで来む」と言ひてまかりに
けるが、文おこする人ありと聞きて、久しう
まうで来ざりければ、あとうがたりの心を
とりて、かくなむ申すめると言ひつかはしける
武寸女乃波々
女乃波々
女のはは(女母)
原文 以末己武止以比之者可利遠以乃知尓天満川尓遣奴部之佐久左女乃止之
定家 今己武止以比之許遠以乃知尓天満川尓遣奴部之佐久左女乃止之
和歌 いまこむと いひしはかりを いのちにて まつにけぬへし さくさめのとし
解釈 今来むと言ひしばかりを命にて待つに消ぬべしさくさめの刀自
歌番号一二六〇
加部之
返之
返し
武己
武己
むこ(婿)
原文 加寸奈良奴三乃美毛乃宇久於毛本衣天満多留々万天毛奈利尓个留可奈
定家 加寸奈良奴身乃美物宇久於毛本衣天満多留々万天毛奈利尓个留哉
和歌 かすならぬ みのみものうく おもほえて またるるまても なりにけるかな
解釈 数ならぬ身のみ物憂く思ほえて待たるるまでもなりにけるかな
歌番号一二六一
徒祢尓久止天宇留佐可利天加久礼个礼八川可八之个留
徒祢尓久止天宇留佐可利天加久礼个礼八川可八之个留
常に来とて、うるさがりて隠れければ、つかはしける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 安利止幾久遠止者乃也末乃保止々幾寸奈尓加久留良无奈久己恵者之天
定家 有止聞遠止者乃山乃郭公何加久留良无奈久己恵者之天
和歌 ありときく おとはのやまの ほとときす なにかくるらむ なくこゑはして
解釈 有りと聞く音羽の山の郭公何に隠るらん鳴く声はして
歌番号一二六二
毛乃尓己毛利多留尓志利多留飛止乃川本祢奈良部天
世宇可川遠己奈比天以徒留安可川幾尓以止幾多奈計
奈留之多宇川遠於止之多利个留遠止利天
徒可者寸止天
物尓己毛利多留尓志利多留人乃川本祢奈良部天
正月遠己奈比天以徒留暁尓以止幾多奈計
奈留之多宇川遠於止之多利个留遠止利天
徒可者寸止天
物に籠もりたるに知りたる人の局並べて、
正月行ひて出づる暁に、いと汚げ
なる下沓を落としたりけるを、取りて
つかはすとて
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 安之乃宇良乃以止幾多奈久毛三由留可奈々美者与利天毛安良八左利个利
定家 安之乃宇良乃以止幾多奈久毛見由留哉浪者与利天毛安良八左利个利
和歌 あしのうらの いときたなくも みゆるかな なみはよりても あらはさりけり
解釈 足の裏のいと汚くも見ゆるかな浪は寄りても洗はざりけり
歌番号一二六三
堂以之良寸
題しらす
題知らす
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 飛止己々呂堂止部天三礼者之良川由乃幾由留万毛奈保比左之可利个利
定家 人心堂止部天見礼者白露乃幾由留万毛猶比左之可利个利
和歌 ひとこころ たとへてみれは しらつゆの きゆるまもなほ ひさしかりけり
解釈 人心たとへて見れば白露の消ゆる間もなほ久しかりけり
歌番号一二六四
堂以之良寸
題しらす
題知らす
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 与乃奈可止以比川留毛乃可加遣呂不乃安留可奈幾可乃本止尓曽安利个留
定家 世中止以比川留物可加遣呂不乃安留可奈幾可乃本止尓曽有个留
和歌 よのなかと いひつるものか かけろふの あるかなきかの ほとにそありける
解釈 世の中と言ひつるものかかげろふのあるかなきかのほどにぞ有りける
歌番号一二六五
止毛多知尓者部利个留於无奈乃止之比左之久多乃三天
者部利个留於止己尓止者礼寸者部利个礼八毛呂止毛尓奈个幾天
友多知尓侍个留女乃止之比左之久多乃三天
侍个留於止己尓止者礼寸侍个礼八毛呂止毛尓奈个幾天
友だちに侍りける女の、年久しく頼みて
侍りける男に訪はれず侍りければ、もとろもに嘆きて
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 加久者可利和可礼乃也寸幾与乃奈可尓川祢止多乃女留和礼曽者可那幾
定家 加久許別乃也寸幾世中尓川祢止多乃女留我曽者可那幾
和歌 かくはかり わかれのやすき よのなかに つねとたのめる われそはかなき
解釈 かくばかり別れのやすき世の中に常と頼める我ぞはかなき
歌番号一二六六
徒祢尓奈幾奈多知者部利个礼八
徒祢尓奈幾奈多知侍个礼八
常になき名立ち侍はりければ
以世
伊勢
伊勢
原文 知里尓堂川和可奈幾与女无毛々之幾乃飛止乃己々呂遠万久良止毛可奈
定家 知里尓立和可奈幾与女无毛々之幾乃人乃心遠万久良止毛哉
和歌 ちりにたつ わかなきよめむ ももしきの ひとのこころを まくらともかな
解釈 塵に立つ我が名清めん百敷の人の心を枕ともがな
歌番号一二六七
安多奈留奈多知天以比左者可礼个留己呂安留
於止己保乃可尓幾々天安者礼以可尓曽止々比
者部利个礼者
安多奈留名多知天以比左者可礼个留己呂安留
於止己保乃可尓幾々天安者礼以可尓曽止々比
侍个礼者
あだなる名立ちて言ひ騒がれけるころ、ある
男ほのかに聞きて、あはれいかにぞ、と問ひ
侍りければ
己万知可武万己
己万知可武万己
こまちかむまこ(小町孫)
原文 宇幾己止遠志乃不留安女乃志多尓之天和可奴礼幾奴者本世止加者可寸
定家 宇幾事遠志乃不留雨乃志多尓之天和可奴礼幾奴者本世止加者可寸
和歌 うきことを しのふるあめの したにして わかぬれきぬは ほせとかわかす
解釈 憂き事をしのぶる雨の下にして我が濡衣は干せど乾かず
歌番号一二六八
止奈利奈利个留己止遠加利天加部寸川以天尓
止奈利奈利个留己止遠加利天加部寸川以天尓
隣なりける琴を借りて、返すついでに
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 安不己止乃加多美乃己恵乃堂可个礼者和可奈久祢止毛飛止者幾可奈无
定家 逢事乃加多美乃己恵乃堂可个礼者和可奈久祢止毛人者幾可奈无
和歌 あふことの かたみのこゑの たかけれは わかなくねとも ひとはきかなむ
解釈 逢ふ事のかたみの声の高ければ我が泣く音とも人は聞かなん
歌番号一二六九
堂以之良寸
題しらす
題知らす
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 奈良美多乃美志留見乃宇佐毛加多留部久奈計久己々呂遠万久良尓毛可奈
定家 涙乃美志留身乃宇佐毛加多留部久奈計久心遠万久良尓毛哉
和歌 なみたのみ しるみのうさも かたるへく なけくこころを まくらにもかな
解釈 涙のみ知る身の憂さも語るべく嘆く心を枕にもがな
歌番号一二七〇
毛乃於毛比个留己呂
物思个留己呂
物思ひけるころ
以世
伊勢
伊勢
原文 安比尓安日天毛乃於毛不己呂乃和可曽天者也止留川幾左部奴留々可本奈留
定家 安比尓安日天物思己呂乃和可袖者也止留月左部奴留々可本奈留
和歌 あひにあひて ものおもふころの わかそては やとるつきさへ ぬるるかほなる
解釈 逢ひに逢ひて物思ふころの我が袖は宿る月さへ濡るる顔なる
歌番号一二七一
安留止己呂尓春乃満部尓加礼己礼毛乃可多利之
者部利个留遠幾々天宇知与利於无奈乃己恵尓天安也
之久毛乃乃安者礼志利可本奈留於幾奈可奈止
以不遠幾々天
安留所尓春乃満部尓加礼己礼物可多利之
侍个留遠幾々天宇知与利女乃己恵尓天安也
之久物乃安者礼志利可本奈留於幾奈可奈止
以不遠幾々天
ある所に、簾の前にかれこれ物語りし
侍りけるを聞きて、内より女の声にて、あや
しく物のあはれ知り顔なる翁かなと
言ふを聞きて
従良由幾
従良由幾
つらゆき(紀貫之)
原文 安者礼天不己止尓志留之者奈个礼止毛以者天者衣己曽安良奴毛乃奈礼
定家 安者礼天不事尓志留之者奈个礼止毛以者天者衣己曽安良奴物奈礼
和歌 あはれてふ ことにしるしは なけれとも いはてはえこそ あらぬものなれ
解釈 あはれてふ事にしるしはなけれども言はではえこそあらぬ物なれ
歌番号一二七二
於无奈止毛多知乃川祢尓以比加者之个累遠比左之久
遠止川礼左利个礼者可无奈川幾者可利尓安多飛止乃
於毛不止以比之己止乃者々止以不々留己止遠以比加者之
多利个礼者多个乃者尓加幾川个天徒可者
之个留
女止毛多知乃川祢尓以比加者之个累遠比左之久
遠止川礼左利个礼者十月許尓安多人乃
思不止以比之事乃者々止以不々留己止遠以比加者之
多利个礼者竹乃者尓加幾川个天徒可者
之个留
女友だちの常に言ひ交しけるを、久しく
訪れざりければ、十月ばかりに、あだ人の
思ふと言ひし言の葉は、といふ古言を言ひ交し
たりければ、竹の葉に書きつけてつかは
しける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 宇徒呂者奴奈尓奈可礼多留加者多个乃以川礼乃与尓可安幾遠之留部幾
定家 宇徒呂者奴奈尓奈可礼多留加者竹乃以川礼乃世尓可秋遠之留部幾
和歌 うつろはぬ なになかれたる かはたけの いつれのよにか あきをしるへき
解釈 移ろはぬ名に流れたる川竹のいづれの世にか秋を知るべき
歌番号一二七三
堂以之良寸
題しらす
題知らす
於久留於本幾於本以万宇知幾三
贈太政大臣
贈太政大臣
原文 布可幾於毛日曽女川止以比之己止乃八々伊川可安幾加世布幾天知利奴留
定家 布可幾思日曽女川止以比之事乃八々伊川可秋風布幾天知利奴留
和歌 ふかきおもひ そめつといひし ことのはは いつかあきかせ ふきてちりぬる
解釈 深き思ひ染めつと言ひし言の葉はいつか秋風吹きて散りぬる
歌番号一二七四
加部之
返之
返し
以世
伊勢
伊勢
原文 己々呂奈幾美者久左幾尓毛安良奈久尓安幾久留可世尓宇多加八留良无
定家 心奈幾身者草木尓毛安良奈久尓秋久留風尓宇多加八留良无
和歌 こころなき みはくさきにも あらなくに あきくるかせに うたかはるらむ
解釈 心なき身は草木にもあらなくに秋来る風に疑はるらん
歌番号一二七五
堂以之良寸
題しらす
題知らす
以世
伊勢
伊勢
原文 美乃宇幾遠志礼者々之多尓奈利奴部美於毛部八武祢乃己可礼乃三寸留
定家 身乃宇幾遠志礼者々之多尓奈利奴部美於毛部八武祢乃己可礼乃三寸留
和歌 みのうきを しれははしたに なりぬへみ おもひはむねの こかれのみする
解釈 身の憂きを知ればはしたになりぬべみ思ひは胸の焦がれのみする
歌番号一二七六
堂以之良寸
題しらす
題知らす
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 久毛知遠毛志良奴和礼左部毛呂己恵尓个不者可利止曽奈幾加部利奴留
定家 雲地遠毛志良奴我左部毛呂己恵尓个不許止曽奈幾加部利奴留
和歌 くもちをも しらぬわれさへ もろこゑに けふはかりとそ なきかへりぬる
解釈 雲路をも知らぬ我さへもろ声に今日ばかりとぞ泣きかへりぬる
歌番号一二七七
堂以之良寸
題しらす
題知らす
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 満多幾加良於毛比己幾以呂尓曽女武止也和可武良左幾乃祢遠多川奴良无
定家 満多幾加良於毛比己幾以呂尓曽女武止也和可武良左幾乃祢遠多川奴良无
和歌 またきから おもひこきいろに そめむとや わかむらさきの ねをたつぬらむ
解釈 まだきから思ひ濃き色に染めむとや若紫の根を尋ぬらん
歌番号一二七八
堂以之良寸
題しらす
題知らす
以世
伊勢
伊勢
原文 美衣毛世奴布可幾己々呂遠加多利天八飛止尓加知奴止於毛不毛乃可八
定家 見衣毛世奴深幾心遠加多利天八人尓加知奴止思不毛乃可八
和歌 みえもせぬ ふかきこころを かたりては ひとにかちぬと おもふものかは
解釈 見えもせぬ深き心を語りては人に勝ちぬと思ふものかは
歌番号一二七九
天為之為无尓左不良比个留尓於保武止幾乃於呂之
多末者世多利个礼者
亭子院尓左不良比个留尓御止幾乃於呂之
多末者世多利个礼者
亭子院にさぶらひけるに、御斎の下し
たまはせたりければ
以世
伊勢
伊勢
原文 以世乃宇美尓止之部天寸美之安万奈礼止加々留美留女者可部留左利之遠
定家 伊勢乃海尓年部天寸美之安万奈礼止加々留美留女者可部留左利之遠
和歌 いせのうみに としへてすみし あまなれと かかるみるめは かつかさりしを
解釈 伊勢の海に年経て住みし海人なれどかかるみるめはかづかざりしを
歌番号一二八〇
安波多乃以部尓天飛止尓川可八之个留
栗田乃家尓天人尓川可八之个留
粟田の家にて人につかはしける
加祢寸个乃安曾无
加祢寸个乃朝臣
かねすけの朝臣(藤原兼輔)
原文 安之比幾乃也末乃也万止利加比毛奈之美祢乃之良久毛多知之与良祢八
定家 安之比幾乃山乃山鳥加比毛奈之峯乃白雲多知之与良祢八
和歌 あしひきの やまのやまとり かひもなし みねのしらくも たちしよらねは
解釈 あしひきの山の山鳥かひもなし峯の白雲立ちし寄らねば
歌番号一二八一
比多利乃於本以万宇知幾三乃以部尓天加礼己礼堂為遠左久利天
宇多与美个留尓川由止以不毛之遠衣者部利天
左大臣乃家尓天加礼己礼題遠左久利天
哥与美个留尓川由止以不毛之遠衣侍天
左大臣の家にてかれこれ題を探りて
歌よみけるに、露といふ文字を得侍りて
布知八良乃多々久尓
布知八良乃多々久尓
ふちはらのたたくに(藤原忠国)
原文 和礼奈良奴久左波毛々乃者於毛比个利曽天与利保可尓遠个留之良川由
定家 我奈良奴草葉毛々乃者思个利袖与利外尓遠个留之良川由
和歌 われならぬ くさはもものは おもひけり そてよりほかに おけるしらつゆ
解釈 我ならぬ草葉も物は思けり袖より外に置ける白露
歌番号一二八二
飛止乃毛止尓徒可者之个留
人乃毛止尓徒可者之个留
人のもとにつかはしける
以世
伊勢
伊勢
原文 飛止己々呂安良之乃加世乃左武个礼者己乃女毛美衣寸衣多曽志本留々
定家 人心嵐乃風乃左武个礼者己乃女毛見衣寸枝曽志本留々
和歌 ひとこころ あらしのかせの さむけれは このめもみえす えたそしをるる
解釈 人心嵐の風の寒ければ木の芽も見えず枝ぞしほるる
歌番号一二八三
己止飛止遠安比可多良不止幾々天川可八之个留
己止人遠安比可多良不止幾々天川可八之个留
異人をあひ語らふと聞きてつかはしける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 宇幾奈可良飛止遠和寸礼武己止可多三和可己々呂己曽加八良左利个礼
定家 宇幾奈可良人遠和寸礼武事可多三和可心己曽加八良左利个礼
和歌 うきなから ひとをわすれむ ことかたみ わかこころこそ かはらさりけれ
解釈 憂きながら人を忘れむ事かたみ我が心こそ変らざりけれ
歌番号一二八四
安留保宇之乃美奈毛止乃比止之乃安曾无乃以部尓
万可利天寸々乃寸可利遠於止之遠个留遠安之多尓
遠久留止天
安留法師乃源乃比止之乃朝臣乃家尓
万可利天寸々乃寸可利遠於止之遠个留遠安之多尓
遠久留止天
ある法師の源等の朝臣の家にまかりて、
数珠のすがりを落としをけるを、朝に
贈るとて
美奈毛堂乃比止之乃安曾无
源乃比止之乃朝臣
源のひとしの朝臣(源等)
原文 宇多々祢乃止己尓止万礼留之良多万八幾び可遠幾个留川由尓也安留良无
定家 宇多々祢乃止己尓止万礼留白玉八君可遠幾个留川由尓也安留良无
和歌 うたたねの とこにとまれる しらたまは きみかおきける つゆにやあるらむ
解釈 うたたねの床にとまれる白玉は君が置きける露にやあるらん
歌番号一二八五
加部之
返之
返し
安留保宇之
安留法師
ある法師
原文 加比毛奈幾幾左乃末久良尓遠久川由乃奈尓々幾衣奈天於知止万利个武
定家 加比毛奈幾草乃枕尓遠久川由乃何尓幾衣奈天於知止万利个武
和歌 かひもなき くさのまくらに おくつゆの なににきえなて おちとまりけむ
解釈 かひもなき草の枕に置く露の何に消えなで落ちとまりけむ
歌番号一二八六
堂以之良寸
題しらす
題知らす
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 於毛比也留可多毛志良礼春久留之幾八己々呂万止日乃川祢尓也安留良武
定家 思也留方毛志良礼春久留之幾八心万止日乃川祢尓也安留良武
和歌 おもひやる かたもしられす くるしきは こころまとひの つねにやあるらむ
解釈 思ひやる方も知られず苦しきは心まどひの常にやあるらむ
歌番号一二八七
武可之遠於毛比以天々武良乃己乃奈以之尓川可八之个留
武可之遠思以天々武良乃己乃内侍尓川可八之个留
昔を思ひ出でてむらのこの内侍につかはしける
比多利乃於本以万宇知幾三
左大臣
左大臣
原文 寸々无之尓於止良奴祢己曽奈可礼个礼无可之乃安幾遠於毛比也利川々
定家 鈴虫尓於止良奴祢己曽奈可礼个礼昔乃秋遠思也利川々
和歌 すすむしに おとらぬねこそ なかれけれ むかしのあきを おもひやりつつ
解釈 鈴虫に劣らぬ音こそ泣かれけれ昔の秋を思ひやりつつ
歌番号一二八八
飛止利者部利个留己呂飛止乃毛止与利以可尓曽止々不良比天
者部利个礼者安左可本乃者奈尓川个天川可
者之个留
飛止利侍个留己呂人乃毛止与利以可尓曽止々不良比天
侍个礼者安左可本乃花尓川个天川可
者之个留
一人侍りけるころ、人のもとよりいかにぞ、と訪ぶらひて
侍りければ、朝顔の花につけてつか
はしける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 遊不久礼乃左比之幾毛乃者安左可本乃者奈遠多乃女留也止尓曽安利个留
定家 遊不久礼乃左比之幾物者槿乃花遠多乃女留也止尓曽安利个留
和歌 ゆふくれの さひしきものは あさかほの はなをたのめる やとにそありける
解釈 夕暮れのさびしき物は朝顔の花を頼める宿にぞありける
歌番号一二八九
比多利乃於本以万宇知幾三乃加々世者部利个留佐宇之乃
於久尓加幾川計者部利个留
左大臣乃加々世侍个留佐宇之乃
於久尓加幾川計侍个留
左大臣の書かせ侍りける冊子の
奥に書きつけ侍りける
従良由幾
従良由幾
つらゆき(紀貫之)
原文 者々曽也万美祢乃安良之乃加世遠以多美布留己止乃者遠加幾曽安川武留
定家 者々曽山峯乃嵐乃風遠以多美布留己止乃者遠加幾曽安川武留
和歌 ははそやま みねのあらしの かせをいたみ ふることのはを かきそあつむる
解釈 ははそ山峯の嵐の風をいたみふる言の葉をかきぞ集むる
歌番号一二九〇
堂以之良寸
題しらす
題知らす
己万知可々安祢
己万知可々安祢
こまちかあね(小野小町姉)
原文 与乃奈可遠以止比天安満乃寸武可多毛宇幾女乃美己曽美衣和多利个礼
定家 世中遠以止比天安満乃寸武方毛宇幾女乃美己曽見衣和多利个礼
和歌 よのなかを いとひてあまの すむかたも うきめのみこそ みえわたりけれ
解釈 世の中を厭ひて海人の住む方も憂き目のみこそ見えわたりけれ
歌番号一二九一
武可之安比之利天者部利个留飛止乃宇知尓左不良日
个留可毛止尓徒可者之个留
武可之安比之利天侍个留人乃内尓左不良日
个留可毛止尓徒可者之个留
昔あひ知りて侍りける人の、内裏にさぶらひ
けるがもとにつかはしける
以世
伊勢
伊勢
原文 也万可者乃遠止尓乃美幾久毛々之幾遠美遠者也奈可良美留与之毛可奈
定家 山河乃遠止尓乃美幾久毛々之幾遠身遠者也奈可良見留与之毛哉
和歌 やまかはの おとにのみきく ももしきを みをはやなから みるよしもかな
解釈 山河の音にのみ聞く百敷を身をはやながら見るよしもがな
歌番号一二九二
飛止尓和寸良礼多利止幾久於无奈良乃毛止尓川可八之个留
人尓和寸良礼多利止幾久女乃毛止尓川可八之个留
人に忘られたりと聞く女のもとにつかはしける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 由乃奈可者以可尓也以可尓可世乃遠止遠幾久尓毛以末者毛乃也加奈之幾
定家 世中者以可尓也以可尓風乃遠止遠幾久尓毛今者毛乃也加奈之幾
和歌 よのなかは いかにやいかに かせのおとを きくにもいまは ものやかなしき
解釈 世の中はいかにやいかに風の音を聞くにも今はものや悲しき
歌番号一二九三
加部之
返之
返し
以世
伊勢
伊勢
原文 与乃奈可者以左止毛以左也可世乃遠止者安幾尓安幾曽不己々知己曽寸礼
定家 与乃奈可者以左止毛以左也風乃遠止者秋尓秋曽不心地己曽寸礼
和歌 よのなかは いさともいさや かせのおとは あきにあきそふ ここちこそすれ
解釈 世の中はいさともいさや風の音は秋に秋そふ心地こそすれ
歌番号一二九四
堂以之良寸
題しらす
題知らす
与美飛止毛
与美人毛
よみ人も
原文 堂止部久留徒由止比止之幾見尓之安良波和可於毛日尓毛幾衣无止也春留
定家 堂止部久留徒由止比止之幾身尓之安良波和可思日尓毛幾衣无止也春留
和歌 たとへくる つゆとひとしき みにしあらは わかおもひにも きえむとやする
解釈 たとへくる露と等しき身にしあらば我が思ひにも消えんとやする
歌番号一二九五
川良加利个留越止己乃者良可良乃毛止尓川可八之个留
川良加利个留越止己乃者良可良乃毛止尓川可八之个留
つらかりける男のはらからのもとにつかはしける
与美飛止毛
与美人毛
よみ人も
原文 佐々加尓乃曽良尓寸可个留以止与利毛己々呂本曽之也多衣奴止於毛部八
定家 佐々加尓乃曽良尓寸可个留以止与利毛心本曽之也多衣奴止於毛部八
和歌 ささかにの そらにすかける いとよりも こころほそしや たえぬとおもへは
解釈 ささがにの空に巣がける糸よりも心細しや絶えぬと思へば
歌番号一二九六
加部之
返之
返し
与美飛止毛
与美人毛
よみ人も
原文 可世布遣者多衣奴止三由留久毛乃以毛万多加幾川可天也武止也八幾久
定家 風布遣者多衣奴止見由留久毛乃以毛又加幾川可天也武止也八幾久
和歌 かせふけは たえぬとみゆる くものいも またかきつかて やむとやはきく
解釈 風吹けば絶えぬと見ゆる蜘蛛の網も又かき継がでやむとやは聞く
歌番号一二九七
布之美止以不止己呂尓天
布之美止以不所尓天
伏見といふ所にて
与美飛止毛
与美人毛
よみ人も
原文 奈尓多知天婦之美乃佐止々以不己止者毛美知遠止己尓之个八奈利个利
定家 名尓多知天婦之美乃佐止々以不事者毛美知遠止己尓之个八奈利个利
和歌 なにたちて ふしみのさとと いふことは もみちをとこに しけはなりけり
解釈 名に立ちて伏見の里といふ事は紅葉を床に敷けばなりけり
歌番号一二九八
堂以之良寸
題しらす
題知らす
比止之幾乃美己
比止之幾乃美己
ひとしきこのみこ(均子内親王)
原文 和礼毛於毛不飛止毛和寸留奈安利曽宇美乃宇良不久可世乃也武止幾毛奈久
定家 我毛思不人毛和寸留奈安利曽海乃浦吹風乃也武時毛奈久
和歌 われもおもふ ひともわするな ありそうみの うらふくかせの やむときもなく
解釈 我も思ふ人も忘るな有磯海の浦吹く風の止む時もなく
歌番号一二九九
堂以之良寸
題しらす
題知らす
也万多乃保宇之
山田法師
山田法師
原文 安之比幾乃也末志多止与美奈久止利毛和可己止多衣寸毛乃於毛不良女也
定家 安之比幾乃山志多止与美奈久止利毛和可己止多衣寸物思良女也
和歌 あしひきの やましたとよみ なくとりも わかことたえす ものおもふらめや
解釈 あしひきの山下響み鳴く鳥も我がごと絶えず物思ふらめや
歌番号一三〇〇
可武奈川幾乃川以多知己呂女乃美曽可越止己之多利
个留遠美徒个天以比奈止之天徒止女天
神奈月乃川以多知己呂女乃美曽可越止己之多利
个留遠見徒个天以比奈止之天徒止女天
神無月のついたちごろ、妻のみそか男したり
けるを見つけて、言ひなどして、翌朝
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 以末者止天安幾者天良礼之見奈礼止毛幾利多知飛止遠衣也八王寸留々
定家 今者止天秋者天良礼之身奈礼止毛幾利多知人遠衣也八王寸留々
和歌 いまはとて あきはてられし みなれとも きりたちひとを えやはわするる
解釈 今はとて秋果てられし身なれども霧立ち人をえやは忘るる
歌番号一三〇一
可武奈川幾者可利於毛之呂加利之止己呂奈礼八止天
幾多乃也万乃本止利尓己礼可礼安曽日者部利个留川以天尓
十月許於毛之呂加利之所奈礼八止天
北山のほとりにこれかれあそひ侍りけるついてに
十月ばかり、おもしろかりし所なればとて
北山のほとりにこれかれ遊び侍りけるついでに
加祢寸个乃安曾无
兼輔朝臣
兼輔朝臣(藤原兼輔)
原文 於毛比以天々幾川留毛志留久毛美知者乃以呂八无可之尓加者良左利个利
定家 思以天々幾川留毛志留久毛美知者乃色八昔尓加者良左利个利
和歌 おもひいてて きつるもしるく もみちはの いろはむかしに かはらさりけり
解釈 思ひ出でて来つるもしるくもみぢ葉の色は昔に変らざりけり
歌番号一三〇二
於奈之己々呂遠
於奈之心遠
同じ心を
佐可乃宇部乃己礼乃利
坂上是則
坂上是則
原文 美祢多可美由幾天毛美部幾毛美知者遠和可為奈可良毛加左之徒留可奈
定家 峯高美行天毛見部幾毛美知者遠和可為奈可良毛加左之徒留哉
和歌 みねたかみ ゆきてもみへき もみちはを わかゐなからも かさしつるかな
解釈 峯高み行きても見べきもみぢ葉を我がゐながらもかざしつるかな
歌番号一三〇三
志波寸者可利尓安川万与利満宇天幾个留於止己乃
毛止与利美也己尓安比之利天者部利个留於无奈乃毛止尓
世宇可川々以多知万天遠止川礼寸者部利个礼八
志波寸許尓安川万与利満宇天幾个留於止己乃
毛止与利京尓安比之利天侍个留女乃毛
止尓正月川以多知万天遠止川礼寸侍个礼八
師走ばかりに、東よりまうで来ける男の、
もとより京にあひ知りて侍りける女のもとに
正月ついたちまで訪れず侍りければ
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 満川飛止者幾奴止幾个止毛安良多万乃止之乃美己由留安不左可乃世幾
定家 満川人者幾奴止幾个止毛安良多万乃止之乃美己由留安不左可乃世幾
和歌 まつひとは きぬときけとも あらたまの としのみこゆる あふさかのせき
解釈 待つ人は来ぬと聞けどもあらたまの年のみ越ゆる相坂の関
↧
October 11, 2020, 11:01 pm
集歌一〇二七
原文 橘 本尓道履 八衢尓 物乎曽念 人尓不所知
訓読 橘し本(もと)に道踏む八衢(やちまた)に物をぞ念(おも)ふ人に知らそす
私訳 橘の木の下にある道の人が踏み通る八つの分かれ道のように、あれこれと物思いにふけることよ。その相手には判ってもらえないのに。
左注 右一首、右大辨高橋安麻呂卿語云 故豊嶋采女之作也。但或本云三方沙弥、戀妻苑臣作歌也。然則、豊嶋采女、當時當所口吟此謌歟。
注訓 右の一首は、右大弁高橋安麻呂卿が語りて云はく「故(いにし)への豊嶋采女の作なり」といへり。但し、或る本に云はく「三方沙弥が、妻の苑臣に恋して作れる歌」といへり。然らば則ち、豊嶋采女、時に当たり所に当たり口吟し此の歌を詠へりか。
十一年己卯、天皇遊猟高圓野之時、小獣泄走堵里之中。於是適値勇士生而見獲。即以此獣獻上御在所製謌一首 獣名俗曰牟射佐妣
標訓 (天平) 十一年己卯、天皇(すめらみこと)の高圓(たかまど)の野に遊猟(みかり)し時に、小さき獣堵(かき)ある里の中(うち)に泄走(せつそう)す。ここに適(たまたま)勇士に値(あ)ひて生きて獲えらるを見る。即ち以つて此の獣を御在所(おはしますところ)に獻上(たてまつ)るに製(つく)れる謌一首 獣の名は俗に曰はく「牟射佐妣(むささび)」といへり。
集歌一〇二八
原文 大夫之 高圓山尓 迫有者 里尓下来流 牟射佐此曽此
集歌1028 大夫之 高圓山尓 迫有者 里尓下来流 牟射佐此曽此
訓読 大夫(ますらを)し高円山(たかまどやま)に迫(せ)めたれば里に下(お)り来(け)る鼯鼠(むささび)ぞこれ
私訳 立派な男達が高円山で追い詰めたので、里に下りて来たムササビは、これです。
左注 右一首、大伴坂上郎女作之也。但、未逕奏而小獣死斃。因此獻歌停之。
注訓 右の一首は、大伴坂上郎女の作なり。但し、未だ奏(そう)を逕(へ)ぬに小さき獣死斃(たふ)れぬ。因りて此の歌を獻(たてまつ)ることを停(とど)む。
十二年庚辰冬十月、依太宰少貳藤原朝臣廣嗣謀反發軍、幸于伊勢國之時、河口行宮内舎人大伴宿祢家持作謌一首
標訓 (天平)十二年庚辰冬十月、太宰少貳藤原朝臣廣嗣の謀反(むはん)し軍(いくさ)を發(おこ)せるに依りて、伊勢國に幸(いでま)しし時に、河口の行宮(かりみや)にして内舎人大伴宿祢家持の作れる謌一首
集歌一〇二九
原文 河口之 野邊尓廬而 夜乃歴者 妹之手本師 所念鴨
訓読 河口(かはくち)し野辺(のへ)に廬(いほ)りに夜の経(ふ)れば妹し手本(たもと)しそ念(も)ゆるかも
私訳 河口の野辺に仮の宿りをして、夜が更けていくと奈良の京に残した愛しい貴女の手枕をしきりに思い出します。
天皇御製謌一首
標訓 天皇の御(かた)りて製(つくら)しし謌一首
集歌一〇三〇
原文 妹尓戀 吾乃松原 見渡者 潮干乃滷尓 多頭鳴渡
訓読 妹に恋ひ吾(あが)の松原見わたせば潮干(しほひ)の潟(かた)に鶴(たづ)鳴き渡る
私訳 愛しい恋人を恋しく思う吾、その吾の松原から見渡すと、潮干の潟に鶴が鳴きながら飛び渡って行く。
左注 右一首、今案、吾松原在三重郡、相去河口行宮遠矣。若疑御在朝明行宮之時、所製御謌、傳者誤之歟。
注訓 右の一首は、今案(かむが)ふるに、吾の松原は三重郡(みへのこほり)にあり、河口の行宮を相去ること遠し。若(けだ)し疑(うたが)はらくは、朝明(あさけ)の行宮に御在(おはしま)しし時に、製(つく)りましし御謌して、傳へる者(ひと)誤れるか。
丹比屋主真人謌一首
標訓 丹比屋主真人の謌一首
集歌一〇三一
原文 後尓 之乎思久 四泥能埼 木綿取之泥而 将住跡其念
訓読 すぎしのちこれを思はく四泥(しで)の崎(さき)木綿(ゆふ)取り垂(し)でに住(すみ)しとそ念(も)ふ
私訳 後になれば、此の場所を思い出すでしょう。四泥の崎で幣を垂らしてお住まいになられた跡だと思い浮かべるでしょう。
左注 右案、此謌者、不有此行宮之作乎。所以然言、勅大夫、従河口行宮還京、勿令従駕焉。何有詠思泥埼作謌哉。
注訓 右は案(かむが)ふるに、此の謌は、此の行宮の作にあらざるや。然(しか)言ふ所以(ゆえん)は、大夫(まへつきみ)に勅(みことのり)して、河口の行宮より京(みやこ)に還らしめ、駕(いでまし)に従(したが)はしめることなし。何そ思泥(しで)の埼を謌に作りて詠(うた)ふことあらむ。
↧
↧
October 12, 2020, 11:10 pm
狭殘行宮大宮大伴宿祢家持作謌二首
標訓 狭殘(さざ)の行宮(かりみや)の大宮(おほみや)にして大伴宿祢家持の作れる謌二首
集歌一〇三二
原文 天皇之 行幸之随 吾妹子之 手枕不巻 月曽歴去家留
訓読 天皇(すめろぎ)し行幸(みゆき)しまにま吾妹子(わぎもこ)し手枕(たまくら)纏(ま)かず月ぞ経にける
私訳 天皇の行幸に従って、私の愛しい恋人の手枕を抱かないままに月が経ってしまった。
集歌一〇三三
原文 御食國 志麻乃海部有之 真熊野之 小船尓乗而 奥部榜所見
訓読 御食国(みけつくに)志摩の海部(あま)ならし真(ま)熊野(くまの)し小船(をふね)に乗りに沖辺(おきへ)榜(こ)ぐそ見ゆ
私訳 天皇の食卓を支える国である志摩の漁師なのだろう。立派な熊野造りの小船に乗って沖合いを船を操って行くのが見える。
美濃國多藝行宮大伴宿祢東人作謌一首
標訓 美濃國の多藝(たぎ)の行宮(かりみや)にして大伴宿祢東人の作れる謌一首
集歌一〇三四
原文 従古 人之言来流 老人之 戀若云水曽 名尓負瀧之瀬
訓読 古(いにしへ)ゆ人し言ひ来る老人(おいひと)し恋若(こ)ふといふ水ぞ名に負(お)ふ瀧(たぎ)し瀬
私訳 古くから人が語り伝えて来た、老人が求めると云う水です。その評判を負う激流の瀬です。
注意 原文の「戀若云水曽」は、標準解釈では「變若云水曽」と校訂し「変若(を)つといふ水ぞ」と訓じます。
大伴宿祢家持作謌一首
標訓 大伴宿祢家持の作れる謌一首
集歌一〇三五
原文 田跡河之 瀧乎清美香 従古 宮仕兼 多藝乃野之上尓
訓読 田跡川(たとかは)し瀧(たぎ)を清(きよ)みか古(いにしへ)ゆ宮(みや)仕(つか)へけむ多芸(たぎ)の野し上(へ)に
私訳 田跡川の激流が清らかだからか、古くから行宮を立ててきたのだろう、この多芸野の地に。
不破行宮大伴宿祢家持作謌一首
標訓 不破の行宮(かりみや)にして大伴宿祢家持の作れる謌一首
集歌一〇三六
原文 關無者 還尓谷藻 打行而 妹之手枕 巻手宿益乎
訓読 関(せき)無くは還(かへ)りにだにもうち行きに妹し手枕(たまくら)纏(ま)きて寝(ね)ましを
私訳 差し障りが無いのなら都に帰還するとして、帰り行って恋人の手枕を抱いて共寝をしたいものです。
↧
October 13, 2020, 5:40 pm
十五年癸未秋八月十六日、内舎人大伴宿祢家持、讃久邇京作謌一首
標訓 (天平)十五年癸未の秋八月十六日に、内舎人大伴宿祢家持の、久邇(くに)の京(みやこ)を讃(ほ)めて作れる謌一首
集歌一〇三七
原文 今造 久尓乃王都者 山河之 清見者 宇倍所知良之
訓読 今造る久迩(くに)の王都(みやこ)は山川し清(さや)けき見ればうべそ知ららし
私訳 新しく造る久邇の都は、山川の清らかさを見れば、まことに王が統治なされていることです。
高丘河内連謌二首
標訓 高丘(たかおかの)河内連(かふちのむらじ)の謌二首
集歌一〇三八
原文 故郷者 遠毛不有 一重山 越我可良尓 念曽吾世思
訓読 故郷(ふるさと)は遠くもあらず一重山(ひとへやま)越ゆるがからに念(も)ひぞ吾(あ)がせし
私訳 故郷が遠くにあるからではない。ただ、この一重の山並みを越えるがゆえに、貴女への物思いを私はしているのです。
集歌一〇三九
原文 吾背子與 二人之居者 山高 里尓者月波 不曜十方余思
訓読 吾が背子と二人し居(を)らば山高み里には月は照らずともよし
私訳 私の愛しい貴女と二人で居るならば、山が高くて里に月が照らなくてもかまわない。
注意 組歌となる集歌1038の歌の標題に「高丘河内連謌二首」とあり、集歌1038の歌の関係から「吾背子」を女性としています。
安積親王、宴左少辨藤原八束朝臣家之日、内舎人大伴宿祢家持作謌一首
標訓 安積親王(あさかのみこ)の、左少辨藤原八束朝臣の家に宴(うたげ)せし日に、内舎人大伴宿祢家持の作れる謌一首
集歌一〇四〇
原文 久堅乃 雨者零敷 念子之 屋戸尓今夜者 明而将去
訓読 ひさかたの雨は降りしけ念(おも)ふ子し屋戸(やど)に今夜(こよひ)は明かしに行かむ
私訳 遥か彼方から雨は降りしきる。私がお慕いする貴方は、この家に今夜は明日の朝まで私と夜を明かすためにやってくるでしょう。
十六年甲申春正月五日、諸卿大夫、集安倍蟲麿朝臣家宴謌一首 作者不審
標訓 (天平)十六年甲申の春正月五日に、諸(もろもろ)の卿大夫(まえつきみたち)の、安倍蟲麿朝臣の家に集(つどひ)て宴(うたげ)せし謌一首 作者は審(つばひ)らかならず
集歌一〇四一
原文 吾屋戸乃 君松樹尓 零雪之 行者不去 待西将待
訓読 吾が屋戸(やど)の君(きみ)松(まつ)し樹に降る雪し行(ゆ)きには去(い)かじ待(まつ)にし待(ま)たむ
私訳 私の家の貴方を待つ、君松の樹に降る雪、その雪のように行きはいきません。君松のように貴方を待ちに待ちましょう。
↧
October 14, 2020, 5:49 pm
同月十一日、登活道岡集一株松下飲哥二首
標訓 (天平十六年)同じ月十一日に、活道(いくぢ)の岡に登り、一株(ひともと)の松の下(もと)に集ひて飲(うたげ)せる歌二首
集歌一〇四二
原文 一松 幾代可歴流 吹風乃 聲之清者 年深香聞
訓読 一つ松(まつ)幾代(いくよ)か経ぬる吹く風の音(おと)し清きは年(とし)深(ふ)かみかも
私訳 この一本松はどれほどの世代を経てきたのだろう。松に吹く風の音が清らかなのは、松の寿命が長いからだろう。
左注 右一首、市原王作
注訓 右の一首は、市原王の作れる
集歌一〇四三
原文 霊剋 壽者不知 松之枝 結情者 長等曽念
訓読 霊(たま)きはる寿(よはひ)は知らず松し枝(え)し結ぶ情(こころ)は長くとぞ念(おも)ふ
私訳 宿る霊にも期限がありその寿命は判らないが、松の枝に結ぶ願いは命が長くあって欲しいと念じます。
左注 右一首、大伴宿祢家持作
注訓 右の一首は、大伴宿祢家持の作れる
傷惜寧樂京荒墟作謌三首 (作者不審)
標訓 寧樂(なら)の京(みやこ)の荒れたる墟(あと)を傷(いた)み惜(お)しみて作れる謌三首 (作者審(つばひ)らかならず)
集歌一〇四四
原文 紅尓 深染西 情可母 寧樂乃京師尓 年之歴去倍吉
訓読 紅(くれなゐ)に深く染(し)みにし情(こころ)かも寧樂(なら)の京師(みやこ)に年し経(へ)ぬべき
私訳 栄華に建物が紅に彩られた、その紅に深く染まってしまった思いなのか、それなら留守の司以外住む事を許されない、この奈良の都で年を過すべきです。
集歌一〇四五
原文 世間乎 常無物跡 今曽知 平城京師之 移徙見者
訓読 世間(よのなか)を常無きものと今ぞ知る平城(なら)の京師(みやこ)の移(うつ)ろふ見れば
私訳 人の世を常無きものと、今、知った。奈良の都が、時の流れの中で、その姿の移り変わりようを見ると。
集歌一〇四六
原文 石綱乃 又變若反 青丹吉 奈良乃都乎 又将見鴨
訓読 石綱(いはつな)のまた変若(を)ち反(かへ)りあをによし奈良の都をまたも見むかも
私訳 岩に這う蔦が、時に合わせて若返るように、よみがえる青葉美しい奈良の都を再び見るでしょう。
↧
October 15, 2020, 5:55 pm
悲寧樂故郷作謌一首并短謌
標訓 寧樂の故(ふ)りにし郷(さと)を悲しびて作れる謌一首并せて短謌
集歌一〇四七
原文 八隅知之 吾大王乃 高敷為 日本國者 皇祖乃 神之御代自 敷座流 國尓之有者 阿礼将座 御子之嗣継 天下 所知座跡 八百萬 千年矣兼而 定家牟 平城京師者 炎乃 春尓之成者 春日山 御笠之野邊尓 櫻花 木晩牢 皃鳥者 間無數鳴 露霜乃 秋去来者 射駒山 飛火賀塊丹 芽乃枝乎 石辛見散之 狭男牡鹿者 妻呼令動 山見者 山裳見皃石 里見者 里裳住吉 物負之 八十伴緒乃 打經而 思並敷者 天地乃 依會限 萬世丹 榮将徃迹 思煎石 大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事尓之有者 皇之 引乃真尓真荷 春花乃 遷日易 村鳥乃 旦立徃者 刺竹之 大宮人能 踏平之 通之道者 馬裳不行 人裳徃莫者 荒尓異類香聞
訓読 やすみしし 吾が大王(おほきみ)の 高敷かす 大和し国は 皇祖(すめろき)の 神し御代より 敷きませる 国にしあれば 生(あ)れまさむ 御子し継ぎ継ぎ 天つ下 知らしまさむと 八百万(やほよろづ) 千年(ちとせ)を兼ねて 定めけむ 平城(なら)の京師(みやこ)は かぎろひの 春にしなれば 春日山 三笠し野辺に 桜花 木の暗(くれ)隠(こも)り 貌鳥(かほとり)は 間(ま)無くしば鳴く 露霜の 秋さり来れば 射駒(いこま)山 飛火(とぶひ)が塊(たけ)に 萩の枝を しがらみ散らし さ雄鹿(をしか)は 妻呼び響(とよ)む 山見れば 山も見が欲(ほ)し 里見れば 里も住みよし 大夫(もののふ)の 八十伴の男(を)の うち延(は)へて 念(おも)へりしくは 天地の 寄り合ひの極(きは)み 万代(よろづよ)に 栄えゆかむと 念(おも)へりし 大宮すらを 恃(たの)めりし 奈良の京(みやこ)を 新世(あらたよ)の ことにしあれば 皇(すめろぎ)し 引きのまにまに 春花の 移(うつ)ろひ易(かは)り 群鳥(むらとり)の 朝立ち行けば さす竹し 大宮人の 踏み平(なら)し 通ひし道は 馬も行かず 人も往(い)かねば 荒れにけるかも
私訳 天下をあまねく承知なられる吾等の大王が天まで高らかに統治なられる大和の国は、皇祖の神の時代から御統治なされる国であるので、お生まれになる御子が継ぎ継ぎに統治ならせると、八百万、千年の統治なされる歳とを兼ねてお定めになられた奈良の都は、陽炎の立つ春になると春日山の三笠の野辺に桜の花、その樹の暗がりにはカッコウが絶え間なく啼く、露霜の秋がやって来れば、生駒山の飛火の丘に萩の枝のシガラミを散らして角の立派な牡鹿が妻を呼び声が響く。山を見れば山を眺めたくなり、里を見れば里に住みたくなる。立派な男たちの大王に仕える男たちが寄り集まって願うことには、天と地が重なり合う果てまで、万代まで栄えていくでしょうと、念じている大宮だけでも、頼もしく思っていた奈良の都だが、新しい時代のことであるので、天皇の人々を引き連れるままに、春の花が移ろい変わり、群れた鳥が朝に寝床から揃って飛び立つように旅たっていくと、すくすく伸びる竹のような勢いのある大宮の宮人が踏み均して宮に通った道は、馬も行かず、人も行かないので荒れてしまったのでしょう。
反謌二首
集歌一〇四八
原文 立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生尓異利
訓読 たち易(かは)り古き京(みやこ)となりぬれば道し芝草(しばくさ)長く生ひにけり
私訳 繁栄していた時代とは立ち代り、古い都となってしまったので、路に生える芝草が長く伸びてしまった。
集歌一〇四九
原文 名付西 奈良乃京之 荒行者 出立毎尓 嘆思益
訓読 なつきにし奈良の京(みやこ)し荒(あ)れゆけば出(い)で立つごとに嘆きし増さる
私訳 慣れ親しんだ奈良の都が荒れていくと、都度、立ち寄るたびに嘆きが増してくる。
注意 末句「嘆思益」の「思」は音文字として鑑賞しています
讃久邇新京謌二首并短歌
標訓 久邇の新しき京(みやこ)を讃(ほ)むる謌二首并せて短歌
集歌一〇五〇
原文 明津神 吾皇之 天下 八嶋之中尓 國者霜 多雖有 里者霜 澤尓雖有 山並之 宜國跡 川次之 立合郷跡 山代乃 鹿脊山際尓 宮柱 太敷奉 高知為 布當乃宮者 河近見 湍音叙清 山近見 鳥賀鳴慟 秋去者 山裳動響尓 左男鹿者 妻呼令響 春去者 岡邊裳繁尓 巌者 花開乎呼理 痛可怜 布當乃原 甚貴 大宮處 諾己曽 吾大王者 君之随 所聞賜而 刺竹乃 大宮此跡 定異等霜
訓読 現(あき)つ神 吾が皇(すめろぎ)し 天つ下 八島(やしま)し中(うち)に 国はしも 多(さわ)くあれども 里はしも 多(さわ)にあれども 山並みし 宜(よろ)しき国と 川なみし たち合ふ郷(さと)と 山背(やましろ)の 鹿背山(かせやま)の際(ま)に 宮柱 太敷き奉(まつ)り 高知らす 布当(ふたぎ)の宮は 川近み 瀬の音(と)ぞ清(きよ)き 山近み 鳥が音(ね)響(とよ)む 秋されば 山もとどろに さ雄鹿(をしか)は 妻呼び響(とよ)め 春されば 岡辺(おかへ)も繁(しじ)に 巌(いはほ)には 花咲きををり あなおもしろ 布当(ふたぎ)の原 いと貴(たふと) 大宮所 うべしこそ 吾が大王(おほきみ)は 君しまに 聞かし賜ひて さす竹の 大宮(おほみや)此処(ここ)と 定めけらしも
私訳 身を顕す神である吾等の皇が天下の大八洲の中に国々は沢山あるが、郷は沢山あるが、山並みが願いに適い宜しい国と、川の流れが集る郷と、山代の鹿背の山の裾に宮柱を太く建てられて、天まで高だかに統治なされる布当の都は、川が近く瀬の音が清らかで、山が近く鳥の音が響く。秋になれば山も轟かせて角の立派な牡鹿の妻を呼ぶ声が響き、春になれば丘のあたり一面に岩には花が咲き豊かに枝を垂れ、とても趣深い布当の野の貴いところよ。大宮所、もっともなことです。吾等が大王は、君の進言をお聞きになられて、すくすく伸びる竹のような勢いのある大宮はここだと、お定めになられたらしい。
反謌二首
集歌一〇五一
原文 三日原 布當乃野邊 清見社 大宮處 (一云 此跡標刺) 定異等霜
訓読 三香(みか)し原布当(ふたぎ)の野辺(のへ)を清(きよ)みこそ大宮所 定めけらしも
私訳 三香の原の布当の野辺が清らかなので大宮所と定められたのでしょう。
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October 16, 2020, 5:58 pm
万葉雑記 番外雑話 聖徳太子の尊称と墨子
弊ブログでは数回に渡り、大工さんの記念日と聖徳太子との関係問題や憲法十七条の基本精神と使う言葉の由来からすると、聖徳太子と墨子との相性が良いことを紹介しました。
ここで、有名な聖徳太子の尊称はあくまでも高貴な御方を本名では呼称しない風習から付けられた尊称です。そのため、日本書紀では「聖徳太子、廐戸皇子。更名豊耳聡。聖徳。或名豊聡耳。法大王。或云法主王」と紹介します。
飛鳥時代から奈良時代にあって馬は大変に高価ですから、現代ならプライベートジェットの保有のような感覚でしょうか。貴族階級の贅沢規制の一環として馬の保有制限が出ます。そのような時代感覚で馬の保有=馬房=廐戸なら、この人と云う意味合いの「廐戸皇子」の呼称は、ほぼ、社会生活上での資産側から見た別称みたいなものでしょう。他方、聖徳は従来説の様に仏教側からの尊称でしょうし、仏教側からの解釈とは相違しますが国家運営の重要性からしますと法大王や法主王は憲法十七条などの成文規定を日本で最初に行い、施行させた人との意味合いでの事績からの尊称と考えます。ここまでは、オーソドックスなものであって、弊ブログでの解釈と社会一般との乖離は大きくはないと思います。
さて、豊耳聡や豊聡耳の尊称ですが、これが中国の故事成語「聡耳明目」に由来するものとは、あまり、知られていないと思います。従来は「聡耳」の言葉の後解釈として、一度に十人の人々の行政訴訟を聞いて判断が出来た聡い人、つまり、話を耳で聞いての聡い人だから「耳聡」、「聡耳」などと説明します。当然、日本書紀の漢文章はこのような説話から言葉は作りません。特別な言葉には漢籍や漢字本来の由来を持ちます。それを踏まえて日本書紀に先行する漢籍を調べると故事成語「聡耳明目」が得られます。
ここで、聖徳太子の別称である豊耳聡や豊聡耳が故事成語「聡耳明目」にあると決めつけますと、問題が生じます。さて、どの先行する漢籍に由来したのかです。弊ブログ調べでは次の四候補が有ります。なお、周易とは現在で唐代以降に整備された易経と云うものの前身です。
候補①:周易 彖傳 巽而耳目聡明
候補②:孫子 見日月不為明目、聞雷霆不為聡耳
候補③:墨子 是以聡耳明目、相与視听乎
候補④:荀子 是聡耳之所不能听也、明目之所不能見也
令和二年秋現在で、ネットを調べると聖徳太子の別称「豊聡耳」を故事成語「聡耳明目」に由来を候補③の墨子に求める人はいますが、それ以外に求める人を見つけることは出来ませんでした。候補の時代の先後では周易が最も古く荀子が新しい位置にあります。孫氏と墨子はほぼ同時代ですが、孫氏と墨子は共に約200から300年程度の時代を経て現代に伝わる原形が出来たと推定され、どちらを先とするかは難しいものがあります。
時代として候補①の周易は、ほぼ、漢易(易緯)と思われるものですが、日本書紀では唐時代に五経正義として確立した経教に区分される易経の名称を与えられものが欽明天皇十四年に載りますから、日本書紀では易経ですが易緯がこの頃に伝来しています。他の候補の書籍の伝来時期は日本書紀や続日本紀からは不明です。ただ、秦から漢初までに墨子が、後漢から唐初時代までに孫氏と荀子が現代に伝わる形に編纂されていますから、聖徳太子の時代にはこれらの整った書籍が中国側には存在しています。
聖徳太子の時代に候補①の周易が易緯でしたら、それは現代風の儒教の教えと占いが融合した易経ではなく、占いの形とその形に対応する言葉の手引き集を主体とするものであって、尊称となる言葉「聡耳」の引用先として採用するかどうかの問題があります。儒学の易経と占術の易緯とは性格を異に、隋時代以前の易緯は宋時代までに儒学の易経と入れ替えに書籍は消えたとします。これを示すように易経について日本書紀から日本後紀までに四回ほど記事が載りますが、二回は欽明天皇の時代の易博士の日本への赴任記事、一回は天平宝字の陰陽生が学ぶべき基本書籍の命令の記事、残りの一回が大化元年の新政策に対する占いを行ったその結果を示す記事です。
また、現在、中国と台湾は唐代以前の古典資料の整備を行っており、その一環で特徴的にその時代の漢籍記録が残る日本の漢文資料のデータベース化を積極的に推進しています。そのために日本側の漢籍へのデータベース化からすると中国側の方が日本の中古代の記録に詳しい場面もありますし、広く公開されています。これを反映して、中国の研究者は、「日本の歴代の朝廷は易経など儒教の書籍をほとんど重要視していなくて、儒家の五経が進講された記録として、宇多天皇が仁和四年(888)十月九日に周易を受講したものしか見られない」と報告します。平安時代の話ですが、朝廷や学者は五経正義で教義として整ったはずの儒教ですが、知識程度にしか採用しなかったようです。このような歴代の扱いからしますと、聖徳太子の尊称となる聡耳の言葉を周易から取った可能性は薄いと考えます。
次に候補②の孫氏の書籍について、孫氏は兵法の書籍で、それも戦時を想定した制度としての職業軍人と戦闘集団が存在することがあって初めて社会の必要性が生まれます。このような背景から日本で初めて記録に出て来るのが続日本紀に載る天平宝字四年(760)の記事です。律令制度には軍制が規定されていますから、建前では大宝律令以降では兵法や軍制の研究が必要となります。しかし、飛鳥時代前期に孫氏の書籍を人々が知っていて、それを重視したかです。また、憲法十七条の制定や仏教からの聖徳の尊称からしますと孫氏を重視するのであれば違和感となりますし、次の原文からも後ろ向きの文面ですから尊称の引用先としてはどうでしょうか。
候補②:孫子
原文:故舉秋毫不爲多力、見日月不為明目、聞雷霆不為聡耳
訓読:故に秋毫(しゅうごう)を挙ぐるも多力と為さず、日月を見るも明目と為さず、雷霆を聞くも聡耳と為さず。
また候補④について、荀子は、どうも、秦墨と呼ばれた墨学集団と交流があったようで儒教と墨学の良いところ取りをしたような姿を見せます。墨子は人々を分け隔てなく政治を行うとすると、聰耳明目として民の訴えを聞き、生業の状況を見る必要があるとしますが、対する荀子は墨子がそのように説いたとしても民の訴えには虚実が混じっているではないか、そのような現実があれば聰耳明目の人であっても人々の虚実を正確に聞き分け見分けることは難しいと説きます。ここに人の他人を愛し、秩序を大事にする精神に期待する墨子と人は本性においては自己の利益の為には何をするか判らないとする荀子の差があります。ちなみに、人の本性に期待する墨子の兼を和と置き換えますと、憲法十七条の第一条「以和為貴。無忤為宗。(和を以て貴しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ)」と趣旨は似て来ます。この聖徳太子の説く所の理念からしますと墨子の方が相応しく、荀子とは違う世界と考えます。
候補④:荀子·儒效
原文:若夫充虚之相施易也、堅白同昇之分隔也、是聡耳之所不能听也、明目之所不能見也,弁士之所不能言也。
訓読:若し夫れ充虛の相(あい)施易(いえき)するや、堅白(けんぱく)同昇(どうしょう)の分隔するや、是れ耳の聽く能わざる所なり、明目の見る能わざる所なり、辯士の言う能わざる所なり。
候補③:墨子 兼愛下
原文:今吾将正求與天下之利而取之、以兼為正、是以聰耳明目相與視聴乎。
訓読:今、吾は将(まさ)に正(まつりごと)に天下の利を與し而して之を取らむことを求めるとすば、兼(けん)を以って正(まつりごと)と為し、是れを以って聰耳(そうじ)明目(めいもく)の相(あい)與(とも)に視聴(しちょう)せむ。
非常に強引ですが、聖徳太子の別尊称である「豊聰耳」に漢籍の由来があるとしますと、墨子が一番、ぴったり来ます。
さらにこの時代、薄葬の思想が現れ推古天皇が最初の実践者となるべく遺勅を残し、聖徳太子は役人なら勤務時間を守れと求めます。これらは墨子の行政方法に対する主張です。さらに聖徳太子には大工の祖である伝承があり、これは墨子の実務・科学を説くものの現れです。状況証拠ですが、飛鳥時代の日本人は国民が豊かになる方法として墨子の教えを受け入れ、それを実践したのではないでしょうか。
おまけとして、先の薄葬の思想に注目しますと、日本書紀に載る大化二年(六四六)三月の薄葬令の一文に「西土之君戒其民曰、古之葬者、因高為墓、不封不樹。棺槨足以朽骨、衣衿足以朽完而已」とあり、これは墨子の節葬下篇に載る「故古聖王制為葬埋之法、曰、棺三寸足以朽體、衣衾三領足以覆悪」や「子墨子制為葬埋之法曰、棺三寸足以朽骨、衣三領足以朽肉」を参考にしたような類型の表現を示します。薄葬の思想は儒教の拠って立つ世界とは真反対の世界ですし、中国の孝行思想を取り入れた中国仏教とも相容れない世界です。隋唐時代の仏教僧と仏教徒の葬儀は従来の孝行思想で葬儀を行い、さらに大乗仏教式に骨を個々人の為の石塔に納めます。庶民にとっては儒教の「土葬+一族の廟」に祀るよりも、仏教の「火葬+石塔」の方が費用的には大変な話になります。このような隋唐の埋葬スタイルに対し、日本の薄葬の思想は東アジア圏においては特異なのです。ほぼ、その特異性からすると墨子に学んだと考えると落ち着きが良いと考えます。
また、儒教や仏教とは全く違う墨子のもう一つの特異な思想に女性の活用・登用の考えがあります。儒教は男性家長を中心の男系社会思想ですし、仏教は原則的に女性を対象とはしていません。そのようななかにあっての墨子の女性活用の思想です。この視線から日本書紀を点検しますと日本律令体制の不思議な所は天武天皇の時代から女性であっても能力により官への出仕が可能で官位も与えられていたことです。
天武天皇二年(六七三)五月の記事:「詔公卿大夫及諸臣・連并伴造等曰、夫初出身者、先令仕大舎人。然後選簡其才能、以死当職。又婦女者、無問有夫無夫及長幼、欲進仕者聴矣。其考選准官人之例」
知られていませんが、戦争において小国が大国に立ち向かう為に、墨子は女性を労働力・戦力と考えて、號令篇では「諸男女有守於城上者、什、六弩、四兵」や「令行者男子行左、女子行右、無並行、皆就其守、不従令者斬。」と規定を作り、その守備隊を率い守り抜いた女性指揮官には錢五千、守備隊で部署を守り抜いた女性に錢千を与えるような報償制度などを設けて人材活用を行うことを推薦しています。
日本古代社会で、母系社会を背景に律令規定の中で女性の相続や所有権などの権利保全の話だけなら判り易いのですが、なぜか特異的に官組織への女性の登用制度を飛鳥から奈良時代の日本が制度化します。女性が男性を指揮下に置くことも認める制度ですから、まず、儒教では考えられない官組織への登用制度です。
加えて、飛鳥奈良時代での非常に特異的ですが、成文規定に天武天皇の時代、官組織への登用された女性は男性と同じように髪を結い、縦乗りで乗馬することを求められていました。また、女性であっても官人として乗馬技能を確認する観閲も定期的に行われていました。さらに特徴的なのは当時の宮中の妃や夫人クラス、また、高級官僚の夫人であっても自分の荘園や野外に乗馬で外出します。そのために近習する女性は貴人女性を警護する必要があり、その為に武装が必然となります。律令制度上では後宮十二司の中に兵司を置き、女嬬が武装した仕女たちの指揮を執るようなっています。ただ、高貴な女性が外出しなくなる平安時代では、この後宮十二司の中の兵司の存在理由が近い不能になります。なお、外出する貴人女性の警護の必然が生まれた江戸期には別式女と云う名称で武装した女性警備隊が生まれることになります。
近世では女性が職業に就くことへの忌諱や問題として月経による血の穢れを挙げる場合がありますが、日本書紀と同時代の古事記では次のような日本武尊の伝説を載せます。日本武尊と尾張国の宮簀媛=美夜受比賣(ミヤズヒメ)は、日本武尊を迎えた宴会で月経の兆しを示す宮簀媛の裳裾をテーマに歌を交わします。このように飛鳥奈良時代は非常に開け広げな感覚であり、平安時代の忌諱感覚とは全くに違うことを理解する必要があります。
自其國越科野國乃言向科野之坂神、而還來尾張國入坐、先日所期美夜受比賣之許、於是獻大御食之時、其美夜受比賣捧大御酒盞以獻、爾美夜受比賣、其於意須比之襴(意須比三字以音)著月經、故見其月經、御歌曰
比佐迦多能 阿米能迦具夜麻 斗迦麻邇 佐和多流久毘 比波煩曾 多和夜賀比那袁 麻迦牟登波 阿礼波須禮杼 佐泥牟登波 阿礼波意母閇杼 那賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多知邇祁理
(ひさかたの 天の香具山 とかまに さ渡る鵠 弱細 手弱腕を 枕かむとは 吾はすれど さ寝むとは 吾は思へど 汝が着せる 襲の裾に 月たちにけり)
爾美夜受比賣答御歌曰
多迦比迦流 比能美古 夜須美斯志 和賀意富岐美 阿良多麻能 登斯賀岐布禮婆 阿良多麻能 都紀波岐閇由久 宇倍那宇倍那 岐美麻知賀多爾 和賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多多那牟余
(高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経れば あらたまの 月は来経行く うべな うべな 君待ち難に 我が着せる 襲の裾に 月たたなむよ)
このような状況を踏まえたとしても、飛鳥奈良時代からの日本の女性の官組織への登用制度は特異です。なお、続日本紀などには官人最下級となる後宮十二司の女嬬クラスでも官位拝受の記録が載りますから、適切に人事評価が為されていたと考えられます。これを中国に先行事例などを探すと唯一、墨学だけに辿り着きます。推古天皇頃を始めとして飛鳥奈良時代、その後の日本と云う形を刑するような重要な政策立案には墨子の思想が入ったと思われます。ただしかしながら、従来の日本古代史の研究では墨子も道教も無いことになっています。実に不思議です。
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October 17, 2020, 6:04 pm
後撰和歌集(原文推定、翻文、解釈付)
止遠末利己々乃末幾仁安多留未幾
巻十九
加礼加礼乃宇多 堂比乃宇多
離別歌(附 羈旅歌)
歌番号一三〇四
美知乃久尓部満可利个留飛止尓比宇知遠徒可者春
止天加幾川計者部利遣流
美知乃久尓部満可利个留人尓火宇知遠徒可者春
止天加幾川計侍遣流
陸奥へまかりける人に、火打ちをつかはす
とて、書きつけ侍りける
従良由幾
貫之
貫之(紀貫之)
原文 於里/\尓宇知天堂久比乃个不利安良者己々呂左寸可遠志乃部止曽於毛不
定家 於里/\尓打天堂久火乃煙安良者心左寸可遠志乃部止曽思
和歌 をりをりに うちてたくひの けふりあらは こころさすかを しのへとそおもふ
解釈 折々に打ちて焚く火の煙あらば心ざす香をしのべとぞ思ふ
歌番号一三〇五
安比之利天者部利个留飛止乃安徒万乃可多部満可利个留
尓佐久良乃者奈乃加多尓奴左遠之天川可八之个累
安比之利天侍个留人乃安徒万乃方部満可利个留
尓佐久良乃花乃加多尓奴左遠之天川可八之个累
あひ知りて侍りける人の東の方へまかりける
に、桜の花の形に幣をしてつかはしける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 安多飛止乃堂武計尓於礼留佐久良者奈安不左可万天者知良寸毛安良奈无
定家 安多人乃堂武計尓於礼留佐久良花相坂万天者知良寸毛安良奈无
和歌 あたひとの たむけにをれる さくらはな あふさかまては ちらすもあらなむ
解釈 あだ人の手向けに折れる桜花相坂までは散らずもあらなん
歌番号一三〇六
止遠久満可利个留飛止尓武万乃者奈武計之者部利个留止己呂尓天
止遠久満可利个留人尓餞之侍个留所尓天
遠くまかりける人に餞し侍りける所にて
多知八奈乃奈保止毛
橘直幹
橘直幹
原文 於毛比也留己々呂者可利者左波良之遠奈尓部多川良无美祢乃之良久毛
定家 思也留心許者左波良之遠何部多川良无峯乃白雲
和歌 おもひやる こころはかりは さはらしを なにへたつらむ みねのしらくも
解釈 思ひやる心ばかりは障らじを何隔つらん峯の白雲
歌番号一三〇七
志毛川个尓満可利个留於无奈尓加々美尓曽部天
徒可者之遣流
志毛川个尓満可利个留女尓加々美尓曽部天
徒可者之遣流
下野にまかりける女に鏡に添へて
つかはしける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 布多己也末止毛尓己衣祢止万寸可々美曽己奈留可个遠多久部天曽也留
定家 布多己山止毛尓己衣祢止万寸鏡曽己奈留影遠多久部天曽也留
和歌 ふたみやま ともにこえねと ますかかみ そこなるかけを たくへてそやる
解釈 二子山ともに越えねどます鏡そこなる影をたぐへてぞやる
歌番号一三〇八
之奈乃部満可利个留飛止尓多幾毛乃川可者寸止天
之奈乃部満可利个留人尓多幾物川可者寸止天
信濃へまかりける人に焚き物つかはすとて
春留可
春留可
するか(駿河)
原文 志奈乃奈留安佐万乃也末毛々由奈礼者布之乃个不利乃可比也奈可良无
定家 志奈乃奈留安佐万乃山毛々由奈礼者布之乃个不利乃可比也奈可良无
和歌 しなのなる あさまのやまも もゆなれは ふしのけふりの かひやなからむ
解釈 信濃なる浅間の山も燃ゆなれば富士の煙のかひやなからん
歌番号一三〇九
止遠幾久尓部満可利个留止毛多知尓飛宇知尓
曽部天川可八之个留
止遠幾久尓部満可利个留止毛多知尓火宇知尓
曽部天川可八之个留
遠き国へまかりける友だちに火打ちに
添へてつかはしける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 己乃多比毛和礼遠和寸礼奴毛乃奈良八宇知美武多比尓於毛比以天奈无
定家 己乃多比毛我遠和寸礼奴物奈良八宇知見武多比尓思以天奈无
和歌 このたひも われをわすれぬ ものならは うちみむたひに おもひいてなむ
解釈 このたびも我を忘れぬ物ならばうち見むたびに思ひ出でなん
歌番号一三一〇
美也己尓者部利个留於奈己遠以可奈留己止止可者部利个无
己々呂宇之止天止々女遠幾天伊奈者乃久尓部万可利个礼八
京尓侍个留女子遠以可奈留事可侍个无
心宇之止天止々女遠幾天伊奈者乃久尓部万可利个礼八
京に侍りける女子をいかなる事か侍りけん、
心憂しとて留め置きて因幡国へまかりければ
武寸免
武寸免
むすめ(女)
原文 宇知寸天々幾美之以奈者乃川由乃美者幾衣奴者可利曽安利止多乃武奈
定家 打寸天々君之以奈者乃川由乃身者幾衣奴許曽有止多乃武奈
和歌 うちすてて きみしいなはの つゆのみは きえぬはかりそ ありとたのむな
解釈 うち捨てて君し因幡の露の身は消えぬばかりぞ有りと頼むな
歌番号一三一一
以世尓満可利个留飛止止久以奈无止己々呂毛止
奈可留止幾々天堂比乃天宇止奈止々良寸留
物可良堂々武加美尓加幾天止良寸留奈遠八
武万止以比个留尓
伊勢尓満可利个留人止久以奈无止心毛止
奈可留止幾々天堂比乃天宇止奈止々良寸留
物可良堂々武加美尓加幾天止良寸留名遠八
武万止以比个留尓
伊勢にまかりける人、とく往なんと、心もと
なかると聞きて、旅の調度など取らする
ものから、畳紙に書きて取らする、名をば
馬といひけるに
原文 於之止於毛不己々呂者奈久天己乃多比者由久宇万尓武知遠於本世川留可奈
定家 於之止思心者奈久天己乃多比者由久馬尓武知遠於本世川留哉
和歌 をしとおもふ こころはなくて このたひは ゆくうまにむちを おほせつるかな
解釈 惜しと思ふ心はなくてこのたびは行く馬に鞭をおほせつるかな
歌番号一三一二
加部之
返之
返し
武万
武万
むま(馬)
原文 幾美可手遠加礼由久安幾乃寸恵尓之毛乃可比尓者奈川武万曽加奈之幾
定家 君可手遠加礼由久秋乃寸恵尓之毛乃可比尓者奈川武万曽加奈之幾
和歌 きみかてを かれゆくあきの すゑにしも のかひにはなつ うまそかなしき
解釈 君が手をかれ行く秋の末にしも野飼ひに放つ馬ぞ悲しき
歌番号一三一三
於奈之以部尓比左之宇者部利个留於无奈乃美乃々
久尓々於也乃者部利个留止不良日尓万可利个留尓
於奈之家尓比左之宇侍个留女乃美乃々
久尓々於也乃侍个留止不良日尓万可利个留尓
同じ家に久しう侍りける女の、美濃
国に親の侍りける、訪ぶらひにまかりけるに
布知八良乃幾与多々
藤原幾与多々
藤原きよたた(藤原清正)
原文 以末者止天多知可部利由久布留左止乃布和乃世幾知尓美也己和寸留奈
定家 今者止天立帰由久布留左止乃布和乃世幾知尓美也己和寸留奈
和歌 いまはとて たちかへりゆく ふるさとの ふはのせきちに みやこわするな
解釈 今はとて立ち帰り行くふるさとの不破の関路に都忘るな
歌番号一三一四
止遠幾久尓々満可利个留飛止尓多比乃久徒可者之
个留加々美乃波己乃宇良尓加幾川个天川可者之遣留
止遠幾久尓々満可利个留人尓多比乃久徒可者之
个留加々美乃波己乃宇良尓加幾川个天川可者之遣留
遠き国にまかりける人に、旅の具つかはし
ける、鏡の箱の裏に書きつけてつかはしける
於本久本乃能里与之
於本久本乃能里与之
おほくほののりよし(大窪則善)
原文 見遠和久留己止乃加多左尓万寸可々美可个者可利遠曽幾美尓曽部徒留
定家 身遠和久留事乃加多左尓万寸鏡影許遠曽君尓曽部徒留
和歌 みをわくる ことのかたさに ますかかみ かけはかりをそ きみにそへつる
解釈 身を分くる事の難さにます鏡影ばかりをぞ君に添へつる
歌番号一三一五
己乃多比乃以天多知奈无毛乃宇久於本由留止以比个礼八
己乃多比乃以天多知奈无物宇久於本由留止以比个礼八
このたびの出で立ちなん物憂くおぼゆる、と言ひければ
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 者徒可利乃和礼毛曽良奈留本止奈礼者幾美毛々乃宇幾多比尓也安留良无
定家 者徒可利乃我毛曽良奈留本止奈礼者君毛物宇幾多比尓也安留良无
和歌 はつかりの われもそらなる ほとなれは きみもものうき たひにやあるらむ
解釈 初雁の我も空なるほどなれば君も物憂き旅にやあるらん
歌番号一三一六
安比之利天者部利个留於无奈乃飛止乃久尓々満可利个留尓
徒可者之个留
安比之利天侍个留女乃人乃久尓々満可利个留尓
徒可者之个留
あひ知りて侍りける女の、人の国にまかりけるに
つかはしける
幾美多々乃安曾无
公忠朝臣
公忠朝臣(三統公忠)
原文 以止世女天己比之幾太日乃可良己呂毛本止奈久加部寸飛止毛安良奈无
定家 以止世女天己比之幾太日乃唐衣本止奈久加部寸人毛安良奈无
和歌 いとせめて こひしきたひの からころも ほとなくかへす ひともあらなむ
解釈 いとせめて恋しきたびの唐衣ほどなくかへす人もあらなん
歌番号一三一七
加部之
返之
返し、
於无奈
女
女
原文 可良己呂毛堂川日遠与曽尓幾久飛止者加部寸者可利乃本止毛己比之遠
定家 唐衣堂川日遠与曽尓幾久人者加部寸許乃本止毛己比之遠
和歌 からころも たつひをよそに きくひとは かへすはかりの ほともこひしを
解釈 唐衣裁つ日をよそに聞く人はかへすばかりのほども恋ひじを
歌番号一三一八
也由比者可利己之乃久尓部満可利个留飛止尓
佐遣太宇比个留川以天尓
三月許己之乃久尓部満可利个留人尓
佐遣太宇比个留川以天尓
三月ばかり、越国へまかりける人に
酒たうびけるついでに
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 己比之久者己止徒天毛世无加部留左乃加利可祢者万川和可也止尓奈計
定家 己比之久者事徒天毛世无加部留左乃加利可祢者万川和可也止尓奈計
和歌 こひしくは ことつてもせむ かへるさの かりかねはまつ わかやとになけ
解釈 恋しくは事づてもせん帰るさの雁が音はまづ我が宿に鳴け
歌番号一三一九
世武由布保宇之乃以川乃久尓々奈可佐礼者部利个留尓
善祐法師乃伊豆乃久尓々奈可佐礼侍个留尓
善祐法師の伊豆の国に流され侍りけるに
以世
伊勢
伊勢
原文 王可礼天者以川安比身武止於毛布良无可幾利安留与乃以乃知止毛奈之
定家 別天者以川安比見武止思良无限安留与乃以乃知止毛奈之
和歌 わかれては いつあひみむと おもふらむ かきりあるよの いのちともなし
解釈 別れてはいつあひ見むと思ふらん限りある世の命ともなし
歌番号一三二〇
堂以之良寸
題しらす
題知らす
与美飛止毛
与美人毛
よみ人も
原文 曽武可礼奴万川乃知止世乃本止与利毛止毛/\止多尓志多者礼曽世之
定家 曽武可礼奴松乃知止世乃本止与利毛止毛/\止多尓志多者礼曽世之
和歌 そむかれぬ まつのちとせの ほとよりも ともともとたに したはれそせし
解釈 そむかれぬ松の千歳のほどよりもともどもとだに慕はれぞせし
歌番号一三二一
加部之
返之
返し
与美飛止毛
与美人毛
よみ人も
原文 止毛/\止志多不奈美多乃曽不美従者以可奈留以呂尓美衣天由久良无
定家 止毛/\止志多不涙乃曽不水者以可奈留色尓見衣天由久良无
和歌 ともともと したふなみたの そふみつは いかなるいろに みえてゆくらむ
解釈 ともどもと慕ふ涙の添ふ水はいかなる色に見えて行くらん
歌番号一三二二
天為之乃美可止於利為多万宇个留安幾己幾天武乃
加部尓加幾川个々留
亭子乃美可止於利為多万宇个留秋弘徽殿乃
加部尓加幾川个々留
亭子帝下りゐたまうける秋、弘徽殿の
壁に書きつけける
以世
伊勢
伊勢
原文 和可留礼止安比毛於之万奴毛々之幾遠美佐良无己止也奈尓可加奈之幾
定家 和可留礼止安比毛於之万奴毛々之幾遠見佐良无事也奈尓可加奈之幾
和歌 わかるれと あひもをしまぬ ももしきを みさらむことや なにかかなしき
解釈 別るれどあひも惜しまぬ百敷を見ざらん事や何か悲しき
歌番号一三二三
美可止美曽波奈之天於保武可部之
美可止御覧之天御返之
帝御覧じて、御返し
天為之乃美可止
亭子乃美可止
亭子のみかと(亭子帝)
原文 美比止川尓安良奴者可利遠々之奈部天由幾女久利天毛奈止可美左良无
定家 身比止川尓安良奴許遠々之奈部天由幾女久利天毛奈止可見左良无
和歌 みひとつに あらぬはかりを おしなへて ゆきめくりても なとかみさらむ
解釈 身一つにあらぬばかりをおしなべてゆきめぐりてもなどか見ざらん
歌番号一三二四
三知乃久尓部万可利个留飛止尓安不幾天宇之天
宇多恵尓加々世者部利个留
三知乃久尓部万可利个留人尓安不幾天宇之天
宇多恵尓加々世侍个留
陸奥へまかりける人に、扇調じて、
歌絵に書かせ侍りける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 王可礼由久三知乃久毛為尓奈利由个者止万留己々呂毛曽良尓己曽奈礼
定家 別由久道乃久毛為尓奈利由个者止万留心毛曽良尓己曽奈礼
和歌 わかれゆく みちのくもゐに なりゆけは とまるこころも そらにこそなれ
解釈 別れ行く道の雲居になり行けば止まる心も空にこそなれ
歌番号一三二五
武祢由幾乃安曾无乃武寸女美知乃久尓部久多利个留尓
宗于朝臣乃武寸女美知乃久尓部久多利个留尓
宗于朝臣の女、陸奥へ下りけるに
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 以可天奈保加左止利也万尓美遠奈之天川由个幾多比尓曽者武止曽於毛不
定家 以可天猶加左止利山尓身遠奈之天川由个幾多比尓曽者武止曽思
和歌 いかてなほ かさとりやまに みをなして つゆけきたひに そはむとそおもふ
解釈 いかでなほ笠取山に身をなして露けき旅に添はむとぞ思ふ
歌番号一三二六
加部之
返之
返し
武祢由幾乃安曾无乃武寸女
宗于朝臣乃武寸女
宗于朝臣のむすめ(源宗于朝臣女)
原文 加左止利乃也万止多乃美之幾美遠々幾天奈良美多乃安女尓奴礼川々曽由久
定家 加左止利乃山止多乃美之君遠々幾天涙乃雨尓奴礼川々曽由久
和歌 かさとりの やまとたのみし きみをおきて なみたのあめに ぬれつつそゆく
解釈 笠取の山と頼みし君を置きて涙の雨に濡れつつぞ行く
歌番号一三二七
越止己乃以世乃久尓部万可利个留尓
越止己乃伊勢乃久尓部万可利个留尓
男の伊勢国へまかりけるに
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 幾美可由久可多尓安利天不奈美多可者満川者曽天尓曽奈可部良奈留
定家 君可由久方尓有天不涙河満川者袖尓曽流部良奈留
和歌 きみかゆく かたにありてふ なみたかは まつはそてにそ なかるへらなる
解釈 君が行く方に有りてふ涙河まづは袖にぞ流るべらなる
歌番号一三二八
堂比尓万可利个留飛止尓佐宇曽久徒加者寸止天
曽部天徒可者之个留
堂比尓万可利个留人尓佐宇曽久徒加者寸止天
曽部天徒可者之个留
旅にまかりける人に装束つかはすとて、
添へてつかはしける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 曽天奴礼天和可礼者寸止毛可良己呂毛由久止奈以比曽幾多利止遠美武
定家 袖奴礼天別者寸止毛唐衣由久止奈以比曽幾多利止遠見武
和歌 そてぬれて わかれはすとも からころも ゆくとないひそ きたりとをみむ
解釈 袖濡れて別れはすとも唐衣行くとな言ひそ来たりとを見む
歌番号一三二九
加部之
返之
返し
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 和可礼地者己々呂毛由可寸可良己呂毛幾礼者奈美多曽佐幾尓多知个留
定家 別地者心毛由可寸唐衣幾礼者涙曽佐幾尓多知个留
和歌 わかれちは こころもゆかす からころも きれはなみたそ さきにたちける
解釈 別路は心も行かず唐衣着れば涙ざ先に立ちける
歌番号一三三〇
堂比尓満可利个留飛止尓於安布幾川可者寸止天
堂比尓満可利个留人尓扇川可者寸止天
旅にまかりける人に扇つかはすとて
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 曽部天也累安布幾乃可世之己々呂安良波和可於毛不飛止乃天遠奈者奈礼曽
定家 曽部天也累扇乃風之心安良波和可思不人乃手遠奈者奈礼曽
和歌 そへてやる あふきのかせし こころあらは わかおもふひとの てをなはなれそ
解釈 添へてやる扇の風し心あらば我が思ふ人の手をな離れそ
歌番号一三三一
止毛乃利可武寸女乃美知乃久尓部万可利个留尓川可者之个留
友則可武寸女乃美知乃久尓部万可利个留尓川可
友則が女の陸奥へまかりけるにつかはしける
布知八良乃之計毛止可武寸女
藤原滋幹可武寸女
藤原滋幹かむすめ(藤原滋幹女)
原文 幾美遠乃美志乃不乃佐止部由久毛乃遠安比川乃也末乃者留个幾也奈曽
定家 君遠乃美志乃不乃佐止部由久物遠安比川乃山乃者留个幾也奈曽
和歌 きみをのみ しのふのさとへ ゆくものを あひつのやまの はるけきやなそ
解釈 君をのみしのぶの里へ行くものを会津の山のはるけきやなぞ
歌番号一三三二
徒久之部満可留止天幾与以己乃三与宇布尓遠久利个留
徒久之部満可留止天幾与以己乃命婦尓遠久利个留
筑紫へまかるとて、清子命婦に贈りける
遠乃々与之布留乃安曾无
小野好古朝臣
小野好古朝臣
原文 止之遠部天安比三留飛止乃和可礼尓者於之幾毛乃己曽以乃知奈利个礼
定家 年遠部天安比見留人乃別尓者於之幾物己曽以乃知奈利个礼
和歌 としをへて あひみるひとの わかれには をしきものこそ いのちなりけれ
解釈 年を経てあひ見る人の別れには惜しきものこそ命なりけれ
歌番号一三三三
天者与利乃本利个留尓己礼可礼武万乃者那武計
之个留尓加者良遣止利天
出羽与利乃本利个留尓己礼可礼武万乃者那武計
之个留尓加者良遣止利天
出羽より上りけるに、これかれ餞
しけるに、かはらけとりて
美奈毛堂乃和多留
源乃和多留
源のわたる(源済)
原文 由久佐幾遠志良奴奈美多乃可奈之幾八堂々女乃万部尓於川留奈利个利
定家 由久佐幾遠志良奴涙乃悲幾八堂々女乃万部尓於川留奈利个利
和歌 ゆくさきを しらぬなみたの かなしきは たためのまへに おつるなりけり
解釈 行く先を知らぬ涙の悲しきはただ目の前に落つるなりけり
歌番号一三三四
堂比良乃多可止遠可以也之幾奈止利天飛止乃久尓部
満可利个留尓和寸留奈止以部利个礼八太可止遠可
女乃以部留
平乃多可止遠可以也之幾名止利天人乃久尓部
満可利个留尓和寸留奈止以部利个礼八太可止遠可
女乃以部留
平高遠がいやしき名取りて人の国へ
まかりけるに、忘るなと言へりければ、高遠が
妻の言へる
多可止保可女
多可止保可女
たかとほかめ(平高遠妻)
原文 和寸留奈止以不尓奈可留々奈美多可者宇幾奈遠寸々久世止毛奈良奈无
定家 和寸留奈止以不尓奈可留々涙河宇幾奈遠寸々久世止毛奈良奈无
和歌 わするなと いふになかるる なみたかは うきなをすすく せともならなむ
解釈 忘るなと言ふに泣るる涙河憂き名をすすぐ瀬ともならなん
歌番号一三三五
安比之利天者部利个留飛止乃安可良左万尓己之乃久尓
部万可利个留尓奴左己々呂左寸止天
安比之利天侍个留人乃安可良左万尓己之乃国
部万可利个留尓奴左心左寸止天
あひ知りて侍りける人のあからさまに越の国
へまかりけるに、幣心ざすとて
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 和礼遠乃美於毛日川留可乃宇良奈良波加部留乃也末者万止波左良末之
定家 我遠乃美思日川留可乃浦奈良波加部留乃山者万止波左良末之
和歌 われをのみ おもひつるかの うらならは かへるのやまは まとはさらまし
解釈 我をのみ思ひ敦賀の浦ならば鹿蒜の山はまどはざらまし
歌番号一三三六
加部之
返之
返し
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 幾美遠乃美以徒者多止於毛比己之奈礼者由幾々乃美知者々留計加良之遠
定家 君遠乃美以徒者多止思己之奈礼者由幾々乃道者々留計加良之遠
和歌 きみをのみ いつはたとおもひ こしなれは ゆききのみちは はるけからしを
解釈 君をのみ五幡と思ひ来しなれば行き来の道ははるけからしを
歌番号一三三七
安幾堂比満可利个留飛止尓奴左遠毛美知乃衣多
尓川个天徒可者之遣留
秋堂比満可利个留人尓奴左遠毛美知乃枝
尓川个天徒可者之遣留
秋、旅まかりける人に幣を紅葉の枝
につけてつかはしける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 安幾布可久太比由久飛止乃多武計尓八毛美知尓万佐留奴左奈可利个利
定家 秋布可久太比由久人乃多武計尓八毛美知尓万佐留奴左奈可利个利
和歌 あきふかく たひゆくひとの たむけには もみちにまさる ぬさなかりけり
解釈 秋深く旅行く人の手向けには紅葉にまさる幣なかりけり
歌番号一三三八
尓之乃与无之与宇乃以川幾の美也乃奈可川幾乃美曽可久多利堂万比个留
止毛奈留飛止尓奴左川可者寸止天
西四条乃斎宮乃九月晦日久多利給个留
止毛奈留人尓奴左川可者寸止天
西四条の斎宮の九月晦日下りたまひける、
供なる人に幣つかはすとて
多以布
多以布
大輔
原文 毛美知者遠奴左止多武計天知良之川々安幾止々毛尓也由可武止寸良无
定家 毛美知者遠奴左止多武計天知良之川々秋止々毛尓也由可武止寸良无
和歌 もみちはを ぬさとたむけて ちらしつつ あきとともにや ゆかむとすらむ
解釈 もみぢ葉を幣と手向けて散らしつつ秋とともにや行かむとすらん
歌番号一三三九
毛乃部万可利个留飛止人尓川可八之个留
毛乃部万可利个留人尓川可八之个留
ものへまかりける人につかはしける
以世
伊勢
伊勢
原文 満知和比天己比之久奈良八堂川奴部久安止奈幾美川乃宇部奈良天由个
定家 満知和比天己比之久奈良八堂川奴部久安止奈幾水乃宇部奈良天由个
和歌 まちわひて こひしくならは たつぬへく あとなきみつの うへならてゆけ
解釈 待ちわびて恋しくならば訪ぬべく跡なき水の上ならで行け
歌番号一三四〇
堂以之良寸
題しらす
題知らす
於久留於本幾於本以万宇知幾三
贈太政大臣
贈太政大臣
原文 己武止以比天和可留々多尓毛安留毛乃遠志良礼奴計左乃満之天和比之左
定家 己武止以比天和可留々多尓毛安留物遠志良礼奴計左乃満之天和比之左
和歌 こむといひて わかるるたにも あるものを しられぬけさの ましてわひしき
解釈 来むと言ひて別るるだにもある物を知られぬ今朝のましてわびしさ
歌番号一三四一
加部之
返之
返し
以世
伊勢
伊勢
原文 佐良者与止和可礼之止幾尓以者万世八和礼毛奈美多尓於本々礼奈末之
定家 佐良者与止別之時尓以者万世八我毛涙尓於本々礼奈末之
和歌 さらはよと わかれしときに いはませは われもなみたに おほほれなまし
解釈 さらばよと別れし時に言はませば我も涙におぼほれなまし
歌番号一三四二
堂以之良寸
題しらす
題知らす
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 者留可寸美者可奈久多知天和可留止毛可世与利保可尓多礼可止不部幾
定家 春霞者可奈久多知天和可留止毛風与利外尓多礼可止不部幾
和歌 はるかすみ はかなくたちて わかるとも かせよりほかに たれかとふへき
解釈 春霞はかなく立ちて別るとも風より外に誰れか問ふべき
歌番号一三四三
加部之
返之
返し
以世
伊勢
伊勢
原文 女尓美恵奴可世尓己々呂遠多久部徒々也良八加寸三乃和可礼己曽世女
定家 女尓見恵奴風尓心遠多久部徒々也良八加寸三乃和可礼己曽世女
和歌 めにみえぬ かせにこころを たくへつつ やらはかすみの わかれこそせめ
解釈
目に見えぬ風に心をたぐへつつやらば霞の別れこそせめ
歌番号一三四四
加比部万可利个留飛止尓川可八之个留
加比部万可利个留人尓川可八之个留
甲斐へまかりける人につかはしける
以世
伊勢
伊勢
原文 幾美可与者徒留乃己本利尓安恵天幾祢左多女奈幾与乃宇多可比毛奈久
定家 君可世者徒留乃己本利尓安恵天幾祢定奈幾与乃宇多可比毛奈久
和歌 きみかよは つるのこほりに あえてきね さためなきよの うたかひもなく
解釈 君が世は都留の郡にあえて来ね定めなき世の疑ひもなく
歌番号一三四五
布祢尓天毛乃部万可利个留飛止尓川可八之个留
舟尓天物部万可利个留人尓川可八之个留
舟にて物へまかりける人につかはしける
以世
伊勢
伊勢
原文 遠久礼寸曽己々呂尓乃利天己可留部幾奈美尓毛止女与布祢美衣春止毛
定家 遠久礼寸曽心尓乃利天己可留部幾浪尓毛止女与舟見衣春止毛
和歌 おくれすそ こころにのりて こかるへき なみにもとめよ ふねみえすとも
解釈 遅れずぞ心に乗りて漕がるべき浪に求めよ舟見えずとも
歌番号一三四六
加部之
返之
返し
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 布祢奈久者安万乃可八万天毛止女天武己幾川々之本乃奈可尓幾衣寸八
定家 舟奈久者安万乃河万天毛止女天武己幾川々之本乃奈可尓幾衣寸八
和歌 ふねなくは あまのかはまて もとめてむ こきつつしほの なかにきえすは
解釈 舟なくは天の河まで求めてむ漕ぎつつ潮の中に消えずは
歌番号一三四七
布祢尓天毛乃部万可利个留飛止
舟尓天物部万可利个留人
舟にて物へまかりける人
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 加祢天与利奈美多曽々天遠宇知奴良寸宇可部留布祢尓乃良武止於毛部八
定家 加祢天与利涙曽袖遠宇知奴良寸宇可部留舟尓乃良武止思部八
和歌 かねてより なみたそそてを うちぬらす うかへるふねに のらむとおもへは
解釈 かねてより涙ぞ袖をうち濡らす浮かべる舟に乗らむと思へば
歌番号一三四八
加部之
返之
返し
以世
伊勢
伊勢
原文 遠左部徒々和礼者曽天尓曽世幾止武留布祢己寸之本尓奈左之止於毛部八
定家 遠左部徒々我者袖尓曽世幾止武留舟己寸之本尓奈左之止於毛部八
和歌 おさへつつ われはそてにそ せきとむる ふねこすしほに なさしとおもへは
解釈 押さへつつ我は袖にぞせき止むる舟越す潮になさじと思へば
歌番号一三四九
止遠幾止己呂尓万可留止天於无奈乃毛止尓川可者之个留
止遠幾所尓万可留止天女乃毛止尓川可者之个留
遠き所にまかるとて女のもとにつかはしける
従良由幾
貫之
貫之(紀貫之)
原文 和春礼之止己止尓武寸日天和可留礼者安比美武万天者於毛日三多留奈
定家 和春礼之止己止尓武寸日天和可留礼者安比見武万天者思日見多留奈
和歌 わすれしと ことにむすひて わかるれは あひみむまては おもひみたるな
解釈 忘れじとことに結びて別るればあひ見むまでは思ひ乱るな
多比乃宇多
羇旅歌
歌番号一三五〇
安留飛止以也之幾奈止利天止宇止宇三乃久尓部満可留止天
者川世可者遠和多留止天与美者部利个留
安留人以也之幾名止利天遠江国部満可留止天
者川世河遠和多留止天与美侍个留
ある人いやしき名取りて遠江国へまかるとて
初瀬河を渡るとてよみ侍りける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 者川世可者和多留世佐部也尓己留良无与尓寸美可多幾和可三止於毛部者
定家 者川世河和多留世佐部也尓己留良无世尓寸美可多幾和可身止思部者
和歌 はつせかは わたるせさへや にこるらむ よにすみかたき わかみとおもへは
解釈 初瀬河渡る瀬さへや濁るらん世に住みがたき我が身と思へば
歌番号一三五一
多和礼之万遠美天
多和礼之万遠見天
たはれ島を見て
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 奈尓之於者々安多尓曽於毛不堂者礼之万奈美乃奴礼幾奴以久与幾川良无
定家 名尓之於者々安多尓曽思堂者礼之万浪乃奴礼幾奴以久与幾川良无
和歌 なにしおはは あたにそおもふ たはれしま なみのぬれきぬ いくよきつらむ
解釈 名にし負はばあだにぞ思ふたはれ島浪の濡衣いく夜着つらん
歌番号一三五二
安徒万部万可利个留尓寸幾奴留可多己比之久於本衣
个留本止尓可者遠和多利个留尓奈美乃多知
遣累遠三天
安徒万部万可利个留尓寸幾奴留方己比之久於本衣
个留本止尓河遠和多利个留尓奈美乃多知
遣累遠見天
東へまかりけるに、過ぎぬる方恋しくおぼえ
けるほどに、河を渡りけるに、浪の立ち
けるを見て
奈利比良乃安曾无
業平朝臣
業平朝臣(在原業平)
原文 伊止々之久寸幾由久可多乃己比之幾尓宇良也末之久毛可部留奈美可奈
定家 伊止々之久寸幾由久方乃己比之幾尓宇良山之久毛帰浪哉
和歌 いととしく すきゆくかたの こひしきに うらやましくも かへるなみかな
解釈 いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうら山しくも帰る浪かな
歌番号一三五三
志良也万部万宇天个留尓美知奈可与利多与利乃
飛止尓川个天徒可者之个留
志良山部万宇天个留尓美知中与利多与利乃
人尓川个天徒可者之个留
白山へまうでけるに道中より便りの
人につけてつかはしける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 美也己満天遠止尓布利久留志良也万者由幾川幾可多幾止己呂奈利个利
定家 宮己満天遠止尓布利久留白山者由幾川幾可多幾所奈利个利
和歌 みやこまて おとにふりくる しらやまは ゆきつきかたき ところなりけり
解釈 都まで音に降り来る白山は行き着きがたき所なりけり
歌番号一三五四
奈可波良乃武祢幾可美乃々久尓部万可利久多利者部利个留
尓美知尓於无奈乃以部尓也止利天以比川幾天佐利可多久
於保衣个礼者布川可美川可者部利天也武己止奈幾己止尓与利
天満可利多知个礼者幾奴遠川々美天曽礼可宇部尓
加幾天遠久利者部利个留
奈可波良乃武祢幾可美乃々久尓部万可利久多利侍个留
尓美知尓女乃家尓也止利天以比川幾天佐利可多久
於保衣个礼者二三日侍天也武己止奈幾事尓与利
天満可利多知个礼者幾奴遠川々美天曽礼可宇部尓
加幾天遠久利侍个留
中原宗興が美濃国へまかり下り侍りける
に道に女の家に宿りて、言ひつきて去りがたく
おぼえければ、二三日侍りてやむごとなき、事により
て、まかりたちければ、絹を包みてそれが上に
書きて贈り侍りける
奈可者良乃武祢幾
中原宗興
中原宗興
原文 也万佐止乃久左者乃川由毛志个可良无美乃之呂己呂毛奴者寸止毛幾与
定家 山佐止乃草者乃川由毛志个可良无美乃之呂衣奴者寸止毛幾与
和歌 やまさとの くさはのつゆも しけからむ みのしろころも ぬはすともきよ
解釈 山里の草葉の露も繁からん蓑代衣縫はずとも着よ
歌番号一三五五
止左与利満可利乃本利个留布祢乃宇知尓天美
者部利个留尓也万乃者奈良天川幾乃奈美乃奈可与利
以徒留也宇尓美衣个礼者武可之安倍乃奈可末呂可
毛呂己之尓天布利左計美礼者止以部留
己止遠於毛比也利天
土左与利満可利乃本利个留舟乃宇知尓天見
侍个留尓山乃者奈良天月乃浪乃奈可与利
以徒留也宇尓見衣个礼者武可之安倍乃奈可末呂可
毛呂己之尓天布利左計見礼者止以部留
己止遠思也利天
土左よりまかり上りける舟のうちにて見
侍りけるに、山の端ならで月の浪の中より
出づるやうに見えければ、昔安倍仲麿が
唐土にて「ふりさけ見れば」と言へる
ことを思ひやりて
従良由幾
従良由幾
つらゆき(紀貫之)
原文 美也己尓天也万乃者尓美之川幾奈礼止宇美与利以天々宇美尓己曽以礼
定家 宮己尓天山乃者尓見之月奈礼止海与利以天々海尓己曽以礼
和歌 みやこにて やまのはにみし つきなれと うみよりいてて うみにこそいれ
解釈 都にて山の端に見し月なれど海より出でて海にこそ入れ
歌番号一三五六
保宇己宇乃美也乃多幾止以不止己呂美八曽奈之个留於保武止毛尓天
法皇宮乃多幾止以不所御覧之个留御止毛尓天
法皇、宮の滝といふ所御覧じける御供にて
春可者良乃美幾乃於本以万宇知幾三
菅原右大臣
菅原右大臣
原文 美川比幾乃志良以止者部天遠留波多者多比乃己呂毛尓多知也可左祢无
定家 水比幾乃志良以止者部天遠留波多者旅乃衣尓多知也可左祢无
和歌 みつひきの しらいとはへて おるはたは たひのころもに たちやかさねむ
解釈 水引きの白糸はへて織る機は旅の衣に裁ちや重ねん
歌番号一三五七
美知末可利个留川以天尓比久良之乃也万遠万可利者部利天
道末可利个留川以天尓比久良之乃山遠万可利侍天
道まかりけるついてに、ひくらしの山をまかり侍りて
春可者良乃美幾乃於本以万宇知幾三
菅原右大臣
菅原右大臣
原文 飛久良之乃也満知遠久良美左与布遣天己乃寸恵己止尓毛美知天良世留
定家 飛久良之乃山知遠久良美左与布遣天己乃寸恵己止尓毛美知天良世留
和歌 ひくらしの やまちをくらみ さよふけて このすゑことに もみちてらせる
解釈 ひぐらしの山路を暗み小夜更けて木の末ごとに紅葉照らせる
歌番号一三五八
者徒世部万宇川止天也万乃部止以不和多利尓天与三者部利个留
者徒世部万宇川止天山乃部止以不和多利尓天与三侍个留
初瀬へ詣づとて山の辺といふわたりにてよみ侍りける
以世
伊勢
伊勢
原文 久左万久良堂比止奈利奈者也万乃部尓志良久毛奈良奴和礼也々止良无
定家 草枕堂比止奈利奈者山乃部尓志良久毛奈良奴我也々止良无
和歌 くさまくら たひとなりなは やまのへに しらくもならぬ われややとらむ
解釈 草枕旅となりなば山の辺に白雲ならぬ我や宿らん
歌番号一三五九
宇知止乃止以不止己呂遠
宇知止乃止以不所遠
宇治殿といふ所を
以世
伊勢
伊勢
原文 美川毛世尓宇幾奴留止幾者志可良美乃宇知乃止乃止毛美恵奴毛美知八
定家 水毛世尓宇幾奴留時者志可良美乃宇知乃止乃止毛見恵奴毛美知八
和歌 みつもせに うきたるときは しからみの うちのとのとも みえぬもみちは
解釈 水もせに浮きぬる時はしがらみの内の外のとも見えぬもみぢ葉
歌番号一三六〇
宇美乃本止利尓天己礼可礼世宇衣宇之者部利个留川以天尓
海乃本止利尓天己礼可礼世宇衣宇之侍个留川以天尓
海のほとりにて、これかれ逍遥し侍りけるついでに
己末知
己末知
こまち(小野小町)
原文 者奈左幾天美奈良奴毛乃者和多川宇三乃加左之尓左世留於幾川志良奈美
定家 花左幾天美奈良奴物者和多川宇三乃加左之尓左世留於幾川白浪
和歌 はなさきて みならぬものは わたつうみの かさしにさせる おきつしらなみ
解釈 花咲きて実ならぬ物はわたつうみのかざしに挿せる沖つ白浪
歌番号一三六一
安徒万奈留飛止乃毛止部満可利个留三知尓佐可美乃
阿之可良乃世幾尓天於无奈乃美也己尓万可利乃本利个留
尓安比天
安徒万奈留人乃毛止部満可利个留道尓佐可美乃
阿之可良乃世幾尓天女乃京尓万可利乃本利个留
尓安比天
東なる人のもとへまかりける道に、相模の
足柄の関にて、女の京にまかり上りける
に逢ひて
之无世為保宇之
真静法師
真静法師
原文 安之可良乃世幾乃也万知遠由久飛止者志留止志良奴毛宇止可良奴可奈
定家 安之可良乃世幾乃山地遠由久人者志留止志良奴毛宇止可良奴哉
和歌 あしからの せきのやまちを ゆくひとは しるもしらぬも うとからぬかな
解釈 足柄の関の山路を行く人は知るも知らぬも疎からぬかな
歌番号一三六二
保宇己宇止遠幾止己呂尓也万布美之多末宇天美也己尓
加部利多万不尓多比也止利之太末宇天於保武止毛
尓佐布良不堂宇曽久宇多与万世堂万比个留尓
法皇止遠幾所尓山布美之多末宇天京尓
加部利多万不尓多比也止利之太末宇天御止毛
尓佐布良不道俗宇多与万世給个留尓
法皇、遠き所に山踏みしたまうて京に
帰りたまふに、旅宿りしたまうて、御供
にさぶらふ道俗歌よませ給ひけるに
之也宇世以之也宇保宇
僧正聖宝
僧正聖宝
原文 飛止己止尓遣不/\止乃美己比良留々美也己知可久毛奈利尓个留可奈
定家 人己止尓遣不/\止乃美己比良留々宮己知可久毛成尓个留哉
和歌 ひとことに けふけふとのみ こひらるる みやこちかくも なりにけるかな
解釈 人ごとに今日今日とのみ恋ひらるる都近くもなりにけるかな
歌番号一三六三
止左与利尓武者天々乃本利者部利个留尓布祢乃宇知尓天
川幾遠美天
土左与利任者天々乃本利侍个留尓舟乃宇知尓天
月遠見天
土左より任果てて上り侍りけるに、舟のうちにて
月を見て
従良由幾
従良由幾
つらゆき(紀貫之)
原文 天累川幾乃奈可留々美礼者安満乃可八以川留三那止者宇美尓曽安利个留
定家 天累月乃奈可留々見礼者安満乃河以川留三那止者海尓曽有个留
和歌 てるつきの なかるるみれは あまのかは いつるみなとは うみにそありける
解釈 照る月の流るる見れば天の河出づる港は海にぞ有りける
歌番号一三六四
堂以之良寸
題しらす
題知らす
天以之為无乃於保美宇多
亭子院御製
亭子院御製
原文 久差万久良毛美知武之呂尓加部多良波己々呂遠久多久毛乃奈良万之也
定家 草枕紅葉武之呂尓加部多良波心遠久多久物奈良万之也
和歌 くさまくら もみちむしろに かへたらは こころをくたく ものならましや
解釈 草枕紅葉むしろに代へたらば心を砕く物ならましや
歌番号一三六五
美也己尓於毛不飛止者部利天止遠幾止己呂与利加部利万宇天幾
个留美知尓止々万利天奈可川幾者可利尓
京尓思不人侍天止遠幾所与利加部利万宇天幾
个留美知尓止々万利天九月許尓
京に思ふ人侍りて、遠き所より帰りまうで来
ける道に留まりて、九月ばかりに
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 於毛不飛止安利天加部礼者以川之可乃川万々川与為乃己衛曽可奈之幾
定家 思不人安利天加部礼者以川之可乃川万々川与為乃己衛曽可奈之幾
和歌 おもふひと ありてかへれは いつしかの つままつよひの こゑそかなしき
解釈 思ふ人ありて帰ればいつしかの妻待つ宵の声ぞ悲しき
歌番号一三六六
美也己尓於毛不飛止者部利天止遠幾止己呂与利加部利万宇天幾
个留美知尓止々万利天奈可川幾者可利尓
京尓思不人侍天止遠幾所与利加部利万宇天幾
个留美知尓止々万利天九月許尓
京に思ふ人侍りて、遠き所より帰りまうで来
ける道に留まりて、九月ばかりに
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 久左万久良由不天者可利八奈尓奈礼也徒由毛奈美多毛越幾可部利川々
定家 草枕由不天許八奈尓奈礼也徒由毛奈美多毛越幾可部利川々
和歌 くさまくら ゆふてはかりは なになれや つゆもなみたも おきかへりつつ
解釈 草枕結ふてばかりは何なれや露も涙も置きかへりつつ
歌番号一三六七
美也乃多幾止以不止己呂尓保宇己宇於者之末之多利
个留尓於保世己止安利天
宮乃多幾止以不所尓法皇於者之末之多利
个留尓於保世己止安利天
宮の滝といふ所に法皇おはしましたり
けるに仰せ言ありて
曽世以保宇之
素性法師
素性法師
原文 安幾也万尓万止不己々呂遠見也多幾乃堂幾乃志良安和尓計知也者天々武
定家 秋山尓万止不心遠見也多幾乃堂幾乃志良安和尓計知也者天々武
和歌 あきやまに まとふこころを みやたきの たきのしらあわに けちやはててむ
解釈 秋山にまどふ心を宮滝の滝の白泡に消ちや果ててむ
↧
October 18, 2020, 6:05 pm
集歌一〇五二
原文 弓高来 川乃湍清石 百世左右 神之味将 大宮所
訓読 豊(ゆたか)けき川の瀬(せ)清(きよ)し百世(ももよ)さへ神し味はふ大宮所
私訳 物部の人々が弓を掲げ、豊かな川の流れは清らかです。百代の後に至るまでも神が祝福する大宮所よ。
集歌一〇五三
原文 吾皇 神乃命乃 高所知 布當乃宮者 百樹成 山者木高之 落多藝都 湍音毛清之 鴬乃 来鳴春部者 巌者 山下耀 錦成 花咲乎呼里 左牡鹿乃 妻呼秋者 天霧合 之具礼乎疾 狭丹頬歴 黄葉散乍 八千年尓 安礼衝之乍 天下 所知食跡 百代尓母 不可易 大宮處
訓読 吾が皇(きみ)し 神の命(みこと)の 高知らす 布当(ふたぎ)の宮は 百樹(ももき)成(な)し 山は木高(こだか)し 落ち激(たぎ)つ 瀬し音(と)も清し 鴬の 来鳴く春へは 巌(いはほ)には 山下(した)光(ひか)り 錦なす 花咲きををり さ雄鹿(をしか)の 妻呼ぶ秋は 天(あま)霧(ぎ)らふ 時雨(しぐれ)をいたみ さ丹つらふ 黄(もみち)葉(は)散りつつ 八千年(やちとせ)に 生(あ)れ衝(つ)かしつつ 天つ下 知らしめさむと 百代(ももよ)にも 易(かは)るましじき 大宮所
私訳 吾等の皇子で神の命が天まで高く統治なされる、その布当の宮は、多くの木々が生い茂り、山には木が高く生え、流れ落ちる激流の瀬の音も清らかで、鶯がやって来て啼く春になると、岩には山の麓を輝かせるように錦のような色取り取りに花が咲きたわみ、角の立派な牡鹿が妻を鳴き呼ぶ秋には、空に霧が立ち、時雨がしきりに降り、美しく丹に染まる黄葉は散り行き、数千年に生まれ継ぎながら天下を統治なされるでしょうと、百代にも遷り易ることがあるはずも無い、ここ大宮です。
反謌五首
集歌一〇五四
原文 泉河 徃瀬乃水之 絶者許曽 大宮地 遷徃目
訓読 泉川往(い)く瀬の水し絶えばこそ大宮地遷(うつ)ろひ往(い)かめ
私訳 泉川の流れ往く瀬の水が絶えることがあるならば、ここ大宮は遷り易り往くでしょう。
集歌一〇五五
原文 布當山 山並見者 百代尓毛 不可易 大宮處
訓読 布当山(ふたぎやま)山並み見れば百代(ももよ)にも易(かは)るましじき大宮所
私訳 布当山の、その山並みを見れば、百代にも遷り易ることがあるはずも無い、ここ大宮です
集歌一〇五六
原文 盛嬬等之 續麻繁云 鹿脊之山 時之徃去 京師跡成宿 (盛は、女+盛)
訓読 女子(をみな)らし続麻(うみを)懸(か)くといふ鹿背(かせ)し山時し往(い)ければ京師(みやこ)となりぬ
私訳 女達が績麻を懸ける「かせ」と云う鹿背の山よ、時が過ぎ行くと今は都となった
↧
October 19, 2020, 6:09 pm
集歌一〇五七
原文 鹿脊之山 樹立矣繁三 朝不去 寸鳴響為 鴬之音
訓読 鹿背(かせ)し山樹立(こだち)を繁(しげ)み朝さらず来鳴き響(とよ)もす鴬し声
私訳 鹿背の山の木立は茂っている、朝毎に飛び来て啼き響かす鶯の声よ。
集歌一〇五八
原文 狛山尓 鳴霍公鳥 泉河 渡乎遠見 此間尓不通 (一云 渡遠哉 不通者武)
訓読 狛山(こまやま)に鳴く霍公鳥泉川渡りを遠(とほ)みここに通(かよ)はず
私訳 狛山に啼くホトトギスは、泉川の渡りが広く遠いので、ここには通って来ない。
春日悲傷三香原荒墟作謌一首并短謌
標訓 春日(はるひ)に、三香(みか)の原の荒れたる墟(あと)を悲傷(いた)みて作れる謌一首并せて短謌
集歌一〇五九
原文 三香原 久邇乃京師者 山高 河之瀬清 在吉迹 人者雖云 在吉跡 吾者雖念 故去之 里尓四有者 國見跡 人毛不通 里見者 家裳荒有 波之異耶 如此在家留可 三諸著 鹿脊山際尓 開花之 色目列敷 百鳥之 音名束敷 在果石 住吉里乃 荒樂苦惜哭
訓読 三香(みか)し原 久迩(くに)の京師(みやこ)は 山高み 川し瀬清み 住みよしと 人は云へども 在(あ)りよしと 吾は念(おも)へど 古(ふ)りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず 里見れば 家も荒れたり 愛(は)しけやし 如(かく)ありけるか 三諸(みもろ)つく 鹿背(かせ)し山際(やまま)に 咲く花し 色めづらしく 百鳥(ももとり)し 声なつかしく 在(あ)り果(はて)し 住みよき里の 荒るらく惜しも
私訳 三香の原にある久邇の京は、山が高く、川の瀬は清らで、住むのに良い処と人は云うけれど、滞在するに良いと私は思うけれど、既に過去の里になってしまったので、この土地を見ても人はやって来ず、人里を見ると家は荒れ果てている。愛しくもこのようになってしまったのか、神々しい鹿背の山のほとりに咲く花は色美しく、多くの鳥の鳴き声は心地好く、滞在していたこの住みやすい里が、荒れ果てていくのが残念です。
注意 原文の「在果石」は、標準解釈では「在杲石」と記し「在(あ)りが欲(ほ)し」と訓じます。
反謌二首
集歌一〇六〇
原文 三香原 久邇乃京者 荒去家里 大宮人乃 遷去礼者
訓読 三香(みか)し原久迩(くに)の京(みやこ)は荒れにけり大宮人の遷(うつろ)ひぬれば
私訳 三香の原にある久邇の京は荒れ果ててしまった。大宮人が遷っていってしまったので。
集歌一〇六一
原文 咲花乃 色者不易 百石城乃 大宮人叙 立易去流
訓読 咲く花の色は易(かは)らずももしきの大宮人ぞ立ち易(かは)りさる
私訳 咲く花の色は変わることもない。多くの岩を積み作る大宮の宮人だけが立ち替わり去って行った。
↧
↧
October 20, 2020, 6:11 pm
難波宮作謌一首并短謌
標訓 難波宮にして作れる謌一首并せて短謌
集歌一〇六二
原文 安見知之 吾大王乃 在通 名庭乃宮者 不知魚取 海片就而 玉拾 濱邊乎近見 朝羽振 浪之聲参 夕薙丹 櫂合之聲所聆 暁之 寐覺尓聞者 海石之 塩干乃共 納渚尓波 千鳥妻呼 葭部尓波 鶴鳴動 視人乃 語丹為者 聞人之 視巻欲為 御食向 味原宮者 雖見不飽香聞 (参は足+参の当字)
訓読 やすみしし 吾が大王(おほきみ)の あり通ふ 難波の宮は 鯨魚(いさな)取り 海(うみ)片付きて 玉(たま)拾(ひり)ふ 浜辺を清み 朝羽(あさは)振る 浪し声(ね)せむ 夕凪に 櫂合(かあ)ひし声(ね)聞く 暁(あかとき)し 寝覚(ねざめ)に聞けば 海石(いくり)し 潮干(しほひ)の共(むた) 納渚(とふす)には 千鳥妻呼び 葦辺(あしへ)には 鶴(たづ)鳴き響(とよ)む 見る人の 語りにすれば 聞く人し 見まく欲(ほ)りする 御食(みけ)向(むこ)ふ 味原(あぢふ)し宮は 見れど飽かぬかも
私訳 この国を平らかに統治なされる吾等の大王が、御通いなされる難波の宮は、鯨のような大きな魚を採る海が引き、美しい石を拾う浜辺は清らかで、朝に鳥が羽ばたき、浪の寄せ来る音が聞こえ、夕凪に船を漕ぐ櫂の調子を合わせる声が聞こえる、暁に目覚めに聞くと、海の岩を見せながら潮が引くと共に浜に現れる川の洲には千鳥が妻を呼び、葦辺には鶴の鳴き声が響く、この景色を見る人が物語りにすると、それを聞く人は、一目見たみたいと思う、天皇が治められる味原の宮は、見るだけでも見飽きることがありません。
注意 原文の「浪之聲参」は、標準解釈では「浪之聲躁」と校訂し「浪の音騒ぎ」と訓じます。(参は足+参の当字)また、「納渚尓波」は、「汭渚尓波」と校訂し「浦(うら)洲(す)には」と訓じます。
反歌二首
集歌一〇六三
原文 有通 難波乃宮者 海近見 童女等之 乗船所見
訓読 あり通ふ難波の宮は海(うみ)近(ちか)み童女(わらはをみな)し乗れる船そ見ゆ
私訳 御通いなされる難波の宮は海が近いので、童女たちが乗った船が見える。
集歌一〇六四
原文 塩干者 葦邊尓参 白鶴乃 妻呼音者 宮毛動響二 (参は、足+参の当字)
訓読 潮干(しほひ)れば葦辺に参(さへ)く白鶴(しらたづ)の妻呼ぶ声は宮もとどろに
私訳 潮が引けば葦辺により来る白鶴の妻を呼び声が、宮に響き渡る。
過敏馬浦時作謌一首并短謌
標訓 敏馬(うぬめ)の浦を過し時に作れる謌一首并せて短謌
集歌一〇六五
原文 八千桙之 神乃御世自 百船之 泊停跡 八嶋國 百船純乃 定而師 三犬女乃浦者 朝風尓 浦浪左和寸 夕浪尓 玉藻者来依 白沙 清濱部者 去還 雖見不飽 諾石社 見人毎尓 語嗣 偲家良思吉 百世歴而 所偲将徃 清白濱
訓読 八千桙(やちほこ)し 神の御世より 百船(ものふね)し 泊(は)つる泊(とまり)と 八島国(やしまくに) 百船人(ももふねひと)の 定めてし 敏馬(うぬめ)の浦は 朝風に 浦浪(うらなみ)騒き 夕浪に 玉藻は来寄る 白(しら)真子(まなこ) 清き浜辺(はまへ)は 去(い)き還(かへ)り 見れども飽かず 諾(うべ)しこそ 見る人ごとに 語り継ぎ 偲(しの)ひけらしき 百代(ももよ)経て 偲(しの)はえゆかむ 清き白浜
私訳 伊邪那岐、伊邪那美の八千矛で大八島国を御創りなされた神の御世から、多くの船が泊まる湊として、この八島の国々のたくさんの船を操る人たちが定めてきた敏馬の浦は、朝風に浦には浪が立ち、夕方の浪に玉藻が来寄せる。白砂の清らかな浜辺は、行き帰りに見るが見飽きることが無い。なるほど、見る人がそれぞれに、語り継ぎ思い出にしてきたようだ。百代も過ぎても人は旅の思い出にするでしょう、この清らかな白浜を。
反謌二首
集歌一〇六六
原文 真十鏡 見宿女乃浦者 百船 過而可徃 濱有七國
訓読 真澄鏡(まそかがみ)敏馬(うぬめ)の浦は百船(ももふね)し過ぎに往(い)くべき浜ならなくに
私訳 願うと見たいものを見せると云う真澄鏡、しかし、敏馬の浦は、多くの船が寄ることなく通り過ぎて行く浜ではないのだが。
集歌一〇六七
原文 濱清 浦愛見 神世自 千船湊 大和太乃濱
訓読 浜(はま)清(きよ)み浦(うら)愛(うるは)しみ神世(かむよ)より千船(ちふね)し湊(みなと)大(おほ)和太(わだ)の浜
私訳 浜は清らかで、入り江は美しい、神代から多くの船が泊まる湊だよ、大和太の浜は。
左注 右廿一首、田邊福麿之謌集中出也
注訓 右の廿一首は、田辺(たなべの)福麿(さきまろ)の歌集の中(うち)に出づ。
↧
October 21, 2020, 4:14 pm
雜謌
訓 雜謌(くさぐさのうた)
詠天
標訓 天を詠める
集歌一〇六八
原文 天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見
訓読 天つ海(み)に雲し波立ち月船し星し林に榜(こ)ぎ隠(かげ)そ見ゆ
私訳 天空の海に雲の波が立ち、上弦の三日月の船が星の林の中で、漕ぎ行き雲の波間に隠れたのを見た。
左注 右一首、柿本朝臣人麿之謌集出
注訓 右の一首は、柿本朝臣人麿の歌集に出(い)づ。
詠月
標訓 月を詠める
集歌一〇六九
原文 常者曽 不念物乎 此月之 過匿巻 惜夕香裳
訓読 常しはそ念(おも)はぬものをこの月し過ぎ隠(かく)らまく惜(を)しき夕(よひ)かも
私訳 いつもはそのようにはけっして思わないのだが、この月が移り行き山の際に隠れていくのが残念な今宵です。
集歌一〇七〇
原文 大夫之 弓上振起獦高之 野邊副清 照月夜可聞
訓読 大夫(ますらを)し弓末(ゆづゑ)振り起し猟高(かりたか)し野辺(のへ)さへ清(きよ)く照る月夜(つくよ)かも
私訳 立派な男子が弓の末を振り立てて狩りをする、その猟高の野辺さへも清らかに照らしている月夜です。
集歌一〇七一
原文 山末尓 不知夜歴月乎 将出香登 待乍居尓 夜曽降家類
訓読 山し末(は)にいさよふ月を出でむかと待ちつつ居(を)るに夜(よ)ぞ更けにける
私訳 山の際で出て来るのをためらっている月を、もう出て来るのかと待っている内に夜が更けていく。
集歌一〇七二
原文 明日之夕 将照月夜者 片因尓 今夜尓因而 夜長有
訓読 明日(あす)し夕(よひ)照らむ月夜(つくよ)は片寄りに今夜(こよひ)に因りに夜(よ)長(なが)くあらなむ
私訳 明日の宵に照るだろう月夜は、少し分け寄せて今夜の事の為に、この二人の夜が長くあってほしい。
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October 22, 2020, 4:15 pm
集歌一〇七三
原文 玉垂之 小簾之間通 獨居而 見驗無 暮月夜鴨
訓読 玉垂(たまたれ)し小簾(をす)し間(ま)通(とひ)しひとり居(ゐ)に見る験(しるし)なき暮(ゆふ)月夜(つくよ)かも
私訳 美しく垂らす、かわいい簾の隙間を通して独りいるこの部屋から見る、待つ身に甲斐がない煌々と道辺を照らす満月の夕月夜です。
集歌一〇七四
原文 春日山 押而照有 此月者 妹之庭母 清有家里
訓読 春日山押しに照らせるこの月は妹し庭にも清(さや)けくありけり
私訳 春日山を一面に押しつぶすかのように煌々と照らすこの月は、愛しい貴女の庭にも清らかに輝いていました。
集歌一〇七五
原文 海原之 道遠鴨 月讀 明少 夜者更下乍
訓読 海原(うなはら)し道遠みかも月読(つくよみ)し光少き夜は更けにつつ
私訳 大海原の道が遠いからか、海を支配すると云う月読神の化身である月の光が乏しく、この夜が更けていく。
集歌一〇七六
原文 百師木之 大宮人之 退出而 遊今夜之 月清左
訓読 ももしきし大宮人し罷(まか)り出に遊ぶ今夜(こよひ)し月し清(さや)けさ
私訳 たくさんの人々が仕える大宮の宮人たちが宮殿から退出してから風流を楽しむ、今夜の月は清らかです。
集歌一〇七七
原文 夜干玉之 夜渡月乎 将留尓 西山邊尓塞毛有粳毛
訓読 ぬばたまし夜渡る月を留(とど)めむに西し山辺(やまへ)に関(せき)もあらぬかも
私訳 漆黒の夜空を渡って行く月を留めるために、西の山の際に関所でもあればよいのに。
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October 24, 2020, 4:10 pm
後撰和歌集(原文推定、翻文、解釈付)
者多末幾仁安多留未幾
巻二十
以葉比宇多 加奈之比宇多
慶賀歌(附 哀傷歌)
歌番号一三六八
於无奈也川乃美己毛止由之乃美己乃多女尓与曾乃衣者為之
者部利个留尓幾久乃者奈遠加佐之尓於利天
女八乃美己元良乃美己乃多女尓四十賀之
侍个留尓幾久乃花遠加佐之尓於利天
女八内親王、元良親王のために四十賀し
侍りけるに、菊の花をかざしに折りて
布知八良乃己礼飛良乃安曾无
藤原伊衡朝臣
藤原伊衡朝臣
原文 与呂徒与乃之毛尓毛加礼奴之良幾久遠宇之呂也寸久毛加左之川留可奈
定家 与呂徒世乃霜尓毛加礼奴白菊遠宇之呂也寸久毛加左之川留哉
和歌 よろつよの しもにもかれぬ しらきくを うしろやすくも かさしつるかな
解釈 よろづ世の霜にも枯れぬ白菊をうしろやすくもかざしつるかな
歌番号一三六九
奈以之乃寸个安幾良計以己知々乃左以之与宇乃多女尓衣者為之
者部利个留尓計武知与宇保宇之乃毛加良幾奴々比天徒可
者之多利个礼八
典侍安幾良計以己知々乃宰相乃多女尓賀之
侍个留尓玄朝法師乃毛加良幾奴々比天徒可
者之多利个礼八
典侍明子、父の宰相のために賀し
侍りけるに、玄朝法師の裳、唐衣縫ひてつか
はしたりければ
奈以之乃寸个安幾良計以己
典侍安幾良計以子
典侍あきらけい子(典侍明子)
原文 久毛和久留安万乃者己呂毛宇知幾天者幾美可知止世尓安八左良女也八
定家 雲和久留安万乃羽衣宇知幾天者君可知止世尓安八左良女也八
和歌 くもわくる あまのはころも うちきては きみかちとせに あはさらめやは
解釈 雲分くる天の羽衣うち着ては君が千歳にあはざらめやは
歌番号一三七〇
堂以之良寸
題しらす
題知らす
於本幾於本以万宇知幾三
太政大臣
太政大臣
原文 己止之与利王加奈尓曽部天於以乃与尓宇礼之幾己止遠川万武止曽於毛不
定家 己止之与利王加奈尓曽部天於以乃与尓宇礼之幾事遠川万武止曽思
和歌 ことしより わかなにそへて おいのよに うれしきことを つまむとそおもふ
解釈 今年より若菜に添へて老いの世にうれしき事を摘まむとぞ思ふ
歌番号一三七一
乃利安幾良乃美己加宇不利之个留比安曽比
之者部利个留尓美幾乃於本以万宇知幾三己礼可礼
宇多与万世者部利个留尓
乃利安幾良乃美己加宇不利之个留日安曽比
之侍个留尓右大臣己礼可礼
宇多与万世侍个留尓
章明親王かうぶりしける日、遊び
し侍りけるに、右大臣これかれ
歌よませ侍りけるに
従良由幾
従良由幾
つらゆき(紀貫之)
原文 己止乃祢毛多个毛知止世乃己恵寸留者飛止乃於毛日尓加与不奈利个利
定家 己止乃祢毛竹毛知止世乃己恵寸留者人乃思日尓加与不奈利个利
和歌 ことのねも たけもちとせの こゑするは ひとのおもひに かよふなりけり
解釈 琴の音も竹も千歳の声するは人の思ひに通ふなりけり
歌番号一三七二
衣者為乃也宇奈留己止之者部利个留止己呂尓天
賀乃也宇奈留己止之侍个留所尓天
賀のやうなることし侍りける所にて
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 毛々止世止以者不遠和礼者幾々奈可良於毛不可多女者安可寸曽安利个留
定家 毛々止世止以者不遠我者幾々奈可良思不可多女者安可寸曽有个留
和歌 ももとせと いはふをわれは ききなから おもふかためは あかすそありける
解釈 百年と祝ふを我は聞きながら思ふがためはあかずぞ有りける
歌番号一三七三
比多利乃於本以万宇知幾三乃以部乃遠乃己武寸女己
加宇布利之毛幾者部利个留尓
左大臣乃家乃遠乃己女己
加宇布利之毛幾侍个留尓
左大臣の家の男子女子、
かうぶりし裳着侍りけるに
従良由幾
従良由幾
つらゆき(紀貫之)
原文 於保者良也遠之本乃也万乃己万川者良者也己太可々礼知与乃可个三武
定家 於保者良也遠之本乃山乃己松原者也己太可々礼知与乃影見武
和歌 おほはらや をしほのやまの こまつはら はやこたかかれ ちよのかけみむ
解釈 大原や小塩の山の小松原はや木高かれ千代の影見む
歌番号一三七四
飛止乃加宇不利寸留止己呂尓天布知乃者奈遠加左之天
人乃加宇不利寸留所尓天布知乃花遠加左之天
人のかうぶりする所にて藤の花をかざして
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 宇知与寸留奈美乃者奈己曽佐幾尓个礼知与万川可世也者留可奈留良无
定家 打与寸留浪乃花己曽佐幾尓个礼知与松風也者留可奈留良无
和歌 うちよする なみのはなこそ さきにけれ ちよまつかせや はるになるらむ
解釈 うち寄する浪の花こそ咲きにけれ千代松風や春になるらん
歌番号一三七五
於无奈乃毛止尓川可者之个留
女乃毛止尓川可者之个留
女のもとにつかはしける
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 幾美可多女万川乃知止世毛徒幾奴部之己礼与利万佐无可美乃与毛可奈
定家 君可多女松乃知止世毛徒幾奴部之己礼与利万佐无神乃世毛哉
和歌 きみかため まつのちとせも つきぬへし これよりまさむ かみのよもかな
解釈 君がため松の千歳も尽きぬべしこれよりまさん神の世もがな
歌番号一三七六
祢无曽宇遠己奈不止天於无奈乃堂无於従乃毛止与利春々遠
加利天者部利个礼者久者部天徒可者之个留
年星遠己奈不止天女檀越乃毛止与利春々遠
加利天侍个礼者久者部天徒可者之个留
年星行ふとて、女檀越のもとより数珠を
借りて侍りければ、加へてつかはしける
由以世以保宇之
由以世以法師
ゆいせい法師(惟済法師)
原文 毛々止世尓也曽止世曽部天以乃利久留堂満乃志留之遠幾美々佐良女也
定家 毛々止世尓也曽止世曽部天以乃利久留玉乃志留之遠君見佐良女也
和歌 ももとせに やそとせそへて いのりくる たまのしるしを きみみさらめや
解釈 百年に八十年添へて祈り来る玉のしるしを君見ざらめや
歌番号一三七七
比多利乃於本以万宇知幾三乃以部尓遣宇曽久己々呂
左之遠久留止天久者部遣留
左大臣乃家尓遣宇曽久心
左之遠久留止天久者部遣留
左大臣の家に脇足心
ざし贈るとて加へける
曾宇寸尓武計宇
僧都仁教
僧都仁教
原文 遣宇曽具遠々佐部天万佐部与呂川与尓者奈乃佐可利遠己々呂志川可尓
定家 遣宇曽具遠々佐部天万佐部与呂川与尓花乃佐可利遠心志川可尓
和歌 けふそくを おさへてまさへ よろつよに はなのさかりを こころしつかに
解釈 脇足を抑へてまさへ万代に花の盛りを心静かに
歌番号一三七八
幾武之也宇曽従乃美己止幾己衣之止幾於本幾於本以万宇知幾三乃
以部尓和多利於者之満之天加部良世堂万不於保无遠久利毛乃尓
於保无保武多天万川留止天
今上帥乃美己止幾己衣之時太政大臣乃
家尓和多利於者之満之天加部良世給御遠久利毛乃尓
御本多天万川留止天
今上、帥親王と聞こえし時、太政大臣の
家に渡りおはしまして、帰らせたまふ、御贈物に
御本たてまつるとて
於本幾於本以万宇知幾三
太政大臣
太政大臣
原文 幾美可多女以者不己々呂乃布可个礼者飛之里乃美与乃安止名良部止曽
定家 君可多女以者不心乃布可个礼者飛之里乃美与乃安止名良部止曽
和歌 きみかため いはふこころの ふかけれは ひしりのみよの あとならへとそ
解釈 君がため祝ふ心の深ければ聖の御代の跡ならへとぞ
歌番号一三七九
於保无加部之
御返之
御返し
幾武之也宇乃於保美宇多
今上御製
今上御製
原文 遠之部遠久己止多加者寸者由久寸恵乃美知止遠久止毛安止八万止者之
定家 遠之部遠久己止多加者寸者由久寸恵乃道止遠久止毛安止八万止者之
和歌 をしへおく ことたかはすは ゆくすゑの みちとほくとも あとはまとはし
解釈 教へ置くこと違はずは行く末の道遠くとも跡はまどはじ
歌番号一三八〇
幾武之也宇武女川本尓於者之末之々止幾
多幾々己良世天多天万川利堂万比个留
今上武女川本尓於者之末之々時
多幾木己良世天多天万川利給个留
今上、梅壺におはしましし時、
薪樵らせてたてまつりたまひける
於本幾於本以万宇知幾三
太政大臣
太政大臣
原文 也万飛止乃己礼留多幾木者幾美可多女於本久乃止之遠川万无止曽於毛布
定家 山人乃己礼留多幾木者君可多女於本久乃(乃&乃)年遠川万无止曽思
和歌 やまひとの これるたききは きみかため おほくのとしを つまむとそおもふ
解釈 山人の樵れる薪は君がため多くの年を摘まんとぞ思ふ
歌番号一三八一
於保无加部之
御返之
御返し
於保美宇多
御製
御製
原文 止之乃加寸川万无止寸奈留遠毛尓々波以止々古川个遠己利毛曽部奈无
定家 年乃加寸川万无止寸奈留遠毛尓々波以止々古川个遠己利毛曽部奈无
和歌 としのかす つまむとすなる おもにには いととこつけを こりもそへなむ
解釈 年の数積まんとすなる重荷にはいとど小付けを樵りも添へなん
歌番号一三八二
止宇久宇乃於満衣尓久礼多个宇部左世多万日个留尓
東宮乃御前尓久礼竹宇部左世多万日个留尓
東宮の御前に呉竹植ゑさせたまひけるに
幾与多々
幾与多々
きよたた(源清正)
原文 幾美可多女宇川之天宇不留久礼多个尓知与毛己毛礼留己々知己曽寸礼
定家 君可多女宇川之天宇不留久礼竹尓知与毛己毛礼留心地己曽寸礼
和歌 きみかため うつしてううる くれたけに ちよもこもれる ここちこそすれ
解釈 君がため移して植うる呉竹に千代も籠もれる心地こそすれ
歌番号一三八三
為无乃宇部尓天美也乃於保无可多与利己波武以多左世
多万比个留己以之計乃布多尓
院乃殿上尓天宮乃御方与利碁盤以多左世
多万比个留己以之計乃布多尓
院の殿上にて、宮の方御より碁盤出ださせ
たまひける、碁石笥の蓋に
三与宇布以左幾与幾己
命婦以左幾与幾子
命婦いさきよき子(命婦清子)
原文 於乃々衣乃久知武毛志良寸幾美可与乃徒幾武加幾利者宇知己々呂見与
定家 於乃々衣乃久知武毛志良寸君可世乃徒幾武加幾利者宇知己々呂見与
和歌 をののえの くちむもしらす きみかよの つきむかきりは うちこころみよ
解釈 斧の柄の朽ちむも知らず君が世の尽きむ限りはうち心みよ
歌番号一三八四
尓之乃与无之与宇乃美己乃以部乃也万尓天
於无奈与従乃美己乃毛止尓
西四条乃美己乃家乃山尓天
女四乃美己乃毛止尓
西四条の親王の家の山にて、
女四内親王のもとに
美幾乃於本以万宇知幾三
右大臣
右大臣
原文 奈美多天留万川乃美止利乃衣多和加寸越利川々知与遠多礼止可者美武
定家 奈美多天留松乃緑乃枝和加寸越利川々知与遠誰止可者見武
和歌 なみたてる まつのみとりの えたわかす をりつつちよを たれとかはみむ
解釈 並み立てる松の緑の枝分かず折りつつ千代を誰れとかは見む
歌番号一三八五
之者寸者可利尓加宇不利寸留止己呂尓天
十二月許尓加宇不利寸留所尓天
十二月はかりに、かうふりする所にて
従良由幾
従良由幾
つらゆき(紀貫之)
原文 以者不己止安利止奈留部之个不奈礼止止之乃己奈多尓者留毛幾尓个利
定家 以者不己止有止奈留部之个不奈礼止年乃己奈多尓者留毛幾尓个利
和歌 いはふこと ありとなるへし けふなれと としのこなたに はるもきにけり
解釈 祝ふこと有りとなるべし今日なれど年のこなたに春も来にけり
可奈之比乃宇多
哀傷哥
歌番号一三八六
安徒止之可三満可利尓个留遠満多幾可天
阿川満与利武万遠々久利天者部利个礼者
安徒止之可身満可利尓个留遠満多幾可天
阿川満与利馬遠々久利天侍个礼者
敦敏が身まかりにけるを、まだ聞かで、
東より馬を贈りて侍りければ
比多利乃於本以万宇知幾三
左大臣
左大臣
原文 満多志良奴飛止毛安利个留安川万知尓和礼毛由幾天曽寸武部可利个留
定家 満多志良奴人毛有个留安川万知尓我毛行天曽寸武部可利个留
和歌 またしらぬ ひともありけり あつまちに われもゆきてそ すむへかりける
解釈 まだ知らぬ人も有りける東路に我も行きてぞ住むべかりける
歌番号一三八七
安尓乃布久尓天以知之与宇尓満可利天
安尓乃布久尓天一条尓満可利天
兄の服にて一条にまかりて
於本幾於本以万宇知幾三
太政大臣
太政大臣
原文 者留乃与乃由女乃奈可尓毛於毛比幾也幾美奈幾也止遠由幾天見武止八
定家 春乃夜乃夢乃奈可尓毛思幾也君奈幾也止遠由幾天見武止八
和歌 はるのよの ゆめのなかにも おもひきや きみなきやとを ゆきてみむとは
解釈 春の夜の夢の中にも思ひきや君亡き宿を行きて見むとは
歌番号一三八八
加部之
返之
返し
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 也止三礼者祢天毛佐女天毛己比之久天由女宇川々止毛和可礼左利个里
定家 也止見礼者祢天毛佐女天毛己比之久天夢宇川々止毛和可礼左利个里
和歌 やとみれは ねてもさめても こひしくて ゆめうつつとも わかれさりけり
解釈 宿見れば寝ても覚めても恋しくて夢うつつとも分かれざりけり
歌番号一三八九
左幾乃美可止於者之万佐天与乃奈可於毛日奈个幾天
徒可者之个留
先帝於者之万佐天世中思日奈个幾天
徒可者之个留
先帝おはしまさで、世の中思ひ嘆きて
つかはしける
左武之与宇乃美幾乃於本以万宇知幾三
三条右大臣
三条右大臣
原文 者可奈久天与尓布留与利者也万之奈乃美也乃久左幾止奈良万之毛乃遠
定家 者可奈久天世尓布留与利者山之奈乃宮乃草木止奈良万之毛乃遠
和歌 はかなくて よにふるよりは やましなの みやのくさきと ならましものを
解釈 はかなくて世に経るよりは山科の宮の草木とならましものを
歌番号一三九〇
加部之
返之
返し
加祢寸个乃安曾无
兼輔朝臣
兼輔朝臣(藤原兼輔)
原文 也万之奈乃美也乃久左幾止幾美奈良八和礼者志川久尓奴留者可利奈良利
定家 山之奈乃宮乃草木止君奈良八我者志川久尓奴留許也
和歌 やましなの みやのくさきと きみならは われはしつくに ぬるはかりなり
解釈 山科の宮の草木と君ならば我は雫に濡るばかりなり
歌番号一三九一
止幾毛知乃安曾无三満可利天乃知者天乃己呂知可久奈利天
飛止乃毛止与利以可尓於毛不良武止以飛遠己世多利个礼者
時毛知乃朝臣身満可利天乃知者天乃己呂知可久奈利天
人乃毛止与利以可尓思良武止以飛遠己世多利个礼者
時望朝臣身まかりて後、果てのごろ近くなりて、
人のもとより、いかに思らむ、と言ひおこせたりければ
止幾毛知乃安曾无可女
時望朝臣妻
時望朝臣妻(平時望朝臣妻)
原文 和可礼尓之本止遠者天止毛於毛保衣寸己比之幾己止乃可幾利奈个礼者
定家 和可礼尓之本止遠者天止毛於毛保衣寸己比之幾己止乃限奈个礼者
和歌 わかれにし ほとをはてとも おもほえす こひしきことの かきりなけれは
解釈 別れにしほどを果てとも思ほえず恋しきことの限りなければ
歌番号一三九二
於无奈与川乃美己乃布美乃者部利个留尓加幾川个天
奈以之乃加美尓
女四乃美己乃布美乃侍个留尓加幾川个天
内侍乃加美尓
女四内親王の文の侍りけるに、書きつけて
尚侍に
美幾乃於本以万宇知幾三
右大臣
右大臣
原文 堂祢毛奈幾者奈多尓知良奴也止毛安留遠奈止可々多美乃己多尓奈可良
定家 堂祢毛奈幾花多尓知良奴也止毛安留遠奈止可々多美乃己多尓奈可良
和歌 たねもなき はなたにちらぬ やともあるを なとかかたみの こたになからむ
解釈 種もなき花だに散らぬ宿もあるをなどかかたみの子だになからん
歌番号一三九三
加部之
返之
返し
奈以之乃加美
内侍乃可美
内侍のかみ(尚侍)
原文 武寸比遠幾之堂祢奈良祢止毛見留可良尓以止々之乃不乃久左遠川武可奈
定家 結遠幾之堂祢奈良祢止毛見留可良尓以止々忍乃草遠川武哉
和歌 むすひおきし たねならねとも みるからに いととしのふの くさをつむかな
解釈 結び置きし種ならねども見るからにいとど忍ぶの草を摘むかな
歌番号一三九四
於无奈与川乃美己乃己止止布良比者部利天
女四乃美己乃事止布良比侍天
女四内親王の事弔らひ侍りて
以世
伊勢
伊勢
原文 己々良与遠幾久可奈可尓毛加奈之幾者飛止乃奈美多毛川幾也志奴良无
定家 己々良与遠幾久可中尓毛加奈之幾者人乃涙毛川幾也志奴良无
和歌 ここらよを きくかうちにも かなしきは ひとのなみたも つきやしぬらむ
解釈 ここら世を聞くが中にも悲しきは人の涙も尽きやしぬらん
歌番号一三九五
加部之
返之
返し
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 幾久飛止毛安者礼天不奈留王可礼尓者以止々奈美多曽川幾世佐利个留
定家 聞人毛安者礼天不奈留別尓者以止々涙曽川幾世佐利个留
和歌 きくひとも あはれてふなる わかれには いととなみたそ つきせさりける
解釈 聞く人もあはれてふなる別れにはいとど涙ぞ尽きせざりける
歌番号一三九六
左幾乃美可止於者之万佐天万多乃止之乃
世宇可従川比多知遠久利者部利个留
先帝於者之万佐天又乃年乃
正月一日遠久利侍个留
先帝おはしまさで、又の年の
正月一日贈り侍りける
左武之与宇乃美幾乃於本以万宇知幾三
三条右大臣
三条右大臣
原文 以堂川良尓遣不也久礼奈无安多良之幾者留乃者之女者武可之奈可良尓
定家 以堂川良尓遣不也久礼南安多良之幾春乃始者昔奈可良尓
和歌 いたつらに けふやくれなむ あたらしき はるのはしめは むかしなからに
解釈 いたづらに今日や暮れなん新しき春の始めは昔ながらに
歌番号一三九七
加部之
返之
返し
加祢寸个乃安曾无
兼輔朝臣
兼輔朝臣(藤原兼輔)
原文 奈久奈美多布利尓之止之乃己呂毛天者安多良之幾尓毛加者良左利个利
定家 奈久涙布利尓之年乃衣手者安多良之幾尓毛加者良左利个利
和歌 なくなみた ふりにしとしの ころもては あたらしきにも かはらさりけり
解釈 泣く涙古りにし年の衣手は新しきにも変らざりけり
歌番号一三九八
加左祢天川可者之个留
加左祢天川可者之个留
重ねてつかはしける
左武之与宇乃美幾乃於本以万宇知幾三
三条右大臣
三条右大臣
原文 飛止乃与乃於毛日尓加奈不毛乃奈良者和可三者幾美尓遠久礼万之也八
定家 人乃世乃思日尓加奈不物奈良者和可身者君尓遠久礼万之也八
和歌 ひとのよの おもひにかなふ ものならは わかみはきみに おくれましやは
解釈 人の世の思ひにかなふ物ならば我が身は君に後れましやは
歌番号一三九九
女乃三万可利天乃知寸美者部利个留止己呂乃加部尓
加乃者部利个留止幾加幾川个天者部利个留天遠
三者部利天
女乃身万可利天乃知寸美侍个留所乃加部尓
加乃侍个留時加幾川个天侍个留天遠
見侍天
妻の身まかりて後、住み侍りける所の壁に
かの侍りける時書きつけて侍りけるてを
見侍りて
加祢寸个乃安曾无
兼輔朝臣
兼輔朝臣(藤原兼輔)
原文 祢奴由女尓无可之乃加部遠三川留与利宇川々尓毛乃曽加奈之可利个留
定家 祢奴夢尓昔乃加部遠見川留与利宇川々尓物曽加奈之可利个留
和歌 ねぬゆめに むかしのかへを みつるより うつつにものそ かなしかりける
解釈 寝ぬ夢に昔の壁を見つるよりうつつに物ぞ悲しかりける
歌番号一四〇〇
安比之里天者部利个留於无奈乃三満可利尓个留遠
己比者部利个留安比多尓与不个天遠之乃奈幾
者部利个礼八
安比之里天侍个留女乃身満可利尓个留遠
己比侍个留安比多尓与不个天遠之乃奈幾侍个礼八
あひ知りて侍りける女の身まかりにけるを
恋ひ侍りける間に、夜更けて鴛鴦の鳴き
侍りければ
可武為无乃比多利乃於本以万宇知幾三
閑院左大臣
閑院左大臣
原文 由不左礼者祢尓由久遠之乃飛止利之天川万己比寸奈留己衛乃加奈之左
定家 由不左礼者祢尓由久遠之乃飛止利之天川万己比寸奈留己衛乃加奈之左
和歌 ゆふされは ねになくをしの ひとりして つまこひすなる こゑのかなしさ
解釈 夕されば寝に行く鴛鴦の一人して妻恋ひすなる声の悲しさ
歌番号一四〇一
布无川幾者可利尓比多利乃於本以万宇知幾三乃
者々三万可利尓个留止幾尓於毛比尓者部利个留安比多
幾左以乃美也与利者幾乃者奈遠於利天多万部利个礼者
七月許尓左大臣乃
者々身万可利尓个留時尓於毛比尓侍个留安比多
幾左以乃宮与利萩乃花遠於利天多万部利个礼者
七月ばかりに、左大臣の
母身まかりにける時に、喪に侍りける間、
后宮より萩の花を折りてたまへりければ
於本幾於本以万宇知幾三
太政大臣
太政大臣
原文 遠美奈部之加礼尓之乃部尓寸武飛止者万川佐久者奈遠万多天止毛美寸
定家 遠美奈部之加礼尓之乃部尓寸武人者万川佐久花遠万多天止毛見寸
和歌 をみなへし かれにしのへに すむひとは まつさくはなを またてともみす
解釈 女郎花枯れにし野辺に住む人はまづ咲く花をまたでとも見ず
歌番号一四〇二
奈久奈利尓个留飛止乃以部尓万可利天加部利天乃
安之多尓加之己奈留飛止尓川可者之个留
奈久奈利尓个留人乃家尓万可利天加部利天乃
安之多尓加之己奈留人尓川可者之个留
亡くなりにける人の家にまかりて、帰りての
朝に、かしこなる人につかはしける
以世
伊勢
伊勢
原文 奈幾飛止乃可个多尓美衣奴也利美川乃曽己波奈美多尓奈可之天曽己之
定家 奈幾人乃影多尓見衣奴也利水乃曽己波涙尓奈可之天曽己之
和歌 なきひとの かけたにみえぬ やりみつの そこはなみたに なかしてそこし
解釈 亡き人の影だに見えぬ遣水の底は涙に流してぞ来し
歌番号一四〇三
也満止尓者部利个留者々三満可利天乃知加乃久尓部
万可留止天
也満止尓侍个留母身満可利天乃知加乃久尓部
万可留止天
大和に侍りける母身まかりて後、かの国へ
まかるとて
以世
伊勢
伊勢
原文 飛止利由久己止己曽宇个礼布留左止乃奈良乃奈良日天見之飛止毛奈三
定家 飛止利由久事己曽宇个礼布留左止乃奈良乃奈良日天見之人毛奈三
和歌 ひとりゆく ことこそうけれ ふるさとの ならのならひて みしひともなみ
解釈 一人行くことこそ憂けれふるさとの奈良のならびて見し人もなみ
歌番号一四〇四
保宇己宇乃美布久奈利个留止幾尓比以呂乃佐以天尓
加幾天飛止尓遠久利者部利个留
法皇乃御布久奈利个留時尓比以呂乃佐以天尓
加幾天人尓遠久利侍个留
法皇の御服なりける時、鈍色のさいでに
書きて人に送り侍りける
幾与宇己久乃美也春武止己呂
京極御息所
京極御息所
原文 春美曽女乃己幾毛宇寸幾毛美留止幾者加左祢天毛乃曽加奈之加利个留
定家 春美曽女乃己幾毛宇寸幾毛見留時者加左祢天物曽加奈之加利个留
和歌 すみそめの こきもうすきも みるときは かさねてものそ かなしかりける
解釈 墨染めの濃きも薄きも見る時は重ねて物ぞ悲しかりける
歌番号一四〇五
於无奈与川乃美己乃加久礼者部利尓个留止幾
女四乃美己乃加久礼侍尓个留時
女四内親王のかくれ侍りにける時
美幾乃於本以万宇知幾三
右大臣
右大臣
原文 幾乃不万天知与止知幾利之幾美遠和可志天乃也万知尓多川奴部幾可奈
定家 昨日万天知与止知幾利之君遠和可志天乃山地尓多川奴部幾哉
和歌 きのふまて ちよとちきりし きみをわか してのやまちに たつぬへきかな
解釈 昨日まで千代と契りし君を我が死出の山路に尋ぬべきかな
歌番号一四〇六
左幾乃保宇々世多万日天乃者留多以布尓川可八之个留
先坊宇世多万日天乃者留大輔尓川可八之个留
先坊失せたまひての春、大輔につかはしける
者留可美乃安曾无乃无寸女
者留可美乃朝臣乃武寸女
はるかみの朝臣のむすめ(藤原玄上朝臣女)
原文 安良多万乃止之己衣久良之川祢毛奈幾者川宇久比寸乃祢尓曽奈可留々
定家 安良多万乃年己衣久良之川祢毛奈幾者川鴬乃祢尓曽奈可留々
和歌 あらたまの としこえくらし つねもなき はつうくひすの ねにそなかるる
解釈 あらたまの年越え来らし常もなき初鴬の音にぞ泣かるる
歌番号一四〇七
加部之
返之
返し
多以布
多以布
大輔
原文 祢尓多天々奈可奴比者奈之宇久比寸乃无可之乃者留遠於毛比也利川
定家 祢尓多天々奈可奴日者奈之鴬乃昔乃春遠思也利川
和歌 ねにたてて なかぬひはなし うくひすの むかしのはるを おもひやりつつ
解釈 音に立てて泣かぬ日はなし鴬の昔の春を思ひやりつつ
歌番号一四〇八
於奈之止之乃安幾
於奈之年乃秋
同じ年の秋
者留可美乃安曾无乃无寸女
玄上朝臣女
玄上朝臣女(藤原玄上朝臣女)
原文 毛呂止毛尓越幾為之安幾乃川由者可利加々良无毛乃止於毛日可个幾也
定家 毛呂止毛尓越幾為之秋乃川由許加々良无物止思日可个幾也
和歌 もろともに おきゐしあきの つゆはかり かからむものと おもひかけきや
解釈 もろともに置きゐし秋の露ばかりかからん物と思ひかけきや
歌番号一四〇九
幾与多々加比和乃本以万宇知幾三乃以美尓己毛利天
者部利个留尓川可八之个留
清正加枇杷大臣乃以美尓己毛利天
侍个留尓川可八之个留
清正が枇杷大臣の忌みに籠もりて
侍りけるにつかはしける
布知八良乃毛利布三
藤原守文
藤原守文
原文 与乃奈可乃加奈之幾己止遠幾久乃宇部尓遠久之良川由曽奈美多奈利个留
定家 世中乃加奈之幾事遠菊乃宇部尓遠久白露曽涙奈利个留
和歌 よのなかの かなしきことを きくのうへに おくしらつゆそ なみたなりける
解釈 世の中の悲しき事を菊の上に置く白露ぞ涙なりける
歌番号一四一〇
加部之
返之
返し
幾与多々
幾与多々
きよたた(藤原清正)
原文 幾久尓多尓川由个可留良无飛止乃与遠女尓見之曽天遠於毛比也良奈无
定家 幾久尓多尓川由个可留良无人乃世遠女尓見之袖遠思也良奈无
和歌 きくにたに つゆけかるらむ ひとのよを めにみしそてを おもひやらなむ
解釈 きくにだに露けかるらん人の世を目に見し袖を思ひやらなん
歌番号一四一一
加祢寸个乃安曾无奈久奈利天乃知止左乃久尓与利
万可利乃本利天加乃安者多乃以部尓天
兼輔朝臣奈久奈利天乃知土左乃久尓与利
万可利乃本利天加乃安者多乃家尓天
兼輔朝臣亡くなりて後、土左の国より
まかり上りて、かの粟田の家にて
従良由幾
従良由幾
つらゆき(紀貫之)
原文 飛幾宇部之布多八乃万川八安利奈可良幾美可知止世乃奈幾曽可奈良之幾
定家 飛幾宇部之布多八乃松八有奈可良君可知止世乃奈幾曽悲
和歌 ひきうゑし ふたはのまつは ありなから きみかちとせの なきそかなしき
解釈 引き植ゑし双葉の松は有りながら君が千歳のなきぞ悲しき
歌番号一四一二
幾曽乃川以天尓加之己奈留飛止
幾曽乃川以天尓加之己奈留人
そのついでに、かしこなる人
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 幾美万佐天止之者部奴礼止布留左止尓川幾世奴毛乃者奈良美多奈利个利
定家 君万佐天年者部奴礼止布留左止尓川幾世奴物者涙奈利个利
和歌 きみまさて としはへぬれと ふるさとに つきせぬものは なみたなりけり
解釈 君まさで年は経ぬれどふるさとに尽きせぬ物は涙なりけり
歌番号一四一三
飛止乃止不良日尓満宇天幾多利个留尓者也久奈久奈利尓幾
止以比者部利个礼者加衣天乃毛美知尓加幾川个者部利个留
人乃止不良日尓満宇天幾多利个留尓者也久奈久奈利尓幾
止以比侍个礼者加衣天乃毛美知尓加幾川个侍个留
人の訪ぶらひにまうで来たりけるに、早く亡くなりにき
と言ひ侍りければ、楓の紅葉に書きつけ侍りける
可為世无保宇之
戒仙法師
戒仙法師
原文 春幾尓个留飛止遠安幾之毛止不可良尓曽天者毛美知乃以呂尓己曽奈礼
定家 春幾尓个留人遠秋之毛問可良尓袖者毛美知乃色尓己曽奈礼
和歌 すきにける ひとをあきしも とふからに そてはもみちの いろにこそなれ
解釈 過ぎにける人を秋しも問ふからに袖は紅葉の色にこそなれ
歌番号一四一四
奈久奈利天者部利个留飛止乃以美尓己毛利天者部利个留尓
安女乃布留比々止乃止比天者部利个礼八
奈久奈利天侍个留人乃以美尓己毛利天侍个留尓
雨乃布留日比止乃止比天侍个礼八
亡くなりて侍りける人の忌みに籠もりて侍りけるに、
雨の降る日、人の訪ひて侍りければ
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 曽天加者久止幾奈可利川留和可三尓者布留遠安女止毛於毛者左利个利
定家 袖加者久時奈可利川留和可身尓者布留遠雨止毛於毛者左利个利
和歌 そてかわく ときなかりつる わかみには ふるをあめとも おもはさりけり
解釈 袖乾く時なかりつる我が身には降るを雨とも思はざりけり
歌番号一四一五
飛止乃以美者天々毛止乃以部尓加部利个留比
人乃以美者天々毛止乃家尓加部利个留日
人の忌み果ててもとの家に帰りける日
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 布留左止尓幾美者以川良止満知止者々以川礼乃曽良乃可寸美止以者末之
定家 布留左止尓君者以川良止満知止者々以川礼乃曽良乃霞止以者末之
和歌 ふるさとに きみはいつらと まちとはは いつれのそらの かすみといはまし
解釈 ふるさとに君はいづらと待ち問はばいづれの空の霞と言はまし
歌番号一四一六
安徒多々乃安曾无三満可利天万多乃止之加乃安曾无乃
遠乃奈留以部美武止天己礼可礼万可利天毛乃可多利
之者部利个留川以天尓与三者部利个留
敦忠朝臣身満可利天又乃年加乃朝臣乃
遠乃奈留家見武止天己礼可礼万可利天毛乃可多利之侍个留川以天尓与三侍个留
敦忠朝臣身まかりて、又の年、かの朝臣の
小野なる家見むとてこれかれまかりて、物語
し侍りけるついでによみ侍りける
幾与多々
清正
清正(藤原清正)
原文 幾美可以尓之可多也以徒礼曽之良久毛乃奴之奈幾也止々美留可加奈之左
定家 君可以尓之方也以徒礼曽白雲乃奴之奈幾也止々見留可加奈之左
和歌 きみかいにし かたやいつれそ しらくもの ぬしなきやとと みるかかなしさ
解釈 君がいにし方やいづれぞ白雲の主なき宿と見るが悲しさ
歌番号一四一七
於也乃和左之尓天良尓万宇天幾多利个留遠幾々川个天
毛呂止毛尓満宇天末之物遠止飛止乃以比个礼礼八
於也乃和左之尓寺尓万宇天幾多利个留遠幾々川个天
毛呂止毛尓満宇天末之物遠止人乃以比个礼礼八
親のわざしに寺に詣で来たりけるを聞きつけて、
もろともに詣でましものをと、人の言ひければ
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 和比飛止乃多毛止尓幾美可宇川利世八布知乃者奈止曽以呂者美衣末之
定家 和比人乃多毛止尓君可宇川利世八藤乃花止曽色者見衣末之
和歌 わひひとの たもとにきみか うつりせは ふちのはなとそ いろはみえまし
解釈 わび人の袂に君が移りせば藤の花とぞ色は見えまし
歌番号一四一八
加部之
返之
返し
与美飛止之良寸
与美人之良寸
よみ人しらす
原文 与曽尓於留曽天多尓飛知之布知己呂毛奈美多尓者奈毛美衣寸曽安良末之
定家 与曽尓於留袖多尓飛知之藤衣涙尓花毛見衣寸曽安良末之
和歌 よそにをる そてたにひちし ふちころも なみたにはなも みえすそあらまし
解釈 よそに居る袖だにひちし藤衣涙に花も見えずぞあらまし
歌番号一四一九
堂以之良寸
題しらす
題知らす
以世
伊勢
伊勢
原文 保止毛奈久多礼毛遠久礼奴与奈礼止毛止万留八由久遠加奈之止曽三留
定家 保止毛奈久誰毛遠久礼奴世奈礼止毛止万留八由久遠加奈之止曽見留
和歌 ほともなく たれもおくれぬ よなれとも とまるはゆくを かなしとそみる
解釈 ほどもなく誰れも後れぬ世なれども止まるは行くを悲しとぞ見る
歌番号一四二〇
飛止遠奈久奈之天加幾利奈久己比於毛日伊利天祢多留与乃
由女尓美衣个礼者於毛比个留飛止尓加久奈无止以比
徒可者之多利个礼八
人遠奈久奈之天加幾利奈久己比思日伊利天祢多留夜乃
由女尓見衣个礼者於毛比个留人尓加久奈无止以比
徒可者之多利个礼八
人を亡くなして、限りなく恋ひて、思ひ入りて寝たる夜の
夢に見えければ、思ひける人に、かくなんと言ひ
つかはしたりければ
者留可美乃安曾无乃无寸女
玄上朝臣女
玄上朝臣女
原文 止幾乃満毛奈久佐女川良无佐女奴万者由女尓多尓美奴和礼曽加奈之幾
定家 時乃満毛奈久佐女川良无佐女奴万者夢尓多尓見奴和礼曽加奈之幾
和歌 ときのまも なくさめつらむ さめぬまは ゆめにたにみぬ われそかなしき
解釈 時の間もなく覚めつらん覚めぬ間は夢にだに見ぬ我ぞ悲しき
歌番号一四二一
加部之
返之
返し
多以布
多以布
大輔
原文 加奈之佐乃奈久佐武部久毛安良左利徒由女乃宇知尓毛由女止美由礼八
定家 加奈之佐乃奈久佐武部久毛安良左利徒由女乃宇知尓毛夢止見由礼八
和歌 かなしさの なくさむへくも あらさりつ ゆめのうちにも ゆめとみゆれは
解釈 悲しさの慰むべくもあらざりつ夢のうちにも夢と見ゆれば
歌番号一四二二
安利八良乃止之者留可三万可利尓个留遠幾々天
在原止之者留可身万可利尓个留遠幾々天
在原利春が身まかりにけるを聞きて
以世
伊勢
伊勢
原文 加遣天多尓和可三乃宇部止於毛比幾也己武止之者留乃者奈遠美之止八
定家 加遣天多尓和可身乃宇部止思幾也己武年春乃花遠見之止八
和歌 かけてたに わかみのうへと おもひきや こむとしはるの はなをみしとは
解釈 かけてだに我が身の上と思ひきや来む年春の花を見じとは
歌番号一四二三
飛止川可比者部利个留徒留乃飛止川可奈久奈利尓个礼者
止万礼留可以多久奈幾者部利个礼八安女乃布利者部利个留尓
飛止川可比侍个留徒留乃飛止川可奈久奈利尓个礼者
止万礼留可以多久奈幾侍个礼八雨乃布利侍个留尓
一つがひ侍りける鶴の一つが亡くなりにければ、
留まれるがいたく鳴き侍りければ雨の降り侍りけるに
以世
伊勢
伊勢
原文 奈久己恵尓曽比天奈美多者乃本良祢止久毛乃宇部与利安女止布留良无
定家 奈久己恵尓曽比天涙者乃本良祢止雲乃宇部与利安女止布留良无
和歌 なくこゑに そひてなみたは のほらねと くものうへより あめとふるらむ
解釈 鳴く声に添ひて涙は上らねど雲の上より雨と降るらん
歌番号一四二四
女乃三満可利天乃止之乃志波寸乃川己毛利乃比
布留己止以比者部利个留尓
女乃身満可利天乃止之乃志波寸乃川己毛利乃日
布留己止以比侍个留尓
妻の身まかりての年の師走のつごもりの日、
古事言ひ侍りけるに
加祢寸个乃安曾无
兼輔朝臣
兼輔朝臣(藤原兼輔)
原文 奈幾飛止乃止毛尓之可部留止之奈良八久礼由久个不者宇礼之可良末之
定家 奈幾人乃止毛尓之帰年奈良八久礼由久个不者宇礼之可良末之
和歌 なきひとの ともにしかへる としならは くれゆくけふは うれしからまし
解釈 亡き人の共にし帰る年ならば暮れ行く今日はうれしからまし
歌番号一四二五
加部之
返之
返し
従良由幾
従良由幾
つらゆき(紀貫之)
原文 己布留満尓止之乃久礼奈者奈幾飛止乃和可礼也以止々止本久奈利奈无
定家 己布留満尓年乃久礼奈者奈幾人乃別也以止々止本久奈利奈无
和歌 こふるまに としのくれなは なきひとの わかれやいとと とほくなりなむ
解釈 恋ふる間に年の暮れなば亡き人の別れやいとど遠くなりなん
↧
↧
October 25, 2020, 4:33 pm
集歌一〇七八
原文 此月之 此間来者 且今跡香毛 妹之出立 待乍将有
訓読 この月しこのま来たれば今とかも妹し出(い)で立ち待ちつつあらむ
私訳 この月がこの位置の高さまで上って来ると「貴方がいらっしゃるのは、今か、今か」と愛しい貴女は家から出て来て、私を待ち続けているでしょう。
集歌一〇七九
原文 真十鏡 可照月乎 白妙乃 雲香隠流 天津霧鴨
訓読 真澄(まそ)鏡(かがみ)照るべき月を白妙の雲か隠(かく)せる天つ霧(きり)かも
私訳 願うものを見せると云う清らかな真澄鏡のようにくっきりと照るはずの月を淡い白い帯状の雲が隠している。その天の原に立つ霧です。
集歌一〇八〇
原文 久方乃 天照月者 神代尓加 出反等六 年者經去乍
訓読 ひさかたの天(あま)照る月は神代(かみよ)にか出(い)でて反(かへ)らむ年は経につつ
私訳 遥か彼方の天空から照らす月は、神代の時からでしょうか、天空に上り出て、そして沈み往く。遥かな年を過ごしながら。
集歌一〇八一
原文 烏玉之 夜渡月乎 可怜 吾居袖尓 露曽置尓鷄類 (可は、忄+可の当字)
訓読 ぬばたまし夜渡る月をおもしろみ吾が居(を)る袖に露そ置きにける
私訳 漆黒の夜を渡って行く月をしみじみと眺めている。その私の身に被る衣の袖に露が置きました。
集歌一〇八二
原文 水底之 玉障清 可見裳 照月夜鴨 夜之深去者
訓読 水底(みなそこ)し玉さへ清(さや)に見つべくも照る月夜(つくよ)かも夜し深(ふ)けゆけば
私訳 水底にある玉までも清らかに見ることが出来るほどにも、煌々と照る月夜です。夜が更けて行くにつれて。
↧
October 26, 2020, 4:35 pm
集歌一〇八三
原文 霜雲入 為登尓可将有 久堅之 夜度月乃 不見念者
訓読 霜(しも)曇(くも)り為(す)とにかあるらむ久方(ひさかた)し夜渡(わた)る月の見えなく念(おも)へば
私訳 天の原に霜が降り月を包んで白く曇ったのでしょうか。遥か彼方の夜に渡って行く月が見えないことを思うと。
集歌一〇八四
原文 山末尓 不知夜經月乎 何時母 吾待将座 夜者深去乍
訓読 山し末(は)にいさよふ月をいつとかも吾は待ち居(を)らむ夜は深(ふ)けにつつ
私訳 山の際に出るのをためらう月を、いつ出るのでしょうかと私はここに待ち続ける。その夜は更けて行く。
集歌一〇八五
原文 妹之當 吾袖将振 木間従 出来月尓 雲莫棚引
訓読 妹しあたり吾が袖振らむ木(こ)し間より出(い)で来る月に雲な棚引そ
私訳 愛しい貴女が住むあたりに向かって、私が貴女の心を引き寄せると云う霊振りの、そのまじないの袖を振ろう。その木々の間から出て来る恋人の面影を見せるその月に、雲よ、決して棚引くではないぞ。
集歌一〇八六
原文 靱懸流 伴雄廣伎 大伴尓 國将榮常 月者照良思
訓読 靫(ゆき)懸(か)くる伴し男(を)広き大伴に国栄えむと月は照るらし
私訳 矢を収める靱を背に負う大王の伴を務める男がひしめく大伴の御津にある難波の国が栄えるでしょうと、月は清く照っているのでしょう。
詠雲
標訓 雲を詠める
集歌一〇八七
原文 痛足河 河浪立奴 巻目之 由槻我高仁 雲居立有良志
訓読 痛足川川波立ちぬ巻目し由槻が嶽に雲居立てるらし
私訳 穴師川には川波が騒ぎ立って来た。巻向の弓月が岳に雲が湧き起こっているらしい。
↧
October 27, 2020, 4:41 pm
集歌一〇八八
原文 足引之 山河之瀬之 響苗尓 弓月高 雲立渡
訓読 あしひきし山川し瀬し響るなへに弓月が嶽に雲立ち渡る
私訳 足を引きずるような険しい山の、その川の瀬音が激しくなるにつれて、弓月が嶽に雲が立ち渡っていく。
左注 右二首、柿本朝臣人麿之謌集出
注訓 右の二首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
集歌一〇八九
原文 大海尓 嶋毛不在尓 海原 絶塔浪尓 立有白雲
訓読 大海(おほうみ)に島もあらなくに海原(うなはら)したゆたふ浪に立てる白雲
私訳 大海に島もないのに海原のゆらゆらと揺れ漂う浪の上に、立ち上る白雲よ。
左注 右一首、伊勢従駕作。
注訓 右の一首は、伊勢の駕(いでま)しに従ひて作れる
詠雨
標訓 雨を詠める
集歌一〇九〇
原文 吾妹子之 赤裳裙之 将染埿 今日之霡霂尓 吾共所沾者
訓読 吾妹子し赤(あか)裳(も)し裾しひづちなむ今日し霡霂(こさめ)に吾(われ)とそ濡れは
私訳 私の愛しい貴女の赤い裳の裾もぬかるみに汚れるでしょう。後朝の送りで今日の小雨に私と共に濡れてしまうと。
集歌一〇九一
原文 可融 雨者莫零 吾妹子之 形見之服 吾下尓著有
訓読 通(とほ)るべく雨はな降りそ吾妹子し形見し衣吾下に着(け)り
私訳 衣を濡れ通るほどに雨よ降るな。私の愛しい貴女の面影としてその下着を私は下に着けているから。
詠山
標訓 山を詠める
集歌一〇九二
原文 動神之 音耳聞 巻向之 檜原山乎 今日見鶴鴨
訓読 動神(とよかみ)し音のみ聞きし巻向し檜原し山を今日見つるかも
私訳 雷神が起こす遠雷を聞くようにはるかに噂に聞いた。その巻向の檜原の山を今日はっきりと眺めました。
↧