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Channel: 竹取翁と万葉集のお勉強
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万葉集 集歌942から集歌946まで

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過辛荷嶋時、山部宿祢赤人作謌一首并短謌
標訓 辛荷(からに)の嶋を過し時に、山部宿祢赤人の作れる謌一首并せて短謌
集歌九四二 
原文 味澤相 妹目不數見而 敷細乃 枕毛不巻 櫻皮纒 作流舟二 真梶貫 吾榜来者 淡路乃 野嶋毛過 伊奈美嬬 辛荷乃嶋之 嶋際従 吾宅乎見者 青山乃 曽許十方不見 白雲毛 千重尓成来沼 許伎多武流 浦乃盡 徃隠 嶋乃埼々 隈毛不置 憶曽吾来 客乃氣長弥
訓読 味さはふ 妹し目離(か)れて 敷栲(しきたへ)の 枕も纏(ま)かず 桜皮(さくら)纏(ま)き 作れる舟に 真梶(まかぢ)貫(ぬ)き 吾が榜(こ)ぎ来れば 淡路の 野島(のしま)も過ぎし 印南(いなみ)嬬(つま) 辛荷(からに)の島し 島し際(ま)ゆ 吾家(わぎへ)を見れば 青山(あをやま)の そことも見えず 白雲も 千重(ちへ)になり来ぬ 漕ぎ廻(た)むる 浦のことごと 往(い)き隠(かく)る 島の崎々 隈(くま)も置かず 思ひぞ吾が来る 旅の日(け)長み
私訳 たくさんのアジ鴨のその目のようにはっきりと愛しい貴女の姿を見ることが久しくなり、敷いた栲に枕を並べ貴女を手に捲かないかわりに、桜の皮を巻いて造った舟に立派な梶を挿し込んで、私が乗る舟を操って来ると、淡路の野島も過ぎて、印南妻、辛荷島の島の際から我が家の方向を見ると、青く見える山並みがどこの場所かも判らず、白雲も千重に重なりあっている。舟を漕ぎまわる浦のすべてで、舟の進みに隠れる島の岬の、その舟が廻り行く岬毎に旅の思い出が私の心に遣って来る。旅の日々が長くなったことよ。

反謌三首
集歌九四三 
原文 玉藻苅 辛荷乃嶋尓 嶋廻為流 水烏二四毛有哉 家不念有六
訓読 玉藻刈る辛荷(からに)の島に島廻(しまみ)する鵜(う)にしもあれや家念(おも)はずあらむ
私訳 美しい藻を刈る辛荷の島で、磯を泳ぎ回る鵜でもあれば、こんなに故郷の家を懐かしく思わないでしょう。
注意 原文の四句目「水烏二四毛有哉」の「水鳥」は一音で訓じる必要性から「鵜」としています。

集歌九四四 
原文 嶋隠 吾榜来者 乏毳 倭邊上 真熊野之船
訓読 島(しま)隠(かく)る吾が榜(こ)ぎ来れば乏(とも)しかも大和(やまと)へ上(のぼ)る真(ま)熊野(くまの)し船
私訳 島陰に大和の山並みが隠れてしまった。私が乗る舟を操って来ると、思わず吾を忘れてしまったことです。大和を目掛けて上っていく立派な熊野仕立ての船よ。

集歌九四五 
原文 風吹者 浪可将立跡 伺候尓 都太乃細江尓 浦隠居
訓読 風吹けば浪か立たむと伺候(さもろひ)に都太(つた)の細江(ほそえ)に浦(うら)隠(かく)り居(を)り
私訳 風が吹くので荒波が立つだろうと様子を覗って、都太にある小さな入り江の浦に避難しています。

過敏驚浦時、山部宿祢赤人作謌一首并短謌
標訓 敏驚(みぬめ)の浦を過し時に、山部宿祢赤人の作れる謌一首并せて短謌
集歌九四六 
原文 御食向 淡路乃嶋二 直向 三犬女乃浦能 奥部庭 深海松採 浦廻庭 名告藻苅 深見流乃 見巻欲跡 莫告藻之 己名惜三 間使裳 不遣而吾者 生友奈重二
訓読 御食(みけ)向(むか)ふ 淡路の島に 直(ただ)向(むか)ふ 敏馬(みぬめ)の浦の 沖辺(おきへ)には 深海松(ふかみる)採り 浦廻(うらみ)には 名告藻(なのりそ)刈る 深海松の 見まく欲(ほ)しと 名告藻し 己名(おのな)し惜しみ 間(まつ)使(つかひ)も 遣(や)らずて吾(あ)は 生けりともなしに
私訳 御食を大和の朝廷に奉仕する淡路の島にまっすぐに向かい合う敏馬の浦の沖で深海松を採り、浦の磯廻りで名告藻を刈る。深海松の名のように深く貴女を見たいと、名告藻のその名のように名乗る自分の名前が惜しで言い伝えの使いも遣らないのでは、生きている意味が無いでしょう。


万葉集 集歌947から集歌951まで

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反謌一首
集歌九四七 
原文 為間乃海人之 塩焼衣乃 奈礼名者香 一日母君乎 忘而将念
訓読 須磨(すま)の海女(あま)し塩焼く衣(ころも)の馴(な)れなばか一日(ひとひ)も君を忘(わす)るに念(も)はむ
私訳 須磨の海女が塩焼くときに着ている衣が萎えているように、その言葉のように貴女と体を馴れ親しまらせたら、一日だけでも貴女を忘れるなどとは思いません。
左注 右、作歌年月未詳也。但、以類故載於此歟。
注訓 右は、作歌の年月未だ詳(つばび)らかならず。ただ、類(たぐひ)をもちての故に此に載せるか。

四年丁卯春正月、勅諸王諸臣子等、散禁於授刀寮時、作謌一首并短謌
標訓 (神亀)四年丁卯の春正月、諸(もろもろ)の王(おほきみ)諸(もろもろ)の臣(おみの)子(こ)等(たち)に勅(みことのり)して、授刀寮(じゅたうりょう)に散禁(さんきん)せしめし時に、作れる歌一首并せて短歌
集歌九四八 
原文 真葛延 春日之山者 打靡 春去徃跡 山上丹 霞田名引 高圓尓 鴬鳴沼 物部乃 八十友能牡者 折不四哭之 来継皆石 如此續 常丹有脊者 友名目而 遊物尾 馬名目而 徃益里乎 待難丹 吾為春乎 决巻毛 綾尓恐 言巻毛 湯々敷有跡 豫 兼而知者 千鳥鳴 其佐保川丹 石二生 菅根取而 之努布草 解除而益乎 徃水丹 潔而益乎 天皇之 御命恐 百礒城之 大宮人之 玉桙之 道毛不出 戀比日
訓読 真葛(まふぢ)延(は)ふ 春日し山は うち靡く 春さりゆくと 山し上(へ)に 霞たなびく 高円(たかまと)に 鴬鳴きぬ 物部(もののふ)の 八十伴の牡(を)は 折り伏し哭きし 来継ぎ看做し かく継ぎて 常にありせば 友並(な)めて 遊ばむものを 馬並(な)めて 往(ゆ)かまし里を 待ちかてに 吾がする春を かけまくも あやに恐(かしこ)し 云(い)はまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川(さほかは)に 石(いは)に生(お)ふる 菅し根採りて 偲(しの)ふ草 祓(いは)へてましを 往(ゆ)く水に 潔身(みそき)てましを 天皇(すめろき)し 御命(みこと)恐(かしこ)み ももしきし 大宮人し 玉桙(たまほこ)し 道にも出でず 恋ふるこの頃
私訳 美しい藤の這う春日山は、草葉が打ち靡く春めいて行くと山の上に霞が棚引き高円山に鶯が鳴く。朝廷に奉仕する多くの男たちは、折り伏して泣いて、鶯は飛び来て鳴くだろうと、このように引き続いて、このまま謹慎であったなら、友と連れ立って風景を楽しむだろうに、馬を並べて往くべき里の春の訪れを待ちかねて私が楽しむ春を、口に出すのも恐れ多く、言葉にするのも憚られるようなことになると最初から分かっていたなら、千鳥が鳴くその佐保川の岩に生える菅の根を採って、それを憂さを忘れると云う偲ぶ草としてお祓いをしておくものを、流れる水に禊をしておくものを、天皇のご命令を謹んで承って、沢山の岩を積みて作る大宮に勤める宮人たちは、御門の玉鉾を掲げる官道にも出ずに、春山を恋しがるこの頃よ。
注意 原文の「折不四哭之」は、標準解釈では「折木四哭之」と校訂し「雁(かり)が音(ね)の」と訓じます。折木四を「カリ」と訓じるのは、博打の出目の呼び名に因ります。また、「来継皆石」は「来継比日」と校訂し「来継ぐこの頃」と訓じます。

反謌一首
集歌九四九 
原文 梅柳 過良久惜 佐保乃内尓 遊事乎 宮動々尓
訓読 梅柳(うめやなぎ)過ぐらく惜しみ佐保(さほ)の内(うち)に遊びしことを宮もとどろに
私訳 梅や柳の美しい季節が過ぎるのが惜しいと、ただ佐保の野で風流を楽しむだけなのに、宮中もとどろくように雷鳴がなるような大事件になった
左注 右、神龜四年正月、數王子及諸臣子等集於春日野、而作打毬之樂。其日、忽天陰雨雷電。此時、宮中無侍従及侍衛。勅行刑罰、皆散禁於授刀寮、而妄不得出道路。于時悒憤即作斯謌。作者未詳。
注訓 右は、神亀四年の正月に数(あまた)の王子及び諸(もろもろ)の臣子等の春日野(かすがの)に集い、打毬(うちまり)の楽(たのしみ)を作(な)す。その日、忽(たちまち)に天は陰り雨ふりて雷電す。この時に、宮中に侍従及び侍衛無し。勅(みことのり)して刑罰を行ひ、皆を授刀寮(じゅたうりょう)に散ずるを禁じ、妄(みだ)りに道路に出るを得ず。時に悒憤(おぼほ)しく、即ちこの歌を作れり。作者は未だ詳(つばび)らかならず。

五年戊辰、幸于難波宮時作謌四首
標訓 五年戊辰に、難波宮に幸しし時に、作れる謌四首
集歌九五〇 
原文 大王之 界賜跡 山守居 守云山尓 不入者不止
訓読 大王(おほきみ)し境ひ賜ふと山守(やまもり)据ゑ守(も)るといふ山に入らずは止まじ
私訳 大王が境をお定めになったと山守りを置いてその山を警護すると云う。その禁断の山に入らずにはいられない。

集歌九五一 
原文 見渡者 近物可良 石隠 加我欲布珠乎 不取不巳
訓読 見渡せば近きものから石(いは)隠(かく)りかがよふ珠を取らずはやまじ
私訳 見渡すと近くにあるのだから、禁断の山の巌陰に隠れている、その輝く珠を手に入れずにはいられない。

後撰和歌集(原文推定、翻文、解釈付)巻十五

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後撰和歌集(原文推定、翻文、解釈付)
止遠末利以川末幾仁安多留未幾
巻十五

久左久左乃宇多比止
雑歌一

歌番号一〇七五
尓武奈乃美可止左可乃於保武止乃多女之尓天
世利可八尓美由幾之多万比个留飛
仁和乃美可止嵯峨乃御時乃例尓天世利河尓
行幸之多万比个留日
仁和帝、嵯峨の御時の例にて
芹河に行幸したまひける日

安利八良乃由幾比良乃安曾无
在原行平朝臣
在原行平朝臣

原文 左可乃也万美由幾堂衣尓之世利可八乃知与乃布留美知安止者安利个利
定家 嵯峨乃山美由幾堂衣尓之世利河乃千世乃布留美知安止者有个利
和歌 さかのやま みゆきたえにし せりかはの ちよのふるみち あとはありけり
解釈 嵯峨の山行幸絶えにし芹河の千世の古道跡は有りけり

歌番号一〇七六
於奈之飛堂可々比尓天加利幾奴乃多毛止尓
徒累乃加多遠奴日天加幾川計多利个留
於奈之日堂可々比尓天加利幾奴乃多毛止尓
徒累乃加多遠奴日天加幾川計多利个留
同じ日、鷹飼ひにて狩衣の袂に
鶴のかたを縫ひて、書きつけたりける

安利八良乃由幾比良乃安曾无
在原行平朝臣
在原行平朝臣

原文 於幾奈左比飛止奈止可女曽可利幾己呂毛遣不者可利止曽堂川毛奈久奈留
定家 於幾奈左比人奈止可女曽狩衣遣不許止曽堂川毛奈久奈留
和歌 おきなさひ ひとなとかめそ かりころも けふはかりとそ たつもなくなる
解釈 翁さび人なとがめそ狩衣今日ばかりとぞ田鶴も鳴くなる

/美由幾乃万多乃飛奈无知志乃部宇堂天万川利个留
/行幸乃又乃日奈无致仕乃表多天万川利个流
/行幸の又の日なん致仕の表たてまつりける

歌番号一〇七七
幾乃止毛乃利満多徒可左堂万者良左利个留止幾時
己止乃徒以天者部利天止之者以久良者可利尓可奈利奴留止
止比者部利个礼者与曾安万利尓奈无奈利奴留止毛宇志个礼八
紀友則満多徒可左堂万者良左利个留時
己止乃徒以天侍天年者以久良許尓可奈利奴留止
止比侍个礼者四十余尓奈无奈利奴留止申个礼八
紀友則まだ官たまはらざりける時、
ことのついで侍りて、年はいくらばかりにかなりぬると
問ひ侍りければ、四十余になんなりぬると申ければ

於久留於保萬豆利古止乃於保萬豆岐美
贈太政大臣
贈太政大臣

原文 以末万天尓奈止可波者奈乃佐可寸之天与曽止世安万利止之幾利者寸留
定家 今万天尓奈止可波花乃佐可寸之天与曽止世安万利年幾利者寸留
和歌 いままてに なとかははなの さかすして よそとせあまり としきりはする
解釈 今までになどかは花の咲かずして四十年余り年ぎりはする

歌番号一〇七八
可部之 
返之 
返し

止毛乃利
止毛乃利
とものり(紀友則)

原文 者累/\乃加寸者和寸礼寸安利奈可良者奈左可奴幾遠奈尓々宇部个无
定家 者累/\乃加寸者和寸礼寸有奈可良花左可奴木遠奈尓々宇部个无
和歌 はるはるの かすはわすれす ありなから はなさかぬきを なににうゑけむ
解釈 はるばるの数は忘れず有りながら花咲かぬ木を何に植ゑけん

歌番号一〇七九
曽止乃川可比尓志波/\満可利安利幾天止乃宇部於利天
者部利个留止幾加祢寸計乃安曾无乃毛止尓遠久利者部利个留
外吏尓志波/\満可利安利幾天殿上於利天
侍个留時加祢寸計乃朝臣乃毛止尓遠久利侍个留
外吏にしばしばまかりありきて、殿上下りて
侍りける時、兼輔朝臣のもとに贈り侍りける

多比良乃奈加幾
平中興
平中興

原文 与止々毛尓美祢部布毛止部於利乃本利由久々毛乃三八和礼尓曽安利个留
定家 世止々毛尓峯部布毛止部於利乃本利由久雲乃身八我尓曽有个留
和歌 よとともに みねへふもとへ おりのほり ゆくくものみは われにそありける
解釈 世とともに峯へ麓へ下り上り行く雲の身は我にぞ有りける

歌番号一〇八〇
満多幾左以尓奈利多万者左利个留止幾加多波良乃
尓与宇己多知曽祢美多末不个之幾奈利个留止幾
美可止於保武佐宇之尓志乃比天多知与利多万部利个留尓
於保武多以女无者奈久天多天万川礼多万日个累
満多后尓奈利多万者左利个留時加多波良乃
女御多知曽祢美多末不个之幾奈利个留時
美可止御佐宇之尓志乃比天多知与利多万部利个留尓
御多以女无者奈久天多天万川礼多万日个累
まだ后になりたまはざりける時、かたはらの
女御たち嫉みたまふ気色なりける時、
帝御曹司に忍びて立ち寄りたまへりけるに、
御対面はなくてたてまつれたまひける

左可乃幾左以
嵯峨后
嵯峨后

原文 己止志个之志波之者多天礼与為乃万尓遠計良无川由者以天々波良者无
定家 事志个之志波之者多天礼与為乃万尓遠計良无川由者以天々波良者无
和歌 ことしけし しはしはたてれ よひのまに おけらむつゆは いててはらはむ
解釈 事しげししばしは立てれ宵の間に置けらん露は出でて払はん

歌番号一〇八一
以部尓由幾比良乃安曾无万宇天幾多利个留尓川幾乃
於毛之呂加利个留尓左計良奈止多宇部天
満可利多々武止之个留本止尓
家尓行平朝臣万宇天幾多利个留尓月乃
於毛之呂加利个留尓左計良奈止多宇部天
満可利多々武止之个留本止尓
家に行平朝臣まうで来たりけるに、月の
おもしろかりけるに、酒らなどたうべて
まかり立たむとしけるほどに

可八良乃比多利乃於本以万宇知幾三
河原左大臣
河原左大臣

原文 帝累従幾遠満左幾乃徒奈尓与利加个天安可寸和可留々飛止遠徒奈可无
定家 帝累月遠満左木乃徒奈尓与利加个天安可寸和可留々人遠徒奈可无
和歌 てるつきを まさきのつなに よりかけて あかすわかるる ひとをつなかむ
解釈 照る月をまさ木の綱に撚りかけてあかず別るる人を繋がん

歌番号一〇八二
可部之 
返之 
返し

由幾比良乃安曾无
行平朝臣
行平朝臣(在原行平)

原文 可幾利奈幾於毛比乃川奈乃奈久者己曽万佐幾乃加川良与利毛奈也万女
定家 限奈幾於毛比乃川奈乃奈久者己曽万佐幾乃加川良与利毛奈也万女
和歌 かきりなき おもひのつなの なくはこそ まさきのかつら よりもなやまめ
解釈 限りなき思ひの綱のなくはこそまさきのかづら撚りも悩まめ

歌番号一〇八三
与乃奈可遠於毛比宇之天者部利个留己呂
世中遠思宇之天侍个留己呂
世の中を思ひ憂じて侍りけるころ

奈利比良乃安曾无
業平朝臣
業平朝臣(在原業平)

原文 春美和比奴以末者可幾利止也万左止尓徒万幾己留部幾也止毛止女天无
定家 春美和比奴今者限止山左止尓徒万木己留部幾也止毛止女天无
和歌 すみわひぬ いまはかきりと やまさとに つまきこるへき やともとめてむ
解釈 住みわびぬ今は限りと山里につま木こるべき宿求めてん

歌番号一〇八四
和礼遠志利可本尓奈以比曽止於无奈乃以比天者部利
个留可部之己止尓
我遠志利可本尓奈以比曽止女乃以比天侍
个留返事尓
我を知り顔にな言ひそと女の言ひて侍り
ける返事に

美川祢
美川祢
みつね(凡河内躬恒)

原文 安志比幾乃也万尓於比多留志良加之乃志良之奈飛止遠久知幾奈利止毛
定家 葦引乃山尓於比多留志良加之乃志良之奈人遠久知木奈利止毛
和歌 あしひきの やまにおひたる しらかしの しらしなひとを くちきなりとも
解釈 あしひきの山に生ひたる白橿の知らじな人を朽ち木なりとも

歌番号一〇八五
春可多安也之止飛止乃和良比个礼者
春可多安也之止人乃和良比个礼者
姿あやしと人の笑ひければ

美川祢
美川祢
みつね(凡河内躬恒)

原文 以世乃宇美乃徒利乃宇遣奈留佐万奈礼止布可幾己々呂者曽己尓之川女利
定家 伊勢乃海乃徒利乃宇遣奈留佐万奈礼止布可幾心者曽己尓之川女利
和歌 いせのうみの つりのうけなる さまなれと ふかきこころは そこにしつめり
解釈 伊勢の海の釣の浮けなるさまなれど深き心は底に沈めり

歌番号一〇八六
於本幾於保以万宇知幾三乃志良加者乃以部尓万可利
和多利天者部利个留尓飛止乃佐宇之尓己毛利者部利天
於本幾於保以万宇知幾三乃白河乃家尓万可利
渡天侍个留尓人乃佐宇之尓己毛利侍天
太政大臣の白河の家にまかり
渡りて侍りけるに、人の曹司に籠もり侍りて

奈可川可佐
中務
中務

原文 志良加者乃堂幾乃以止三末本之个礼止美多利尓飛止者与世之毛乃遠也
定家 白河乃堂幾乃以止見末本之个礼止美多利尓人者与世之物遠也
和歌 しらかはの たきのいとみま ほしけれと みたりにひとは よせしものをや
解釈 白河の滝のいと見まほしけれどみだりに人は寄せじ物をや

歌番号一〇八七
可部之 
返之 
返し

於本幾於本以万宇知幾三
於本幾於本以万宇知幾三
おほきおほいまうちきみ(太政大臣)

原文 志良加者乃多幾乃以止奈美々多礼川々与留遠曽飛止者満川止以不奈留
定家 志良加者乃多幾乃以止奈美々多礼川々与留遠曽人者満川止以不奈留
和歌 しらかはの たきのいとなみ みたれつつ よるをそひとは まつといふなる
解釈 白河の滝のいとなみ乱れつつ撚るをぞ人は待つと言ふなる

歌番号一〇八八
者知寸乃者以遠止利天
者知寸乃者以遠止利天
蓮のはひをとりて

与美比止之良寸 
よみ人しらす 
詠み人知らず

原文 波知寸者乃者比尓曽飛止者於毛不良无与尓八己比知乃奈可尓於日徒々
定家 波知寸者乃者比尓曽人者思良无世尓八己比知乃中尓於日徒々
和歌 はちすはの はひにそひとは おもふらむ よにはこひちの なかにおひつつ
解釈 蓮葉のはひにぞ人は思ふらん世にはこひぢの中に生ひつつ

歌番号一〇八九
安不左可乃世幾尓以保利遠川久利天寸美者部利个留尓
由幾可不飛止遠三天
相坂乃関尓庵室遠川久利天寸美侍个留尓
由幾可不人遠見天
相坂の関に庵室を作りて住み侍りけるに、行き交ふ人を見て

世美満留
蝉丸
蝉丸

原文 己礼也己乃由久毛可部留毛和可礼川々志留毛志良奴毛安不佐可乃世幾
定家 己礼也己乃由久毛帰毛別川々志留毛志良奴毛安不佐可乃関
和歌 これやこの ゆくもかへるも わかれつつ しるもしらぬも あふさかのせき
解釈 これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも相坂の関

歌番号一〇九〇
佐多女多留於止己毛奈久天毛乃於毛比者部利个留己呂
佐多女多留於止己毛奈久天物思侍个留己呂
定めたる男もなくて物思ひ侍りけるころ

遠乃々己万知
小野小町
小野小町

原文 安満乃寸武宇良己久不祢乃加知遠奈美世遠宇美和多留和礼曽可奈之幾
定家 安満乃寸武浦己久舟乃加知遠奈美世遠海和多留我曽悲幾
和歌 あまのすむ うらこくふねの かちをなみ よをうみわたる われそかなしき
解釈 海人の住む浦漕ぐ舟の舵をなみ世を海渡る我ぞ悲しき

歌番号一〇九一
安比之利天者部利个留於无奈己々呂尓毛以礼奴左万尓者部利个礼八
己止飛止乃己々呂左之安留尓徒幾者部利尓个留遠
奈遠之毛安良寸毛乃以者武止毛宇之徒可者之多利
遣礼止可部之己止毛世寸者部利个礼八
安比之利天侍个留女心尓毛以礼奴左万尓侍个礼八
己止人乃心左之安留尓徒幾侍尓个留遠
奈遠之毛安良寸毛乃以者武止申徒可者之多利
遣礼止返事毛世寸侍个礼八
あひ知りて侍りける女、心にも入れぬさまに侍りければ、
異人の心ざしあるにつき侍りにけるを、
なほしもあらず、物言はむと申しつかはしたり
けれど、返事もせず侍りければ

与美比止之良寸 
よみ人しらす 
詠み人知らず

原文 八万知止利加比奈可利个利川礼毛奈幾飛止乃安多利者奈幾和多礼止毛
定家 浜千鳥加比奈可利个利川礼毛奈幾飛止乃安多利者奈幾和多礼止毛
和歌 はまちとり かひなかりけり つれもなき ひとのあたりは なきわたれとも
解釈 浜千鳥かひなかりけりつれもなき人のあたりは鳴きわたれども

歌番号一〇九二
保武己宇天良女久利之多万日个留美知尓天加衣天乃
衣多遠々利天
法皇天良女久利之多万日个留美知尓天加衣天乃
衣多遠々利天
法皇寺巡りしたまひける道にて楓の
枝を折りて

曽世以保宇之
素性法師
素性法師

原文 己乃美由幾知止世加部天毛美天之可奈加々留也万布之止幾尓安不部久
定家 己乃美由幾知止世加部天毛見天之哉加々留山布之時尓安不部久
和歌 このみゆき ちとせかへても みてしかな かかるやまふし ときにあふへく
解釈 この御幸千歳かへでも見てしがなかかる山伏時にあふべく

歌番号一〇九三
左武為无乃幾左為於保武久之於呂左世堂万比天遠己奈者世
堂万比个留止幾加乃為无乃奈可之万乃末川遠个川利天加幾
徒个者部利个留
西院乃后御久之於呂左世給天遠己奈者世
給个留時加乃院乃奈可之万乃松遠个川利天加幾
徒个侍个留
西院の后、御髪下させたまひて行はせ
たまひける時、かの院の中島の松を削りて書き
つけ侍りける

曽世以保宇之
素性法師
素性法師

原文 遠止尓幾久末川可宇良之万遣不曽三留武部毛己々呂安留安万者寸三个利
定家 遠止尓幾久松可宇良之万遣不曽見留武部毛心安留安万者寸三个利
和歌 おとにきく まつかうらしま けふそみる うへもこころある あまはすみけり
解釈 音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心ある海人は住みけり

歌番号一〇九四
以従幾乃美也乃美曽幾乃可幾之毛尓止乃々宇部乃飛止/\万可利天
安可川幾尓可部利天武万可毛止尓川可八之个留
斎院乃美曽幾乃垣下尓殿上乃人/\万可利天
安可川幾尓帰天武万可毛止尓川可八之个留
斎院の禊の垣下に殿上の人々まかりて、
暁に帰りて馬がもとにつかはしける

宇部毛无
右衛門
右衛門

原文 和礼乃美者堂知毛加部良奴安可川幾尓和幾天毛遠个留曽天乃川由可奈
定家 我乃美者立毛加部良奴暁尓和幾天毛遠个留袖乃川由哉
和歌 われのみは たちもかへらぬ あかつきに わきてもおける そてのつゆかな
解釈 我のみは立ちも帰らぬ暁にわきても置ける袖のつゆかな

歌番号一〇九五
志本奈幾止之堂々美安部天止者部利个礼者
志本奈幾年堂々美安部天止侍个礼者
塩なき年、ただみあへてと侍りければ

堂々美
堂々美
たたみ(壬生忠岑)

原文 志本止以部者奈久天毛加良幾与乃奈可尓以可天安部多留多々美奈留良无
定家 志本止以部者奈久天毛加良幾世中尓以可天安部多留多々美奈留良无
和歌 しほといへは なくてもからき よのなかに いかてあへたる たたみなるらむ
解釈 塩といへばなくてもからき世の中にいかであへたるただみなるらん

歌番号一〇九六
飛多々礼己比尓川可八之多留尓宇良奈无奈幾曽礼八
幾之止也以可々止以比多礼者
飛多々礼己比尓川可八之多留尓宇良奈无奈幾曽礼八
幾之止也以可々止以比多礼者
ひたたれ乞ひにつかはしたるに、裏なんなき、それは
着じとや、いかがと言ひたれば

布知八良乃毛止寸个
藤原元輔
藤原元輔

原文 寸美与之乃乃幾之止毛以者之於幾川奈美奈保宇知可計与宇良八奈久止毛
定家 住吉乃岸止毛以者之於幾川浪猶宇知可計与宇良八奈久止毛
和歌 すみよしの きしともいはし おきつなみ なほうちかけよ うらはなくとも
解釈 住吉の岸とも言はじ沖つ浪なほうちかけよ浦はなくとも

歌番号一〇九七
保宇己宇者之女天於本武久之於呂之多万比天也末布美志
堂万布安比多幾左幾遠者之女太天万川利天尓与宇己宇
己宇為奈保飛止川為无尓佐布良比堂万飛个留美止之止以不尓
奈无美可止加部利於者之末之多利个留武可之乃己止
於奈之止己呂尓天於本武越呂之多万宇个留川以天尓
法皇者之女天御久之於呂之多万比天山布美志
給安比多幾左幾遠者之女太天万川利天女御
更衣猶飛止川院尓佐布良比給个留三年止以不尓
奈无美可止加部利於者之末之多利个留武可之乃己止
於奈之所尓天於本武越呂之多万宇个留川以天尓
法皇初めて御髪下したまひて、山踏みし
たまふあひだ、后をはじめたてまつりて、女御
更衣、なほ一つ院にさぶらひたまひける、三年といふに
なん、帝帰りおはしましたりける、昔のごと
同じ所にて、御下したまうけるついてに

奈々之与宇乃幾左為
七条乃幾左幾
七条のきさき(七条后)

原文 己止乃葉尓堂衣世奴川由者遠久良无也无可之於本由留万止為之多礼八
定家 事乃葉尓堂衣世奴川由者遠久良无也昔於本由留万止為之多礼八
和歌 ことのはに たえせぬつゆは おくらむや むかしおほゆる まとゐしたれは
解釈 言の葉に絶えせぬ露は置くらんや昔おぼゆる円居したれば

歌番号一〇九八
於本武可部之
御返之
御返之

以世 
伊勢 
伊勢

原文 宇美止乃美万止為乃奈可者奈利奴女利曽奈可良安良奴加計乃三由礼八
定家 海止乃美万止為乃中者奈利奴女利曽奈可良安良奴加計乃見由礼八
和歌 うみとのみ まとゐのなかは なりぬめり そなからあらぬ かけのみゆれは
解釈 海とのみ円居の中はなりぬめりそながらあらぬ影の見ゆれば

歌番号一〇九九
志加乃加良佐幾尓天波良部之个留飛止乃志毛川可部尓
三留止以不者部利个利於保止毛乃久ロ奴之曽己尓満天幾天
加乃美留尓己々呂遠川个天以比多者布礼个利波良部者天々
久留万与利久呂奴之尓毛乃加川計々留曽乃毛乃己之
尓加幾川个天三留尓遠久利者部利个留
志加乃加良佐幾尓天波良部之个留人乃志毛川可部尓
見留止以不侍个利大伴黒主曽己尓満天幾天
加乃美留尓心遠川个天以比多者布礼个利波良部者天々
久留万与利久呂奴之尓物加川計々留曽乃毛乃己之
尓加幾川个天見留尓遠久利侍个留
志賀の辛崎にて祓しける人の下仕へに、
みるといふ侍りけり。大伴黒主そこにまで来て、
かのみるに心をつけて言ひたはぶれけり。祓果てて、
車より黒主に物かづけける、その裳の腰
に書きつけて、みるに贈り侍りける

久呂奴之
久呂奴之
くろぬし(大伴黒主)

原文 奈尓世武尓部堂乃見留女遠於毛比个无於幾川太万毛遠加川久三尓之天
定家 何世武尓部堂乃見留女遠思个无於幾川太万毛遠加川久身尓之天
和歌 なにせむに へたのみるめを おもひけむ おきつたまもを かつくみにして
解釈 何せむにへたのみるめを思ひけん沖つ玉藻をかづく身にして

歌番号一一〇〇
川幾乃於毛之呂可利个留遠見天
月乃於毛之呂可利个留遠見天
月のおもしろかりけるを見て

美川祢
美川祢
みつね(凡河内躬恒)

原文 飛累奈礼也三曽満可部徒留川幾可个遠个不止也以者武幾乃不止也以者武
定家 飛累奈礼也見曽満可部徒留月影遠个不止也以者武幾乃不止也以者武
和歌 ひるなれや みそまかへつる つきかけを けふとやいはむ きのふとやいはむ
解釈 昼なれや見ぞまがへつる月影を今日とや言はむ昨日とや言はむ

歌番号一一〇一
己世知乃満比々女尓天毛之女之止々女良留々己止
也安留止於毛比者部利个留遠佐毛安良佐利个礼者
五節乃満比々女尓天毛之女之止々女良留々事
也安留止思侍个留遠佐毛安良佐利个礼者
五節の舞姫にて、もし召し留めらるる事
やあると思ひ侍りけるを、さもあらざりければ

布知八良乃之个可祢可武寸女
藤原滋包可武寸女
藤原滋包かむすめ(藤原滋包女)

原文 久也之久曽安満川遠止女止奈利尓个留久毛知多川奴留飛止毛奈幾与尓
定家 久也之久曽安満川遠止女止奈利尓个留雲地多川奴留人毛奈幾与尓
和歌 くやしくそ あまつをとめと なりにける くもちたつぬる ひともなきよに
解釈 悔しくぞ天つ乙女となりにける雲路尋ぬる人もなきよに

歌番号一一〇二
於本幾於本以万宇知幾三乃比多利乃多以之也宇尓天春万比乃加部利安留之
志者部利个留知宇志与宇尓天満可利天己止遠者利天己礼可礼
満可利安可礼个留尓也武己止奈幾飛止布多利美多利者可利止々女天
末良宇止安留之佐遣安万多々比乃々知恵比尓
乃里天己止毛乃宇部奈止毛宇之个留川以天尓
太政大臣乃左大将尓天春万比乃加部利安留之
志侍个留日中将尓天満可利天己止遠者利天己礼可礼
満可利安可礼个留尓也武己止奈幾人二三人許止々女天
末良宇止安留之佐遣安万多々比乃々知恵比尓
乃里天己止毛乃宇部奈止申个留川以天尓
太政大臣の左大将にて相撲の還饗し
し侍りける日、中将にてまかりて、事終りてこれかれ
まかりあかれけるに、やむごとなき人、二三人ばかり留めて、
客人、主人、酒あまた度の後、酔ひに
のりて、子どもの上など申しけるついでに

加祢寸个乃安曾无
兼輔朝臣
兼輔朝臣(藤原兼輔)

原文 飛止乃於也乃己々呂者也美尓安良祢止毛己遠於毛不美知尓万止比奴留可奈
定家 人乃於也乃心者也美尓安良祢止毛子遠思道尓万止比奴留哉
和歌 ひとのおやの こころはやみに あらねとも こをおもふみちに まとひぬるかな
解釈 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな

歌番号一一〇三
於无奈止毛多知乃毛止尓徒久之与利佐之久之遠己々呂左春止天
女止毛多知乃毛止尓徒久之与利佐之久之遠心左春止天
女友だちのもとに筑紫より挿し櫛を心ざすとて

於保衣乃多万不知乃安曾无乃武寸女
大江玉淵朝臣女
大江玉淵朝臣女

原文 奈尓者可多奈尓々毛安良寸三遠徒久之布可幾己々呂乃志留之者可利曽
定家 奈尓者可多何尓毛安良寸身遠徒久之布可幾心乃志留之許曽
和歌 なにはかた なににもあらす みをつくし ふかきこころの しるしはかりそ
解釈 難波潟何にもあらず身を尽くし深き心のしるしばかりぞ

歌番号一一〇四
毛止奈可乃美己乃春美者部利个留止幾天万佐久利尓
奈尓以礼天者部利个留波己尓可安利个无志多遠比之天由日天
万多己武止幾尓安計武止天毛乃々加美尓佐之遠幾天
以天者部利尓个留乃知徒祢安幾良乃美己尓
止利加久左礼天河幾比飛左之久者部利天安利之以部仁
加部里天己乃波己遠毛止奈可乃美己尓遠久留止天
元長乃美己乃春美侍个留時天万佐久利尓
奈尓以礼天侍个留波己尓可安利个无志多遠比之天由日天
又己武時尓安計武止天毛乃々加美尓佐之遠幾天
以天侍尓个留乃知徒祢安幾良乃美己尓
止利加久左礼天月日飛左之久侍天安利之家仁
加部里天己乃波己遠毛止奈可乃美己尓遠久留止天
元長親王の住み侍りける時、手まさぐりに
何入れて侍りける箱にかありけん、下帯して結ひて、
又来む時に開けむとて、物のかみにさし置きて、
出で侍りにける後、常明親王に
取り隠されて、月日久しく侍りて、ありし家に
帰りて、この箱を元長親王の贈るとて

奈可川可佐
中務
中務

原文 安遣天多尓奈尓々可八三武美徒乃衣乃宇良之万乃己遠於毛比也利川々
定家 安遣天多尓何尓可八見武美徒乃衣乃宇良之万乃己遠思也利川々
和歌 あけてたに なににかはみむ みつのえの うらしまのこを おもひやりつつ
解釈 開けてだに何にかは見む水の江の浦島の子を思ひやりつつ

歌番号一一〇五
多々不左乃安曾无徒乃加美尓天尓比川可左者留可多加末宇計尓
比与布天宇之天加乃久尓乃奈安留止己呂/\恵尓
加々世天左比恵止以不止己呂尓加个利个留
忠房朝臣徒乃加美尓天新司者留可多加末宇計尓
屏風天宇之天加乃久尓乃名安留所/\恵尓
加々世天左比江止以不所尓加个利个留
忠房朝臣、津守にて新司治方が設けに
屏風調じて、かの国の名ある所々絵に
描かせて、さび江といふ所にかけりける

堂々美祢
堂々美祢
たたみね(壬生忠岑)

原文 止之遠部天仁己利多尓世奴佐比衣尓八多万毛可部利天以末曽寸武部幾
定家 年遠部天仁己利多尓世奴佐比衣尓八玉毛帰天今曽寸武部幾
和歌 としをへて にこりたにせぬ さひえには たまもかへりて いまそすむへき
解釈 年を経て濁りだにせぬさび江には玉も帰りて今ぞ住むべき

歌番号一一〇六
加祢寸个乃安曾无左為之与宇乃知宇之与宇与利奈加乃毛乃萬宇須豆加佐尓奈利天
万多乃止之乃利由美乃加部利多知乃安留之尓万可利天
己礼可礼於毛比乃不留川以天尓
兼輔朝臣宰相中将与利中納言尓奈利天
又乃年乃利由美乃加部利多知乃安留之尓万可利天
己礼可礼於毛比乃不留川以天尓
兼輔朝臣、宰相中将より中納言になりて、
又の年、賭弓の還りだちの饗にまかりて、
これかれ思ひのぶるついでに

加祢寸个乃安曾无
兼輔朝臣
兼輔朝臣(藤原兼輔)

原文 布留左止乃美可佐乃也末者止遠个礼止己衣者无可之乃宇止可良奴可奈
定家 旧里乃美可佐乃山者止遠个礼止声者昔乃宇止可良奴哉
和歌 ふるさとの みかさのやまは とほけれと こゑはむかしの うとからぬかな
解釈 古里の三笠の山は遠けれど声は昔のうとからぬかな

歌番号一一〇七
安者知乃満川利己止飛止乃尓无者天々乃保利万宇天
幾天乃己呂加祢寸个乃安曾无乃安者多乃以部尓天
安者知乃満川利己止人乃任者天々乃保利万宇天
幾天乃己呂兼輔朝臣乃安者多乃家尓天
淡路のまつりごと人の任果てて上りまうで
来てのころ、兼輔朝臣の粟田の家にて

美川祢
美川祢
みつね(凡河内躬恒)

原文 飛幾天宇部之飛止者武部己曽遠比尓个礼万川乃己多可久奈利尓个留可奈
定家 飛幾天宇部之人者武部己曽老尓个礼松乃己多可久成尓个留哉
和歌 ひきてうゑし ひとはうへこそ おいにけれ まつのこたかく なりにけるかな
解釈 引きて植ゑし人はむべこそ老いにけれ松の木高くなりにけるかな

歌番号一一〇八
飛止乃武寸女尓美奈毛止乃加祢木可春美者部利个留遠
武寸女乃波々幾々者部利天以美之宇世以之者部利个礼者
之乃比多留可多尓天加多良比个留安比多尓波々志良寸之天
仁者可仁以幾个礼者加祢木可尓个天満可利尓个礼八
徒可者之遣留
人乃武寸女尓源加祢木可春美侍个留遠
女乃波々幾々侍天以美之宇世以之侍个礼者
之乃比多留方尓天加多良比个留安比多尓波々志良寸之天
仁者可仁以幾个礼者加祢木可尓个天満可利尓个礼八
徒可者之遣留
人の女に源兼材が住み侍りけるを、
女の母聞き侍りて、いみじう制し侍りければ、
忍びたる方にて語らひける間に、母、知らずして、
にはかに行きければ、兼材が逃げてまかりにければ、
つかはしける

武寸女乃波々
女乃波々
女のはは(女母)

原文 遠也末多乃於止呂加之尓毛己佐利之遠以止比多不留尓仁个之幾美可奈
定家 遠山田乃於止呂加之尓毛己佐利之遠以止比多不留尓仁个之幾美哉
和歌 をやまたの おとろかしにも こさりしを いとひたふるに にけしきみかな
解釈 小山田のおどろかしにも来ざりしをいとひたぶるに逃げし君かな

歌番号一一〇九
左武之与宇乃美幾乃於本以万宇知幾三美満可利天安久留止之乃者留
於保伊萬宇智岐美女之安利止幾々天為従幾乃美也乃美己尓川可八之个留
三条右大臣身満可利天安久留年乃春
大臣女之安利止幾々天斎宮乃美己尓川可八之个留
三条右大臣身まかりて、明くる年の春、
大臣召しありと聞きて、斎宮内親王につかはしける

武寸女乃尓与宇己
武寸女乃女御
むすめの女御(女々御)

原文 伊可天加乃止之幾利毛世奴堂祢毛可奈安礼多留也止尓宇部天三留部久
定家 伊可天加乃年幾利毛世奴堂祢毛哉安礼多留也止尓宇部天見留部久
和歌 いかてかの としきりもせぬ たねもかな あれたるやとに うゑてみるへく
解釈 いかでかの年ぎりもせぬ種もがな荒れたる宿に植ゑて見るべく

歌番号一一一〇
加能尓与宇己比多利乃於本以万宇知幾三尓安比尓个利止
幾々天徒可者之个留
加能女御(女御=也寸武所<朱>)左乃於本以万宇知幾三尓安比尓个利止
幾々天徒可者之个留
かの女御、左大臣に逢ひにけりと
聞きてつかはしける

為従幾乃美也乃美己
斎宮乃美己
斎宮のみこ(斎宮内親王)

原文 者留己止尓由幾天乃美々武止之幾利毛世寸止以不太祢者於比奴止可幾久
定家 春己止尓行天乃美々武年幾利毛世寸止以不太祢者於比奴止可幾久
和歌 はることに ゆきてのみみむ としきりも せすといふたねは おひぬとかきく
解釈 春ごとに行きてのみ見む年ぎりもせずといふ種は生ひぬとか聞く

歌番号一一一一
毛呂安幾良乃安曾无奈加乃毛乃萬宇須豆加佐尓奈利者部利个留止幾
宇部乃幾奴川加者春止天
庶明朝臣中納言尓奈利侍个留時
宇部乃幾奴川加者春止天
庶明朝臣中納言になり侍りける時、
表の衣つかはすとて

美幾乃於本以万宇知幾三
右大臣
右大臣

原文 於毛比幾也幾美可己呂毛遠奴幾可部天己幾武良左幾乃以呂遠幾武止者
定家 思幾也君可衣遠奴幾可部天己幾紫乃色遠幾武止者
和歌 おもひきや きみかころもを ぬきかへて こきむらさきの いろをきむとは
解釈 思ひきや君が衣を脱ぎ替へて濃き紫の色を着むとは

歌番号一一一二
可部之 
返之 
返し

毛呂安幾良乃安曾无
庶明朝臣
庶明朝臣(源庶明)

原文 伊尓之部毛知る幾利天个利奈宇知者不幾止比堂知奴部之安万乃八己呂毛
定家 伊尓之部毛契天个利奈宇知者不幾止比立奴部之安万乃羽衣
和歌 いにしへも ちきりてけりな うちはふき とひたちぬへし あまのはころも
解釈 いにしへも契りてけりなうちはぶき飛び立ちぬべし天の羽衣

歌番号一一一三
万佐多々加止乃為毛乃遠止利太可部天多以布可毛止部
毛天幾多利个礼者
万佐多々加止乃日物遠止利太可部天大輔可毛止部
毛天幾多利个礼者
雅正が宿直物を取り違へて、大輔がもとへ
持て来たりければ

多以布
大輔
大輔

原文 布留佐止乃奈良乃美也己乃者之女与利奈礼尓个利止毛三由留己呂毛加
定家 布留佐止乃奈良乃宮己乃始与利奈礼尓个利止毛見由留衣加
和歌 ふるさとの ならのみやこの はしめより なれにけりとも みゆるころもか
解釈 古里の奈良の都の始めよりなれにけりとも見ゆる衣か

歌番号一一一四
可部之 
返之 
返し

万佐多々
雅正
雅正(藤原雅正)

原文 婦里奴止天於毛比毛寸天之可良己呂毛与曽部天安也奈宇良三毛曽寸留
定家 婦里奴止天思毛寸天之唐衣与曽部天安也奈怨毛曽寸留
和歌 ふりぬとて おもひもすてし からころも よそへてあやな うらみもそする
解釈 古りぬとて思ひも捨てじ唐衣よそへてあやな恨みもぞする

歌番号一一一五
世中乃心尓加奈者奴奈止申个礼者由久左幾
多乃毛之幾身尓天加々留事安留万之止人乃
申侍个礼者
世中乃心尓加奈者奴奈止申个礼者由久左幾
多乃毛之幾身尓天加々留事安留万之止人乃
申侍个礼者
世の中の心にかなはぬなど申しければ、行く先
頼もしき身にて、かかる事あるまじと人の
申し侍りければ

於保衣乃知左止
大江千里
大江千里

原文 奈可流天乃与遠毛太乃万寸美川乃宇部乃安者尓幾衣奴留宇幾三止於毛部者
定家 流天乃世遠毛太乃万寸水乃宇部乃安者尓幾衣奴留宇幾身止於毛部者
和歌 なかれての よをもたのます みつのうへの あわにきえぬる うきみとおもへは
解釈 流れての世をも頼まず水の上の泡に消えぬる憂き身と思へば

歌番号一一一六
布知八良乃左祢木可久良宇止与利加宇布利太末者利天
安寸止乃宇部満可利於利武止之个留与
左計太宇部个留川以天尓
藤原左祢木可蔵人与利加宇布利太末者利天
安寸殿上満可利於利武止之个留夜
左計太宇部个留川以天尓
藤原真興が蔵人よりかうぶり賜りて、
明日殿上まかり下りむとしける夜、
酒たうべけるついでに

加祢寸个乃安曾无
兼輔朝臣
兼輔朝臣(藤原兼輔)

原文 武者多満乃己与比者可利曽安計己呂毛安遣奈波飛止遠与曽尓己曽三女
定家 武者多満乃己与比許曽安計衣安遣奈波人遠与曽尓己曽見女
和歌 うはたまの こよひはかりそ あけころも あけなはひとを よそにこそみめ
解釈 むばたまの今宵ばかりぞあけ衣あけなば人をよそにこそ見め

歌番号一一一七
保宇己宇於本武久之於呂之多万日天乃己呂
法皇御久之於呂之多万日天乃己呂
法皇御髪下したまひてのころ

奈々之与宇乃幾左為
七条后
七条后

原文 飛止和多寸己止多尓奈幾遠奈尓之可毛奈可良乃者之止三乃奈利奴良无
定家 人和多寸事多尓奈幾遠奈尓之可毛奈可良乃者之止身乃奈利奴良无
和歌 ひとわたす ことたになきを なにしかも なからのはしと みのなりぬらむ
解釈 人わたす事だになきをなにしかも長柄の橋と身のなりぬらん

歌番号一一一八
於本武可部之
御返之
御返之

以世 
伊勢 
伊勢

原文 布留々三者奈美多乃奈可尓三由礼者也奈可良乃者之尓安也万多留良无
定家 布留々身者涙乃中尓見由礼者也奈可良乃者之尓安也万多留良无
和歌 ふるるみは なみたのうちに みゆれはや なからのはしに あやまたるらむ
解釈 古るる身は涙の中に見ゆればや長柄の橋に過たるらん

歌番号一一一九
幾也宇己久乃美也寸止己呂安天尓奈利天可為宇遣武止天
尓武和乃天良尓和多利天者部利个礼者
京極乃美也寸所尼尓奈利天戒宇遣武止天
仁和寺尓和多利天侍个礼者
京極御息所、尼になりて戒受けむとて、
仁和寺に渡りて侍りければ

安徒美乃美己
安徒美乃美己
あつみのみこ(敦実親王)

原文 飛止利乃美奈可女天止之遠布留左止乃安礼多留左万遠以可尓三留良无
定家 飛止利乃美奈可女天止之遠布留左止乃安礼多留左万遠以可尓見留良无
和歌 ひとりのみ なかめてとしを ふるさとの あれたるさまを いかにみるらむ
解釈 一人のみ眺めて年を古里の荒れたるさまをいかに見るらん

歌番号一一二〇
於无奈乃安多利奈止以日个礼者
女乃安多利奈止以日个礼者
女の、あだなりと言ひければ

安佐川奈乃安曾无
安佐川奈乃朝臣
あさつなの朝臣(大江朝綱)

原文 満免奈礼止安多奈者多知奴太和礼之万与寸留之良奈美遠奴礼幾奴尓幾天
定家 満免奈礼止安多奈者多知奴太和礼之万与寸留白浪遠奴礼幾奴尓幾天
和歌 まめなれと あたなはたちぬ たはれしま よるしらなみを ぬれきぬにきて
解釈 まめなれどあだ名は立ちぬたわれ島寄る白浪を濡衣に着て

歌番号一一二一
安比可多良比个留飛止乃以部乃万川乃己寸恵乃毛三知
多利个礼者
安比可多良比个留人乃家乃松乃己寸恵乃毛三知
多利个礼者
あひ語らひける人の家の松の梢のもみぢ
たりければ

与美比止之良寸 
よみ人しらす 
詠み人知らず

原文 止之遠部天堂乃武加比奈之止幾者奈留万川乃己寸恵毛以呂加者利由久
定家 年遠部天堂乃武加比奈之止幾者奈留松乃己寸恵毛色加者利由久
和歌 としをへて たのむかひなし ときはなる まつのこすゑも いろかはりゆく
解釈 年を経て頼むかひなし常盤なる松の梢も色変り行く

歌番号一一二二
於止己乃於无奈乃布美遠加久之个留遠三天毛止乃
女乃加幾川計者部利个留
於止己乃女乃布美遠加久之个留遠見天毛止乃
女乃加幾川計侍个留
男の女の文を隠しけるを見て、もとの
妻の書きつけ侍りける

与武之与宇乃美也寸止己呂乃武寸女
四条御息所女
四条御息所女

原文 部多天个留飛止乃己々呂乃宇幾者之遠安也宇幾万天毛布美々川留可奈
定家 部多天个留人乃心乃宇幾者之遠安也宇幾万天毛布美々川留哉
和歌 へたてける ひとのこころの うきはしを あやふきまても ふみみつるかな
解釈 隔てける人の心の浮橋を危うきまでも踏み見つるかな

歌番号一一二三
遠乃々与之布留乃安曾无尓之乃久尓乃宇天乃徒可比尓
満加利天布多止之止以婦止之与従乃久良為尓者加奈良寸満可利
奈留部可利个留遠佐毛安良寸奈利尓个礼者加々留
己止尓之毛左々礼尓个留己止乃也寸可良奴与之遠
宇礼部遠久利天者部利遣留布美乃可部之己止乃
宇良尓加幾川个天徒可者之遣留
小野好古朝臣尓之乃久尓乃宇天乃徒可比尓
満加利天二年止以婦止之四位尓者加奈良寸満可利
奈留部可利个留遠佐毛安良寸奈利尓个礼者加々留
事尓之毛左々礼尓个留事乃也寸可良奴与之遠
宇礼部遠久利天侍遣留布美乃返事乃
宇良尓加幾川个天徒可者之遣留
小野好古朝臣、西の国の討手の使ひに
まかりて、二年といふ年、四位にはかならずまかり
なるべかりけるを、さもあらずなりにければかかる
事にしも指されにける事のやすからぬよしを
愁へ送りて侍りける文の返事の
裏に書きつけてつかはしける

美奈毛堂乃幾武多々乃安曽无
源公忠朝臣
源公忠朝臣

原文 堂万久之計布多止世安者奴幾美可三遠安計奈可良也者安良武止於毛比之
定家 玉匣布多止世安者奴君可身遠安計奈可良也者安良武止思之
和歌 たまくしけ ふたとせあはぬ きみかみを あけなからやは あらむとおもひし
解釈 玉匣二年逢はぬ君が身をあけながらやはあらむと思ひし

歌番号一一二四
可部之 
返之 
返し

遠乃々与之布留乃安曾无
小野好古朝臣
小野好古朝臣

原文 安遣奈可良止之布留己止八堂万久之計三乃以多川良尓奈礼者奈利遣利
定家 安遣奈可良年布留己止八玉匣身乃以多川良尓奈礼者奈利遣利
和歌 あけなから としふることは たまくしけ みのいたつらに なれはなりけり
解釈 あけながら年経ることは玉匣身のいたづらになればなりけり

万葉集 集歌952から集歌956まで

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集歌九五二 
原文 韓衣 服楢乃里之 嶋待尓 玉乎師付牟 好人欲得
訓読 韓衣(からころも)服(き)楢(なら)の里し嶋松(しままつ)に玉をし付けむ好(よ)き人もがも
試訳 韓人の織る綾の衣を身に着けると云う平城京にある松林苑で待っています。松林苑で天下を冒(おお)う公を玉座に就ける高貴な人が居て欲しい。
注意 試訳では「待つ」から「松」を導き、「木」と「公」に分解してみました。その「木」には大地を冒(おお)うと云う意味があります。また、松林苑は平城京における天皇が宴を催すような大規模な苑池を持つ禁苑とされています。

集歌九五三 
原文 竿牡鹿之 鳴奈流山乎 越将去 日谷八君 當不相将有
訓読 さ雄鹿(をしか)し鳴くなる山を越え行かむ日だにや君しはた逢はざらむ
私訳 立派な角を持つ牡鹿が鳴いている山を越えて行こう。その山を越えて行くその日さえも、貴方にはまだ逢えないのでしょうか。
左注 右、笠朝臣金村之謌中出也。或云、車持朝臣千年作也。
注訓 右は、笠朝臣金村の謌の中に出ず。或は云はく、車持朝臣千年の作なり。
注意 詩経の小雅に載る「鹿鳴」の故事から、松林苑で君王が臣下に対し宴を張ることを暗示します。ここでの「君」は君王への就任を示します。

膳王謌一首
標訓 膳王(かしはでのおほきみ)の謌一首
集歌九五四 
原文 朝波 海邊尓安左里為 暮去者 倭部越 鴈四乏母
訓読 朝(あした)しは海辺(うみへ)に漁(あさり)し夕(ゆふ)されば大和へ越ゆる雁し羨(とも)しも
私訳 朝には海辺で餌をあさり、夕べには大和へ峠を越えて行く雁よ、(その姿に思うと大和に居る貴女を思い出し)、吾を忘れてしまう。
左注 右、作謌之年不審。但、以謌類便載此次。
注訓 右は、謌の作れる年の審(つばび)らかならず。但し、謌の類(たぐひ)を以つて便(すなは)ち此の次(しだい)に載す。

太宰少貳石河朝臣足人謌一首
標訓 太宰少貳石川朝臣足人(たりひと)の謌一首
集歌九五五 
原文 刺竹之 大宮人乃 家跡住 佐保能山乎者 思哉毛君
訓読 さす竹し大宮人の家(いへ)と住む佐保(さほ)の山をば思ふやも君
私訳 天を刺す様に伸びる竹のように発展する大宮に勤める宮人の役宅として住む佐保の山を恋しく思いますか。貴方は。

帥大伴卿和謌一首
標訓 帥(そち)大伴卿の和(こた)へたる謌一首
集歌九五六 
原文 八隅知之 吾大王乃 御食國者 日本毛此間毛 同登曽念
訓読 やすみしし吾(あ)が大王(おほきみ)の御食国(をすくに)は大和もここも同(おや)じとぞ念(も)ふ
私訳 八方をあまねく統治なされる吾等の大王の御領土は、大和もここも同じと思っています。

万葉集 集歌957から集歌961まで

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冬十一月、大宰官人等奉拜香椎廟訖退歸之時、馬駐于香椎浦各述作懐歌
帥大伴卿謌一首
標訓 (神亀五年)冬十一月、大宰の官人(くわんにん)等の香椎の廟(みや)を拜(をが)み奉(まつ)り訖(を)へて退(まか)り歸りし時に、馬を香椎の浦に駐(た)てて各(おのおの)懐(おもひ)を述べて作れる歌
帥大伴卿の謌一首
集歌九五七 
原文 去来兒等 香椎乃滷尓 白妙之 袖左倍所沾而 朝菜採手六
訓読 いざ子ども香椎(かしひ)の潟(かた)に白栲し袖さへ濡れに朝菜(あさな)採(つ)みてむ
私訳 さあ、そこの娘女たちが香椎の潟に白栲の袖までも濡らして、明日の朝食の菜を摘んでいるよ。

大貳小野老朝臣謌一首
標訓 大貳小野(おのの)老(おゆ)朝臣の謌一首
集歌九五八 
原文 時風 應吹成奴 香椎滷 潮干汭尓 玉藻苅而名
訓読 時風(ときつかぜ)吹くべくなりぬ香椎潟(かしひかた)潮干(しほひ)の浦に玉藻刈りにな
私訳 満潮を押し上げるような風が吹きそうな時間になるようだ、(娘女よ、早く)香椎の潟の潮が干いた入り江で玉藻を刈りなさい。

豊前守宇努首男人謌一首
標訓 豊前守宇努首(うののおびと)男人(をひと)の謌一首
集歌九五九 
原文 徃還 常尓我見之 香椎滷 従明日後尓波 見縁母奈思
訓読 往(い)き還(かへ)り常に我が見し香椎潟(かしひかた)明日(あす)ゆ後(のち)には見む縁(よし)もなし
私訳 香椎の廟への往き帰りに常に私が眺めていた香椎の潟を、明日からは後にはもう見ることもないのでしょう。

帥大伴卿遥思芳野離宮作謌一首
標訓 帥大伴卿の遥かに芳野の離宮(とつみや)を思(しの)ひて作れる謌一首
集歌九六〇 
原文 隼人乃 湍門乃磐母 年魚走 芳野之瀧之 尚不及家里
訓読 隼人(はやひと)の瀬戸(せと)の巌(いはほ)も年魚(あゆ)走る吉野し瀧(たぎ)しなほ及(し)かずけり
私訳 この早鞆の瀬戸の磯の景色も、鮎が水底を走る吉野の川底まで見える清らかな激流には、やはり、及ぶものではありません。

帥大伴卿宿次田温泉聞鶴喧作謌一首
標訓 帥大伴卿の次田(すきた)の温泉(ゆ)に宿(やど)りて、鶴(たづ)が喧(ね)を聞きて作れる謌一首
集歌九六一 
原文 湯原尓 鳴蘆多頭者 如吾 妹尓戀哉 時不定鳴
訓読 湯し原に鳴く葦(あし)鶴(たづ)は吾がごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く
私訳 次田の温泉の葦の原で鳴く鶴は、私のようにしきりに妻のことを恋しく問うのか、間を置かずに鳴いている。

万葉集 集歌961から集歌966まで

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天平二年庚午勅遣推駿馬使大伴道足宿祢時謌一首
標訓 天平二年庚午、勅(みことのり)して推駿馬使大伴道足宿祢を遣(つかは)しし時の謌一首
集歌九六二 
原文 奥山之 磐尓蘿生 恐毛 問賜鴨 念不堪國
訓読 奥山(おくやま)し磐(いは)に苔(こけ)生(む)し恐(かしこ)くも問ひ賜ふかも念(おも)ひ堪(あ)へなくに
私訳 御方の前で畏まっていて、奥山の岩に苔が生えたようです。恐れ多くもお尋ね下さいますね。どのように歌を詠うか思いも付きません。
左注 右、勅使大伴道足宿祢饗于帥家。此日、會集衆諸、相誘驛使葛井連廣成言須作歌詞。登時廣成應聲、即吟此歌。
注訓 右は、勅使(みことのりのつかひ)大伴道足宿祢を帥(そち)の家に饗(あへ)す。此の日に、會集(つど)ひし衆諸(もろもろ)の、相(あい)誘(さそ)ひて驛使(はゆまつかひ)葛井連廣成に「歌詞(うた)を作るべし」と須(もと)めて言へり。登時(すなはち)、廣成の聲に應(こた)へて、即(ただち)に此の歌を吟(うた)へり。

冬十一月、大伴坂上郎女、發帥家上道、超筑前國宗形郡、名兒山之時、作謌一首
標訓 (天平二年)冬十一月に、大伴坂上郎女の、帥の家を發(た)ちて道に上(のぼ)り、筑前國の宗形郡の名兒山(なこやま)を超えし時に、作れる謌一首
集歌九六三 
原文 大汝 小彦名能 神社者 名著始鷄目 名耳乎 名兒山跡負而 吾戀之 干重之一重裳 奈具作米七國
訓読 大汝(おほなむち)少彦名(すくなひこな)の 神こそば 名付け始(そ)めけめ 名のみを 名児山(なごやま)と負(お)ひて 吾が恋し 千重(ちへ)し一重(ひとへ)も 慰めなくに
私訳 大汝や小彦名の神こそが最初に名を付けたのでしょうが、その名は心がなごむ言葉のような名児山と呼ばれながら、今でも愛しい私の児である貴女を思う想いの数々を千重の一重も慰めてはくれない。

同坂上郎女向京海路見濱貝作謌一首
標訓 同じく、坂上郎女の京(みやこ)に向ふ海路(うみぢ)に濱の貝を見て作れる謌一首
集歌九六四 
原文 吾背子尓 戀者苦 暇有者 拾而将去 戀忘貝
訓読 吾が背子に恋ふれば苦し暇(ひま)あらば拾(ひり)ひに行かむ恋(こひ)忘(わすれ)貝(かい)
私訳 私の愛しい子を想うと今も心が苦しい。もし、暇があったら拾いに行きましょう。人を想うと苦しい、その心を忘れさせると云う恋忘貝よ。

冬十二月、太宰帥大伴卿上京、娘子作謌二首
標訓 (天平二年)冬十二月に、太宰帥大伴卿の京(みやこ)に上りしに、娘子(をとめ)の作れる謌二首
集歌九六五 
原文 凡有者 左毛右毛将為乎 恐跡 振痛袖乎 忍而有香聞
訓読 凡(おほ)ならばかもかも為(せ)むを恐(かしこ)みと振り痛(た)き袖を忍びにあるかも
私訳 普段の人であるならば、別れに際して、ああもしよう、こうもしようとするものですが、貴方は二位の位に就かれる高貴な御方で畏れ多いので、人々は別れに振る袖振りを堪えているのでしょう。

集歌九六六 
原文 倭道者 雲隠有 雖然 余振袖乎 無礼登母布奈
訓読 大和道(やまとぢ)は雲(くも)隠(かく)りたり然(しか)れども余(あ)が振る袖を無礼(なめ)しと念(おも)ふな
私訳 大和への道筋は雲に隠れています。そうであっても、私が貴方の無事を祈って振る袖振りを無礼とは思わないで下さい。
左注 右、太宰帥大伴卿兼任大納言向京上道。此日馬駐水城、顧望府家。于時送卿府吏之中、有遊行女婦。其字曰兒嶋也。於是娘子、傷此易別、嘆彼難會、拭涕、自吟振袖之謌。
注訓 右は、太宰帥大伴卿の大納言に兼(かさ)ねて任(ま)けられて京(みやこ)に向ひて上道(かみだち)す。此の日、馬を水城(みずき)に駐(とど)めて、府家(ふけ)を顧(かえり)み望(のぞ)む。時に卿を送る府吏(ふり)の中に、遊行女婦(うかれめ)あり。其の字(あざな)を兒嶋と曰(い)ふ。ここに娘子(をとめ)、この別るることの易(やす)きを傷(いた)み、彼(そ)の會ひ難きを嘆きて、涕を拭ひて、自ら袖を振りこの謌を吟(うた)へり。

万葉集 集歌967から集歌971まで

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大納言大伴卿和謌二首
標訓 大納言大伴卿の和(こた)へたる謌二首
集歌九六七 
原文 日本道乃 吉備乃兒嶋乎 過而行者 筑紫乃子嶋 所念香聞
訓読 大和道(やまとぢ)の吉備(きび)の児島(こじま)を過ぎに行かば筑紫(つくし)の子島(こじま)そ念(も)ゆむかも
私訳 大和への道筋の吉備の児島を通り過ぎるようにして行くと、この筑紫の那の小島の地を思い出すことでしょう。

集歌九六八 
原文 大夫跡 念在吾哉 水莖之 水城之上尓 泣将拭
訓読 大夫(ますらを)と念(おも)へる吾や水茎(みなくき)し水城(みづき)し上(うへ)に涙(なみだ)拭(のこ)はむ
私訳 立派な男の中の男と思っている私ですが、それでも別れに際して大宰府見納めの水茎の水城の上で涙を拭ってしまいます。

三年辛未大納言大伴卿在寧樂家思故郷歌二首
標訓 (天平)三年辛未、大納言大伴卿の奈良の家(いへ)に在(あ)りて故(ふる)き郷(さと)を思(しの)ふる歌二首
集歌九六九 
原文 須臾 去而見鹿 神名火乃 淵者淺而 瀬二香成良武
訓読 須臾(しましく)も去(い)きに見てしか神名火(かむなび)の淵(ふち)は浅(あ)さびて瀬にかなるらむ
私訳 ちょとだけでも行って見てみたいものだ。あの神名火山の辺の淵は、もう、浅瀬のような瀬になっているだろうか。

集歌九七〇 
原文 指進乃 粟栖乃小野之 芽花 将落時尓之 行而手向六
訓読 指進(さしづみ)の栗栖(くるす)の小野(をの)し萩し花落(おつ)らむ時にし行きに手向(たむけ)けむ
私訳 指進の栗栖の小野に萩の花が盛りを過ぎて散る頃に、神名火山の辺の淵を見にいって神名火山に手向けをしよう。

四年壬申、藤原宇合卿遣西海道節度使之時、高橋連蟲麻呂作謌一首并短謌
標訓 (天平)四年壬申、藤原宇合卿の西海道節度使に遣さえし時に、高橋連蟲麻呂の作れる謌一首并せて短謌
集歌九七一 
原文 白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行君者 五百隔山 伊去割見 賊守 筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 君之来益者
訓読 白雲の 龍田し山の 露霜(つゆしも)に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重(いほへ)山 い去(い)きさくみ 敵(あた)守(まも)る 筑紫に至り 山の極(そき) 野し極(そき)見よと 伴の部(へ)を 班(あか)ち遣(つかは)し 山彦(やまびこ)の 答へむ極(きは)み 谷蟇(たにくぐ)の さ渡る極(きは)み 国形(くにかた)を 見し給ひて 冬成りて 春さり行かば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道し 丘辺(をかへ)の道に 丹(に)つつじの 薫(にほは)む時の 桜花 咲きなむ時に 山たづの 迎(むか)へ参(ま)ゐ出(で)む 君し来まさば
私訳 白雲の立つ龍田の山の木々が露霜により黄葉に色づく時に、山路を越えて旅行く貴方は多くの山を踏み越えて敵が守る筑紫に至り、山の極み、野の極みまで敵を見つけて成敗せよと、部下の部民を編成し派遣し、山彦が声を返す極み、ヒキガエルが這い潜り込む地の底の極みまで、その国の様子を掌握されて、冬が峠を越え、春がやって来ると、飛ぶ鳥のように、早く帰ってきてください。龍田道の丘の道に真っ赤なツツジが薫る時の、桜の花が咲く頃に、ニワトコの葉が向かい合うように迎えに参り出向きましょう。貴方が帰って御出でなら。

万葉集 集歌972から集歌976まで

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反謌一首
集歌九七二 
原文 千萬乃 軍奈利友 言擧不為 取而可来 男常曽念
訓読 千万(ちよろづ)の軍(いくさ)なりとも言(こと)し挙(あ)げせず取りに来(く)ぬべき男(をのこ)とぞ念(おも)ふ
私訳 千万の敵軍であるとして、改めて神に誓約するような儀式をしなくとも敵を平定してくるはずの男子であると、貴方のことを思います。
左注 右、檢補任文、八月十七日任東山々陰西海節度使。
注訓 右は、補任の文を檢(かむが)ふるに、八月十七日に東山・山陰・西海の節度使を任す。

天皇賜酒節度使卿等御謌一首并短謌
標訓 天皇(すめらみこと)の酒(みき)を節度使の卿等(まへつきみたち)に賜へる御謌(おほみうた)一首并せて短謌
集歌九七三 
原文 食國 遠乃御朝庭尓 汝等之 如是退去者 平久 吾者将遊 手抱而 我者将御在 天皇朕 宇頭乃御手以 掻撫曽 祢宜賜 打撫曽 祢宜賜 将還来日 相飲酒曽 此豊御酒者
訓読 食国(をすくに)し 遠(とほ)の朝廷(みかど)に 汝等(いましら)し かく罷(まか)りなば 平(たひら)けく 吾は遊ばむ 手抱(たむだ)きて 吾は在(いま)さむ 天皇(すめ)と朕(われ) うづの御手(みて)もち かき撫でぞ 労(ね)ぎ賜ふ うち撫でぞ 労(ね)ぎ賜ふ 還(かへ)り来(こ)む日 相飲まむ酒(き)ぞ この豊御酒(とよみき)は
私訳 天皇が治める国の遠くの朝廷たる各地の府に、お前たちが節度使として赴いたら、平安に私は身を任そう、自ら手を下すことなく私は居よう。天皇と私は。高貴な御手をもって、卿達の髪を撫で労をねぎらおう、頭を撫でて苦をねぎらおう。そなたたちが帰って来た日に、酌み交わす酒であるぞ、この神からの大切な酒は。
注意 標準解釈では標題の「天皇賜酒節度使卿等御謌一首」を尊重して解釈を行います。一方、ここでの私訳は左注の「太上天皇御製」から解釈を行っているため、解釈内容が相違することになります。

反謌一首
集歌九七四 
原文 大夫之 去跡云道曽 凡可尓 念而行勿 大夫之伴
訓読 大夫(ますらを)し去(い)くといふ道ぞ凡(おほ)ろかに念(おも)ひに行くな大夫(ますらを)し伴
私訳 立派な男子が旅立っていくと云う道です。普通の人々が、ただ、旅立つと思ったままで旅立つな。立派な男子たる男達よ。
左注 右御謌者、或云、太上天皇御製也。
注訓 右の御謌(おほみうた)は、或は云はく「太上天皇の御製なり」といへる。

中納言安倍廣庭卿謌一首
標訓 中納言安倍廣庭卿の謌一首
集歌九七五 
原文 如是為管 在久乎好叙 霊剋 短命乎 長欲為流
訓読 如(かく)しつつ在(あ)らくを好(よ)みぞ霊(たま)きはる短き命を長く欲(ほ)りする
私訳 このようにこの世に生きていることを良いこととして、体に宿る霊にも限りもあり、そのような短い人の命が長くあって欲しいと願います。

五年癸酉、超草香山時、神社忌寸老麿作哥二首
標訓 (天平)五年癸酉、草香山を超(こ)へし時に、神社忌寸(かむこそのいみき)老麻呂(をゆまろ)の作れる謌二首
集歌九七六 
原文 難波方 潮干乃奈凝 委曲見 在家妹之 待将問多米
訓読 難波(なには)潟(かた)潮干(しほひ)の余波(なごり)よく見む家なる妹し待ち問はむため
私訳 難波の潟の潮干のなごりの姿を良く見ていこう。家に居る妻が私の帰りを待って旅の様子を聞くだろう、そのために。


万葉雑記 墨子とその時代

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万葉雑記 墨子とその時代

 弊ブログで万葉集時代と墨子の関係を調べるために墨子を眺めていて、今後、資料の形で墨子の原文と訓じを弊ブログに収容する予定です。その墨子と云う景色を眺めるに当たって、時代と云う背景や墨学について覚書のようなものを以下に紹介いたします。

 墨子は始祖墨子によって唱えられた、血縁に寄らない相互信頼と共通の道徳価値観の保有に基づき、信頼する指導者の下に勤勉と質素倹約に励み豊かな社会構築を目指す思想であり、実践運動です。この相互信頼と共通の道徳価値観の保有の精神から、相互に生じた問題を暴力ではなく道徳価値観から導き出された法秩序により公平に解決することを提案しますから、ここから有名な戦争を否定する「非攻」と云う提案が生まれました。また、墨学は思想の実践を重要視し、勤勉と質素倹約の証である粗服を着て日に焼けた姿が墨学の徒の姿とします。他方、儒学は弁論博識で人々を指導するのが儒学者の姿としますから、指導者たる服装や生活様式を保つことが重要とします。古代社会にあって墨学と儒学は二大学派と相互が認識しますが、このような思想の相違から対立する儒学は墨学の徒のその姿を労働者のようだと軽蔑します。

 墨学の始祖である墨子のその生涯は不明ですが概ね紀元前五世紀後半に活躍した人物と推定されていて、これが共通認識となっています。中国古代史で墨子の紀元前五世紀に関わる歴史区分を確認しますと、春秋時代(前770~前403)、戦国時代(前403~前221)、秦朝(前221~前206)、前漢朝(前221~8)と区分しますから、墨子は戦国時代前期に活躍した人物となります。社会環境では周王朝の秩序崩壊を受け、それぞれの地域で群雄が割拠し、その群雄の中から戦国時代の七雄と呼ばれる地域国家へ集約し始めた時代に相当します。
 墨子の出身階級については、墨学と云うものを評価批判する立場により上は貴族士大夫階級から下は工人と称される建設技術者階級まで大きな幅が有ります。ただ、墨子は識字の人であり、儒学の素養を持っていた又は儒学の門弟であったとも推定されますから、春秋戦国時代の社会情勢から識字教育を受ける環境に属する人、つまり、士大夫階級の人と推定されます。時代としては没落士大夫階級出身の食客の立場だったと考えるのが相当と考えます。
 次に学問として墨学を考える時に、その学説を唱える対象は誰かの問題があります。近代ではパトロンとサロンのメンバーが学説を唱える対象人物群です。古代ではおおむね奉呈の形式を取るものでは対象は国王やその補佐する人たちで、対象者は一般市民ではありません。それを踏まえて墨学の書の読者は誰かを考えますと、墨学の唱えるものは実務実践を前提とした専守防衛・富国強兵を中心テーマとしますから、当然、戦国時代の領主以上の地域を支配する士大夫階級の人と考えます。
 ただし、戦国時代の領主以上の人たちが皆、現代人が想う教養人レベルの人だったかは不明です。墨学は実務実践を重視しますから、紀元前400年前後の戦国時代前期にあって、相手がどのような教養水準でも理解できることを前提とした弁論で思想を展開したと考えます。加えて、遺跡発掘調査などから墨学の書は秦漢時代からほとんどそれ以降の時代に合わせた校訂・改定がなされていないことが判明していますから、儒学のようにその後の時代に合わせた洗練が為されていません。清朝考証学が示すように儒教経典の一つとされる詩経は秦朝頃までの楽曲歌詞としての扱いと漢代以降の儒教整備による毛詩正義などの扱いとは別物です。詩経を秦朝頃までの楽曲歌詞からしますと礼記が「鄭衛の音」と記述するように一部に宴会歌や猥歌の雰囲気を示します。当然、それでは孔子は女を入れての歌舞音曲の宴会で猥歌を好んだとなりますから、それでは儒教経典にはなりません。それでも時代の要請から解釈を駆使すれば猥歌でも経典に化けますし、公務員採用試験の問題集になります。一方、墨学の書は秦朝頃の姿のままを現代に伝えます。その分、墨学の書は難解とか、泥臭いとか、洗練された文章を扱う知識階級には評判が悪いものとなります。
 なお、従来に解説されている墨学の社会からの消滅の時期と矛盾しますが、中国の国語となる漢字文字の標準語化は秦始皇帝の事業で、それ以前は地域言語の様相があり文字についても地域ごとの独自性がありました。このため前秦時代の古代書籍は秦漢時代になって秦朝制定の標準漢字により改めて文字化されたものが準原典となります。墨学は秦時代に社会から消えたとされますが、実際は秦の始皇帝の漢字統一以降に墨学書は改めて整備されたものが時代毎に原典を変えることなく筆写され、現代に伝わっています。
ここで視線を変えて墨子が活躍した時代の社会情勢を人口から評価しますと、中国大陸の中核地域の人口は春秋時代後期から戦国時代前期では約500万人、戦国時代後期では約2000万人と推定し、おおむね、始皇帝の秦朝から漢劉邦の漢朝前期での人口を約2000万人とするのが標準的な歴史認識であり、社会基盤考察時の認識です。
 また、人の生活を支える生産技術から時代を確認しますと、墨子の時代までには古代製鉄法では最大の技術革命とされる可鍛鋳鉄を生産する銑鉄製造技術が確立し、そのような銑鉄を元に農耕使用を可能とする対衝撃性を持ち大量生産が容易な可鍛鋳鉄の鋳物製品が生まれます。これにより中国大陸の広い範囲に大量の鋳物製の農機具が普及しますし、同時に鉄製品の生産地と消費地との関係から大陸各地を繋ぐ交通網の整備や大資本商人の出現をもたらします。
 さらに、気候も近々の研究から紀元前770年頃の東周春秋時代から紀元前初めの前漢時代は温暖期とされ、2000年初頭を基準とすると、おおよその年平均気温は2℃前後高く、冬季の平均気温も3~5℃高かったと推定され、農業生産に適した時代と考えられています。中国大陸では戦国時代頃から本格的な粟を中心とした粒食の農耕社会へ社会は変革しています。なお、現代中国の状況から北は麦を中心とした粉食、南は米を中心とした粒食の食生活を想像するかもしれませんが、中国北部に麦を中心とした粉食が普及するのは、中世小氷河期と称される寒冷期に相当する年平均気温が1~2℃前後低くなる後漢から三国時代以降の寒冷化の進行による大陸北部での粟生産が大打撃を受けた時代以降のこととされ、秦漢時代以前の大陸北部まで粟生産が普及した温暖期ではありません。また、後漢時代末頃には農業生産拡大と製鉄業を支える木炭産業のために大陸北部では森林が消滅し、これも気候変動の振れ幅を大きくしたと推定されています。
 これらの農業生産技術の革新や気象条件がもたらした社会変革を背景に戦国時代、約200年の内に中国の人口は約500万人から約2000万人へと爆発的に増加します。それも戦国時代と云う戦乱動乱の時代に反するような人口増加現象です。
 ここで墨学を中心に戦国時代を眺めてみます。墨学は一面、専守防衛の軍事技術書の側面を持ちますから、その軍事から戦国時代を眺めると、春秋時代では士大夫階級となる武勇の戦士による馬曳戦車などを中心とする戦闘方法です。一方、戦国時代以降では人口増加と社会構成の変化を受けて大集団の農民兵を中核とする歩兵軍団による戦闘方法へと変化します。このため、春秋時代の戦闘は王侯貴族の持つ親衛隊を中心とする馬曳戦車を中核に置く常備即応軍を中心に兵力で数百から数千、最大でも数万という規模の野戦の会戦が中心でした。また、戦争は建前として社会秩序を乱した者へ刑罰を与えるものとして行われ、これを墨子では「誅」と称しています。対して戦国時代にあって、戦いは社会秩序を乱した者への刑罰の要素ではなく、経済や社会の優位性の獲得を目指した略奪・占領や破壊が重要になります。また、春秋時代の戦いでは戦闘の過程を重視し様式美を持つ戦闘方法から、戦国時代では勝利の結果だけを求める戦闘方法に変わったとします。ある種の人を殺すことの生産性の向上や合理化が求められる時代への突入です。墨学はそのような時代の要請の下に生まれた専守防衛技術を売り物にする戦闘集団の側面を持ちます。
 集団戦闘が中心となった時代の、戦国時代の七雄と呼ばれた七大国の兵力を確認しますと、紀元前90年代に司馬遷は『史記』で大国の秦や楚の兵力は百万、魏は七十万、あとの韓・趙・斉・燕の四カ国は数十万ずつと記述します。なお、資料が残る後漢以降の戸籍人口と兵力の関係を確認すると、国家存亡の戦時体制下での最大動員兵力は三国時代の蜀や呉からすると10%が限度です。戦国末期の総人口が2000万人ですと最大動員兵力は200万人です。つまり、『史記』が示す兵力は実際よりも2~3倍程度吹かした数値と思われます。
 なお、戦国時代末期となる秦国と趙国が激突した「長平の戦」では、偽計に乗り全軍で出撃追撃して来た趙軍を長平城(現在の山西省高平市)の北方に位置する永禄の狭隘地に引込、そこで秦軍は趙軍の後方を遮断して包囲戦に成功します。その包囲戦成功の報を受けた秦国はその包囲網の増強の為に本国の15歳以上の男子全員を緊急動員し、長平方面に派遣します。この時の秦側の動員軍勢を60万と記述します。一方の長平城で対峙した趙軍は秦国の接収を嫌った旧韓国の上党郡17県からの大量の戦争難民などを吸収した軍勢で構成しており、その兵力40万とします。この「長平の戦」は戦国時代最大の戦いとも称しますが、その動員の背景には他の戦争とは違う姿があります。ちなみに「長平の戦」では秦軍の包囲網を突破できなかった趙軍のこの方面軍全員は餓死や埋め殺しによって損耗し生存帰還者は年少男児数百人だけと伝えます。ただ、史実は食料搬入路を遮断され46日目の餓死直前に包囲網の突破を試みた将軍趙括が率いる趙軍正規軍約1万前後の壊滅もそうですが、戦後統治の安定を主眼に秦国が接収を目指した上党郡17県からの反乱農民たち不平分子約20万人を永禄の狭隘地で餓死させたと推定します。(#秦朝時代の有力な県は7000~10000戸を要し人口は3.5~5万人の規模があった。ここからの推定で上党郡の人口は70万人規模となる)
 国対国の決戦では十万単位の軍隊を動員しての戦争ですから、戦争当事国同士が同じタイミングで同じ場所へのそれぞれの軍隊の集結はまず不可能です。そのため、局地戦を除けば動員集結が迅速で兵力的に優位な方が相手側に攻め込み包囲攻城戦や陣地戦を行うような形での戦闘が中心となります。それを反映して墨学は大規模な軍隊による包囲攻城戦を前提にした防衛論を展開します。それが高い城壁に梯子を一度に懸ける装置である雲梯とそれへの対抗手段を述べる「備梯」、また、城郭に対する地下からの攻城トンネル戦法とそれへの対抗手段など攻城法とその対抗手段を述べる「備穴」を論じます。なお、戦国時代後半では配下の奴隷・戦争捕虜・犯罪人・占領地の住民などを集結しそれで人の海のような歩兵前衛部隊を作り、その前衛部隊の損耗を一切無視するような人の海の形で敵に押し寄せ攻城戦を行う戦法が生まれます。これが墨子の書で云う「蛾傅」です。この人海戦術には決定的な防衛策はなかったようで、矢、火、岩石など手持ちの武器を使い波状攻撃で襲来し城壁にたかる人の海をこそぎ落す方法のみを示し、決定的な撃退方法は示されていません。参考に秦軍の規定では戦闘で生き残り敵兵の首を取った者は、その首の数で奴隷階級であれば身分を平民にした上で土地を与えるような報奨制度で督戦していますし、参戦回数に合わせて処遇や身分の優遇を与えます。
 ただし、墨子自身は戦国時代前期の人ですから、時代としての動員の規模はまだまだ相互に最大数万の規模と考えます。戦国時代後期の「長平の戦」のような双方の兵力合わせて百万人のような時代の人ではありません。そのため墨子の書「公輸」では、墨子の訓練を受けた門弟三百人が籠城部隊に参加していることを示唆し戦争回避の説得を行い、成功したことになっています。
 当然、戦国時代にあっても常に数十万の軍を維持したのではありません。王都や郡都のような地域の中核を為す城郭にはその支配者の親衛隊が常備軍の形で待機しますが、それ以外は臨時に農民から一定の割合で兵卒を動員し軍を構築します。この時、臨時軍の指揮監軍をしたのが食客と呼ばれる人々です。斉の孟嘗君に食客三千人などと伝説しますが、これは現代で云う予備役軍人のような人たちで臨戦態勢では能力と経験から伍長から将軍までの地位を与えられ農民などから徴兵した人々を訓練した上で軍を構成し戦闘に参加します。墨学ではそのような臨時雇いの職業軍人に対し忠誠の保証として人質を取ることや逆に報償の規定などを紹介すると共に練兵の方法など、軍の運用方法を解説します。
 さて、人口側面からみますと戦国時代から前漢末期までは中国最大のバブル時代です。人口は約400年の間に500万人から6000万人へと激増し、それを支える社会構造も高度化・肥大化します。社会学者は中世までの中国大陸での食料供給能力からの限度を6000万人と推定し、それは前漢末期に達成します。墨学集団が歴史から消えたのは土地が持つ食料供給能力制限による人口がピークに達する直前です。ある種、古代最大のバブル絶頂期に墨学集団は消えます。
 この古代最大のバブル経済下で儒学は支配者階級や民間富裕層の贅を尽くした楽芸や祭祀への消費を推薦奨励し、それを「礼」、「孝」、「分」により理論武装し正当化します。また、旺盛な消費活動は社会経済の維持の為に必要とします。一方、墨学は資財に余裕を持つ支配者階級や民間富裕層にあっても楽芸や祭祀への消費を控え、その費用を農業生産活動や防衛備品に使えとします。つまり、支配者階級や民間富裕層のバブル消費を非難する立場です。まず、前漢時代のバブル全盛時代では全くに受入が難しい主張です。
 歴史研究者は春秋時代後期に大量生産が容易な鋳物製の農機具の普及により、血族を中核とする古くからの邑での集団生活から独立した個々人が原野を開拓し、その農地で生活する独立自営農家の急増によって社会構造に変革が起き、さらにその開拓した農地の高度利用を図るために独立自営農家が血縁に因らない形での共同作業により灌漑施設や道路を整備するようになったとします。これが成功しますと、血縁に因らない地域が生まれ、その地域を防衛するための血縁に頼らない自衛自警団が生まれます。墨学はこのような社会構造を前提に、地域のまとめ役を「賢」であり、郷長と呼び、このまとめ役による指導を尊敬しろと説きます。また、地域がまとまるには相互信頼関係を築き、同時に同じ道徳価値感覚を持てと説きます。これが尚賢、兼愛、尚同の学説です。
 尚賢のこの構造を複数の地域を集合した地方に展開し、その地方のまとめ役を「賢」であり大夫と呼びます。さらに複数の地方を集合して国へ拡大して適用すると、「賢」である国王の為す統治により国は安定して治まるとします。この統治の方法論では、その構成する人々に同じ道徳価値感覚を持たすために規律や法令を定め、公平厳格に賞罰を以って施行することで同じ道徳価値感覚を維持することが重要とします。ただ、墨学の面白い点は、人それぞれに意見や主義主張はあることを認めていて、ただ、その人それぞれの主義主張をすべて認めると社会に秩序は無くなるとします。だから、まとめ役は何が公正公平な同じ価値感覚なのか、また、物事の是非は何なのかを探り、人々が納得する規律や法令を定めよと、尚同の理論を説きます。支配者層の一方的な都合では安定した統治は出来ないと説きますから古代にあって非常に民主的な多数の意見集約の下でのリーダーへの指揮権委託です。
 また、血縁を持たない地域の人々の心を纏めるために、天然自然の不思議があればそれは「鬼」の行為とし、また、死んでも人々の心に残り尊敬敬愛される人を「鬼」と呼びます。墨学ではこれを山川に鬼有り、人に鬼有りと説きます。この地域の人々が信じる「鬼」を祀るためにお酒や食べ物を捧げ、その後、集まった人たちでその供え物を用いて飲食を行えと説きます。この人々が共に信じる「鬼」を祀るために集い、飲食を共にすることがもっとも重要と説きます。ここでも墨学の面白い点は、統治論においては「鬼」と云うものの存在を厳密にしないで、人々が共に信じている「鬼」を統治者は有るものとして祀り、人々の一体感のために飲食を共にしなさいとしている点です。日本人ではこの「鬼」を「神」と云う言葉に置き換えると非常に判り易いのではないでしょうか。このような山川に鬼有り、人に鬼有りの主張をしているため、後年に道教は墨学に理論武装の根拠を求めます。
 他方、尚賢の論から初代のリーダーである「賢」を得たとしてもその「賢」の地位を世襲しますと、そこには新たな世襲を合理化する理論が必要です。また、原野を開拓した独立自営農家も世代を経ると開拓できる土地は無くなり、それ以降は相続での分配の問題が生じます。「家」を守るなら分配をしないのが得策ですが、その場合にはそれなりの合理化する理論が必要です。その場面では「分」、「礼」、「孝」の理論を展開する儒学の出番となります。そのような時代に同じ所属なら区分を設けず公平を重視する墨学の出番ではありません。どうも、墨学は動乱変革の時代の論なのかもしれません。
 おまけの話となりますが、墨子の後に墨学の徒のリーダーである巨子の位に就いた孟勝が陽城君から防衛を委託された国城の防衛に失敗し、責任を取る形で自殺しています。色々な議論はありますが、墨学の防衛方法を陳べる「号令」では防衛隊から敵への投降者が出た場合はその所属する五人組の人たちは連帯責任で死罪です。加えて投降者の人質としている家族も死罪です。孟勝は防衛戦を開始した後に降伏開城したのですと、「号令」の規定からすると孟勝は死罪で、それも車裂の刑罰相当になります。部下にはそのような刑罰を行い、都合が悪くなると自分には適用しないとするかどうかの問題です。
 また、墨学は戦国時代後期には分派を起こし、一部は秦国で活動をしたと伝えます。墨学の本来の精神は兼愛の立場から非攻の専守防衛の態度を執りますが、一方では墨学の書は戦争実務書でもあります。その側面に戦闘の場面で「兼」の思想を導入し、平民、犯罪者、奴隷、捕虜の区分を問わず、戦功と従軍履歴だけを基準に階級階層ではなく公平に褒賞を与えると、これは秦国の軍制です。秦国の軍制では奴隷にあっても取った首の数で、最初に奴隷の親が平民に、次に本人が平民に、さらに土地を与えられ、さらにさらに邑の管理者の地位が与えられるような報奨制度を持ちます。また、秦国は統制の基準に五人組連帯制度を導入しますが、これが偶然の一致か、墨学の「号令」を参考にしたのかは不明です。ただ、秦国の制度と墨学とに多くの共通点を見ることが出来ます。
 最後に、現在では聖徳太子の憲法十七条の第八条は墨学の文章を引用していることが判明していますし、神道の祝詞に示す天皇が自ら泥田に入り農耕をし収穫物で祭祀を行うのは墨学が求める指導者の姿です。これは儒教では忌諱の行為ですし、仏教は仏教指導者の労働を忌諱しますから儒教でも仏教でもありません。どうも古代日本の精神構造と墨学とは相性が良いようです。

後撰和歌集(原文推定、翻文、解釈付)巻十六

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後撰和歌集(原文推定、翻文、解釈付)
止遠末利武末幾仁安多留未幾
巻十六

久左久左乃宇多二
雑歌二

歌番号一一二五
於毛不止己呂安利天左幾乃於本幾於本以万宇知幾三尓与世天者部利个留
於毛不所安利天前太政大臣尓与世天侍个留
思ふ所ありて、前太政大臣に寄せて侍りける

安利八良乃奈利比良乃安曾无
在原業平朝臣
在原業平朝臣

原文 堂乃満礼奴宇幾与乃奈可遠奈計幾川々日加計尓於不留三遠如何世无
定家 堂乃満礼奴宇幾世中遠歎川々日加計尓於不留身遠如何世无
和歌 たのまれぬ うきよのなかを なけきつつ ひかけにおふる みをいかにせむ
解釈 頼まれぬ憂き世の中を嘆きつつ日蔭に生ふる身をいかにせん

歌番号一一二六
也満比之者部利天安不美乃世幾天良尓己毛利天者部利个留尓
末部乃美知与利可无為无乃己以之也末尓満宇天个留遠
多々以万奈无行寸幾奴留止人乃川計侍个礼八
越日天徒可者之个留
也満比之侍天安不美乃関寺尓己毛利天侍个留尓
末部乃美知与利閑院乃己石山尓満宇天个留遠
多々以万奈无由幾寸幾奴留止飛止乃川計者部利个礼八
越日天徒可者之个留
病し侍りて近江の関寺に籠もりて侍りけるに、
前の道より閑院の御、石山に詣でけるを、
ただ今なん行き過ぎぬると人の告げ侍りければ、
追ひてつかはしける

止之由幾乃安曾无
止之由幾乃朝臣
としゆきの朝臣(藤原敏行)

原文 安不左可乃由不川个尓奈久止利乃祢越幾々止可女寸曽由幾寸幾尓个留
定家 相坂乃由不川个尓奈久鳥乃祢越幾々止可女寸曽行寸幾尓个留
和歌 あふさかの ゆふつけになく とりのねを ききとかめすそ ゆきすきにける
解釈 相坂の夕つけになく鳥の音を聞きとがめずぞ行き過ぎにける

歌番号一一二七
左幾乃知宇具宇乃世武之於久留於本幾於本以万宇知幾三乃以部与利
満可利以天々安留尓加乃以部尓己止尓布礼天比久良之止以不己止
奈无者部利个留
前中宮宣旨贈太政大臣乃家与利
満可利以天々安留尓加乃家尓事尓布礼天比久良之止以不事
奈无侍个留
前中宮宣旨、贈太政大臣の家より
まかり出でてあるに、かの家に、事にふれて日暗しといふ事
なん侍りける

世武之
宣旨
宣旨

原文 美也万与利飛々幾起己由留飛久良之乃己恵遠己比之美以末毛計奴部之
定家 美山与利飛々幾起己由留飛久良之乃声遠己比之美今毛計奴部之
和歌 みやまより ひひききこゆる ひくらしの こゑをこひしみ いまもけぬへし
解釈 深山より響き聞こゆるひぐらしの声を恋しみ今も消ぬべし

歌番号一一二八
加部之 
返之 
返し

於久留於本幾於本以万宇知幾三
贈太政大臣
贈太政大臣

原文 飛久良之乃己恵遠己比之美遣奴部久八美也万止本利尓者也毛幾祢可之
定家 飛久良之乃声遠恋之美遣奴部久八美山止本利尓者也毛幾祢可之
和歌 ひくらしの こゑをこひしみ けぬへくは みやまとほりに はやもきねかし
解釈 ひぐらしの声を恋しみ消ぬべくは深山とほりにはやも来ねかし

歌番号一一二九
可者良尓以天々波良部之者部利个留尓於保以万宇知幾美毛
伊天安比天者部利个礼者
河原尓以天々波良部之侍个留尓於保以万宇知幾美毛
伊天安比天侍个礼者
河原に出でて祓へし侍りけるに、大臣も
出であひて侍りければ

安徒多々乃安曾无乃者々
安徒多々乃朝臣乃母
あつたたの朝臣の母(藤原敦忠朝臣母)

原文 知可者礼之加毛乃可者良尓己万止女天志波之美川可部可計遠多尓三武
定家 知可者礼之加毛乃河原尓駒止女天志波之水可部影遠多尓見武
和歌 ちかはれし かものかはらに こまとめて しはしみつかへ かけをたにみむ
解釈 誓はれし賀茂の河原に駒とめてしばし水かへ影をだに見む

歌番号一一三〇
飛止乃宇之遠加利天者部利个留尓之尓者部利个礼者以比川可者
之个留
人乃牛遠加利天侍个留尓之尓侍个礼者以比川可者
之个留
人の牛を借りて侍りけるに、死に侍りければ言ひつかは
しける

可武為无乃己
閑院乃己
閑院のこ(閑院御)

原文 和可乃里之己止遠宇之止也幾衣尓个无久左者尓加々留川由乃以乃知八
定家 和可乃里之事遠宇之止也幾衣尓个无草者尓加々留露乃命八
和歌 わかのりし ことをうしとや きえにけむ くさはにかかる つゆのいのちは
解釈 我が乗りし事を憂しとや消えにけん草葉にかかる露の命は

歌番号一一三一
恵武幾乃於保武止幾加毛乃利无之乃万川利乃比於武万部尓天
左可川幾止利天
延喜御時賀茂臨時祭乃日御前尓天
左可川幾止利天
延喜御時、賀茂臨時祭の日、御前にて盃取りて

左武之与宇乃美幾乃於本以万宇知幾三
三条右大臣
三条右大臣

原文 加久天乃美也武部幾毛乃可知者也布留加毛乃也之呂乃与呂川世遠美武
定家 加久天乃美也武部幾物可知者也布留加毛乃社乃与呂川世遠見武
和歌 かくてのみ やむへきものか ちはやふる かものやしろの よろつよをみむ
解釈 かくてのみやむべき物かちはやぶる賀茂の社のよろづ世を見む

歌番号一一三二
於奈之於保无止幾々多乃々美由幾尓美己之遠可仁天
於奈之御時幾多乃々行幸尓美己之遠可仁天
同じ御時、北野の行幸にみこし岡にて

比和乃比多利乃於本以万宇知幾三
枇杷左大臣
枇杷左大臣

原文 美己之遠加以久曽乃世々尓止之遠部天个不乃美由幾遠万知天美川良无
定家 美己之遠加以久曽乃世々尓年遠部天个不乃美行遠万知天見川良无
和歌 みこしをか いくそのよよに としをへて けふのみゆきを まちてみつらむ
解釈 みこし岡いくその世々に年を経て今日の御幸を待ちて見つらん

歌番号一一三三
可武世无可布可幾也万天良尓己毛利者部利个留尓
己止保宇之万宇天幾天安女尓布利己女良礼天者部利个留尓
戒仙可布可幾山天良尓己毛利侍个留尓
己止法師万宇天幾天雨尓布利己女良礼天侍个留尓
戒仙か深き山寺に籠もり侍りけるに
異法師まうで来て、雨に降りこめられて侍りけるに

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 伊川礼遠可安女止毛和可武也万布之乃於川留奈美多毛布利尓己曽布礼
定家 伊川礼遠可雨止毛和可武山布之乃於川留涙毛布利尓己曽布礼
和歌 いつれをか あめともわかむ やまふしの おつるなみたも ふりにこそふれ
解釈 いづれをか雨とも分かむ山伏の落つる涙も降りにこそ降れ

歌番号一一三四
己礼可礼安比天与毛寸可良毛乃可多利之天川止女天
遠久利者部利个留
己礼可礼安比天与毛寸可良物可多利之天川止女天
遠久利侍个留
これかれ逢ひてよもすがら物語りしてつとめて
送り侍りける

布知八良乃於幾可世
藤原於幾可世
藤原おきかせ(藤原興風)

原文 於毛日尓者幾由留毛乃曽止志利奈可良計左之毛越幾天奈尓々幾川良无
定家 思日尓者幾由留物曽止志利奈可良計左之毛越幾天奈尓々幾川良无
和歌 おもひには きゆるものそと しりなから けさしもおきて なににきつらむ
解釈 思ひには消ゆる物ぞと知りながら今朝しも起きて何に来つらん

歌番号一一三五
和可宇者部利个留止幾者志加尓川祢尓満宇天个留遠
止之於以天八万以利者部利良左利个留尓万以利者部利天
和可宇侍个留時者志加尓川祢尓満宇天个留遠
年於以天八万以利侍良左利个留尓万以利侍天
若う侍りける時は、志賀に常にまうでけるを、
年老いては参り侍らざりけるに参り侍りて

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 女川良之也无可之奈可良乃也万乃為者志川女留可个曽久知者天尓个留
定家 女川良之也昔奈可良乃山乃井者志川女留影曽久知者天尓个留
和歌 めつらしや むかしなからの やまのゐは しつめるかけそ くちはてにける
解釈 めづらしや昔ながらの山の井は沈める影ぞ朽ち果てにける

歌番号一一三六
宇知乃安之呂尓志礼留飛止乃者部利个礼八万可利天
宇治乃安之呂尓志礼留人乃侍个礼八万可利天
宇治の網代に、知れる人の侍りければ、まかりて

於保衣乃於幾止之
大江興俊
大江興俊

原文 宇知可者乃奈美尓美奈礼之幾美万世八和礼毛安之呂尓与利奴部幾加奈
定家 宇知河乃浪尓美奈礼之君万世八我毛安之呂尓与利奴部幾哉
和歌 うちかはの なみにみなれし きみませは われもあしろに よりぬへきかな
解釈 宇治河の浪にみなれし君ませば我も網代に寄りぬべきかな

歌番号一一三七
為无乃美可止宇知尓於者之末之々止幾飛止/\尓於布幾天宇世
左世多万日个留多天万川留止天
院乃美可止内尓於者之末之々時人/\尓扇天宇世
左世多万日个留多天万川留止天
院の帝、内裏におはしましし時、人々に扇調ぜ
させたまひける、たてまつるとて

之也宇尓乃女乃止
小弐乃女乃止
小弐のめのと(小弐乳母)

原文 布幾以川留祢止己呂堂可久幾己由奈利者川安幾加世者以左天奈良佐之
定家 吹以川留祢所堂可久幾己由奈利者川秋風者以左天奈良佐之
和歌 ふきいつる ねところたかく きこゆなり はつあきかせは いさてならさし
解釈 吹き出づる音所高く聞こゆなり初秋風はいざ手ならさじ

歌番号一一三八
加部之 
返之 
返し

多以布 
多以布 
大輔

原文 己々呂之天万礼尓布幾川留安幾加世遠也万於呂之尓八奈佐之止曽於毛不
定家 心之天万礼尓吹川留秋風遠山於呂之尓八奈佐之止曽思
和歌 こころして まれにふきつる あきかせを やまおろしには なさしとそおもふ
解釈 心してまれに吹きつる秋風を山下ろしにはなさじとぞ思ふ

歌番号一一三九
於止己乃布美於本久加幾天止以比个礼者
於止己乃布美於本久加幾天止以比个礼者
男の、文多く書きてと言ひければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 者可奈久天堂衣奈无久毛乃以止由部尓奈尓尓可於本久加々无止曽於毛不
定家 者可奈久天堂衣南久毛乃以止由部尓何尓可於本久加々无止曽思
和歌 はかなくて たえなむくもの いとゆゑに なににかおほく かかむとそおもふ
解釈 はかなくて絶えなん雲の糸ゆゑに何にか多く書かんとぞ思ふ

歌番号一一四〇
久良万乃佐可遠与留己由止天与美者部利个留
久良万乃佐可遠与留己由止天与美侍个留
鞍馬の坂を夜越ゆとてよみ侍りける

天武之為无尓以万安己止女之个留人
亭子院尓以万安己止女之个留人
亭子院にいまあことめしける人

原文 武可之与利久良万乃也万止以比个留八和可己止飛止毛与留也己衣个无
定家 昔与利久良万乃山止以比个留八和可己止人毛与留也己衣个无
和歌 むかしより くらまのやまと いひけるは わかことひとも よるやこえけむ
解釈 昔より鞍馬の山と言ひけるは我がごと人も夜や越えけん

歌番号一一四一
越止己尓川个天美知乃久尓部武寸女遠徒可者之
多利个留可曽乃於止己己々呂加者利尓多利止幾々天
己々呂宇之止於也乃以比川可者之多利个礼八
越止己尓川个天美知乃久尓部武寸女遠徒可者之
多利个留可曽乃於止己心加者利尓多利止幾々天
心宇之止於也乃以比川可者之多利个礼八
男につけて陸奥へ女をつかはし
たりけるが、その男心変りにたりと聞きて、
心憂しと親の言ひつかはしたりければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 久毛為地乃者留个幾本止乃曽良己止者以可奈留可世乃不幾天川遣个无
定家 雲井地乃者留个幾本止乃曽良事者以可奈留風乃吹天川遣个无
和歌 くもゐちの はるけきほとの そらことは いかなるかせの ふきてつけけむ
解釈 雲居路のはるけきほどの空事はいかなる風の吹きて告げけん

歌番号一一四二
加部之 
返之 
返し

武寸女乃者々
女乃者々
女のはは(女母)

原文 安満久毛乃宇幾堂留己止々幾々之可止奈保曽己々呂者曽良尓奈利尓之
定家 安満雲乃宇幾堂留己止々幾々之可止猶曽心者曽良尓奈利尓之
和歌 あまくもの うきたることと ききしかと なほそこころは そらになりにし
解釈 天雲の浮きたることと聞きしかどなほぞ心は空になりにし

歌番号一一四三
堂満左可尓加与部留布美遠己比加部之个礼八
曽乃布美尓久之天川可八之个留
堂満左可尓加与部留布美遠己比加部之个礼八
曽乃布美尓久之天川可八之个留
たまさかに通へる文を乞ひ返しければ、
その文に具してつかはしける

毛止与之乃美己
毛止与之乃美己
もとよしのみこ(元良親王)

原文 也礼者於之也良祢者飛止尓三衣奴部之奈久/\毛奈保加部寸万佐礼利
定家 也礼者於之也良祢者人尓見衣奴部之奈久/\毛猶加部寸万佐礼利
和歌 やれはをし やらねはひとに みえぬへし なくなくもなほ かへすまされり
解釈 やれば惜しやらねば人に見えぬべし泣く泣くもなほ返すまされり

歌番号一一四四
恵武幾乃於保无止幾美武万遠徒可者之天者也久万以留部幾
与之於保世徒可者之多利个礼者寸奈者知万以利天
於本世己止宇个太万者礼留飛止尓川可八之个留
延喜御時御武万遠徒可者之天者也久万以留部幾
与之於保世徒可者之多利个礼者寸奈者知万以利天
於本世己止宇个太万者礼留人尓川可八之个留
延喜御時御、馬をつかはして早く参るべき
よし仰せつかはしたりければ、すなはち参りて
仰せ事承れる人につかはしける

曽世以保宇之
素性法師
素性法師

原文 毛知川幾乃己満与利遠曽久以天川礼者多止留/\曽也万者己衣川留
定家 毛知月乃己満与利遠曽久以天川礼者多止留/\曽山者己衣川留
和歌 もちつきの こまよりおそく いてつれは たとるたとるそ やまはこえつる
解釈 望月の駒より遅く出でつればたどるたどるぞ山は越えつる

歌番号一一四五
也末比之天己々呂本曽之止天多以布尓川可八之个留
也末比之天心本曽之止天大輔尓川可八之个留
病して心細しとて、大輔につかはしける

布知八良乃安徒止之
藤原敦敏
藤原敦敏

原文 与呂徒与遠知幾利之己止乃以多川良尓飛止和良部尓毛奈利奴部幾加奈
定家 与呂徒世遠契之事乃以多川良尓人和良部尓毛奈利奴部幾哉
和歌 よろつよを ちきりしことの いたつらに ひとわらへにも なりぬへきかな
解釈 よろづ世を契りし事のいたづらに人笑へにもなりぬべきかな

歌番号一一四六
加部之 
返之 
返し

多以布 
多以布 
大輔

原文 加遣天以部者由々之幾毛乃遠与呂川与止知幾利之己止也加奈者佐留部幾
定家 加遣天以部者由々之幾物遠万代止契之事也加奈者佐留部幾
和歌 かけていへは ゆゆしきものを よろつよと ちきりしことや かなはさるへき
解釈 かけて言へばゆゆしき物を万代と契りし事やかなはざるべき

歌番号一一四七
安良礼乃布留遠曽天尓宇个天幾衣个留遠
宇美乃本止利尓天
安良礼乃布留遠曽天尓宇个天幾衣个留遠
宇美乃本止利尓天
霰の降るを袖に受けて消えけるを、
海のほとりにて

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 知留止三天曽天尓宇久礼止多万良奴八奈礼多留奈美乃者奈尓曽安利个留
定家 知留止見天曽天尓宇久礼止多万良奴八奈(奈$安)礼多留浪乃花尓曽有个留
和歌 ちるとみて そてにうくれと たまらぬは あれたるなみの はなにそありける
解釈 散ると見て袖に受くれどたまらぬは荒れたる浪の花にぞ有りける

歌番号一一四八
安留止己呂乃和良波於女己世知美尓奈武天无尓左布良日天
久川遠宇之奈比天个利寸計武止乃安曾无久良宇止尓天
久徒遠加之天者部利个留遠加部寸止天
安留所乃和良波女五節見尓南殿尓左布良日天
久川遠宇之奈比天个利寸計武止乃朝臣蔵人尓天
久徒遠加之天侍个留遠加部寸止天
ある所の童女、五節見に南殿にさぶらひて
沓を失ひてけり。扶幹朝臣、蔵人にて
沓を貸して侍りけるを、返すとて

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 堂知左波久奈美万遠和个天加川幾天之於幾乃毛久川遠以川可和寸礼无
定家 堂知左波久浪万遠和个天加川幾天之於幾乃毛久川遠以川可和寸礼无
和歌 たちさわく なみまをわけて かつきてし おきのもくつを いつかわすれむ
解釈 立ち騒ぐ浪間を分けてかづきてし沖の藻屑をいつか忘れん

歌番号一一四九
加部之 
返之 
返し

寸計武止乃安曾无
輔臣朝臣
輔臣朝臣(藤原輔臣、ある本に藤原扶幹)

原文 加徒幾以天之於幾乃毛久川遠和寸礼寸八曽己乃見留女遠和礼尓加良世与
定家 加徒幾以天之於幾乃毛久川遠和寸礼寸八曽己乃見留女遠我尓加良世与
和歌 かつきいてし おきのもくつを わすれすは そこのみるめを われにからせよ
解釈 かづき出でし沖の藻屑を忘れずは底のみるめを我に刈らせよ

歌番号一一五〇
飛止乃毛遠奴者世者部利尓奴日天川可者寸止天
人乃毛遠奴者世侍尓奴日天川可者寸止天
人の裳を縫はせ侍るに、縫ひてつかはすとて

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 可幾利奈久於毛不己々呂者徒久者祢乃己乃毛也以可々安良武止寸良无
定家 限奈久思心者徒久者祢乃己乃毛也以可々安良武止寸良无
和歌 かきりなく おもふこころは つくはねの このもやいかか あらむとすらむ
解釈 限りなく思ふ心は筑波嶺のこのもやいかがあらむとすらん

歌番号一一五一
於止己乃也末比之个留遠止不良者天安利/\天
也美加多尓止部利个礼八
於止己乃也末比之个留遠止不良者天安利/\天
也美加多尓止部利个礼八
男の病しけるを訪ぶらはでありありて
やみがたに訪へりければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 於毛日以天々止不己止乃者遠堂礼三末之三乃之良久毛止奈利奈万之可八
定家 思日以天々止不事乃者遠堂礼見末之身乃白雲止成奈万之可八
和歌 おもひいてて とふことのはを たれみまし みのしらくもと なりなましかは
解釈 思ひ出でて訪ふ言の葉を誰れ見まし身の白雲となりなましかば

歌番号一一五二
美曽可越止己之多留於无奈遠安良久者以者天止部止
毛乃毛以者左利个礼八
美曽可越止己之多留女遠安良久者以者天止部止
毛乃毛以者左利个礼八
みそか男したる女を、荒くは言はで問へど
物も言はざりければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 和寸礼奈无止於毛不己々呂乃徒久可良尓己止乃者佐部也以部者由々之幾
定家 和寸礼南止思心乃徒久可良尓事乃者佐部也以部者由々之幾
和歌 わすれなむと おもふこころの つくからに ことのはさへや いへはゆゆしき
解釈 忘れなんと思ふ心のつくからに言の葉さへや言へばゆゆしき

歌番号一一五三
於止己乃加久礼天於无奈遠三多利个礼者川可八之个留
於止己乃加久礼天女遠見多利个礼者川可八之个留
男の隠れて女を見たりければ、つかはしける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 加久礼為天和可宇幾左万遠美川乃宇部乃安和止毛者也久於毛日幾衣奈无
定家 加久礼為天和可宇幾左万遠水乃宇部乃安和止毛者也久思日幾衣奈无
和歌 かくれゐて わかうきさまを みつのうへの あわともはやく おもひきえなむ
解釈 隠れゐて我が憂きさまを水の上の泡とも早く思ひ消えなん

歌番号一一五四
与乃奈可遠止可久於毛日和川良日者部利个留本止尓於无奈止毛多知
奈留飛止奈保和可以者无己止尓川幾祢止加太良日者部利个礼八
世中遠止可久思日和川良日侍个留本止尓女止毛多知
奈留人猶和可以者无事尓川幾祢止加太良日侍个礼八
世の中をとかく思ひわづらひ侍りけるほどに、女友だち
なる人、なほ、我が言はん事につきねと語らひ侍りければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 飛止己々呂以左也志良奈美堂可个礼八与良武奈幾左曽加根天可奈之幾
定家 人心以左也志良浪堂可个礼八与良武奈幾左曽加根天可奈之幾
和歌 ひとこころ いさやしらなみ たかけれは よらむなきさそ かねてかなしき
解釈 人心いさや白浪高ければ寄らむ渚ぞかねて悲しき

歌番号一一五五
以多久己止己乃武与之遠止幾乃飛止以不止幾々天
以多久事己乃武与之遠時乃人以不止幾々天
いたく事好むよしを時の人言ふと聞きて

多可従乃美己
高津内親王
高津内親王

原文 奈本幾々尓満可礼留衣多毛安留毛乃遠計遠布幾々寸遠以不可和利奈左
定家 奈本幾木尓満可礼留枝毛安留物遠計遠布幾々寸遠以不可和利奈左
和歌 なほききに まかれるえたも あるものを けをふききすを いふかわりなさ
解釈 直き木に曲がれる枝もあるものを毛を吹き疵を言ふがわりなさ

歌番号一一五六
美可止尓堂天万川利多万日个留
美可止尓堂天万川利多万日个留
帝にたてまつりたまひける

佐加乃幾佐為
嵯峨后
嵯峨后

原文 宇徒呂者奴己々呂乃布可久安利个礼者己々良知留者奈者留尓安部留己止
定家 宇徒呂者奴心乃布可久有个礼者己々良知留花春尓安部留己止
和歌 うつろはぬ こころのふかく ありけれは ここらちるはな はるにあへること
解釈 移ろはぬ心の深く有りければここら散る花春に逢へるごと

歌番号一一五七
己礼可礼於无奈乃毛止尓満可利天毛乃以比奈止之家留尓
於无奈乃安奈左武乃加世也止毛宇之个礼者
己礼可礼女乃毛止尓満可利天物以比奈止之家留尓
女乃安奈左武乃風也止申个礼者
これかれ女のもとにまかりて物言ひなどしけるに、
女のあな寒の風やと申しければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 堂万多礼乃安美女乃満与利布久加世乃左武久者曽部天以礼武於毛日遠
定家 玉多礼乃安美女乃満与利布久風乃左武久者曽部天以礼武思日遠
和歌 たまたれの あみめのまより ふくかせの さむくはそへて いれむおもひを
解釈 玉垂れのあみ目の間より吹く風の寒くはそへて入れむ思ひを

歌番号一一五八
於止己乃毛乃以比个留遠左波幾个礼者加部利天
安之多尓川可者之个留
於止己乃物以比个留遠左波幾个礼者加部利天
安之多尓川可者之个留
男の物言ひけるを騒ぎければ、帰りて
朝につかはしける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 之良奈美乃宇知左者可礼天多知之可八三遠宇之本尓曽々天者奴礼尓之
定家 白浪乃宇知左者可礼天多知之可八身遠宇之本尓曽袖者奴礼尓之
和歌 しらなみの うちさわかれて たちしかは みをうしほにそ そてはぬれにし
解釈 白浪のうち騒がれて立ちしかば身を潮にぞ袖は濡れにし

歌番号一一五九
加部之 
返之 
返し

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 止利毛安部寸堂知佐者可礼之安多奈美尓安也奈久奈尓々曽天乃奴礼个无
定家 止利毛安部寸堂知佐者可礼之安多浪尓安也奈久何尓袖乃奴礼个无
和歌 とりもあへす たちさわかれし あたなみに あやなくなにに そてのぬれけむ
解釈 とりもあへず立ち騒がれしあだ浪にあやなく何に袖の濡れけん

歌番号一一六〇
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 堂々地止毛堂乃万佐良奈无三尓知可幾己呂毛乃世幾毛安利止以不奈利
定家 堂々地止毛堂乃万佐良南身尓知可幾衣乃関毛安利止以不奈利
和歌 たたちとも たのまさらなむ みにちかき ころものせきも ありといふなり
解釈 たたちともたのまさらなん身にちかき衣の関もありといふなり

歌番号一一六一
止毛多知乃比左之久安者佐利个留尓万可利安日天
与三者部利个留
止毛多知乃比左之久安者佐利个留尓万可利安日天
与三侍个留
友だちの久しく逢はざりけるに、まかりあひて
よみ侍りける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 安者奴万尓己比之幾三知毛志利尓之遠奈止宇礼之幾尓万与不己々呂曽
定家 安者奴万尓己比之幾道毛志利尓之遠奈止宇礼之幾尓迷心曽
和歌 あはぬまに こひしきみちも しりにしを なとうれしきに まよふこころそ
解釈 逢はぬ間に恋しき道も知りにしをなどうれしきにまどふ心ぞ

歌番号一一六二
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 伊可奈利之布之尓可以止乃美多礼个无志日天久礼止毛止个寸三由留八
定家 伊可奈利之布之尓可以止乃美多礼个无志日天久礼止毛止个寸見由留八
和歌 いかなりし ふしにかいとの みたれけむ しひてくれとも とけすみゆるは
解釈 いかなりし節にか糸の乱れけん強ひて繰れども解けず見ゆるは

歌番号一一六三
飛止乃女尓加与比个留三川个良礼者部利天
人乃女尓加与比个留見川个良礼侍天
人の妻に通ひける、見つけられ侍りて

可天宇保宇之
賀朝法師
賀朝法師

原文 三奈久止毛飛止尓志良礼之与乃奈可尓志良礼奴也万遠志留与之毛可奈
定家 身奈久止毛人尓志良礼之世中尓志良礼奴山遠志留与之毛哉
和歌 みなくとも ひとにしられし よのなかに しられぬやまを しるよしもかな
解釈 身投ぐとも人に知られじ世の中に知られぬ山を知るよしもがな

歌番号一一六四
加部之 
返之 
返し

毛止乃於止己
毛止乃於止己
もとのをとこ(元の男)

原文 与乃奈可尓志良礼奴也万尓三奈久止毛多尓乃己々呂也以者天於毛者武
定家 世中尓志良礼奴山尓身奈久止毛谷乃心也以者天於毛者武
和歌 よのなかに しられぬやまに みなくとも たにのこころや いはておもはむ
解釈 世の中に知られぬ山に身投ぐとも谷の心や言はで思はむ

歌番号一一六五
也末乃為乃幾美尓徒可者之遣留
山乃井乃幾美尓徒可者之遣留
山の井の君につかはしける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 遠止尓乃三幾々天八也末之安佐久止毛以左久美々天无也末乃為乃美川
定家 遠止尓乃三幾々天八也末之安佐久止毛以左久美々天无山乃為乃水
和歌 おとにのみ ききてはやまし あさくとも いさくみみてむ やまのゐのみつ
解釈 音にのみ聞きてはやまじ浅くともいざ汲みみてん山の井の水

歌番号一一六六
也末比之个留遠加良宇之天遠己多礼利止幾々天
也末比之个留遠加良宇之天遠己多礼利止幾々天
病しけるを、からうじておこたれりと聞きて

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 志天乃也末多止留/\毛己衣奈々天宇幾与乃奈可尓奈尓加部利个无
定家 志天乃山多止留/\毛己衣奈々天宇幾世中尓奈尓加部利个无
和歌 してのやま たとるたとるも こえななて うきよのなかに なにかへりけむ
解釈 死出の山たどるたどるも越えななで憂き世の中になに帰りけん

歌番号一一六七
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 加寸奈良奴三遠毛知尓々天与之乃也末多可幾奈計幾遠於毛比己利奴留
定家 加寸奈良奴身遠毛知尓々天吉野山高幾歎遠思己利奴留
和歌 かすならぬ みをもちににて よしのやま たかきなけきを おもひこりぬる
解釈 数ならぬ身を持荷にて吉野山高き嘆きを思ひ懲りぬる

歌番号一一六八
加部之 
返之 
返し

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 与之乃也末己衣无己止己曽加多可良女己良武奈个幾乃加寸者之利奈无
定家 吉野山己衣无事己曽加多可良女己良武歎乃加寸者之利奈无
和歌 よしのやま こえむことこそ かたからめ こらむなけきの かすはしりなむ
解釈 吉野山越えん事こそ難からめ樵らむ嘆きの数は知りなん

歌番号一一六九
与宇世為无乃美可止々幾/\止乃為尓佐不良八世太末宇个留遠
飛左之宇女之奈可利个礼八多天万川利个留
陽成院乃美可止時/\止乃為尓佐不良八世太末宇个留遠
飛左之宇女之奈可利个礼八多天万川利个留
陽成院の帝、時々宿直にさぶらはせたまうけるを、
久しう召しなかりければ、たてまつりける

无左之
武蔵
武蔵

原文 加寸奈良奴三尓遠久与為乃之良堂万者飛可利三衣左寸毛乃尓曽安利个留
定家 加寸奈良奴身尓遠久与為乃白玉者光見衣左寸物尓曽有个留
和歌 かすならぬ みにおくよひの しらたまは ひかりみえさす ものにそありける
解釈 数ならぬ身に置く宵の白玉は光見えさす物にぞ有りける

歌番号一一七〇
満可利加与比个留於无奈乃己々呂止計寸乃美三衣者部利个礼八
止之川幾毛部奴留遠以万左部加々留己止々以比川可者
之多利个礼八
満可利加与比个留女乃心止計寸乃美見衣侍个礼八
年月毛部奴留遠今左部加々留己止々以比川可者
之多利个礼八
まかり通ひける女の心解けずのみ見え侍りければ、
年月も経ぬるを、今さへかかること、と言ひつかは
したりければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 奈尓者可多美幾者乃安之乃於以可与尓宇良三天曽布留飛止乃己々呂遠
定家 奈尓者可多美幾者乃安之乃於以可与尓怨天曽布留人乃己々呂遠
和歌 なにはかた みきはのあしの おいかよに うらみてそふる ひとのこころを
解釈 難波潟汀の葦の追い風に恨みてぞ経る人の心を

歌番号一一七一
於无奈乃毛止与利宇良三遠己世天者部利个留可部之己止尓
女乃毛止与利怨遠己世天侍个留返事尓
女の許より恨みおこせて侍りける返事に

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 和寸留止八宇良三左良奈无者之多可乃止可部留也末乃之為八毛三知寸
定家 和寸留止八怨左良南者之多可乃止可部留山乃之為八毛三知寸
和歌 わするとは うらみさらなむ はしたかの とかへるやまの しひはもみちす
解釈 忘るとは恨みざらなんはし鷹のとかへる山の椎はもみぢす

歌番号一一七二
武可之於奈之止呂尓美也徒可部之者部利个留於无奈乃於止己尓
徒幾天飛止乃久尓々於知為多利遣留遠幾々川个天
己々呂安利个留飛止奈礼者以比川可八之个留
武可之於奈之所尓宮徒可部之侍个留女乃於止己尓
徒幾天人乃久尓々於知為多利遣留遠幾々川个天
心安利个留人奈礼者以比川可八之个留
昔同じ所に宮仕へし侍りける女の、男に
つきて人の国に落ちゐたりけるを聞きつけて
心ありける人なれば、言ひつかはしける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 遠知己知乃飛止女万礼奈留也末左止尓以部為世无止八於毛比幾也幾美
定家 遠知己知乃人女万礼奈留山里尓家為世无止八思幾也君
和歌 をちこちの ひとめまれなる やまさとに いへゐせむとは おもひきやきみ
解釈 遠近の人目まれなる山里に家ゐせんとは思ひきや君

歌番号一一七三
加部之 
返之 
返し

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 三遠宇之止飛止之礼奴与遠多川祢己之久毛乃也部堂川也末尓也八安良奴
定家 身遠宇之止人之礼奴世遠尋己之雲乃也部立山尓也八安良奴
和歌 みをうしと ひとしれぬよを たつねこし くものやへたつ やまにやはあらぬ
解釈 身を憂しと人知れぬ世を尋ね来し雲の八重立つ山にやはあらぬ

歌番号一一七四
於止己奈止者部良寸之天止之己呂也末左止尓己毛利
者部利个留於无奈遠武可之安比之利天者部利个留飛止
美知満可利个留徒以天尓飛佐之宇幾己衣佐利川留遠
己々尓奈利个利止以比以礼天者部利个礼者
於止己奈止侍良寸之天止之己呂山里尓己毛利
侍个留女遠武可之安比之利天侍个留人
美知満可利个留徒以天尓飛佐之宇幾己衣佐利川留遠
己々尓奈利个利止以比以礼天侍个礼者
男など侍らずして年ごろ山里に籠もり
侍りける女を、昔あひ知りて侍りける人、
道まかりけるついでに、久しう聞こえざりつるを、
ここになりけりと言ひ入れて侍りけれは

土左
土左
土左

原文 安佐奈个尓与乃宇幾己止遠志乃比川々奈可女世之万尓止之者部尓个利
定家 安佐奈个尓世乃宇幾己止遠志乃比川々奈可女世之万尓年者部尓个利
和歌 あさなけに よのうきことを しのひつつ なかめせしまに としはへにけり
解釈 朝なけに世の憂きことをしのびつつながめせしまに年は経にけり

歌番号一一七五
也末左止尓者部利个留尓武可之安比之礼留飛止乃
以川与利己々尓者寸武曽止々飛个礼八
山里尓侍个留尓武可之安比之礼留人乃
以川与利己々尓者寸武曽止々飛个礼八
山里に侍りけるに、昔あひ知れる人の、
いつよりここには住むぞと問ひければ

可武為无
閑院
閑院

原文 者留也己之安幾也由幾个无於本川可奈加个乃久知幾止与遠寸久寸三八
定家 春也己之秋也由幾个无於本川可奈影乃朽木止世遠寸久寸身八
和歌 はるやこし あきやゆきけむ おほつかな かけのくちきと よをすくすみは
解釈 春や来し秋や行きけんおぼつかな蔭の朽木と世を過ぐす身は

歌番号一一七六
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

従良由幾 
従良由幾 
つらゆき(紀貫之)

原文 与乃奈可者宇幾毛乃奈礼也飛止己止乃止尓毛加久尓毛幾己衣久留之幾
定家 世中者宇幾物奈礼也人己止乃止尓毛加久尓毛幾己衣久留之幾
和歌 よのなかは うきものなれや ひとことの とにもかくにも きこえくるしき
解釈 世の中は憂きものなれや人言のとにもかくにも聞こえ苦しき

歌番号一一七七
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 武差之乃者曽天比川者可利和个之可止和可武良左幾八多川根和比尓起
定家 武蔵野者袖比川許和个之可止和可紫八多川根和比尓起
和歌 むさしのは そてひつはかり わけしかと わかむらさきは たつねわひにき
解釈 武蔵野は袖ひつばかり分けしかと若紫は尋ねわびにき

歌番号一一七八
以止万尓天己毛利為天者部利个留己呂飛止乃止八寸者部利个礼者
以止万尓天己毛利為天侍个留己呂人乃止八寸侍个礼者
暇にてこもりゐて侍りけるころ、人の訪はず侍りければ

美不乃多々三祢
壬生忠岑
壬生忠岑

原文 於保安良幾乃毛利乃久左止也奈利尓个无加利尓多尓幾天止不飛止乃奈幾
定家 於保安良幾乃毛利乃草止也奈利尓个无加利尓多尓幾天止不人乃奈幾
和歌 おほあらきの もりのくさとや なりにけむ かりにたにきて とふひとのなき
解釈 大荒木の森の草とやなりにけん刈りにだに来て訪ふ人のなき

歌番号一一七九
安留止己呂尓美也川可部之者部利个留於无奈乃安多奈多知个留加毛止与利
遠乃礼可宇部八曽己尓奈无久知乃者尓可个天以者留奈留止
宇良美天者部利个礼八
安留所尓宮川可部之侍个留女乃安多奈多知个留加毛止与利
遠乃礼可宇部八曽己尓奈无久知乃者尓可个天以者留奈留止
宇良美天侍个礼八
ある所に宮仕へし侍りける女の、あだ名立ちけるがもとより、
己れが上は、そこになん口の端にかけて言はるなると
恨みて侍りければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 安者礼天不己止己曽川根乃久知乃波尓加々留也飛止遠於毛不奈留良无
定家 安者礼天不事己曽川根乃久知乃波尓加々留也人遠思奈留良无
和歌 あはれてふ ことこそつねの くちのはに かかるやひとを おもふなるらむ
解釈 あはれてふ事こそ常の口の端にかかるや人を思ふなるらん

歌番号一一八〇
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

以世
伊勢
伊勢

原文 布久加世乃志多乃知利尓毛安良奈久尓佐毛太知也寸幾和可奈幾奈可奈
定家 吹風乃志多乃知利尓毛安良奈久尓佐毛太知也寸幾和可奈幾奈哉
和歌 ふくかせの したのちりにも あらなくに さもたちやすき わかなきなかな
解釈 吹く風の下の塵にもあらなくにさも立ちやすき我がなき名かな

歌番号一一八一
加春可仁満宇天个留三知尓左本可者乃本止利尓
者川世与利加部留於无奈久留万乃安比天者部利个留可寸多礼乃
安幾多留与利者川可尓美以礼个礼者安比之利天
者部利个留於无奈乃己々呂左之不可久於毛比加者之奈可良
者々可留己止者部利天安比者奈礼天无川奈々止之者可利尓
奈利者部利尓个留於无奈尓者部利个礼者加乃久留万尓以比
以礼者部利个留
加春可仁満宇天个留道尓左本河乃本止利尓
者川世与利加部留女久留万乃安比天侍个留可寸多礼乃
安幾多留与利者川可尓見以礼个礼者安比之利天
侍个留女乃心左之不可久思加者之奈可良
者々可留事侍天安比者奈礼天六七年(六七年=武止世<朱>)許尓
奈利侍尓个留女尓侍个礼者加乃久留万尓以比
以礼侍个留
春日に詣でける道に、佐保河のほとりに、
初瀬より帰る女車の逢ひて侍りけるが、簾の
開きたるよりはつかに見入れければ、相知りて
侍りける女の心ざし深く思ひ交しながら、
はばかる事侍りて、あひ離れて六七年ばかりに
なり侍りにける女に侍りければかの車に言ひ
入れ侍りける

可武為无乃比多利乃於本以万宇知幾三
閑院左大臣
閑院左大臣

原文 布留佐止乃佐本乃可者美川个不毛奈保加久天安不世八宇礼之可利个利
定家 布留佐止乃佐本乃河水个不毛猶加久天安不世八宇礼之可利个利
和歌 ふるさとの さほのかはみつ けふもなほ かくてあふせは うれしかりけり
解釈 古里の佐保の河水今日もなほかくて逢瀬はうれしかりけり

歌番号一一八二
飛者乃比多利乃於本以万宇知幾三与宇者部利天奈良乃波遠毛止女
者部利个礼者知可奴可安比之利天者部利个留以部尓止利
尓徒可者之多利个礼八
枇杷左大臣与宇侍天奈良乃波遠毛止女
侍个礼者知可奴可安比之利天侍个留家尓止利
尓徒可者之多利个礼八
枇杷左大臣、用侍りて楢の葉をもとめ
侍りければ、千兼があひ知りて侍りける家に取り
につかはしたりければ

止之己
俊子
俊子

原文 和可也止遠以徒奈良之天可奈良乃者遠奈良之加本尓八於利尓遠己春留
定家 和可也止遠以徒奈良之天可奈良乃者遠奈良之加本尓八於利尓遠己春留
和歌 わかやとを いつならしてか ならのはを ならしかほには をりにおこする
解釈 我が宿をいつ馴らしてか楢の葉を馴らし顔には折りにおこする

歌番号一一八三
加部之 
返之 
返し

飛者乃比多利乃於本以万宇知幾三
枇杷左大臣
枇杷左大臣

原文 奈良乃葉乃者毛利乃加美乃末之个留遠志良天曽於里之多々利奈左留奈
定家 奈良乃葉乃者毛利乃神乃末之个留遠志良天曽於里之多々利奈左留奈
和歌 ならのはの はもりのかみの ましけるを しらてそをりし たたりなさるな
解釈 楢の葉の葉守の神のましけるを知らでぞ折りしたたりなさるな

歌番号一一八四
止毛多知乃毛止尓満可利天佐可川幾安万多々比尓
奈里尓个礼者尓遣天満可利个留遠止々女和川良日
天毛天者部利个留布衣遠止利止々女天万多乃安之多
尓川可八之个留
止毛多知乃毛止尓満可利天佐可川幾安万多々比尓
奈里尓个礼者尓遣天満可利个留遠止々女和川良日
天毛天侍个留布衣遠止利止々女天又乃安之多
尓川可八之个留
友だちのもとにまかりて、盃あまた度に
なりにければ、逃げてまかりけるを、とどめわつらひ
て持て侍りける笛を取りとどめて、又の朝
につかはしける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 加部利天者己恵也堂可者武布衣多計乃川良幾比止与乃加多美止於毛部八
定家 帰天者声也堂可者武布衣竹乃川良幾比止与乃加多美止思部八
和歌 かへりては こゑやたかはむ ふえたけの つらきひとよの かたみとおもへは
解釈 帰りては声や違はむ笛竹のつらき一夜のかたみと思へば

歌番号一一八五
加部之 
返之 
返し

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 飛止布之尓宇良美奈者天曽布衣多計乃己恵乃宇知尓毛於毛不己々呂安利
定家 飛止布之尓怨奈者天曽笛竹乃己恵乃内尓毛思不心安利
和歌 ひとふしに うらみなはてそ ふえたけの こゑのうちにも おもふこころあり
解釈 一節に恨みな果てそ笛竹の声の内にも思ふ心あり

歌番号一一八六
毛止与利止毛多知尓者部利个礼八川良由幾尓安比可
多良日天加祢寸个乃安曾无乃以部尓奈川幾遠徒多部
左世者部利个留尓曽乃奈川幾尓久者部天川良由幾
尓遠久利个累
毛止与利友多知尓侍个礼八川良由幾尓安比可
多良日天兼輔朝臣乃家尓名川幾遠徒多部
左世侍个留尓曽乃奈川幾尓久者部天川良由幾
尓遠久利个累
もとより友だちに侍りければ、貫之にあひ
語らひて、兼輔朝臣の家に名づきを伝へ
させ侍りけるに、その名づきに加へて貫之
に送りける

美川祢
美川祢
みつね(凡河内躬恒)

原文 飛止尓徒久多与利多尓奈之於本安良幾乃毛利乃志多奈留久左乃三奈礼八
定家 人尓徒久多与利多尓奈之於本安良幾乃毛利乃志多奈留草乃身奈礼八
和歌 ひとにつく たよりたになし おほあらきの もりのしたなる くさのみなれは
解釈 人につくたよりだになし大荒木の森の下なる草の身なれば

歌番号一一八七
加祢多々乃安曾无可者々三万可利尓遣礼者加祢多々遠波
奈幾飛者乃比多利乃於本以万宇知幾三乃以部尓武寸女遠者
幾左以乃美也尓佐不良者世武止安比左多女天
布多利奈可良万川飛者乃以部尓和多之遠久留止
天久者部天者部利个留
兼忠朝臣母身万可利尓遣礼者兼忠遠波
故枇杷左大臣乃家尓武寸女遠者
幾左以乃宮尓佐不良者世武止安比左多女天
布多利奈可良万川枇杷乃家尓和多之遠久留止
天久者部天侍个留
兼忠朝臣の母、身まかりにければ、兼忠をば
故枇杷左大臣の家に、女をば
后の宮にさぶらはせむと相定めて、
二人ながらまづ枇杷の家に渡し送ると
て、加へて侍りける

加祢多々乃安曾无可者々乃女乃止
兼忠朝臣母乃女乃止
兼忠朝臣母のめのと(源兼忠朝臣母乳母)

原文 武寸比遠幾之加多美乃己多尓奈可利世者奈尓々志乃不乃久左遠川万々之
定家 結遠幾之加多美乃己多尓奈可利世者何尓忍乃草遠川万々之
和歌 むすひおきし かたみのこたに なかりせは なににしのふの くさをつままし
解釈 結び置きしかたみのこだになかりせば何に忍の草を摘ままし

歌番号一一八八
毛乃於毛日者部利个留己呂也武己止奈幾堂可幾止己呂
与利止者世多末部利个礼八
毛乃思日侍个留己呂也武己止奈幾堂可幾所
与利止者世多末部利个礼八
物思ひ侍りけるころ、やむごとなき高き所
より問はせたまへりければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 宇礼之幾毛宇幾毛己々呂者日止川尓天和可礼奴毛乃者奈美多奈利个利
定家 宇礼之幾毛宇幾毛心者日止川尓天和可礼奴物者涙奈利个利
和歌 うれしきも うきもこころは ひとつにて わかれぬものは なみたなりけり
解釈 うれしきも憂きも心は一つにて分かれぬ物は涙なりけり

歌番号一一八九
与乃奈可乃己々呂尓加奈者奴己止毛宇之个留川以天尓
世中乃心尓加奈者奴事申个留川以天尓
世の中の心にかなはぬ事申しけるついでに

従良由幾 
従良由幾 
つらゆき(紀貫之)

原文 於之可良天加奈之幾毛乃者三奈利个利宇幾与曽武可无可多遠之良祢八
定家 於之可良天加奈之幾物者身奈利个利宇幾世曽武可无方遠之良祢八
和歌 をしからて かなしきものは みなりけり うきよそむかむ かたをしらねは
解釈 惜しからで悲しき物は身なりけり憂き世背かん方を知らねば

歌番号一一九〇
於毛不己止者部利个留己呂飛止尓川可者之个留
於毛不己止侍个留己呂人尓川可者之个留
思ふこと侍りけるころ、人につかはしける

与三飛止之良寸 
与三人之良寸 
よみひとしらす

原文 於毛比以川留止幾曽加奈之幾与乃奈可者曽良由久々毛乃者天遠之良祢八
定家 思以川留時曽加奈之幾世中者曽良行雲乃者天遠之良祢八
和歌 おもひいつる ときそかなしき よのなかは そらゆくくもの はてをしらねは
解釈 思ひ出づる時ぞ悲しき世の中は空行く雲の果てを知らねば

歌番号一一九一
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与三飛止之良寸 
与三人之良寸 
よみひとしらす

原文 安者礼止毛宇之止毛以者之加遣呂不乃安留可奈幾可尓个奴留与奈礼者
定家 安者礼止毛宇之止毛以者之加遣呂不乃安留可奈幾可尓个奴留与奈礼者
和歌 あはれとも うしともいはし かけろふの あるかなきかに けぬるよなれは
解釈 あはれとも憂しとも言はじかげろふのあるかなきかに消ぬる世なれば

歌番号一一九二
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与三飛止之良寸 
与三人之良寸 
よみひとしらす

原文 阿八礼天不己止尓奈久左武与乃奈可遠奈止可无可之止以比天寸久良无
定家 阿八礼天不事尓奈久左武世中遠奈止可昔止以比天寸久良无
和歌 あはれてふ ことになくさむ よのなかを なとかむかしと いひてすくらむ
解釈 あはれてふ事に慰む世の中をなどか昔と言ひて過ぐらん

歌番号一一九三
者利万乃久尓々堂可々堂止以不止己呂尓於毛之呂幾
以部毛知天者部利个留遠美也己尓天者々加毛尓天
飛左之宇万可良天加乃多可々多尓者部利个留飛止
尓以比川可八之个留
者利万乃久尓々堂可々堂止以不所尓於毛之呂幾
家毛知天侍个留遠京尓天者々加毛尓天
飛左之宇万可良天加乃多可々多尓侍个留人
尓以比川可八之个留
播磨国にたかがたといふ所におもしろき
家持ちて侍りけるを、京にて母が喪にて
久しうまからで、かのたかがたに侍りける人
に言ひつかはしける

与三飛止之良寸 
与三人之良寸 
よみひとしらす

原文 毛乃於毛不止由幾天毛三祢者多可々多乃安万乃止万也八久知也之奴良无
定家 物思止行天毛見祢者多可々多乃安万乃止万也八久知也之奴良无
和歌 ものおもふと ゆきてもみねは たかかたの あまのとまやは くちやしぬらむ
解釈 物思ふと行きても見ねばたかがたの海人の苫屋は朽ちやしぬらん

歌番号一一九四
恵武幾乃於本武止幾止幾乃久良武止乃毛止尓曽宇之毛
勢与止於保之久天徒可者之遣留
延喜御時止幾乃蔵人乃毛止尓曽宇之毛
延喜御時、時の蔵人の許に、奏しも
せよとおぼしくてつかはしける

身川祢
身川祢
みつね(凡河内躬恒)

原文 由女尓多仁宇礼之止毛三者宇徒々尓天王飛之幾与利者奈保万佐利奈无
定家 夢尓多仁宇礼之止毛見者宇徒々尓天王飛之幾与利者猶万佐利奈无
和歌 ゆめにたに うれしともみは うつつにて わひしきよりは なほまさりなむ
解釈 夢にだにうれしとも見ばうつつにてわびしきよりはなほまさりなん

万葉集 集歌977から集歌981まで

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集歌九七七 
原文 直超乃 此徑尓師弖 押照哉 難波乃跡 名附家良思裳
訓読 直(ただ)超(こ)へのこの道にして押し照るや難波(なには)の跡(たづ)と名付けけらしも
私訳 真っ直ぐに生駒の山並みを越えて来るこの道の景色の故でしょう、、太陽が力強く照り輝く場所としての「押し照るや、難波」の詞が伝承として名付けられたのでしょう。

山上臣憶良沈痾之時謌一首
標訓 山上臣憶良の痾(やまひ)に沈みし時の謌一首
集歌九七八 
原文 士也母 空應有 萬代尓 語續可 名者不立之而
訓読 士(をのこ)やも空しくあるべき万代(よろづよ)に語り継ぐべき名は立たずしに
私訳 私はこれでも「士」なのだろうか。仏教ではこの世は空しいとされるはずではあるが、人の世に万代に語り継ぐような名を立てることが出来ずじまいで。
左注 右一首、山上憶良臣沈痾之時、藤原臣八束、使河邊朝臣東人令問所疾之状。於是憶良臣、報語已畢、有須拭涕、悲嘆、口吟此謌。
注訓 右の一首は、山上憶良臣の痾(やまひ)に沈みし時に、藤原臣八束、河邊朝臣東人を使(つか)はして疾(や)める状(さま)を問はせしむ。ここに憶良臣、報(こたへ)の語(ことば)已に畢(おは)り、須(しまし)ありて涕(なみだ)を拭ひ、悲しび嘆きて、此の謌を口吟(うた)へり。

大伴坂上郎女輿、姪家持従佐保還歸西宅謌一首
標訓 大伴坂上郎女の輿(こし)にて姪(をひ)家持の佐保(さほ)従(よ)り西の宅(いへ)に還歸(かへ)る謌一首
集歌九七九 
原文 吾背子我 著衣薄 佐保風者 疾莫吹 及宅左右
訓読 吾が背子が着(け)る衣(きぬ)薄(うす)し佐保風(さほかぜ)は疾(いた)くな吹きそ宅(や)に至るさへ
私訳 私が親愛する貴女が着る衣は薄い。佐保から吹く風よ、そんなに吹くな。あの女(ひと)が屋敷に帰り至るまでは。
注意 標の原文は「大伴坂上郎女輿」は、一般に「大伴坂上郎女與」と記し「大伴坂上郎女の」と訓じます。

安倍朝臣蟲麿月謌一首
標訓 安倍朝臣蟲麿の月の謌一首
集歌九八〇 
原文 雨隠 三笠乃山乎 高御香裳 月乃不出来 夜者更降管
訓読 雨(あま)隠(こも)る三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は降(くた)ちつつ
私訳 雨に降り隠もれた三笠の山が高いからか、月が出て来ない、その夜は更けて行く。
注意 解釈として宴会に呼ばれた藤原八束を「月」と譬えて、なかなかやって来ないとも解釈が可能です。以下、集歌984の歌までは「月」で藤原八束を比喩している可能性があります。

大伴坂上郎女月謌三首
標訓 大伴坂上郎女の月の謌三首
集歌九八一 
原文 葛高乃 高圓山乎 高弥鴨 出来月乃 遅将光 (葛は、犬+葛)
訓読 猟高(かりたか)の高円山(たかまどやま)を高みかも出で来る月の遅く光(てる)るらむ
私訳 猟高の高円山は高いからか、それで山から出てくる月は夜遅くに照るのでしょう。(=藤原八束が遅れて来ること)

万葉集 集歌982から集歌986まで

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集歌九八二 
原文 烏玉乃 夜霧立而 不清 照有月夜乃 見者悲沙
訓読 ぬばたまの夜霧(よぎり)し立ちにおほほしく照れる月夜(つくよ)の見れば悲しさ
私訳 漆黒の夜に霧が立ったから、ぼんやりと霧に姿を示す満月の月夜は眺めると切ない。

集歌九八三 
原文 山葉 左佐良榎牡子 天原 門度光 見良久之好藻
訓読 山し端(は)しささらえ牡士(をとこ)天つ原門(と)渡(わた)る光見らくしよしも
私訳 山の稜線に「ささらえ男子」が天の原の路を渡っていく、その印のような光を眺めることは気持ちが良いことです。
左注 右一首謌、或云月別名曰佐散良衣壮也、縁此辞作此謌。
注訓 右の一首の謌は、或は云はく「月の別(また)の名を『佐散良衣(ささらえ)壮(をとこ)』と曰(い)ふ、此の辞(ことば)に縁(より)て此の謌を作れり」といへり。

豊前娘子月謌一首  娘子字曰大宅。姓氏未詳也
標訓 豊前(とよさき)の娘子(をとめ)の月の謌一首  娘子(をとめ)は字(あざな)を大宅(おほやけ)と曰ふ。姓氏は未だ詳(つはび)かならず。
集歌九八四 
原文 雲隠 去方乎無跡 吾戀 月哉君之 欲見為流
訓読 雲(くも)隠(かく)り行方(ゆくへ)を無みと吾が恋ふる月をや君し見まく欲(ほ)りする
私訳 雲に隠れ、その行方が判らないと私が心配する、その満月の月を、貴方は見たいとお望みになる。
注意 若い女性の「月」には別に「妊娠のきざし」という比喩もあり、「月を見た」のなら妊娠していないことになります。

湯原王月謌二首
標訓 湯原王の月の謌二首
集歌九八五 
原文 天尓座 月讀牡子 幣者将為 今夜乃長者 五百夜継許増
訓読 天に坐(ま)す月読(つくよみ)牡士(をとこ)幣(まひ)は為(せ)む今夜(こよひ)の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ
私訳 天にいらっしゃる月読壮士(=遅れってやって来た藤原八束)よ、進物を以って祈願をしよう。満月の今夜の長さが、五百日もの夜を足したほどであるようにと。

集歌九八六 
原文 愛也思 不遠里乃 君来跡 大能備尓鴨 月之照有
訓読 愛(は)しきやし間(ま)近き里の君来むと大(おほ)のびにかも月し照りたる
私訳 愛おしいと思う、間近い里に住む恋人がやって来たかのようにおほ伸びに(=大きく背伸びして)眺める。その言葉のひびきではないが、おほのびに(=甚だ間延びしたように)月が照って来た(=藤原八束が遅れってやって来た)。

万葉集 集歌987から集歌991まで

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藤原八束朝臣月謌一首
標訓 藤原八束朝臣の月の謌一首
集歌九八七 
原文 待難尓 余為月者 妹之著 三笠山尓 隠而有来
訓読 待ちかてに余(あ)がする月は妹し著(き)る三笠し山に隠(こも)りにありけり
私訳 待ちきれないと私が思った月は、雨に恋人が著ける御笠のような、その三笠山に隠れてしまっている。

市原王宴祷父安貴王謌一首
標訓 市原王の宴(うたげ)にして父安貴王を祷(いは)ふ歌一首
集歌九八八 
原文 春草者 後波落易 巌成 常磐尓座 貴吾君
訓読 春草は後(のち)は落(ち)り易(か)ふ巌(いはお)なす常盤(ときは)に坐(い)ませ貴(とふと)き吾が君
私訳 春の草は後には秋の枯れ草に変わっていきます。しかし、磐のように常盤にいてください、貴い私の大切な貴方。

湯原王打酒謌一首
標訓 湯原王の酒を打つ謌一首
集歌九八九 
原文 焼刀之 加度打放 大夫之 壽豊御酒尓 吾酔尓家里 (壽は、示+壽の当て字)
訓読 焼(やき)太刀(たち)し稜(かど)打ち放(は)ち大夫(ますらを)し寿(は)く豊御酒(とよみさけ)に吾れ酔(よ)ひにけり
私訳 焼いて鍛えた太刀の稜を鞘から打ち放ち舞い、大夫の寿を祝う立派な御酒に私は酔ってしまった。

紀朝臣鹿人見茂岡之松樹謌一首
標訓 紀朝臣鹿人の茂岡の松の樹を見ての謌一首
集歌九九〇 
原文 茂岡尓 神佐備立而 榮有 千代松樹乃 歳之不知久
訓読 茂岡(しげをか)に神さび立ちに栄えたる千代(ちよ)松し樹の歳し知らなく
私訳 茂岡に神々しく立ち、立派な枝を張る千代松の樹の歳は、どれほど久しいかは判らない。

同鹿人至泊瀬河邊作謌一首
標訓 同じく鹿人の泊瀬の河邊に至りて作れる謌一首
集歌九九一 
原文 石走 多藝千流留 泊瀬河 絶事無 亦毛来而将見
訓読 石(いは)走(ばし)り激(たぎ)ち流るる泊瀬川絶ゆることなくまたも来に見む
私訳 磐の上をしぶきをあげほとばしり流れる泊瀬川よ。その流れが絶えることがないように、絶えることなく再び来て眺めましょう。

万葉集 集歌992から集歌996まで

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大伴坂上郎女詠元興寺之里謌一首
標訓 大伴坂上郎女の元興寺の里を詠ふ謌一首
集歌九九二 
原文 古郷之 飛鳥者雖有 青丹吉 平城之明日香乎 見樂思好裳
訓読 古郷(ふるさと)し飛鳥はあれどあをによし平城(なら)し明日香を見らくしよしも
私訳 旧都の飛鳥に飛鳥寺(=法興寺)は残っているが、その飛鳥寺が青葉美しい奈良の都の明日香に遷ってきて新しい飛鳥寺(=元興寺)として見るのは楽しいことです。

同坂上郎女初月謌一首
標訓 同じく坂上郎女の初月(みかづき)の謌一首
集歌九九三 
原文 月立而 直三日月之 眉根掻 氣長戀之 君尓相有鴨
訓読 月立ちにただ三日月し眉根(まよね)掻き日(け)長く恋ひし君に逢へるかも
私訳 月が変わり、空に姿を現す三日月。その細い三日月のような細い眉を描きました。言い伝えで眉を掻くと恋しい人に逢えるといいますから、私は日一日をずっと慕う貴方に逢えるのでしょうか。

大伴宿祢家持初月謌一首
標訓 大伴宿祢家持の初月(みかづき)の謌一首
集歌九九四 
原文 振仰而 若月見者 一目見之 人乃眉引 所念可聞
訓読 振り仰(さ)けに若月(みかつき)見れば一目見し人の眉引(まよひき)そ念(も)ゆるかも
私訳 振り仰いで三日月を眺めると、一目見たあの女(ひと)の三日月のような細い眉の面立ちを思い出します。

大伴坂上郎女宴親族謌一首
標訓 大伴坂上郎女の親族(うから)と宴(うたげ)せる謌一首
集歌九九五 
原文 如是為乍 遊飲與 草木尚 春者生管 秋者落去
訓読 如(かく)しつつ遊び飲みこそ草木すら春は生(もえ)つつ秋は落(か)りゆく
私訳 このように風流を楽しみ飲食してください。草木ですら春は春を楽しみ萌え出でて、秋には季節を彩り黄葉として散っていきます。

六年甲戌海犬養宿祢岡麻呂應詔謌一首
標訓 (天平)六年甲戌、海犬養宿祢岡麻呂の詔(みことのり)に應(こた)へたる謌一首
集歌九九六 
原文 御民吾 生有驗在 天地之 榮時尓 相樂念者
訓読 御民(みたみ)吾(あ)れ生(い)ける験(しるし)あり天地し栄ゆる時にあへらく念(おも)へば
私訳 大王の御民である私は、生きている甲斐があります。天も地も栄えるこの御世に巡り遇うと思うと。

万葉集 集歌997から集歌1001まで

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春三月幸于難波宮之時謌六首
標訓 (天平六年)春三月に、難波宮に幸(いでま)しし時の謌六首
集歌九九七 
原文 住吉乃 粉濱之四時美 開藻不見 隠耳哉 戀度南
訓読 住吉(すみのえ)の粉浜(こはま)ししじみ開けも見ず隠(こも)りてのみや恋ひ渡りなむ
私訳 住吉の粉浜のしじみが固く蓋を閉じ開けるそぶりを見せない、そのように、ただ、貴女は閉じ籠っているだけでしょうか。そんな貴女に恋が募ります。
左注 右一首、作者未詳
注訓 右の一首は、作者いまだ詳(つばび)らかならず。

集歌九九八 
原文 如眉 雲居尓所見 阿波乃山 懸而榜舟 泊不知毛
訓読 眉(まよ)し如(ごと)雲居(くもゐ)にそ見る阿波(あは)の山懸(か)けに榜ぐ舟泊(とまり)知らずも
私訳 眉のように雲の上に見える阿波の山並みをめがけて操って行く舟。その舟がどこを目指すかは判らない。
左注 右一首、船王作
注訓 右の一首は、船王(ふなのおほきみ)の作れる

集歌九九九 
原文 従千沼廻 雨曽零来 四八津之白水郎 綱手綱乾有 沾将堪香聞
訓読 茅渟(ちぬ)廻(み)より雨ぞ降り来る四極(しはつ)し白水郎(あま)綱手(つなて)綱(つな)乾し濡れあへむかも
私訳 茅渟の海の辺りから雨が降り遣って来る。四極の漁師が舟の綱手の綱を干しているのが雨に濡れるでしょうか。
左注 右一首、遊覧住吉濱還宮之時、道上守部王應詔作謌
注訓 右の一首は、住吉の濱に遊覧(いでま)して、宮に還(かへりま)しし時に、道の上(ほとり)にて、守部王の詔(みことのり)に應(こた)へて作れる謌。
注意 原文の「綱手綱」の「綱手」は舟を引っ張る・引き寄せる動作をも意味し、「綱手綱」は舟を引き寄せる太い綱を意味します。標準解釈では「綱手綱乾有」を「綱手乾有」や「綱手乎乾有」などの誤字説を取ります。

集歌一〇〇〇 
原文 兒等之有者 二人将聞乎 奥渚尓 鳴成多頭乃 暁之聲
訓読 子らしあらば二人聞かむを沖つ渚(す)に鳴くなる鶴(たづ)の暁(あかとけ)し声
私訳 私にかわいい人がいたのなら、その子と二人で聞きたいものです。沖の洲で鳴いているらしい鶴の暁の声を。
左注 右一首、守部王作
注訓 右の一首は、守部王(もりべのおほきみ)の作れる

集歌一〇〇一 
原文 大夫者 御臈尓立之 未通女等者 赤裳須素引 清濱備乎
訓読 大夫(ますらを)は御臈(みらう)に立たし未通女(をとめ)らは赤裳(あかも)裾引く清(きよ)き浜廻(はまび)を
私訳 立派な殿上人である人達は祖神の法要に参加し、未通女達は目も鮮やかな赤い裳裾を引き上げて清らかな浜辺を歩き行く。
左注 右一首、山部宿祢赤人作
注訓 右の一首は、山部宿祢赤人の作れる
注意 原文の「御臈尓立之」は、標準解釈では「御獮尓立之」と校訂し「御猟に立たし」と訓じます。


万葉雑記 番外雑話 万葉集と墨子 所染

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万葉雑記 番外雑話 万葉集と墨子 所染

 日本の古典と墨子の関係を眺めています。その中で、ここでは墨子の『所染』論に注目して日本の古典、特に万葉集との関係を眺めます。
 最初に、日本の古風な婚姻衣装に白無垢が有り、この白無垢の「白」の理由を「婚家のどんな色にも染まる」ことを根拠に説明します。そのような説明では白無垢の歴史を奈良時代に置き、婚姻の初日から三日間ほど白無垢の衣装を着て四日目に色物の衣装を着る風習があったとも解説します。一方、衣装を研究する立場からは白無垢の婚姻衣装は平安時代頃から始まり、室町時代までには白無垢が婚礼衣装となったとし、色打掛は室町時代後期以降になって記録に現れるとします。
 先の「奈良時代の三日間ほど」とは、およそ、妻問い婚時代の三日夜餅の風習に万葉集で詠う白妙の衣装を組み合わせて、誰かが想像して作り上げた都市伝説と思われます。一見、なるほどですが、飛鳥奈良時代は掛布団のような寝具がまだなく、男女が夜を共にするときはお互いの脱いだ帷子のような下着「衫」を抱き合った体に掛けます。以下に示す例①の万葉集の比喩相聞歌である集歌2828や集歌2829からしますと、当時はそれぞれが立場により好みの色に染めた下着「衫」を付けています。上着は律令制度では身分により規定色がありますから披露する場で着る婚姻衣装で白を着る可能性は薄いと考えます。また、妻問い婚の三日夜餅の風習では中世風の結婚式のような儀式は無かったと思われ、可能性で四日目の朝に行う床現しの儀礼での女家族との食事です。
 確かに万葉集では白妙の衣と歌に詠いますが、それはあくまで上古での上等で特別な布の意味ですし、繊維自体も男女が和歌を交わすような奈良貴族ですと調物からすると上進された絹製の既成品サイズの布から調度した衣装を着用し古式となる白妙の繊維製品は使用しません。一方、例②の離別歌である集歌3181や集歌3182からしますと、白妙の下着「衫」が特別の日の婚姻衣装ではないことが判ります。白妙の下着は日常着です。下級官吏や庶民の染料色は褐色や紺色ですから、これを嫌えば曝しの白色です。飛鳥奈良時代にあって紅色、赤色、黄色、浅茅色を染めるには高価な紅花などの染料の購入が必要ですから、庶民の女性が色鮮やかに染色した布は使いたくても使えません。庶民は生活圏で入手が出来るクヌギやアイから染めた褐色や紺色の布です。

例①
集歌2828 紅之 深染乃衣乎 下著者 人之見久尓 仁寳比将出鴨
訓読 紅(くれなゐ)し濃(こ)染(そめ)の衣(きぬ)を下し着(き)ば人し見らくににほひ出でむかも
私訳 貴女の紅色に濃く染めた衣を下に着たら、人が私の姿をじっと見つめる時に、その下着の色が透けて見えるでしょうか。(=関係が人に気付かれること)

集歌2829 衣霜 多在南 取易而 著者也君之 面忘而有
訓読 衣(ころも)しも多くあらなむ取り替へに着ればや君し面(おも)忘れにあり
私訳 下着と云っても、それをたくさん持っているからでしょうか。後朝の別れに下着を取り換えて着た貴方ですが、その相手の女性の面影(=交換した下着の色;私の好みは濃染の紅ではないことの暗示)を忘れていますよ。
左注 右二首寄衣喩思
注訓 右の二首は、衣に寄せて思ひを喩(たと)へる

例②
集歌3181 白細之 君之下紐 吾佐倍尓 今日結而名 将相日之為
訓読 白栲し君し下紐(したひも)吾(われ)さへに今日結びにな逢はむ日しため
私訳 白い栲の夜着の貴方の下紐を、貴方自身だけでなく私の手も添えて今日は結びましょう。また逢える日のために。

集歌3182 白妙之 袖之別者 雖借 思乱而 赦鶴鴨
訓読 白栲し袖し別れは借(し)くけども思ひ乱れに許しつるかも
私訳 床で交わした白い栲の夜着の袖の別れを世の定めとしてひと時は預けますが、それでも心は乱れたままにこの別れを認めてしまった。

 では、「白」の理由を「婚家のどんな色にも染まる」と説明する由来はどこからでしょうか。この「色に染まる」に注目しますと、似たような類語に「朱に交われば赤くなる」や「悪に染まる」のような言葉があります。調べものとしては「朱に交われば赤くなる」の出典検索が簡単で、これは傳玄の『太子少傳箴』に載る「近墨必緇、近朱必赤(墨に近づけば必ず黒く、朱に近づけば必ず赤くなる)」を語源とします。傳玄は中国三国時代から晋時代の人ですから、飛鳥時代以前の相当に古い由来となります。
 この「近墨必緇、近朱必赤」の言葉が傳玄の創作かと云うと違います。さらに古く、淮南子の「楊子見逵路而哭之、為其可以南可以北、墨子見練絲而泣之、為其可以黄可以黒、高誘曰、憫其本同而末異」に由来を求めます。この淮南子は前漢の武帝の頃の人ですが、その彼にあっても、その言葉は戦国時代前期の墨子の『所染』に載る「見染絲者而歎曰、染於蒼則蒼、染於黄則黄。所入者變、其色亦變。五入必而已、則為五色矣。故染不可不慎也」に由来を求めます。つまり、言葉の意味合いで「相手の色に染まる」と云うものは墨子の『所染』から出たものとなります。ここが、辿れる上限です。なお、墨子の『所染』の文中に載る「詩曰、必擇所堪。必謹所堪者、此之謂也」の文節の「堪」を「湛」に読み替えて、「ひたす」と訓じ、ここから「色に染まる」を『詩経』に語源を求める研究者もいます。ただし、そのためには墨子の『所染』の原文の校訂が必要なことや、校訂したとしても「必擇所湛」の文節は『詩経』の喪失詩として本来の姿を確認できません。つまり、希望を込めた可能性の提案だけとなります。
 中国の知識階級は古典引用を巧みに行うことを第一級の教養人としますし、日本も同様に古典の教養を求めます。そのような中、墨子の『所染』で説く主張は「墨悲絲染」の言葉で端的に表され、これが古語成語として現代にまで伝わります。
 逆にこの「墨悲絲染」の成語から探りますと、それ以降の作品としては中国古典楽曲に琴曲「墨子悲絲」があり、全唐文に李鐸の「密雨如散絲賦」が載り、日本では和漢朗詠集に大江以言の「密雨散加糸序」が有ります。このように教養人の中には墨子の『所染』は知識として伝わっていたことになります。なお、中国や日本のその時代を代表する文学者が出典を知らずに単に古語成語「墨悲絲染」の言葉を使った可能性は排除しませんが、時代を代表する教養人なら弊ブログの考えとしてここで紹介した調べもの程度のことは行ったであろうと期待しています。
 加えて、飛鳥奈良時代に「相手の色に染まる」と云う表現と言葉の理解が日本独自のものとして古くからあったのか、それとも中国古典に由来するのでしょうか。一般的な「白無垢の婚家のどんな色にも染まる」と云う理解は古くて奈良時代に置き、日本の上古からの伝統には置きません。つまり、その解釈では中国古典に由来することを暗黙に了解していると思います。当然、生活の中で泥や植物などで皮膚が染まる状態は経験しているでしょう。ただし、その現象を精神の世界に展開し「朱に交われば赤くなる」や「悪に染まる」のような理解と言葉を作り上げていたかです。墨子の『所染』はそのような日常的な風景から精神世界に展開し、論を述べています。解説を受ければ簡単に納得できる論法ですが、そのような論理と理解が上古の日本にあったかです。つまり、弊ブログとしては飛鳥奈良時代に知識階級には「相手の色に染まる」と云う表現があれば、傳玄の「近墨必緇、近朱必赤」、淮南子の「墨子見練絲而泣之、為其可以黄可以黒」、墨子の「見染絲者而歎曰、染於蒼則蒼、染於黄則黄。所入者變、其色亦變。五入必而已、則為五色矣。故染不可不慎也」は知識にあっただろうと考えます。
 墨子は『所染』で、白い糸は黄く染めれば黄く、青く染めれば青くなり、それぞれに五色あればそれぞれ五色に染まる。だから、糸を染める時は事前に十分に配慮・計画をしなさい。同じように人間も良き人と交われば良き人に、悪しき人と交われば悪しき人になるから、人と付き合うときは十分に注意しなさいと説きます。でも、世の指導者であっても良臣と悪臣の区別が難しく、良き人だけと交わることがなかなか出来ない。それは持って生まれた性(さが)に由来するとします。それでため息をつくのです。それを後の人たちは「墨悲絲染」の成語で表します。
 ここまでの言葉の歴史を踏まえて、万葉集との関係を眺めていきます。その万葉集の歌の中で「染」と云う文字に注目し、音字ではなく同時に布以外のものを詠う歌を検索すると次のようなものを見つけることが出来ます。

引用①;
太宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時、府官人等餞卿筑前國蘆城驛家謌四首
標訓 太宰帥大伴卿の大納言に任(ま)けらえて京(みやこ)に臨入(いら)むとせし時に、府(つかさ)の官人等(つかさひとたち)の卿を筑前國の蘆城(あしき)の驛家(うまや)にして餞(うまのはなむけ)せる謌四首
集歌569 辛人之 衣染云 紫之 情尓染而所 念鴨
訓読 唐人(からひと)し衣(ころも)染(そ)むいふ紫(むらさき)し情(こころ)に染(そ)みてそ念(おも)ほゆるかも
私訳 唐人の衣を染めると云う紫の、その紫色の官衣を着る貴方を心の奥底から染(し)みて尊敬いたします。

引用②;
傷惜寧樂京荒墟作謌三首 (作者不審)
標訓 寧樂(なら)の京(みやこ)の荒れたる墟(あと)を傷(いた)み惜(お)しみて作れる謌三首 (作者審(つばひ)らかならず)
集歌1044 紅尓 深染西 情可母 寧樂乃京師尓 年之歴去倍吉
訓読 紅(くれなゐ)に深く染(し)みにし情(こころ)かも寧樂(なら)の京師(みやこ)に年し経(へ)ぬべき
私訳 栄華に建物が紅に彩られた、その紅に深く染まってしまった思いなのか、それならば留守の司以外住む事を許されない、この奈良の都で年を過すべきです。

引用③;
集歌2624 紅之 深染衣 色深 染西鹿齒蚊 遺不得鶴
訓読 紅(くれなゐ)し濃染(こそめ)の衣(ころも)色(いろ)深(ふか)く染(し)みにしかばか忘れかねつる
私訳 紅色に深く染めた衣の色のように、私の心に貴女が深く染み込んだからか、忘れることができません。

引用④;
豊後國白水郎謌一首
標訓 豊後國(とよのみちのしりのくに)の白水郎(あま)の謌一首
集歌3877 紅尓 染而之衣 雨零而 尓保比波雖為 移波米也毛
訓読 紅(くれなゐ)に染(そ)めてし衣(ころも)雨降りてにほひはすともうつろはめやも
私訳 紅色に染めた衣、雨が降り濡れて色が鮮やかになっても、その色が褪せることがあるでしょうか。

 ここで、引用①は大伴旅人と云う人物を尊敬し、その貴方を見習う意味合いで「染」の言葉を使っています。この用法は典型的な墨子の『所染』のものです。この歌を詠った人物は特定されていませんが、ほぼ、大宰府の大伴旅人の役宅で行われた梅花宴の出席者の誰かでしょう。およそ、九州にあって中国人や半島人と相対する外交防衛の実務を担当する教養人ですから、傳玄の「近墨必緇、近朱必赤」だけでなく墨子の『所染』も了解していたと考えます。
 次に引用②は平城京が旧都となり主だった建物が恭仁京へと解体・移築されつつある奈良の情景を悼む歌です。紅はその盛時の建物群を色で表し、その盛時であった奈良と云う思い出の世界にどっぷり浸っている心情を「染」の言葉で表しています。引用③や引用④も引用②と同じような用法で、恋と云う世界に浸っていることを「染」の言葉で表しています。気持ちはしっかりそのような心情に浸っている、染まっているから忘れることもないし、気持ちが薄れることも無いのです。それも相手への帰依の心が有りますから、「浸」や「湛」ではなく「染」なのでしょう。漢字での意味合いを十分に理解した上での選字と考えます。
 引用①は確かに典型的な墨子の『所染』の説くところのものですが、それ以外は『所染』の冒頭の部分の援用です。しかしながら、飛鳥・奈良時代には墨子の『所染』の説くところのものが知識階級にあったと思われます。大宰府の梅花宴で披露された前置漢文の賦は王羲之の「蘭亭序」を踏まえていると指摘されますから、逆にそのように指摘する人たちは梅花宴に集った人々は蘭亭序を知っていたし、その蘭亭序が引用する古典文学も理解していたと認識しています。ここからの類推で梅花宴の主催者は大伴旅人ですから、引用①の歌を贈られた大伴旅人は十分に歌の背景を理解していたはずです。
 ご存知のように、平成までの古典作品の解釈では日本には墨学は到来しなかったし、墨子の教えは日本になかったとします。ただ、中国においてはその宗教的側面に注目すると血族を核とする儒学と衆生を均しくとする仏教とのそれぞれの教義は対極に位置し、仏教の布教にはそれをブリッジした道教の存在があったと指摘します。そのために、仏教と道教、それも密教と道教との親和性を指摘し、飛鳥奈良時代、特に雑密に区分される仏教と道教との区分が明確ではなかったのではないかと指摘する研究者もいます。奈良時代の役行者に代表される修験道は、さて、仏教に区分するだけで良いのでしょうか。
 その道教について、中国では「墨家學派與道教、前者為學術流派、後者為宗教、二者之性質當是南轅北轍」と評論します。このように評論される道教は飛鳥時代の日本に到来し、斉明天皇・天武天皇親子はその方面に詳しかったと日本書紀に記述します。道教道師の来日は明確ではありませんが、道教が玄宗皇帝時代に全盛を迎える唐代にあって、日本がその影響を全くに受けていなかったとする従来の学説は、さて、どうなのでしょうか。ただただ、それでも標準的な日本に墨子の影響はなかったとする学説からは、ここで紹介したものは全くの与太話であり、トンデモ論です。
 おまけとして、柿本人麻呂が次のような道教に密接にかかわるとされる山海経に載る人種/国人を絵にしたものを見て歌を詠っています。斉明天皇の多武峰の両槻宮は道観の指摘があるように、当時、何らかの道教関係書籍は到来していたと考えて良いと思います。また、古代の新技術の伝来の多くを仏教僧侶に根拠としますが、肝心の中国で最新の技術を担っていた技術者・職人階級の多くは道教信者ですし、皇帝・朝廷も道教の信者です。それを踏まえると、なぜ、日本の研究者は飛鳥・奈良時代に仏教僧侶が中心となって技術を持っていたと判断したのかは不明です。なお、平安時代初期の技術者として有名な空海は渡唐先で仏教だけでなく道教も研究し、それを仏教哲学の中に取り入れていることは有名です。

献忍壁皇子謌一首  詠仙人形
標訓 忍壁皇子に献(たてまつ)れる歌一首  仙人(やまひと)の形(かた)を詠めり
集歌1682 常之陪尓 夏冬往哉 裘 扇不放 山住人
訓読 とこしへに夏冬行けや 裘(かはころも)扇放たぬ山し住む人
私訳 永遠に夏と冬がやって来るためか、皮の衣も扇も手放さない山に住む人よ。
注意 推定で山海経に示す毛民人を絵にしたものを見ての歌と思われます。


後撰和歌集(原文推定、翻文、解釈付)巻十七

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後撰和歌集(原文推定、翻文、解釈付)
止遠末利奈々末幾仁安多留未幾
巻十七

久左久左乃宇多美川
雑歌三

歌番号一一九五
伊曽乃加美止以不天良尓満宇天々比乃久礼尓个礼者
与安个天満可利可部良武止天止々末利天己乃
天良尓部无世宇者部利止飛止乃徒遣者部利个礼者
毛乃以比己々呂三武止天以比者部利个留
伊曽乃神止以不天良尓満宇天々日乃久礼尓个礼者
夜安个天満可利可部良武止天止々末利天己乃
寺尓遍昭侍利止人乃徒遣侍个礼者
毛乃以比心見武止天以比侍个留
石の上といふ寺に詣でて日の暮れにければ、
夜明けてまかり帰らむとてとどまりて、この
寺に遍昭侍りと人の告げ侍りければ
物言ひ心見むとて言ひ侍りける

遠乃々己万知
小野小町
小野小町

原文 以者乃宇部尓多比祢遠寸礼者以止左武之己个乃己呂毛遠和礼尓加左奈无
定家 以者乃宇部尓旅祢遠寸礼者以止左武之苔乃衣遠我尓加左奈无
和歌 いはのうへに たひねをすれは いとさむし こけのころもを われにかさなむ
解釈 岩の上に旅寝をすればいと寒し苔の衣を我に貸さなん

歌番号一一九六
加部之 
返之 
返し

部无世宇
遍昭
遍昭

原文 与遠曽武久己个乃己呂毛者堂々比止部加左祢者宇止之以左布多利祢无
定家 世遠曽武久苔乃衣者堂々比止部加左祢者宇止之以左布多利祢无
和歌 よをそむく こけのころもは たたひとへ かさねはうとし いさふたりねむ
解釈 世を背く苔の衣はただ一重貸さねば疎しいざ二人寝ん

歌番号一一九七
保武己宇加部利美多末飛个留遠乃知/\者止幾於止呂部天
安利之也宇尓毛安良寸奈利尓个礼八佐止尓乃美
者部利天多天万川良世个留
法皇加部利見多末飛个留遠乃知/\者時於止呂部天
有之也宇尓毛安良寸奈利尓个礼八佐止尓乃美
侍天多天万川良世个留
法皇かへり見たまひけるを、後々は時衰へて
有りしやうにもあらずなりにければ、里にのみ
侍りてたてまつらせける

世可為乃幾美
世可為乃幾美
せかゐのきみ(清和院君)

原文 安不己止乃止之幾利志奴留奈个木尓八美乃加寸奈良奴毛乃尓曽安利个留
定家 逢事乃年幾利志奴留奈个木尓八身乃加寸奈良奴物尓曽有个留
和歌 あふことの としきりしぬる なけきには みのかすならぬ ものにそありける
解釈 逢ふ事の年ぎりしぬるなげ木には身の数ならぬ物にぞ有りける

歌番号一一九八
於无奈乃毛止与利安多尓幾己由留己止奈止以日天者部利个礼八
女乃毛止与利安多尓幾己由留己止奈止以日天侍个礼八
女のもとよりあだに聞こゆることなど言ひて侍りければ

比多利乃於本以万宇知幾三
左大臣
左大臣

原文 安多飛止毛奈幾尓八安良寸安利奈可良和可三尓八満多幾々曽奈良八奴
定家 安多人毛奈幾尓八安良寸有奈可良和可身尓八満多幾々曽奈良八奴
和歌 あたひとも なきにはあらす ありなから わかみにはまた ききそならはぬ
解釈 あだ人もなきにはあらず有りながら我が身にはまだ聞きぞならはぬ

歌番号一一九九
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止毛 
与美人毛 
よみ人も

原文 美也飛止止奈良万本之幾遠美奈部之乃部与利幾利乃多知以天々曽久留
定家 宮人止奈良万本之幾遠女郎花乃部与利幾利乃多知以天々曽久留
和歌 みやひとと ならまほしきを をみなへし のへよりきりの たちいててそくる
解釈 宮人とならまほしきを女郎花野辺より霧の立ち出でてぞ来る

歌番号一二〇〇
加之己満留己止者部利天佐止尓者部利个留遠志乃比天
佐宇之尓万以礼利个留遠於本以万宇知幾三乃
奈止可遠止毛世奴奈止宇良美者部利个礼八
加之己満留事侍天佐止尓侍个留遠志乃比天
佐宇之尓万以礼利个留遠於本以万宇知幾三乃
奈止可遠止毛世奴奈止宇良美侍个礼八
かしこまる事侍りて里に侍りけるを、忍びて
曹司に参れりけるを、大臣の
などか、音もせぬなど恨み侍りければ

多以布 
多以布 
大輔

原文 和可美尓毛安良奴和可美乃加奈之幾尓己々呂毛己止仁奈利也志尓个无
定家 和可身尓毛安良奴和可身乃悲幾尓心毛己止仁成也志尓个无
和歌 わかみにも あらぬわかみの かなしきに こころもことに なりやしにけむ
解釈 我が身にもあらぬ我が身の悲しきに心もことになりやしにけん

歌番号一二〇一
飛止乃武寸女尓奈多知者部利天
人乃武寸女尓名多知侍天
人の女に名立ち侍りて

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 与乃奈可遠志良寸奈可良毛川乃久尓乃奈尓八多知奴留毛乃尓曽安利个留
定家 世中遠志良寸奈可良毛川乃久尓乃奈尓八立奴留物尓曽有个留
和歌 よのなかを しらすなからも つのくにの なにはたちぬる ものにそありける
解釈 世中を知らずながらも津の国の名には立ちぬる物にぞ有りける

歌番号一二〇二
奈幾奈多知者部利个留己呂
奈幾奈多知侍个留己呂
なき名立たち侍りけるころ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 世止々毛尓和可奴礼幾奴止奈留毛乃八和不留奈美多乃幾寸留奈利个利
定家 世止々毛尓和可奴礼幾奴止奈留物八和不留涙乃幾寸留奈利个利
和歌 よとともに わかぬれきぬと なるものは わふるなみたの きするなりけり
解釈 世とともに我が濡衣となる物はわぶる涙の着するなりけり

歌番号一二〇三
左幾乃保宇於者之満左寸奈利天乃己呂己世知乃曽従
乃毛止尓川可八之个留
前坊於者之満左寸奈利天乃己呂五節乃師
乃毛止尓川可八之个留
前坊おはしまさずなりてのころ、五節の師
の許につかはしける

多以布 
多以布 
大輔

原文 宇遣礼止毛加奈之幾毛乃遠比多不留尓和礼遠也飛止乃於毛比寸川良无
定家 宇遣礼止毛悲幾物遠比多不留尓我遠也人乃思寸川良无
和歌 うけれとも かなしきものを ひたふるに われをやひとの おもひすつらむ
解釈 憂けれども悲しきものをひたぶるに我をや人の思ひ捨つらん

歌番号一二〇四
加部之 
返之 
返し

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 加奈之幾毛宇幾毛志利尓之比止川奈遠多礼遠和久止可於毛比寸川部幾
定家 悲幾毛宇幾毛志利尓之比止川名遠多礼遠和久止可思寸川部幾
和歌 かなしきも うきもしりにし ひとつなを たれをわくとか おもひすつへき
解釈 悲しきも憂きも知りにし一つ名を誰れを分くとか思ひ捨つべき

歌番号一二〇五
多以布可佐宇之尓安徒多々乃安曾无乃毛止部徒可八
之个留布美遠毛天多可部多利个礼八川可八之个留
大輔可佐宇之尓安徒多々乃朝臣乃毛止部徒可八
之个留布美遠毛天多可部多利个礼八川可八之个留
大輔が曹司に、敦忠朝臣のもとへつかは
しける文を持て違へたりければ、つかはしける

多以布 
多以布 
大輔

原文 三知志良奴毛乃奈良奈久尓安之比幾乃也末布三万与不飛止毛安利个利
定家 道志良奴物奈良奈久尓安之比幾乃山布三迷人毛安利个利
和歌 みちしらぬ ものならなくに あしひきの やまふみまよふ ひともありけり
解釈 道知らぬ物ならなくにあしひきの山踏みまどふ人もありけり

歌番号一二〇六
加部之 
返之 
返し

安徒多々乃安曾无
敦忠朝臣
敦忠朝臣(藤原敦忠)

原文 志良可之乃由幾毛幾衣尓之安之比幾乃也末知遠多礼可布三万与不部幾
定家 志良可之乃雪毛幾衣尓之葦引乃山地遠誰可布三迷部幾
和歌 しらかしの ゆきもきえにし あしひきの やまちをたれか ふみまよふへき
解釈 白橿の雪も消えにしあしひきの山路を誰れか踏みまどふべき

歌番号一二〇七
以飛知起利天乃知己止飛止尓川幾奴止幾々天
以飛知起利天乃知己止人尓川幾奴止幾々天
言ひ契りて後、異人につきぬと聞きて

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 伊不己止乃堂可八奴毛乃尓安良万世八乃知宇幾己止々幾己江左良末之
定家 伊不事乃堂可八奴物尓安良万世八後宇幾事止幾己江左良末之
和歌 いふことの たかはぬものに あらませは のちうきことと きこえさらまし
解釈 言ふ事の違はぬ物にあらませば後憂き事と聞こえざらまし

歌番号一二〇八
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

以世
伊勢
伊勢

原文 於毛加个遠安飛三之加寸尓奈春止幾者己々呂乃美己曽志川女良礼个連
定家 於毛影遠安飛見之加寸尓奈春時者心乃美己曽志川女良礼个連
和歌 おもかけを あひみしかすに なすときは こころのみこそ しつめられけれ
解釈 面影を逢ひ見し数になす時は心のみこそ静められけれ

歌番号一二〇九
加之良志呂加利个留於无奈遠三天
加之良志呂加利个留女遠見天
頭白かりける女を見て

以世
伊勢
伊勢

原文 奴幾止女奴加美乃寸知毛天安也之久毛部尓个留止之乃加寸遠之留可那
定家 奴幾止女奴加美乃寸知毛天安也之久毛部尓个留年乃加寸遠之留可那
和歌 ぬきとめぬ かみのすちもて あやしくも へにけるとしの かすをしるかな
解釈 抜きとめぬ髪の筋もてあやしくも経にける年の数を知るかな

歌番号一二一〇
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止毛 
与美人毛 
よみ人も

原文 奈美加寸尓安良奴三奈礼八寸美与之乃幾之尓毛与良寸奈利也者天奈无
定家 浪加寸尓安良奴身奈礼八住吉乃岸尓毛与良寸奈利也者天奈无
和歌 なみかすに あらぬみなれは すみよしの きしにもよらす なりやはてなむ
解釈 浪数にあらぬ身なれば住吉の岸にも寄らずなりや果てなん

歌番号一二一一
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止毛 
与美人毛 
よみ人も

原文 徒幾毛世寸宇幾己止乃者乃於本可留遠者也久安良之乃加世毛布可奈无
定家 徒幾毛世寸宇幾事乃者乃於本可留遠者也久嵐乃風毛布可奈无
和歌 つきもせす うきことのはの おほかるを はやくあらしの かせもふかなむ
解釈 つきもせず憂き言の端の多かるを早く嵐の風も吹かなん

歌番号一二一二
以止志乃比天加多良比个留於无奈乃毛止尓川可八志个留
布美遠己々呂尓毛安良天於止之多利个留遠三川个天
徒可者之个留
以止志乃比天加多良比个留女乃毛止尓川可八志个留
布美遠心尓毛安良天於止之多利个留遠見川个天
徒可者之个留
いと忍びて語らひける女の許につかはしける
文を、心にもあらで落したりけるを見つけて
つかはしける

与美飛止毛 
与美人毛 
よみ人も

原文 之末加久礼安利曽尓加与不安之多川乃布美遠久安止八奈美毛个多奈无
定家 嶋加久礼有曽尓加与不安之多川乃布美遠久跡八浪毛个多奈无
和歌 しまかくれ ありそにかよふ あしたつの ふみおくあとは なみもけたなむ
解釈 島隠れ有磯に通ふ葦田鶴の踏み置く跡は浪も消たなん

歌番号一二一三
武可之於奈之止己呂尓美也川可部之个留飛止止之己呂
以可尓曽奈止々比遠己世天者部利个礼八川可者之个留
武可之於奈之所尓美也川可部之个留人年己呂
以可尓曽奈止々比遠己世天侍个礼八川可者之个留
昔同じ所に宮仕へしける人、年ごろ、
いかにぞ、など問ひおこせて侍りければ、つかはしける

以世
伊勢
伊勢

原文 三者々也久奈幾毛乃々己止奈利尓之遠幾衣世奴毛乃八己々呂奈利个利
定家 身者々也久奈幾物乃己止成尓之遠幾衣世奴物八心奈利个利
和歌 みははやく なきもののこと なりにしを きえせぬものは こころなりけり
解釈 身は早くなき物のごとなりにしを消えせぬ物は心なりけり

歌番号一二一四
者良可良乃奈可尓以可奈留己止可安利个无川祢奈良奴
左万尓三衣者部利个礼八
者良可良乃奈可尓以可奈留事可安利个无川祢奈良奴
左万尓見衣侍个礼八
はらからの中に、いかなる事かありけん、常ならぬ
さまに見え侍りければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 武徒万之幾以毛世乃也末乃奈可尓佐部々多川留久毛乃者礼寸毛安留可奈
定家 武徒万之幾以毛世乃山乃中尓佐部々多川留雲乃者礼寸毛安留哉
和歌 むつましき いもせのやまの なかにさへ へたつるくもの はれすもあるかな
解釈 むつましき妹背の山の中にさへ隔つる雲の晴れずもあるかな

歌番号一二一五
於无奈乃以止久良部可多久者部利个留遠安比者奈礼
尓計累可己止飛止尓武可部良礼奴止幾々天
越止己乃川可者之个留
女乃以止久良部可多久侍个留遠安比者奈礼
尓計累可己止人尓武可部良礼奴止幾々天
越止己乃川可者之个留
女のいと比べがたく侍りけるを、あひ離れ
にけるが異人に迎へられぬと聞きて
男のつかはしける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 和可多女尓遠幾尓久加利之者之多可乃飛止乃天尓安利止幾久八末己止可
定家 和可多女尓遠幾尓久加利之者之多可乃人乃天尓有止幾久八末己止可
和歌 わかために おきにくかりし はしたかの ひとのてにありと きくはまことか
解釈 我がためにをきにくかりしはし鷹の人の手に有りと聞くはまことか

歌番号一二一六
久知奈之安留止己呂尓己比尓川可者之多留尓
以呂乃以止安之加利个礼八
久知奈之安留所尓己比尓川可者之多留尓
以呂乃以止安之加利个礼八
くちなしある所に乞ひにつかはしたるに、
色のいと悪しかりければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 己衣尓多天々以者祢止志留之久知奈之乃以呂八和可多女宇寸幾奈利个利
定家 声尓多天々以者祢止志留之久知奈之乃色八和可多女宇寸幾奈利个利
和歌 こゑにたてて いはねとしるし くちなしの いろはわかため うすきなりけり
解釈 声に立てて言はねどしるしくちなしの色は我がため薄きなりけり

歌番号一二一七
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 堂幾川世乃者也加良奴遠曽宇良三川留見寸止毛遠止尓幾可武止於毛部八
定家 堂幾川世乃者也加良奴遠曽怨川留見寸止毛遠止尓幾可武止於毛部八
和歌 たきつせの はやからぬをそ うらみつる みすともおとに きかむとおもへは
解釈 たきつ瀬の早からぬをぞ恨みつる見ずとも音に聞かむと思へば

歌番号一二一八
飛止乃毛止尓布美徒可者之个留於止己飛止尓
三世个利止幾々天川可波之遣類
人乃毛止尓布美徒可者之个留於止己人尓
見世个利止幾々天川可波之遣類
人の許に文つかはしける男、人に
見せけりと聞きてつかはしける

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 美奈飛止尓布美々世个利奈美那世可者曽乃和多利己曽万川者安左个礼
定家 美奈人尓布美々世个利奈美那世河曽乃渡己曽万川者安左个礼
和歌 みなひとに ふみみせけりな みなせかは そのわたりこそ まつはあさけれ
解釈 みな人に文見せけりな水無瀬河その渡こそまづは浅けれ

歌番号一二一九
徒久之乃志良加波止以不止己呂尓寸美者部利个留尓
堂以尓乃不知者良乃於幾乃利乃安曾无乃満可利王多留川以天尓
美川堂部武止天宇知与利天己比者部利个礼者
美川遠毛天以天々与美者部利个留
徒久之乃志良加波止以不所尓寸美侍个留尓
大弐藤原於幾乃利乃朝臣乃満可利王多留川以天尓
水堂部武止天宇知与利天己比侍个礼者
水遠毛天以天々与美侍个留
筑紫の白河といふ所に住み侍りけるに、
大弐藤原興範朝臣のまかり渡るついでに、
水たべむとてうち寄りて、乞ひ侍りければ、
水を持て出でて、詠み侍りける

飛可幾乃遠宇奈
飛可幾乃嫗
ひかきの嫗(檜垣嫗)

原文 止之布礼者和可久呂加美毛志良可者乃美川者久武万天遠以尓个留可奈
定家 年布礼者和可久呂加美毛志良河乃美川者久武万天老尓个留哉
和歌 としふれは わかくろかみも しらかはの みつはくむまて おいにけるかな
解釈 年経れば我が黒髪も白河のみづはくむまで老いにけるかな

加之己尓奈多可久己止己乃武於无奈尓奈无者部利个留
加之己尓名多可久事己乃武女尓奈无侍个留
かしこに名高く事好む女になん侍りける

歌番号一二二〇
志曽久尓者部利个留於无奈乃於止己尓奈多知天加々累
己止奈无安留飛止尓以比左者久止以比者部利个礼八
志曽久尓侍个留女乃於止己尓奈多知天加々累
事奈无安留人尓以比左者久止以比侍个礼八
親族に侍りける女の、男に名立ちて、かかる
事なんある。人に言ひ騒げ、と言ひ侍りければ

従良由幾 
従良由幾 
つらゆき(紀貫之)

原文 加左寸止毛堂知止多知奈无奈幾奈遠八己止奈之久左乃加比也奈可良无
定家 加左寸止毛堂知止多知奈无奈幾奈遠八事奈之草乃加比也奈可良无
和歌 かさすとも たちとたちなむ なきなをは ことなしくさの かひやなからむ
解釈 かざすとも立ちと立ちなんなき名をば事なし草のかひやなからん

歌番号一二二一
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

従良由幾 
従良由幾 
つらゆき(紀貫之)

原文 加部利久累三知尓曽計左者万与不良无己礼尓奈寸良不者奈々幾毛乃遠
定家 帰久累道尓曽計左者迷良无己礼尓奈寸良不花奈幾物遠
和歌 かへりくる みちにそけさは まよふらむ これになすらふ はななきものを
解釈 帰り来る道にぞ今朝はまどふらんこれになずらふ花なきものを

歌番号一二二二
於无奈乃毛止尓布美徒加者之个留遠可部之己止毛
世寸之天乃知/\者布美遠三毛世天止利
奈无遠久止飛止乃徒遣々礼八
女乃毛止尓布美徒加者之个留遠返事毛
世寸之天乃知/\者布美遠見毛世天止利
奈无遠久止人乃徒遣々礼八
女の許に文つかはしけるを、返事も
せずして後々は、文を見もせで取り
なん置く、と人の告げければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 於保曽良尓由幾可不止利乃久毛知遠曽飛止乃布美々奴毛乃止以不奈留
定家 於保曽良尓行可不鳥乃雲地遠曽人乃布美々奴物止以不奈留
和歌 おほそらに ゆきかふとりの くもちをそ ひとのふみみぬ ものといふなる
解釈 大空に行き交ふ鳥の雲路をぞ人の文見ぬものと言ふなる

歌番号一二二三
幾乃寸个尓者部利个留於止己乃満可利加与者寸奈利尓个礼八
加能於止己乃安祢乃毛止尓宇礼部遠己世天者部利遣連者
以止己々呂宇幾己止可那止以比川可八之多利个留可部之己止尓
幾乃寸个尓侍个留於止己乃満可利加与者寸奈利尓个礼八
加能於止己乃安祢乃毛止尓宇礼部遠己世天侍遣連者
以止心宇幾己止可那止以比川可八之多利个留返事尓
紀伊介に侍りける男のまかり通はずなりにければ、
かの男の姉のもとに愁へおこせて侍りければ、
いと心憂きことかなと言ひつかはしたりける返事に

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 幾乃久尓乃奈久左乃者万八幾美奈礼也己止乃以不可比安利止幾々川留
定家 幾乃久尓乃奈久左乃者万八君奈礼也事乃以不可比有止幾々川留
和歌 きのくにの なくさのはまは きみなれや ことのいふかひ ありとききつる
解釈 紀伊国の名草の浜は君なれや事の言ふかひ有りと聞きつる

歌番号一二二四
春美者部利个留於无奈美也川可部之者部利个留遠止毛多知奈利个留
於无奈於奈之久留万尓天川良由幾可以部尓万宇天幾多利
个里徒良由幾可女満良宇止尓安留之世无止天
万可利於利天者部利个留本止尓加乃於无奈遠於毛比可个天者部利
遣礼者志乃日天久留万尓以礼者部利遣留
春美侍个留女宮川可部之侍个留遠止毛多知奈利个留
女於奈之久留万尓天川良由幾可家尓万宇天幾多利
个里徒良由幾可女満良宇止尓安留之世无止天
万可利於利天侍个留本止尓加乃女遠思可个天侍
遣礼者志乃日天久留万尓以礼侍遣留
住み侍りける女、宮仕へし侍りけるを友だちなりける
女、同じ車にて貫之が家にまうで来きたり
けり。貫之が妻、客に饗応せんとて、
まかり下りて侍りけるほどに、かの女を思ひかけて侍り
ければ、忍びて車に入れ侍りける


従良由幾 
従良由幾 
つらゆき(紀貫之)

原文 奈美尓乃美奴礼川留物遠布久加世乃堂与利宇礼之幾安万乃川利布祢
定家 浪尓乃美奴礼川留物遠吹風乃堂与利宇礼之幾安万乃川利舟
和歌 なみにのみ ぬれつるものを ふくかせの たよりうれしき あまのつりふね
解釈 浪にのみ濡れつるものを吹く風の便りうれしき海人の釣舟

歌番号一二二五
越止己乃毛乃尓万可利天布多止世許安利天万宇天
幾多利个留遠本止部天乃知尓己止奈之比尓
己止飛止尓奈多川止幾々之波末己止奈利个利止
以部利个礼者
越止己乃物尓万可利天布多止世許有天万宇天
幾多利个留遠本止部天乃知尓己止奈之比尓
己止人尓奈多川止幾々之波末己止奈利个利止
以部利个礼者
男の物にまかりて、二年ばかり有りてまうで
来たりけるを、ほど経て後に、ことなしびに
異人に名立つと聞きしはまことなりけりと
言へりければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 美止利奈留万川本止寸幾者以可天可者志多波者可利毛々美知世左良无
定家 緑奈留松本止寸幾者以可天可者志多波許毛々美知世左良无
和歌 みとりなる まつほとすきは いかてかは したははかりも もみちせさらむ
解釈 緑なる松ほど過ぎばいかでかは下葉ばかりも紅葉せざらん

歌番号一二二六
奈幾於无奈与従乃美己乃々知乃和左世武止
天本多以之乃寸々遠奈无美幾乃於本以万宇知幾三毛止女者部留止
幾々天己乃寸々遠々久留止天久者部者部利个留
故女四乃美己乃々知乃和左世武止天
本多以之乃寸々遠奈无右大臣毛止女侍止
幾々天己乃寸々遠々久留止天久者部侍个留
故女四内親王の後のわざせむとて、
菩提寺の数珠をなん右大臣求め侍ると
聞きて、この数珠を贈るとて、加へ侍りける

志无衣无保宇之
真延法師
真延法師

原文 於毛比以天乃个无利也万佐武奈幾飛止乃本止个尓奈礼留己乃美々波幾美
定家 思以天乃煙也万佐武奈幾人乃本止个尓奈礼留己乃美々波君
和歌 おもひいての けふりやまさむ なきひとの ほとけになれる このみみはきみ
解釈 思ひ出での煙やまさむ亡き人の仏になれるこのみ見ば君

歌番号一二二七
加部之 
返之 
返し

美幾乃於本以万宇知幾三
右大臣
右大臣

原文 美知奈礼留己乃美堂従祢天己々呂左之安利止美留尓曽祢遠者満之个留
定家 道奈礼留己乃身尋天心左之有止見留尓曽祢遠者満之个留
和歌 みちなれる このみたつねて こころさし ありとみるにそ ねをはましける
解釈 道なれるこの身尋ねて心ざし有りと見るにぞ音をばましける

歌番号一二二八
佐多女多留女毛者部良寸比止利布之遠乃美寸止
於无奈止毛多知乃毛止与利堂者不礼天者部利个礼者
佐多女多留女毛侍良寸比止利布之遠乃美寸止
女止毛多知乃毛止与利堂者不礼天侍个礼者
定めたる妻も侍らず、一人臥しをのみすと、
女友だちの許より戯れて侍りければ

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 伊川己尓毛三遠者々奈礼奴可个之安礼者布春止己々止尓比止利也者奴留
定家 伊川己尓毛身遠者々奈礼奴影之安礼者布春止己々止尓比止利也者奴留
和歌 いつこにも みをははなれぬ かけしあれは ふすとこことに ひとりやはぬる
解釈 いづこにも身をば離れぬ影しあれば臥す床ごとに一人やはぬる

歌番号一二二九
世武左為乃奈可尓寸呂乃幾於以天者部利止幾々天
由幾安幾良乃美己乃毛止与利比止幾己比尓
川可八之多礼者久波部天川可者之个留
前栽乃奈可尓寸呂乃木於以天侍止幾々天
由幾安幾良乃美己乃毛止与利比止木己比尓
川可八之多礼者久波部天川可者之个留
前栽の中に棕櫚の木生ひてはべると聞きて
行明親王のもとより一木乞ひに
つかはしたれば、加へてつかはしける

志无衣无保宇之
真延法師
真延法師

原文 加世之毛尓以呂毛己々呂毛加者良祢八安留之尓々多留宇部幾奈利个利
定家 風霜尓色毛心毛加者良祢八安留之尓々多留宇部木奈利个利
和歌 かせしもに いろもこころも かはらねは あるしににたる うゑきなりけり
解釈 風霜に色も心も変らねばあ主人に似たる植ゑ木なりけり

歌番号一二三〇
加部之 
返之 
返し

由幾安幾良乃美己
行明乃美己
行明のみこ(行明親王)

原文 也万布可美安留之尓々太留宇部幾遠者美衣奴以呂止曽以不部可利个留
定家 山深美安留之尓々太留宇部木遠者見衣奴色止曽以不部可利个留
和歌 やまふかみ あるしににたる うゑきをは みえぬいろとそ いふへかりける
解釈 山深み主人に似たる植ゑ木をば見えぬ色とぞ言ふべかりける

歌番号一二三一
於保為奈留止己呂尓天飛止/\佐遣多宇部个留川以天尓
大井奈留所尓天人/\佐遣多宇部个留川以天尓
大井なる所にて人々酒たうべけるついでに

奈利比良乃安曾无
奈利比良乃朝臣
なりひらの朝臣(在原業平)

原文 於保為可者宇可部留不祢乃加々利飛尓遠久良乃也万毛奈乃三奈利个利
定家 大井河宇可部留舟乃加々利火尓遠久良乃山毛名乃三奈利个利
和歌 おほゐかは うかへるふねの かかりひに をくらのやまも なのみなりけり
解釈 大井河浮かべる舟の篝火に小倉の山も名のみなりけり

歌番号一二三二
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止毛 
与美人毛 
よみ人も

原文 安春可々八和可三比止川乃布知世由部奈部天乃与遠毛宇良美川留可奈
定家 明日河和可身比止川乃布知世由部奈部天乃世遠毛怨川留哉
和歌 あすかかは わかみひとつの ふちせゆゑ なへてのよをも うらみつるかな
解釈 飛鳥河我が身一つの淵瀬ゆゑなべての世をも恨みつるかな

歌番号一二三三
於毛不己止者部利个留己呂之可尓万宇天々
思事侍个留己呂志賀尓万宇天々
思ふ事侍りけるころ、志賀に詣でて

与美飛止毛 
与美人毛 
よみ人も

原文 与乃奈可遠以止比可天良尓己之加止毛宇幾三奈可良乃也末尓曽安利个留
定家 世中遠以止比可天良尓己之加止毛宇幾身奈可良乃山尓曽有个留
和歌 よのなかを いとひかてらに こしかとも うきみなからの やまにそありける
解釈 世の中を厭ひがてらに来しかども憂き身ながらの山にぞ有りける

歌番号一二三四
知々波々者部利个留飛止乃武寸女尓志乃比天加与比者部利个留遠
幾々川个天加宇之世良礼者部利个留遠川幾比部天加久礼和多利計連止
安女布利天衣万可利以天者部良天己毛利為天者部利个留遠
知々波々幾々川个天以可々者世武止天
由留春与之以比天者部利个礼者
知々波々侍个留人乃武寸女尓志乃比天加与比侍个留遠
幾々川个天加宇之世良礼侍个留遠月日部天加久礼和多利計連止
雨布利天衣万可利以天侍良天己毛利為天侍个留遠
知々波々幾々川个天以可々者世武止天
由留春与之以比天侍个礼者
父母侍りける人の女に忍びて通ひ侍りけるを
聞きつけて、勘事せられ侍りけるを月日経て隠れ渡りけれど、
雨降りてえまかり出で侍らで、籠もりゐて侍りけるを、
父母聞きつけて、いかがはせむとて、
許すよし言ひて侍りければ

与美飛止毛 
与美人毛 
よみ人も

原文 志多尓乃美者比和多利川留安之乃祢乃宇礼之幾安女尓安良八留々加奈
定家 志多尓乃美者比渡川留安之乃祢乃宇礼之幾雨尓安良八留々哉
和歌 したにのみ はひわたりつる あしのねの うれしきあめに あらはるるかな
解釈 下にのみはひ渡りつる葦の根のうれしき雨にあらはるるかな

歌番号一二三五
飛止乃以部尓満可利多利个留尓也利美川尓多幾以止
於毛之呂可利个礼者加部利天川可者之个留
人乃家尓満可利多利个留尓也利水尓多幾以止
於毛之呂可利个礼者加部利天川可者之个留
人の家にまかりたりけるに、遣水に滝いと
おもしろかりければ、帰りてつかはしける

与美飛止毛 
与美人毛 
よみ人も

原文 堂幾川世尓多礼之良多万遠美多利个无比呂不止世之尓曽天八比知尓幾
定家 堂幾川世尓誰白玉遠美多利个无比呂不止世之尓袖八比知尓幾
和歌 たきつせに たれしらたまを みたりけむ ひろふとせしに そてはひちにき
解釈 滝つ瀬に誰れ白玉を乱りけん拾ふとせしに袖はひちにき

歌番号一二三六
保武己宇与之乃々多幾美曽葉奈之个留於保武止毛尓天
法皇与之乃々多幾御覧之个留御止毛尓天
法皇吉野の滝御覧じける御供にて

美奈毛堂乃々保留乃安曾无
源昇朝臣
源昇朝臣

原文 以徒乃万尓布利川毛留良无三与之乃々也万乃可比与利久川礼於川留由幾
定家 以徒乃万尓布利川毛留良无三与之乃々山乃可比与利久川礼於川留雪
和歌 いつのまに ふりつもるらむ みよしのの やまのかひより くつれおつるゆき
解釈 いつの間に降り積もるらんみ吉野の山の峡より崩れ落つる雪

歌番号一二三七
保武己宇与之乃々多幾美曽葉奈之个留於保武止毛尓天
法皇与之乃々多幾御覧之个留御止毛尓天
法皇吉野の滝御覧じける御供にて

保武己宇乃於保美宇堂
法皇御製
法皇御製

原文 美也乃太幾武部毛奈尓於比天幾己衣个利於川留志良安和乃堂満止比々計八
定家 宮乃太幾武部毛名尓於比天幾己衣个利於川留志良安和乃玉止比々計八
和歌 みやのたき うへもなにおひて きこえけり おつるしらあわの たまとひひけは
解釈 宮の滝むべも名におひて聞こえけり落つる白泡の玉と響けば

歌番号一二三八
也万布美之波之女个留止幾
山布美之波之女个留時
山踏みし始めける時

曽宇志也宇部无世宇
僧正遍昭
僧正遍昭

原文 以万左良尓和礼者加部良之太幾三川々与部止幾加寸止々波々己多部与
定家 今更尓我者加部良之太幾見川々与部止幾加寸止々波々己多部与
和歌 いまさらに われはかへらし たきみつつ よへときかすと とははこたへよ
解釈 今更に我は帰らじ滝見つつ呼べど聞かずと問はば答へよ

歌番号一二三九
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止毛 
与美人毛 
よみ人も

原文 堂幾川世乃宇徒万幾己止尓止女久礼止奈保多川祢久留与乃宇幾女か奈
定家 瀧川世乃宇徒万幾己止尓止女久礼止猶尋久留世乃宇幾女哉
和歌 たきつせの うつまきことに とめくれと なほたつねくる よのうきめかな
解釈 滝つ瀬の渦巻ごとにとめ来れどなほ尋ねくる世の憂きめかな

歌番号一二四〇
者之女天加之良於呂之者部利个留止幾毛乃尓加幾
徒遣者部利个留
者之女天加之良於呂之侍个留時毛乃尓加幾
徒遣侍个留
初めて頭下ろし侍りける時、物に書き
つけ侍りける

部无世宇
遍昭
遍昭

原文 堂良知女者加々礼止天之毛武者多万乃和可久呂可美遠奈天寸也安利个无
定家 堂良知女者加々礼止天之毛武者多万乃和可久呂可美遠奈天寸也有个无
和歌 たらちめは かかれとてしも うはたまの わかくろかみを なてすやありけむ
解釈 たらちめはかかれとてしもむばたまの我が黒髪を撫でずや有りけん

歌番号一二四一
美知乃久尓乃加美尓満可利久多礼利个留尓堂計久満乃
末川乃加礼天者部利个留遠三天己末川遠宇部徒
加世者部利天尓武者天々乃知万多於奈之久尓々万可利
奈利天加乃左幾乃尓武尓宇部之末川松遠美者部利天
美知乃久尓乃加美尓満可利久多礼利个留尓堂計久満乃
松乃加礼天侍个留遠見天己末川遠宇部徒
加世侍天任者天々乃知又於奈之久尓々万可利
奈利天加乃左幾乃任尓宇部之松遠見侍天
陸奥守にまかり下れりけるに、武隈の
松の枯れて侍りけるを見て、小松を植ゑつ
かせ侍りて、任果てて後、又同じ国にまかり
なりて、かの前の任に植ゑし松を見侍りて

布知八良乃毛止与之乃安曾无
藤原毛止与之乃朝臣
藤原もとよしの朝臣(藤原元善)

原文 宇部之止幾知幾利也志个无多計久万乃末川遠布多々比安日美川留可奈
定家 栽之時契也志釼多計久万乃松遠布多々比安日見川留哉
和歌 うゑしとき ちきりやしけむ たけくまの まつをふたたひ あひみつるかな
解釈 植ゑし時契りやしけん武隈の松を再び逢ひ見つるかな

歌番号一二四二
布之美止以不止己呂尓天曽乃己々呂遠己礼可礼与三个留尓
布之美止以不所尓天曽乃心遠己礼可礼与三个留尓
伏見といふ所にて、その心をこれかれ詠みけるに

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 寸可者良也布之美乃久礼尓三和多世八加寸美尓満可不遠者川世乃也末
定家 菅原也伏見乃久礼尓見和多世八霞尓満可不遠者川世乃山
和歌 すかはらや ふしみのくれに みわたせは かすみにまかふ をはつせのやま
解釈 菅原や伏見の暮に見わたせば霞にまがふ小初瀬の山

歌番号一二四三
堂以之良寸 
題しらす 
題知らす

与美飛止之良寸 
与美人之良寸 
よみ人しらす

原文 己止乃者毛奈久天部尓个留止之川幾尓己乃者留多尓毛者奈八佐可奈无
定家 事乃者毛奈久天部尓个留年月尓己乃春多尓毛花八佐可奈无
和歌 ことのはも なくてへにける としつきに このはるたにも はなはさかなむ
解釈 言の葉もなくて経にける年月にこの春だにも花は咲かなん

歌番号一二四四
三乃宇礼部者部利个留止幾徒乃久尓々満可利天寸三
者之女者部利个留尓
身乃宇礼部侍个留時徒乃久尓々満可利天寸三
者之女侍个留尓
身の愁へ侍りける時、津国にまかりて住み
始め侍りけるに

奈利比良乃安曾无
業平朝臣
業平朝臣(在原業平)

原文 奈尓者徒遠遣不己曽美川乃宇良己止尓己礼也己乃与遠宇三和多留布祢
定家 奈尓者徒遠遣不己曽美川乃浦己止尓己礼也己乃世遠宇三和多留舟
和歌 なにはつを けふこそみつの うらことに これやこのよを うみわたるふね
解釈 難波津を今日こそ御津の浦ごとにこれやこの世を憂みわたる舟

歌番号一二四五
止幾尓安者寸之天三遠宇良美天己毛利者部利个留止幾
時尓安者寸之天身遠宇良美天己毛利侍个留時
時に遇はずして身を恨みて籠もり侍りける時

布无也乃也寸比天
文室康秀
文屋康秀

原文 之良久毛乃幾也止留美祢乃己末川者良恵多志个々礼也日乃比可利美奴
定家 白雲乃幾也止留峯乃己松原枝志个々礼也日乃比可利見奴
和歌 しらくもの きやとるみねの こまつはら えたしけけれや ひのひかりみぬ
解釈 白雲の来宿る峯の小松原枝繁けれや日の光見ぬ

歌番号一二四六
己々呂尓毛安良奴己止遠以不己呂於止己乃於保幾尓
加幾川計者部利个留
心尓毛安良奴己止遠以不己呂於止己乃扇尓
加幾川計侍个留
心にもあらぬことを言ふころ、男の扇に
書きつけ侍りける


止左
土佐
土左

原文 三尓左武久安良奴毛乃可良和比之幾者飛止乃己々呂乃安良之奈利个利
定家 身尓左武久安良奴物可良和比之幾者人乃心乃嵐奈利个利
和歌 みにさむく あらぬものから わひしきは ひとのこころの あらしなりけり
解釈 身に寒くあらぬものからわびしきは人の心の嵐なりけり

歌番号一二四七
己々呂尓毛安良奴己止遠以不己呂於止己乃於保幾尓
加幾川計者部利个留
心尓毛安良奴己止遠以不己呂於止己乃扇尓
加幾川計侍个留
心にもあらぬことを言ふころ、男の扇に
書きつけ侍りける

止左
土佐
土左

原文 奈可良部八飛止乃己々呂毛三留部幾遠川由乃以乃知曽加奈之可利个累
定家 奈可良部八人乃心毛見留部幾遠川由乃以乃知曽加奈之可利个累
和歌 なからへは ひとのこころも みるへきを つゆのいのちそ かなしかりける
解釈 ながらへば人の心も見るべきを露の命ぞ悲しかりける

歌番号一二四八
飛止乃毛止与利比左之宇己々知和川良日天本止/\
之久奈无安利川留止以比天者部利个礼八
人乃毛止与利比左之宇心地和川良日天本止/\
之久奈无安利川留止以比天侍个礼八
人の許より、「久しう心地わづらひて、ほとほと
しくなんありつる」と言ひて侍りければ

加武為无乃於保幾美
閑院大君
閑院大君

原文 毛呂止毛尓以左止者以者天志天乃也末以可天可比止利己衣无止者世之
定家 毛呂止毛尓以左止者以者天志天乃山以可天可比止利己衣无止者世之
和歌 もろともに いさとはいはて してのやま いかてかひとり こえむとはせし
解釈 もろともにいざとは言はで死出の山いかでか一人越えんとはせし

歌番号一二四九
川幾与尓加礼己礼之天
月夜尓加礼己礼之天
月夜にかれこれして

加武川計乃美祢於
加武川計乃美祢於
かむつけのみねを(上野峯雄)

原文 遠之奈部天美祢毛多比良尓奈利奈々无也末乃者奈久八川幾毛加具礼之
定家 遠之奈部天峯毛多比良尓奈利奈々无山乃者奈久八月毛加具礼之
和歌 おしなへて みねもたひらに なりななむ やまのはなくは つきもかくれし
解釈 おしなべて峯も平らになりななん山の端なくは月も隠れじ

万葉集 集歌1002から集歌1006まで

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集歌一〇〇二 
原文 馬之歩 押止駐余 住吉之 岸乃黄土 尓保比而将去
訓読 馬し歩み抑(おさ)へ駐(とど)めよ住吉(すみのえ)し岸の黄土(はにふ)に色付(にほひ)に行かむ
私訳 馬の歩みを抑え留めよ。住吉の岸の黄土を衣に旅の印として黄色く色付けから行こう。
左注 右一首、安部朝臣豊継作
注訓 右の一首は、安部朝臣豊継の作れる

筑後守外従五位下葛井連大成、遥見海人釣船作謌一首
標訓 筑後守外従五位下葛井連(ふぢゐのむらじ)大成(おほなり)の、遥かに海人(あま)の釣船を見て作れる謌一首
集歌一〇〇三 
原文 海感嬬 玉求良之 奥浪 恐海尓 船出為利所見 (感は、女+感)
訓読 海娘子(あまをとめ)玉求むらし沖つ浪(なみ)恐(かしこ)き海に船(ふな)出(で)せりそ見ゆ
私訳 漁師の娘女が真珠を取っているらしい。沖浪が恐ろしい、その海に船出しているのが見える。

按作村主益人謌一首
標訓 按作村主(くらつくりのすぐり)益人(ますひと)の謌一首
集歌一〇〇四 
原文 不所念 来座君乎 左保河乃 河蝦不令聞 還都流香聞
訓読 念(おも)ひそす来(き)ましし君を佐保川(さほがわ)のかはづ聞かせず帰しつるかも
私訳 思いがけずにいらしゃった御方を、佐保川の蛙が鳴く声をお聞かせせずにお帰ししたことです。
左注 右、内匠寮大属按作村主益人聊設饌飲、以饗長官佐為王、未及日斜、王既還歸。於時益人、怜惜不厭之歸、仍作此謌。
注訓 右は、内匠(たくみ)の寮(りょう)の大属(だいさかん)按作村主益人の聊(いささ)かに饌飲(せんいん)を設けて、以ちて長官(かみ)佐為王(さゐのおほきみ)を饗(あへ)せしに、日斜(くた)つに及ばずして、王既(はや)く還歸(かへ)れり。時に益人、厭(あ)かずして歸(かえり)を怜惜(を)しみて、仍ち此の謌を作れり。

八年丙子夏六月、幸于芳野離宮之時、山部宿祢赤人應詔作謌一首并短謌
標訓 (天平)八年丙子の夏六月に、芳野の離宮(とつみや)に幸(いでま)しし時に、山部宿祢赤人の詔(みことのり)に應(こた)へて作れる謌一首并せて短謌
集歌一〇〇五 
原文 八隅知之 我大王之 見給 芳野宮者 山高 雲曽軽引 河速弥 湍之聲曽清寸 神佐備而 見者貴久 宜名倍 見者清之 此山之 盡者耳社 此河乃 絶者耳社 百師紀能 大宮所 止時裳有目
訓読 やすみしし 我が大王(おほきみ)し 見し給ふ 芳野し宮は 山高み 雲ぞたなびく 川速み 瀬し音(と)ぞ清(きよ)き 神さびて 見れば貴(とほと)く 宜(よろ)しなへ 見れば清(さや)けし この山し 尽(つ)きばのみこそ この川し 絶えばのみこそ ももしきの 大宮所 止む時もあらめ
私訳 四方八方をあまねく承知される我々の大王が支配為される吉野の宮は、山が高く雲が棚引き、川の流れは早く瀬の川音が清らかである。その景色は神々しく、見ると貴く親しみがあり、見れば清らかである。この山が崩れなくなり、この川の水が絶えることがあるとき、立派な岩を積み上げた大宮のこの地が廃止されるときもあるでしょう。

反謌一首
集歌一〇〇六 
原文 自神代 芳野宮尓 蟻通 高所知者 山河乎吉三
訓読 神代(かむよ)より芳野し宮にあり通ひ高(たか)そ知(し)らるは山川をよみ
私訳 神代から吉野の宮に通い続け天まで統治を為されるのは、この山や川が清らかであるかです。

万葉集 集歌1008から集歌1011まで

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市原王悲獨子謌一首
標訓 市原王の獨子(ひとりこ)を悲しびたる謌一首
集歌一〇〇七 
原文 言不問 木尚妹與兄 有云乎 直獨子尓 有之苦者
訓読 言(こと)問(と)はぬ木(き)すら妹(いも)と兄(せ)とありといふをただ独り子にあるが苦しさ
私訳 神に願を懸けない木ですら妻と夫があると云うのに、ただ、(恋を得られずに)独り身であるが辛いことです。

忌部首黒麿、恨友餘来謌一首
標訓 忌部首黒麿の、友の餘(おそ)く来るを恨(うら)みたる謌一首
集歌一〇〇八 
原文 山之葉尓 不知世經月乃 将出香常 我待君之 夜者更降管
訓読 山し端(は)にいさよふ月の出でむかと我が待つ君し夜はさ降(ふ)りつつ
私訳 山の稜線にいざよっている月がもう出てくるかと、期待して私は待つ。その期待して待つ貴方は(でも、まだ、御出でにならない。)もう、夜は一層に更けていきますよ。

冬十一月、左大辨葛城王等賜姓橘氏之時御製謌一首
標訓 (天平八年)冬十一月、左大辨葛城王等に姓(かばね)橘氏(たちばなのうぢ)を賜ひし時の御製謌(おほみうた)一首
集歌一〇〇九 
原文 橘者 實左倍花左倍 其葉左倍 枝尓霜雖降 益常葉之樹
訓読 橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉(とこは)し樹
私訳 橘の木は実までも、花までも、その葉までも、枝に霜が降りることがあっても、決して色変わることがない常に緑の葉を保つ樹です。
左注 右、冬十一月九日、従三位葛城王従四位上佐為王等、辞皇族之高名賜外家之橘姓已訖。於時太上天皇、々后、共在于皇后宮、以為肆宴、而即御製賀橘之歌、并賜御酒宿祢等也。或云、此謌一首太上天皇御謌。但天皇々后御謌各有一首者。其謌遺落未得採求焉。
今檢案内、八年十一月九日葛城王等、願橘宿祢之姓上表。以十七日、依表乞、賜橘宿祢。
注訓 右は、冬十一月九日に、従三位葛城王と従四位上佐為王等と、皇族の高名を辞して外家の橘姓を賜はること已(すで)に訖(をは)りぬ。時に太上天皇、皇后、共に皇后宮に在りて、肆宴(とよのあかり)を為し、即り橘を賀(は)く歌を御(おん)製(つく)りたまひ、、并(あわ)せて御酒を宿祢等に賜はりぬ。或は云はく「此の謌一首は太上天皇の御謌なり。但し、天皇と皇后の御謌は各一首あり」といへり。その謌、遺落(いらく)して未だ採り求むるを得ず。
今、案内を檢(かむがふ)るに、八年十一月九日に葛城王等、橘宿祢の姓(かばね)を願ひて表(へう)を上(たてまつ)る。十七日を以ちて、表の乞(ねがひ)に依りて、橘宿祢を賜へり。

橘宿祢奈良麻呂應詔謌一首
標訓 橘宿祢奈良麻呂の詔(みことのり)に應へたる謌一首
集歌一〇一〇 
原文 奥山之 真木葉凌 零雪乃 零者雖益 地尓落目八方
訓読 奥山(おくやま)し真木(まき)し葉(は)凌(しの)ぎ降る雪の降りは益(ま)すとも地(つち)に落ちめやも
私訳 奥山の立派な木の、その葉を押え付けるように雪が降り積雪を増しても、橘が地に押し潰されることがあるでしょうか。

冬十二月十二日、歌舞所之諸王臣子等、集葛井連廣成家宴歌二首
比来古舞盛興、古歳漸晩。理宜共盡古情、同唱此謌。故、擬此趣獻古曲二節。風流意氣之士、儻有此集之中、争發念、心々和古體。
標訓 (天平八年)冬十二月十二日に、歌舞所(うたまひところ)の諸(もろもろ)の王(おほきみ)、臣子(おみこの)等(たち)の、葛井連廣成の家に集(つど)ひて宴(うたげ)せる歌二首
比来(このごろ)、古舞(こぶ)盛(さかり)に興(おこ)りて、古歳(こさい)漸(やくやく)に晩(く)れぬ。理(ことはり)を宜しく古情(こじょう)と共に盡(つく)して、同(とも)に此の謌を唱(うた)ふべし。故(かれ)、此の趣(おもむき)に擬(なそら)ひて古曲(こきょく)二節を獻(たてまつ)る。風流意氣の士の、儻(も)し、此の集(つどひ)の中にあらば、争ひて念(おもひ)を發(おこ)し、心々(こころこころ)に古體(こたい)に和(こた)へよ。
集歌一〇一一 
原文 我屋戸之 梅咲有跡 告遣者 来云似有 散去十方吉
訓読 我が屋戸(やど)し梅咲きたりと告げ遣(や)らば来(こ)と云ふに似たり散りぬともよし
私訳 私の家に梅の花が咲いたと告げて使いを遣ったならば、私の家に御出で下さいと云うことと同じです。花が散ってしまっていても良い。

万葉集 集歌1012から集歌1016まで

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集歌一〇一二 
原文 春去者 乎呼理尓乎呼里 鴬之 鳴吾嶋曽 不息通為
訓読 春さればををりにををり鴬し鳴く吾(あ)が山斎(しま)ぞ息(やま)ず通はせ
私訳 春がやって来ると、枝が撓みに撓むほどに梅に花が咲き鶯が鳴く。それは、私の家の庭です、欠かさずにやって来てください。

九年丁丑春正月、橘少卿并諸大夫等集弾正尹門部王家宴謌二首
標訓 (天平)九年丁丑の春正月に、橘少卿并(あわ)せて諸(もろもろ)の大夫(まへつきみ)等(たち)の弾正尹門部王の家に集(つど)ひて宴(うたげ)せる謌二首
集歌一〇一三 
原文 豫 公来座武跡 知麻世婆 門尓屋戸尓毛 珠敷益乎
訓読 あらかじめ公(きみ)来(き)まさむと知らませば門(かど)に屋戸(やと)にも珠敷かましを
私訳 前もって貴方がおいでだと知っていたら、貴方のお迎えのために門にも屋敷にも珠を敷くように飾り立てましたのに。出迎えの装いが無く、申し訳ありません。
左注 右一首、主人門部王。 後賜姓大原真人氏也。
注訓 右の一首は、主人門部王。 後に姓(かばね)大原真人の氏(うぢ)を賜はる。

集歌一〇一四 
原文 前日毛 昨日毛今日毛 雖見 明日左倍見巻 欲寸君香聞
訓読 前日(をとつひ)も昨日(きのふ)も今日(けふ)も見つれども明日(あす)さへ見まく欲(ほ)しきかも
私訳 一昨日も昨日も今日も見ているのに、その上に明日までも見たいほどですよ。貴方の屋敷は立派ですよ。
左注 右一首、橘宿祢文成 即少卿之子也
注訓 右の一首は、橘宿祢文成。即ち少卿の子なり。

榎井王後追和謌一首  志貴親王之子也
標訓 榎井王の後(のち)に追ひて和(こた)へたる歌一首  志貴親王の子なり
集歌一〇一五 
原文 玉敷而 待益欲利者 多鷄蘇香仁 来有今夜四 樂所念
訓読 玉敷きに待たましよりはたけそかに来(きた)る今夜し楽しくそ念(も)ゆ
私訳 事前に連絡して来客の到来に珠を敷かさせて主人を待たさすような改まった宴よりは、連絡もなしにだしぬけに訪問する夜の方が楽しいと思われます。

春二月、諸大夫等集左少辨巨勢宿奈麻呂朝臣家宴謌一首
標訓 (天平九年)春二月に、諸(もろもろ)の大夫(まへつきみ)等(たち)の左少辨巨勢宿奈麻呂朝臣の家に集(つど)ひて宴(うたげ)せる謌一首
集歌一〇一六 
原文 海原之 遠渡乎 遊士之 遊乎将見登 莫津左比曽来之
訓読 海原(うなはら)し遠き渡(わたり)を遊士(みやびを)し遊ぶを見むとなづさひぞ来(こ)し
私訳 海原の遠い航海ですが、風流な人がその風流を楽しんでいるのに参加しようと、この湊に苦労してやって来ました。
左注 右一首、書白紙懸著屋壁也。題云蓬莱仙媛所嚢蘰、為風流秀才之士矣。斯凡客不所望見哉。
注訓 右の一首は、白き紙に書きて屋(いへ)の壁に懸著(か)けたり。題(しる)して云はく「蓬莱の仙媛(やまひめ)の蘰(かづら)を嚢(おさ)めむは、風流秀才の士(をのこ)の為なり。斯(こ)は凡客(ぼんかく)の望み見るところにあらずかも」といへる。
注意 集歌一〇一六の歌を鑑賞しますと、歌の「莫津左比曽」は上句の表記に対して特徴がありますので、表記において謎かけであろうと想像が出来ます。それで左注の「右一首、書白紙懸著屋壁也」の文章が利いてきます。つまり、筆で墨書し壁に貼り出して人に見せることで歌意が判る仕掛けとなっています。歌の「莫津左比曽」は万葉仮名としてそのまま「なつさひそ」と訓めますが、漢字の意味合いからは「津」の文字の中で並立するもの(「比」の漢字の意味)の左側を取り去るとも解釈できます。それで「津」の文字から筆を意味する「聿」の文字が表れて来ます。また、天平九年二月の宴で「海原之遠渡乎」と歌を詠いますから、当然、その時、帰路の途中で遣新羅大使が病死し、また、新羅との宗主問題で世の話題になった遣新羅使の帰国者一行であることが想像できます。その人物が「海を渡って宴に来た」と詠うのですから、想定される歌人は遣新羅使副使であった大伴三中となります。つまり、この宴は大伴三中の遣新羅使の労をねぎらい、無事の帰国を祝うような宴であったと思われます。
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