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Channel: 竹取翁と万葉集のお勉強
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再読、今日のみそひと歌 水

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再読、今日のみそひと歌 水

集歌49 日雙斯 皇子命乃 馬副而 御羯立師斯 時者来向
訓読 日並し皇子し尊の馬並(な)めに御猟(みかり)立たしし時は来向かふ
私訳 昔、ここで日並皇子の尊が馬を並び立てた、その御狩をなされた、あの時と同じ時刻がやって来たようです。

集歌51 采女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久
訓読 采女の袖吹きかへす明日香(あすか)風(かぜ)京都(みやこ)を遠み無用(いたづら)に吹く
私訳 采女の袖を吹き返す明日香からの風よ。古い明日香の宮はこの新しい藤原京から遠い。風が采女の袖を振って、心を過去に呼び戻すかのように無用に吹いている。

集歌53 藤原之 大宮都加倍 安礼衝哉 處女之友者 之吉召賀聞
訓読 藤原し大宮仕へ生(あ)れつぐや処女(おとめ)し友は扱(こ)き召(よば)ふかも
私訳 この藤原の宮城に仕えるために生まれてきたのでしょう、その家の子たる娘女たちは、お仕えするためにお召になるでしょう。

集歌54 巨勢山乃 列々椿 都良々々尓 見乍思奈 許湍乃春野乎
訓読 巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ思(しの)はな巨勢の春野を
私訳 巨勢山に点々と連なる椿の緑の葉の木を、つくづくしっかり眺めながらその春の花の姿を想い浮かべましょう。巨勢の春の野に咲く椿を。

集歌55 朝毛吉 木人乏母 亦打山 行来跡見良武 樹人友師母
訓読 あさもよし紀人(きひと)乏(とも)しも亦打山(まつちやま)行き来(く)と見らむ紀人羨(とも)しも
私訳 朝も麻も美しい、その紀国の人は国の人との別れに思いが満ちたらなくても、この真土山を都への行きと還りに眺めるのでしょう、その緑豊かな紀国の人は羨ましいことです。


再読、今日のみそひと歌 木

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再読、今日のみそひと歌 木

集歌56 河上乃 列々椿 都良々々尓 雖見安可受 巨勢能春野者
訓読 河し上(へ)のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は
私訳 吉野河の辺に点々と連なり咲く椿は、つくづくとしっかり見ていても飽きないことよ。巨勢の春の野の景色は。

集歌57 引馬野尓 仁保布榛原 入乱 衣尓保波勢 多鼻能知師尓
訓読 引間野(ひくまの)ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ衣(ころも)色付(にほは)せ旅のしるしに
私訳 従者が馬を引いて旅してきた、この馬を休ませている野にある美しく黄葉している榛の林は秋の彩が入り乱れている。衣を榛の実で染めるようにこの黄葉を写そう。旅の記念に。

集歌58 何所尓可 船泊為良武 安礼乃埼 榜多味行之 棚無小舟
訓読 何(いづ)そにか船(ふね)泊(は)てすらむ安礼(あれ)の崎榜(こ)ぎ廻(た)み行きし棚無し小舟(をふね)
私訳 どこの湊に船を泊めていたのだろうか。安礼の﨑を、帆を操り廻って行く側舷もない、あの小さな舟は。

集歌59 流經 妻吹風之 寒夜尓 吾勢能君者 獨香宿良哉
訓読 流(なが)らふる褄(つま)吹く風し寒き夜に吾(あ)が背の君はひとりか寝(ぬ)らむや
私訳 衣の褄を靡かせ吹く秋風の寒い夜に、私の大切な御方は肌を温める女も無く一人で夜を過ごしているのでしょうか。

集歌60 暮相而 朝面無美 隠尓加 氣長妹之 廬利為里計武
訓読 暮(よひ)逢ひに朝(あした)面(おも)無(な)み名張(なばり)にか日(け)長(なが)き妹し廬(いほり)せりけむ
私訳 夕暮れに恋人と逢いその夜を共に過ごた、その翌朝には昨夜の夜の営みに合わす顔が無くて顔を隠す、その言葉の響きではないが、この隠(なばり;名張の旧字)の地に、幾日も貴女は仮の宿をとられていたのでしょうか。

再読、今日のみそひと歌 金

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再読、今日のみそひと歌 金

集歌61 丈夫之 得物矢手挿 立向 射流圓方波 見尓清潔之
訓読 丈夫(ますらを)し得物(さつ)矢手挟み立ち向ひ射る円方(まとかた)は見るに清潔(さや)けし
私訳 頑強な男たちが武器の得物の矢を手挟み、的に立ち向かって射る、その的。そのような名を持つこの円方(まとかた)の地は、眺めていて清々しいものがあります。

集歌62 在根良 對馬乃渡 々中尓 弊取向而 早還許年
訓読 ありねよし対馬(つしま)の渡り海中(わたなか)に弊(ぬさ)取り向けに早帰り来ね
私訳 山波が美しい、その対馬への渡りの、その海に向かって御弊を手に持ち捧げ向けました。さあ、神も守っていますから早く帰って来て下さい。

集歌63 去来子等 早日本邊 大伴乃 御津乃濱松 待戀奴良武
訓読 いざ子ども早く日本(やまと)へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ
私訳 さあ、大和の国から離れて大唐に来た皆の者、早く大和の国に帰ろう。難波の大伴の御津の浜の松も、その名の響きのように、吾ら健士を待ちわびているだろう。

集歌64 葦邊行 鴨之羽我比尓 霜零而 寒暮夕 和之所念
訓読 葦辺(あしへ)行く鴨し羽交(はが)ひに霜降りに寒き夕へし大和しそ念(も)ふ
私訳 葦の茂る岸辺を泳ぐ鴨の羽を畳んだ背に、私の心と比べるような冷たい霜が降りる、その寒い夕べにあって、大和の貴女だけを思っています。

集歌65 霰打 安良礼松原 住吉之 弟日娘与 見礼常不飽香聞
訓読 霰打つあられ松原住吉(すみのえ)し弟日(おとひ)娘(をとめ)と見れど飽かぬかも
私訳 霰が大地を降り打つ、その言葉のひびきのような、あられ松原の松を伝説の住吉の弟日娘の後の姿として眺めるが、見飽きることはありません。

万葉雑記 色眼鏡 百八二 今週のみそひと歌を振り返る その二

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万葉雑記 色眼鏡 百八二 今週のみそひと歌を振り返る その二

 今週、取り上げましたみそひと歌に、次のような組歌三首があります。標題に示すように持統六年(692)三月の伊勢御幸の折、藤原京造営のため飛鳥に留まった柿本人麻呂がその伊勢御幸での情景を想像して詠ったものです。
 最初に取り上げた歌群を紹介します。

幸干伊勢國時、留京柿本朝臣人麿作歌
標訓 伊勢国に幸(いでま)しし時に、京(みやこ)に留まれる柿本朝臣人麿の作れる歌
集歌40 鳴呼之浦尓 船乗為良武 感嬬等之 珠裳乃須十二 四寶三都良武香 (感は女+感の当字)
試訓 鳴呼見(あみ)し浦に船乗りすらむ官女(おとめ)らし珠裳の裾に潮(しほ)満つらむか
試訳 あみの浦で遊覧の船乗りをしているでしょう、その官女の人たちの美しい裳の裾に、潮の飛沫がかかってすっかり濡れているでしょうか。
裏訓 鳴呼(ああ)し心(うら)に船乗りすらむ官女(おとめ)らし珠裳の裾に潮(しほ)満つらむか
裏訳 「ああ」と声を上げるような心根を持って、男が乙女を抱こうとしている。その十二・三歳くらいの乙女は潮満ちて成女に成っているのでしょうか。

集歌41 釵著 手節乃埼二 今今毛可母 大宮人之 玉藻苅良哉
試訓 くしろ著(つ)く手節(たふせ)の崎に今今(いま)もかも大宮人し玉藻刈るらむ
試訳 美しいくしろを手首に着ける、その言葉のひびきのような手節の岬で、ただ今も、あの大宮人の麻續王が足を滑らせて玉藻を刈ったように、慣れない磯の岩に足を滑らせて玉藻を刈っているのでしょうか。
裏訳 美しいくしろを手首に着ける、その言葉のひびきのような手節の先に、ちょうどいま、大宮人は乙女の柔らかになびく和毛を押し分けているでしょうか。

集歌42 潮左為二 五十等兒乃嶋邊 榜船荷 妹乗良六鹿 荒嶋廻乎
試訓 潮騒(しほさゐ)に伊良虞(いらご)の島(しま)辺(へ)漕ぐ船に妹し乗らむか荒き島廻(しまみ)を
試訳 潮騒の中で伊良湖水道の島の海岸を漕ぐ船に私の恋人は乗っているのでしょうか。あの波の荒い島のまわりを。
裏訓 潮際に 五十等兒の志摩辺 榜ぐ船か 妹し乗らむか 新(あら)き志摩身を
裏訳 成熟の証しの潮が満ちた、そのような年頃のたくさんの娘たちがいる志摩の国、その志摩の国で姿をさらす船のように、その船に乗るように乙女を抱いているのでしょうか。まだ若々しいその志摩の乙女たちに。

 さて、この歌群はどのような目的と場所で詠われたのでしょうか。この伊勢御幸が行われた時、都には広瀬王を筆頭に当麻真人智徳や紀朝臣弓張たちが留守官に任命され、その留守を預かっていました。標題からすると人麻呂もまた留守官の一人です。すると、人麻呂が詠うこの組歌三首は都で持たれた留守官たちが開く宴会の場で詠われたものかもしれません。標題からすれば伊勢の風景を想像したものであって、実際の場面を詠ったものではありません。
 この酔論、宴会での歌であり、想像の歌であるとしますと、集歌40の歌が気にかかります。歌は二句目で切れるのでしょうか、それとも三句目で切れるのでしょうか。下卑た酔論から二句目で切れるとしますと、船に乗るのは官女たちだけではないことになります。そして、伝承から漕ぎ手を男としますと、その漕ぎ手を乗せる船は女性の比喩となります。その時、歌の表記は「船乗為良武」ですから、その船(=女性)に乗る人は勇ましい武(つわもの)なのでしょう。
 こうした時、歌に比喩がありますと、夜伽の女を抱くのは「良武」と表記するように都からの良き武(つわもの)たちと云うことになります。そして、その夜伽の女はどのような女性かと云うと、都からの高貴な男たちのために国を挙げて準備された年若い乙女です。それが「珠裳乃須十二」と云う表現です。易経に「帰妹以須。反帰以弟(女偏+弟)」と云うものがあり、この「須」は「まつ=待つ」と訓じますが「体を許す女」と云う意味もあります。また、「帰妹」は「女から積極的に男の許に行く、結婚する」と云う意味合いの言葉です。およそ、「珠裳乃須十二」の意味合いは漢語からしますと年頃十二歳ぐらいの、嫌がらず男に体を許す乙女と云うことになります。一方、大和の風習では男女の仲が許されるのは成女だけで、童女は許されません。そこで乙女は潮が満ちた成女か、どうかと云うことが大切です。それが五句目「四寶三都良武香」です。さらにこの五句目を穿ちますと「文房四宝」と云う言葉があるように「四寶三都良武香」とは漢文や漢字に秀でた飛鳥浄御原宮、藤原宮、難波宮に勤める立派な官僚と云うことになるでしょうか。
 同じように集歌41の歌に遊びますと五句目「玉藻苅良哉」の「玉藻」が女性の和毛としますと二句目「手節乃埼二」の「埼」は「先」の意味ですし、「手節」は「指」と云う意味になります。つまり、今、指で愛撫をしていますかと意味合いになります。さらに、集歌42の歌で四句目「妹乗良六鹿」を「妹し乗るらむか」と訓じますと、「妹に乗っているのでしょうか」とも訳せます。また、三句目「榜船荷」の「榜」には船を進めると云う操船の意味と棒に書面を掲げ公布を天下に示すと云う意味があります。船が女性の比喩ですと「榜船」に美しい女性の姿を世にさらし見せると云う比喩を取ることが出来ます。そうしますと、あとは、下卑た酔論です。
 総合しますと、この歌三首は宴会更けて夜伽の女との出合い、夜床での様、そして、体を何度も重ねたのかと云う、バレ歌ですが物語の進行があります。推定で柿本人麻呂は天武天皇五年から六年頃に石見物語のような和歌群を詠っており、その評判を知る飛鳥の人々が御幸の留守番の中での宴会で、伊勢御幸を題材に物語歌を求めたのかもしれません。ただし、「四寶三都良武香」たる大夫でなければ、歌の裏に隠された楽しみは判らなかったと思います。
 補足事項として、日本書紀の雄略天皇紀の記事に因りますと雄略天皇は童女君と呼ばれる春日和珥臣深目女を初めて召した夜にその童女君と「七廻喚之」を為したと自己申告をしています。対して大宮人の「妹乗良六鹿」ですと、雄略天皇に対して一回不足することになります。ただしそれでも柿本人麻呂の感覚からしますと「荒嶋廻乎」と呼ぶように男にとって相当に体力を使う厳しい状況です。なお、人麻呂は春日和珥一族ですから雄略天皇と童女君との回数は知るべき伝承ですし、日本書紀に記事が載るように広瀬王を筆頭に当麻真人智徳や紀朝臣弓張たち留守官もまた知るべき民話です。

 今回もまた酔論からのバレ話を展開しました。みそひと歌には紹介しませんが、他の歌でも標準的な解釈とは違うものには、酔論ですがなんらかの背景を持ちます。

万葉集 長歌を鑑賞する 集歌1751

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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌1751

難波經宿明日還来之時謌一首并短哥
標訓 難波に經宿(やど)りて明日(あくるひ)還り来(こ)し時の歌一首并せて短歌
集歌1751 嶋山乎 射徃廻流 河副乃 丘邊道従 昨日己曽 吾越来壮鹿 一夜耳 宿有之柄二 岑上之 櫻花者 瀧之瀬従 落堕而流 君之将見 其日左右庭 山下之 風莫吹登 打越而 名二負有社尓 風祭為奈

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 島山を い行き廻(めぐ)れる 川(かは)沿(そ)ひの 岡辺(おかへ)の道ゆ 昨日(きのふ)こそ 我が越え来(こ)しか 一夜(ひとよ)のみ 寝(ね)たりしからに 峰(を)の上(うへ)の 桜の花は 瀧(たぎ)の瀬ゆ 散らひて流る 君が見む その日までには 山おろしの 風な吹きそと 打ち越えて 名に負(お)へる杜(もり)に 風祭(かざまつり)せな
意訳 島山を行き巡って流れる川沿いの、岡辺の道を通って私が越えて来たのはほんの昨日のことであったが、たった一晩旅宿りしただけなのに、尾根の桜の花は滝の早瀬をひらひら散っては流れている。我が君が帰り道にご覧になるその日までは、山おろしの風など吹かせ給うなと、馬打ちながらせっせと越えて行って、その名も高い風の神、龍田の杜に風祭りをしよう

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 島山を い行き廻(めぐ)れる 川副(そ)ひの 丘辺(おかへ)し道ゆ 昨日(きのふ)こそ 吾が越え来(こ)しか 一夜(ひとよ)のみ 寝(ね)たりしからに 岑(を)し上(うへ)し 桜の花は 瀧(たぎ)し瀬ゆ 散らひて流る 君し見む その日さへには 山下(やまおろし)し 風な吹きそと うち越えて 名に負(お)へる杜(もり)に 風祭(かざまつり)せな
私訳 島山をめぐって流れいく川沿いの丘の裾の道を通って、たしか昨日に私は越えて来た。その昨夜の一夜だけ過ごしただけで、峯の上の桜の花は激しい川の流れに散り流れて逝く、あの御方が見るその日までは山からの吹き下ろしの風よ吹くなと、丘を越えて風神の名を持つ龍田の杜で風祭りをしよう

万葉雑記 色眼鏡 百八三 今週のみそひと歌を振り返る その三

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万葉雑記 色眼鏡 百八三 今週のみそひと歌を振り返る その三

 今週のみそひと歌を振り返りますと、集歌67の難訓歌、二句・三句目の「物戀尓 鳴毛」と云うものや集歌70の歌の四句目「象乃中山」の訓じ問題、集歌84の歌の四句目「鹿将鳴山曽」に中国古典「詩経」小雅に載る「鹿鳴」を見るか、どうかなど話題があります。
 今回は個人の好みを基準に「象乃中山」の訓じ問題の集歌70の歌を取り上げます。

集歌70 倭尓者 鳴而歟来良武 呼兒鳥 象乃中山 呼曽越奈流
訓読 大和には鳴きにか来らむ呼子(よぶこ)鳥(とり)象(ころ)の中山呼びぞ越ゆなる
私訳 大和にはここから鳴くために飛んで来るのでしょうか。呼子鳥とも呼ばれるカッコウよ。秋津野の小路にある丘から「カツコヒ(片恋)、カツコヒ」と想い人を呼びながら越えて行きました。

 この歌の四句目「象乃中山」の「象」は、一般的には平安時代以降の訓じ「きさ」を採用します。そして、「きさ」と訓じたところから吉野に「きさ」と云う地名を探し、奈良県吉野郡吉野町、象山 (きさやま) の麓を流れる喜佐谷川一帯の古称と紹介します。
 参考として、万葉集には「象」と云う文字を持つ歌が集歌70の歌の他に次の三首ありますが、それらすべて吉野に関わる地名として登場します。ほぼ「象」と云う場所は吉野離宮や随員の宿舎があった場所と思われますから、天皇とその一行を収容可能なある程度の規模を持つ場所です。

集歌316 昔見之 象乃小河乎 今見者 弥清 成尓来鴨
集歌332 吾命毛 常有奴可 昔見之 象小河乎 行見為
集歌924 三吉野乃 象山際乃 木末尓波 幾許毛散和口 鳥之聲可聞

 従いまして、この「象」と云う文字が「きさ」と云う地名を示すものでないとしますと、少なくとも万葉集中で四首、影響を受けることになります。
 一方、「象」と云う文字が最初から「きさ」と訓じたのかと云うと、非常に問題があります。訓じとされる「きさ」と云う言葉の語源を探りますと、「きさ」は古語で「雲のようにもやもやな縞や筋の文様」から「木目」や「木理」、または「もやもや縞の貝」から「蚶貝(きさかい)」を意味する言葉です。古語日本語では動物としての「象」を指す言葉ではありません。
 こうした時、近年の解説では『日本書紀』、天智十年(720)十月に「是月。天皇遣使、奉袈裟・金鉢・象牙・沈水香・栴檀香及諸珍財於法興寺仏」と云う記事があり、これ以前に日本に象牙が輸入されていたとします。そして、「さき」の訓じは、象牙の断面を見た人々が「木目を持つ牙」と云うことで「きさのき」と呼び、時代が下るにつれて言葉が縮まり「きさ」になったとします。
 では「象」を「きさ」と訓じたのが明確に判定できるのはいつかと云うと、現代まで訓点付の書物が残る平安時代初期(850年ごろ)、文徳天皇の時代、石山寺蔵『大智度論』に載る「善勝白象(キサ)を下り、怨家に施与して」と云う文章が最古だそうです。また、ある解説では『拾遺和歌集』(1006年ごろ)にも「きさのき」を詠んだ歌があると報告します。ただし、『拾遺和歌集』に載る歌番号390の歌は「物名、木」に分類されるものであって、樹木に分類される橒の木(きさのき)を詠ったものです。つまり、『拾遺和歌集』の歌番号390の歌で詠う対象は象牙ではありませんから、「象」を「きさ」と訓じる例には使えません。

拾遺集 巻七 歌番号390
詞書 きさの木
原歌 いかりゐのいしをくくみてかみこしはきさのきにこそおとらさりけれ
解釈 怒り猪(ゐ)の 石を銜(くく)みて 噛み来しは 橒(きさ)の木にこそ 劣らざりけり
意訳 怒り狂った猪が石を咥え、噛み砕かしてやって来ても、人が植えた立派な木であればなぎ倒されることはない。
注意 橒(きさ)は中国古語では种樹と解説され、種を播き育てた人の手が入った樹木のような意味合いがあります。

 また、言葉の辞典から探りますと、『類聚名義抄』(1081年以降に成立か)に「キサ キザ サウ」、『色葉字類抄』(1144年以降に成立か)に「象 セウ 平声 俗キサ」とあり、平安期には「キサ」「キザ」の他に、「サウ」や「セウ」と訓じていたと思われます。追記して秋田県に象潟(きさかた)と云う地名がありますが、奈良時代から平安時代初期は『古事記』にも載る日本海側の女神である蚶貝比売に由来をもち、また、『出羽国風土略記』に載る「蚶潟(きさかた)」の方の表記を使います。現在の表記「象潟」は江戸時代初期頃の行政区変更による新旧行政区を区分する必要からの改名によるとされています。
 なお、『日本書紀』に載る「象牙」と云う言葉に平安時代初期に本文中に付けられた「誓約之中。此云宇気譬能美難箇」のような「きさのき」と云う補注もありませんから、近代に訓じた「象牙(きさ)」を以って、天智天皇の時代には「象」を「きさ」と訓じていたと云う「為にする」解説は採用しません。

 ここで「象」を奈良時代にどのように訓じていたか、考えてみたいと思います。そうした時、当時、何度も禁制の通達が出るほどに流行した博打、樗蒲(かりうち)と云うものがあります。ゲームは四本の平らな木片を場に投げ、その裏表の出目で勝負を競いました。そして、流行を反映するようにその出目の呼び名が次のように万葉集に取り入れられ、詠われています。ここからから「象」を戯訓として「ころ」と訓じる可能性はあります。

出目象徴読み(戯訓)参照万葉集歌
三伏一向豚つく集歌1874に「暮三伏一向夜」
二伏二向犬(不明)
一伏三向象ころ集歌3284に「根毛一伏三向凝呂尓」
四向牛(不明)諸向なら「もろ」と云う訓が集歌3377にある
四伏(諸伏)馬まにまに(?)集歌743に「神之諸伏」
*注意 中国大陸や朝鮮半島のものとは、ゲームでの出目の名称が異なっていたようです。そのため、「つく」、「ころ」や「まにまに」と云う読みは日本独特だったと思われます。

 一方、「象」の隋唐音は宋本廣韻では「zi̯aŋ/ zĭaŋ」で、同音字に「像」があります。つまり、中国から「象牙」を輸入しますと、発声は当時の国際語である中国語で「zi̯aŋ ŋa」と云うものになります。一般的に舶来物品の名称を無理に大和言葉に直し「きさのき」と発声する必然性はありませんし、それでは高価な珍品舶来品と云う価値が減じます。

 ここで、つまらない話をします。
 現代の古典文学研究では吉野離宮は奈良県吉野郡吉野町宮滝付近にあったと比定し、万葉集に載る吉野方面の地名はこの宮滝を中心に古地名からそれを探します。そのため、宮滝南方の喜佐谷川一帯を「象(きさ)」と比定し、喜佐谷の里山を象山と表記します。さらに、現在、喜佐谷川と云う名称は奈良時代、象川(きさのかわ)と呼ばれたと解説します。
 一方、弊ブログでは万葉集で歌う吉野とは吉野郡下市町の阿知賀を中心とした場所を想定していますので、最初から場所が違います。この阿知賀は神功皇后、応神天皇、雄略天皇ゆかりの地であって、神功皇后の小竹宮、応神天皇や雄略天皇の吉野離宮は吉野郡下市町阿知賀の白髭神社付近にあったと想定しています。そうした時、現在の下市町の阿知賀の様子は万葉集で柿本人麻呂が詠う吉野讃歌に叶うものです。対して宮滝付近の吉野川の風情は人麻呂が詠う風景とは一致しませんし、日本書紀や古事記に載る吉野の風景ではありません。場所は吉野川で徒歩での鵜飼漁が可能であり、また、複数の舟を浮かべた川遊びも必要です。そして、広い野原もまた必要です。さて、そのような吉野とはどこでしょうか。
 およそ、吉野離宮を吉野町宮滝付近に比定する場合、象は「きさ」であり、現在の地名は喜佐谷とします。一方、吉野離宮を下市町阿知賀付近に比定する場合、象は「ころ」であり、現在の地名は小路とします。なお、この小路は遅くとも鎌倉時代以降、「しょうじ」と読みます。
今回、言い掛かりのような説ではありますが、大陸から文物が大量流入する時代に貴重な舶来品である「象牙」を敢えて大和言葉の「さきのき」と翻訳したのかと云う疑問が出発点であり、その代案が「ころ」です。そのような背景を元にした歌の鑑賞とご了解下さい。

万葉集 長歌を鑑賞する 集歌1753

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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌1753

検税使大伴卿登筑波山時謌一首并短謌
標訓 検税使(けんぜいし)大伴卿の筑波の山に登りし時の謌一首并せて短謌
集歌1753 衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君来座登 熱尓 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登 峯上乎 公尓令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之真保良乎 委曲尓 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曽遊 打靡 春見麻之従者 夏草之 茂者雖在 今日之樂者

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 衣手(ころもて) 常陸(ひたち)の国の 二(ふた)並(なら)ぶ 筑波の山を 見まく欲(ほ)り 君来(き)ませりと 暑(あつ)けくに 汗掻(あせか)き投(な)げ 木(こ)の根取り うそぶき登り 峯(を)の上(うへ)を 君に見すれば 男神(ひこかみ)も 許したまひ 女神(ひめかみ)も ちはひたまひて 時となく 雲居雨(くもゐあめ)降る 筑波嶺(つくばね)を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したへば 嬉(うれ)しみと 紐の緒解(と)きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ うち靡く 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日(けふ)の楽しさ
意訳 ここ常陸の国の雌雄並び立つ筑波の山、この山を見たいと我が君がはるばる来られたこととて、真夏の暑い時に汗を手でぬぐい払い投げて、木の根に縋って喘ぎながら登り、頂上を我が君にお見せすると、男神もとくにお許し下さり、女神も霊威をお垂れになって、いつもは時を定めず雲がかかり雨の降るこの筑波嶺なのに、今日ははっきり照らして、気がかりにしていたこの国随一のすばらしさを隈なく見せて下さったので、嬉しさのあまり着物の紐をほどいて、家にいるううにくつろいで遊ぶ今日一日です。草なよやかな春に見るよりは、夏草が生い茂っているとはいえ、今日の楽しさはまた別格です。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 衣手(ころもて)し 常陸(ひたち)し国し 二(ふた)並(なみ)し 筑波の山を 見まく欲(ほ)り 君来(き)ませりと 熱(あつ)けくに 汗かき嘆(な)け 木(こ)し根取り 嘯(うそ)ぶき登り 峯(を)し上(うへ)を 公に見すれば 男(を)し神も 許し賜まひ 女(め)し神も ちはひ給ひて 時となく 雲居雨(くもゐあめ)降る 筑波嶺(つくばね)を 清(さや)し照らして いふかりし 国しま秀(ほ)らを 委曲(つぶらか)に 示し賜へば 歓(うれ)しみと 紐し緒解(と)きて 家し如 解けてぞ遊ぶ うち靡く 春見ましゆは 夏草し 茂くはあれど 今日(けふ)し楽しさ
私訳 衣手を濡(ひた)す常陸の国にある二つの山が並ぶ筑波の山を見たいと思い、貴方がいらっしゃったので、日差しが暑く汗をかき辛い思いをし、木の根にすがり悪態を吐いて登り、嶺の頂を貴方に見せると、男岳の神も許しなされ、女岳の神も霊験を現しなさって、のべつ雲が懸かり雨が降る筑波の嶺をくっきりと照らして、明らかでなかった国の宝の山容をはっきりとお示しなされたので、嬉しさに上着の紐を解いて、家に居るかのように気持ちを解いて風景を楽しむ。霞の棚引く春に見るよりは、夏草が茂ってはいるが、今日の風景はすばらしい。

再読、今日のみそひと歌 月

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再読、今日のみそひと歌 月
集歌92 秋山之 樹下隠 逝水乃 吾許曽益目 御念従者
訓読 秋山し樹(こ)し下(した)隠(かく)り逝(ゆ)く水の吾(われ)こそ益(ま)さめ御(おほ)念(も)ひよりは
私訳 秋山の木の下の枯葉に隠れ流れ行く水のように、密やかに思う心は、私の方が勝っています。貴方が私を慕いなされているより。

集歌93 玉匣 覆乎安美 開而行者 君名者雖有 吾名之惜裳
訓読 玉(たま)匣(くしげ)覆ふを安(やす)み開けに行(い)ば君し名はあれど吾(わ)が名し惜しも
私訳 美しい玉のような櫛を寝るときに納める函を覆うように私の心を硬くしていましたが、覆いを取るように貴方に気を許してこの身を開き、その朝が明けきってしまってから貴方が帰って行くと、貴方の評判は良いかもしれませんが、私は貴方とのものとの評判が立つのが嫌です。

集歌94 玉匣 将見圓山乃 狭名葛 佐不寐者遂尓 有勝麻之目
訓読 玉(たま)匣(くしげ)見(み)む円山(まどやま)の狭名(さな)葛(かづら)さ寝(ね)ずはつひに有りかつましめ
私訳 美しい玉のような櫛を寝るときに納める函を開けて見るように貴女の体を開いて抱く、その丸い形の山の狭名葛の名のような丸いお尻の間の翳り。そんな貴女と共寝をしないでいることはあり得ないでしょう。

集歌95 吾者毛也 安見兒得有 皆人乃 得難尓為云 安見兒衣多利
訓読 吾はもや安見児(やすみこ)得たり皆人(みなひと)の得(え)難(か)てに為(す)とふ安見児得たり
私訳 今、私は、本当は安見の名で呼ばれる貴女を抱いて自分のものにすることが出来ました。誰もが恋人にすることが出来ないと云われた貴女は私の愛を受け入れて、本名を教えてくれるような、閨を共にする恋人にすることができました。

集歌96 水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人作備而 不欲常将言可聞
訓読 御薦(みこも)刈り信濃(しなの)の真弓(まゆみ)吾が引かば貴人(うまひと)さびに否(いな)と言はむかも
私訳 あの木梨の軽太子が御薦(軽大郎女)を刈られたように、信濃の真弓を引くように私が貴女の手を取り、体を引き寄せても、お嬢様に相応しい態度で「だめよ」といわれますか。


再読、今日のみそひと歌 火

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再読、今日のみそひと歌 火

集歌97 三薦苅 信濃乃真弓 不引為而 強作留行事乎 知跡言莫君二
訓読 御薦(みこも)刈り信濃(しなの)の真弓(まゆみ)引かずせに強(し)ひさる行事(わさ)を知ると言はなくに
私訳 あの木梨の軽太子は御薦(軽大郎女)を刈られたが、貴方は強弓の信濃の真弓を引きはしないように、無理やりに私を引き寄せて何かを為されてもいませんのに、貴方が無理やりに私になされたいことを、私は貴方がしたいことを知っているとは云へないでしょう。

集歌98 梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨
訓読 梓(あずさ)弓(ゆみ)引かばまにまに依(よ)らめども後(のち)し心を知りかてぬかも
私訳 梓巫女が梓弓を引くによって神依せしたとしても、貴方が私を抱いた後の貴方の心根を私は確かめるができないでしょうよ。

集歌99 梓弓 都良絃取波氣 引人者 後心乎 知人曽引
訓読 梓(あずさ)弓(ゆみ)弦(つら)緒(を)取りはけ引く人は後(のち)し心を知る人ぞ引く
私訳 梓弓に弦を付け弾き鳴らして神を引き寄せる梓巫女は、貴女を抱いた後の私の真心を知る巫女だから神の梓弓を引いて神託(私の真心)を告げるのです。

集歌100 東人之 荷向篋乃 荷之緒尓毛 妹情尓 乗尓家留香問
訓読 東人(あずまひと)し荷前(のさき)し篋(はこ)の荷し緒にも妹し心に乗りにけるかも
私訳 東人が都へと運んできた荷物の入った箱を縛る荷紐の緒にも名前を示す名札を付けるように、貴女への想いに私は名乗りを上げるでしょう。

集歌101 玉葛 實不成樹尓波 千磐破 神曽著常云 不成樹別尓
訓読 玉(たま)葛(かづら)実(み)成(な)らぬ木にはちはやぶる神ぞ着(つ)くといふならぬ樹ごとに
私訳 美しい藤蔓の花の実の成らない木には恐ろしい神が取り付いていると言いますよ。実の成らない木にはどれも。それと同じように、貴女を抱きたいと云う私の思いを成就させないと貴女に恐ろしい神が取り付きますよ。

再読、今日のみそひと歌 水

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再読、今日のみそひと歌 水

集歌102 玉葛 花耳開而 不成有者 誰戀尓有目 吾孤悲念乎
訓読 玉(たま)葛(かづら)花のみ咲きに成らざるは誰が恋にあらめ吾(わ)が恋ひ念(も)ふを
私訳 美しい藤蔓の花のような言葉の花だけがたくさんに咲いただけで、実際に恋の実が実らなかったのは誰の恋心でしょうか。私は貴方の私への恋心を感じていましたが。

集歌103 吾里尓 大雪落有 大原乃 古尓之郷尓 落巻者後
訓読 吾(わ)が里に大雪降(ふ)れり大原の古(ふ)りにし里に降らまくは後(のち)
私訳 わが明日香の里に大雪が降っている、遠く離れたお前の里の(明日香の)大原の古びた里に雪が降るのはもっと後だね。

集歌104 吾岡之 於可美尓言而 令落 雪之摧之 彼所尓塵家武
訓読 吾(わ)が岡し御神(をかみ)に言ひに落(ふ)らしめし雪し摧(くだ)けし其処(そこ)に散りけむ
私訳 私の里にある丘に祭られる御神である竜神に言いつけた、その降らせた雪のかけらが、そちらに散ったのでしょう。

集歌105 吾勢枯乎 倭邊遺登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之
訓読 吾が背子を大和へ遣るとさ夜更けに鷄(かけ)鳴(な)く露に吾(われ)立ちそ濡れし
私訳 私の愛しい貴方を大和へと見送ろうと思うと、二人の夜はいつしか深けてしまった、その鶏が鳴く早朝に去って往く貴方を見送る私は夜露にも立ち濡れてしまいました。

集歌106 二人行杼 去過難寸 秋山乎 如何君之 獨越武
訓読 二人行けど去き過ぎ難き秋山を如何にか君し独り越ゆらむ
私訳 二人で行っても思いが募って往き過ぎるのが難しい秋の二上山を、どのように貴方は私を置いて一人で越えて往くのでしょうか。

再読、今日のみそひと歌 木

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再読、今日のみそひと歌 木

集歌107 足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所沽 山之四附二
訓読 あしひきの山し雌伏(しふく)に妹待つと吾(われ)立(た)そ沽(か)れ山し雌伏に
私訳 「葦や檜の茂る山の裾野で愛しい貴女を待っている」と伝えたので、私は辛抱してじっと立ったままで貴女が忍んで来るの待っています。その山の裾野で。
注意 原歌四句目は古書では「吾立所沽」であって、「吾立所沾」ではありません。現在は意訳が出来ないとして「沽」を「沾」と校訂し、想定した訳文に沿わせています。

集歌108 吾乎待跡 君之沽計武 足日木能 山之四附二 成益物乎
訓読 吾を待つと君し沽(か)れけむあしひきの山し雌伏(しふく)に成らましものを
私訳 「私を待っている」と貴方がじっと辛抱して待っている、その葦や檜の生える山の裾野に私が行ければ良いのですが。
注意 原歌三句目は古書では「君之沽計武」であって、「君之沾計武」ではありません。現在は意訳が出来ないとして「沽」を「沾」と校訂し、想定した訳文に沿わせています。

集歌109 大船之 津守之占尓 将告登波 益為尓知而 我二人宿之
訓読 大船し津守し占に告らむとはまさしに知りに我が二人宿(ね)し
私訳 大船が泊まるという難波の湊の住吉神社の津守の神のお告げに出て人が知ってしまったように、貴女の周囲の人が、私が貴女の夫だと噂することを確信して、私は愛しい貴女と同衾したのです。

集歌110 大名兒 彼方野邊尓 苅草乃 束之間毛 吾忘目八
訓読 大名児(おほなご)を彼方(をちかた)野辺(のへ)に刈る草(かや)の束(つか)し間(あひだ)も吾(われ)忘れめや
私訳 大名児よ。新嘗祭の準備で忙しく遠くの野辺で束草を刈るように、ここのところ逢えないが束の間も私は貴女を忘れることがあるでしょうか。

集歌111 古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 渡遊久
訓読 古(いにしへ)に恋ふる鳥かも弓絃葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より渡り遊(あそ)びく
私訳 昔を恋うる鳥だろうか、弓絃葉の御井の上をあちこちと飛び渡っていく

再読、今日のみそひと歌 金

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再読、今日のみそひと歌 金

集歌112 古尓 戀良武鳥者 霍公鳥 盖哉鳴之 吾戀流其騰
訓読 古(いにしへ)に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きし吾(わ)が恋(こ)ふるそと
私訳 昔を恋しがる鳥は霍公鳥です。さぞかし鳴いたでしょう。私がそれを恋しく思っているように。

集歌113 三吉野乃 玉松之枝者 波思吉香聞 君之御言乎 持而加欲波久
訓読 み吉野の玉松(たままつ)し枝(え)は愛(は)しきかも君し御言(みこと)を持ちに通はく
私訳 み吉野の美しい松の枝は愛しいものです。物言わぬその松の枝自身が、貴方の御言葉を持って来るように遣って来ました。

集歌114 秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母
訓読 秋し田し穂(ほ)向(むき)のそ寄る片寄りに君に寄りなな事痛(こちた)くありとも
私訳 秋の田の実った穂がきっと風に靡き寄るように、貴方に私の慕う気持ちを寄せたい。貴方にとって面倒なことであったとしても。

集歌115 遺居与戀管不有者 追及武 道之阿廻尓 標結吾勢
訓読 遣(す)て居(い)よと恋ひつつあらずは追ひ及かむ道し隈廻(くまみ)に標(しめ)結(ゆ)へ吾が背
私訳 「家に残って居なさい」と、私の家にやって来て、このまま恋の証を見せてくれないのなら、旅行く貴方の跡を追っていきましょう。追って行く私の為に道の曲がり角毎に目印を結んで下さい。私の愛しい貴方。

集歌116 人事乎 繁美許知痛美 己世尓 未渡 朝川渡
訓読 人(ひと)事(こと)を繁み事痛(こちた)み己(おの)が世にいまだ渡らぬ朝(あさ)川(かは)渡る
私訳 この世の中は人がするべき雑用が沢山あり非常に煩わしく思い、私の生涯で未だした事がなかった、朝に、十王経に示す煩悩地獄の川を渡りましょう。

万葉雑記 色眼鏡 百八四 今週のみそひと歌を振り返る その四

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万葉雑記 色眼鏡 百八四 今週のみそひと歌を振り返る その四

 今週、鑑賞しました歌は、話題性を持つものが相当数ありました。
 集歌93と集歌94との二首相聞歌では標題の「娉鏡王女時」と云う漢文章をどのように解釈するかで、歌の世界が実際の恋愛か、宴会での架空のものかと問題があります。また、集歌96から集歌100までの相聞歌では、古く、信州ゆかりの人々は信州の土地にからむ歌群としますし、そうでない人々は大和の宮廷での宴会で詠われた余興の相聞歌とします。その時、歌にはまったくに信州の風景は無いと云う立場です。さらに集歌101と集歌102との二首相聞歌もまた、歌が詠われた場の設定に話題があります。一般には標題の「娉巨勢郎女時」と云う漢文章から二人の実恋愛を想定しますが、漢字の本義からは歌は宮中などの宴会で詠われた余興の相聞歌であろうと判断されます。そして、集歌105と集歌106との二首組歌に大津皇子と大伯皇女との関係をどのように判断するか、集歌107と集歌108との二首相聞歌での「沾」と「沽」とでの原歌表記の正誤問題などがあります。実に話題性のある歌が集まった週となりました。
 弊ブログでは何度も何度も取り上げましたが、漢字「娉」は「聘」と云う文字の正式文字であって、「聘」は格の落ちる汎字です。聘問(へいもん)が「進物をたずさえて訪問すること・礼をつくすこと」と云う意味をしめすとしますと、娉問(へいもん)は「公式に贈り物を携えて表敬訪問をする・公の礼を尽くす」と云う一段上の礼儀と云うことになります。漢字本義からしますと、「娉」と云う文字に秘めやかな妻問ひと云う意味はまったくにありません。漢文章からすると、内大臣藤原卿と鏡王女との間で交わされた集歌93と集歌94との二首相聞歌、大伴宿祢安麻呂と巨勢郎女との間で交わされた集歌101と集歌102の二首相聞歌や、久米禅師と石川郎女との間で交わされた集歌96から集歌100までの問答歌にそれぞれ二人の恋愛を想定するより、宮中での身分と宴会での余興を見るべきなのです。まして、これら万葉集の相聞歌を根拠に婚姻や二人の間での御子などを想像するのはナンセンスです。このような背景がありますから、これらの歌の説明はこの程度に納めます。
 大津皇子と石川郎女との間で交わされた集歌107と集歌108との二首相聞歌で使われる漢字文字「沽」と、それでは意味が通じないとして校訂された「沾」について、弊ブログでは古本表記の「沽」であっても十分に歌意は得られるとしました。その時、歌中の「四付」や「四附」を「しふく」と訓じるか、「しずく」と訓じるかで歌意は大きく変わります。「しふく」と訓じれば、宮中の宴会歌であっても大津皇子は石川郎女に振られたことになりますし、「しずく」であれば石川郎女は大津皇子の誘いを受けたとなります。弊ブログでは、宴会で大津皇子は才女の石川郎女に軽くいなされたとする立場です。

 ここでは、弊ブログでもあまり取り上げていない、大津皇子と大伯皇女との間で交わされた集歌107と集歌108との二首組歌を眺めて見ます。

大津皇子竊下於伊勢神宮上来時、大伯皇女御作謌二首
標訓 大津皇子の竊(ひそ)かに伊勢の神宮に下りて上り来ましし時に、大伯皇女の御(かた)りて作(つく)らしし歌二首
集歌105 吾勢枯乎 倭邊遺登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之
訓読 吾が背子を大和へ遣るとさ夜更けに鷄(かけ)鳴(な)く露に吾(われ)立ちそ濡れし
私訳 私の愛しい貴方を大和へと見送ろうと思うと、二人の夜はいつしか深けてしまった、その鶏が鳴く早朝に去って往く貴方を見送る私は夜露にも立ち濡れてしまいました。

集歌106 二人行杼 去過難寸 秋山乎 如何君之 獨越武
訓読 二人行けど去き過ぎ難き秋山を如何にか君し独り越ゆらむ
私訳 二人で行っても思いが募って往き過ぎるのが難しい秋の二上山を、どのように貴方は私を置いて一人で越えて往くのでしょうか。

 この歌二首は、古く、物議があります。
 最初に確認しますが、大津皇子と大伯皇女とは実の姉弟の関係にあり、父親が天武天皇、母親が大田皇女です。そうした時、集歌105の歌での「吾勢枯」や「吾立所霑之」と云う表現から、時に人は大津皇子と大伯皇女と間に男女関係を疑います。集歌107と集歌108との二首組歌を眺める時、二人の間に男女関係があり、女が闇にまぎれて帰って行く恋人を見送る場面を詠うものとした方が相応しいと感想します。しかしながら、大和の風習では同母兄妹間での男女関係は公では忌諱事項であり、さらにまた大伯皇女は伊勢神宮の斎王と云う立場にあります。つまり、二重の忌諱から大津皇子と大伯皇女との間に恋愛があってはいけないのです。
 一方、万葉集時代の歌の約束からしますと男女の歌で「女性が朝露に濡れる」と宣言することは、女性には夜を共にする恋人がおり、その恋人と昨夜は床を共にしたと云うことを認めたことになります。つまり、肉体関係までに発展した男女関係があると云うことです。片思いや交際申し込みと云う段階ではありません。
 こうした時、先の鑑賞になりますが、大伯皇女が詠う歌があと四首あり、それが次のものです。大津皇子は天武天皇葬儀での服喪の最中、淫行と云う不謹慎行為から死刑になり、その重罪の連座と云う形で大伯皇女(大来皇女)は伊勢神宮斎王の職を解かれ、飛鳥へと戻されています。先の二首は斎王解任から帰京の場面で、後の二首は大津皇子の埋葬の場面を詠うものです。
 集歌166の歌の左注に示すように大津皇子は飛鳥磐余の皇子の屋敷で処刑され、後、葛城の二上山に埋葬されたとします。すると、当時としては大和川を使った水運でしょうから、歌の雰囲気が水運で遺体を搬送すると云う雰囲気に合わないのです。つまり、万葉集中に大伯皇女が詠う歌は都合、六首あり、それらすべてが大津皇子と死別を詠います。つまり、見様によっては歌六首すべてが挽歌なのです。しかし、歌の世界は姉弟愛と云うよりは、男女恋愛からの挽歌の様相を示します。

大津皇子薨之後、大来皇女従伊勢齊宮上京之時御作謌二首
標訓 大津皇子の薨(みまか)りしし後に、大来皇女の伊勢の齊宮より京(みやこ)に上(のぼ)りましし時に御(かた)りて作(つく)らしし謌二首
集歌163 神風之 伊勢能國尓毛 有益乎 奈何可来計武 君毛不有尓
訓読 神風(かむかぜ)し伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君もあらなくに
意訳 神風の吹く伊勢の国にもいればよかたものを、どうして都に帰って来たのだろう。貴方もいないことなのに。

集歌164 欲見 吾為君毛 不有尓 奈何可来計武 馬疲尓
訓読 見まく欲(ほ)り吾がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲(か)るるに
意訳 会いたいと思う貴方も、もういないことだのに、どうして帰って来たのだろう。徒らに馬が疲れるだけだのに。

移葬大津皇子屍於葛城二上山之時、大来皇女哀傷御作謌二首
標訓 大津皇子の屍(かばね)を葛城の二上山に移し葬(はふ)りし時に、大来皇女の哀(かな)しび傷(いた)みて御(かた)りて作(つく)らしし歌二首
集歌165 宇都曽見乃 人尓有吾哉 従明日者 二上山乎 汝背登吾将見
訓読 現世(うつせみ)の人にある吾(われ)や明日よりは二上山を汝背(なせ)と吾(あ)が見む
意訳 この世の人である私は、明日からは、二上山を弟として眺めることでしょうか。
試訳 もう二度と会えないならば、今を生きている私は明日からは毎日見ることが出来るあの二上山を愛しい大和に住む貴方と思って私は見ましょう。

集歌166 礒之於尓 生流馬酔木 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓
訓読 磯し上(へ)に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君し在りと言はなくに
意訳 岸の辺に生える馬酔木を手折りたいと思うが、見せてあげたい貴方がいるというのではないのだが。
試訳 貴方が住む大和から流れてくる大和川の岸の上に生える馬酔木の白い花を手折って見せたいと思う。以前のように見せる貴方はもうここにはいないのだけど。

右一首今案、不似移葬之歌。盖疑、従伊勢神宮還京之時、路上見花感傷哀咽作此歌乎。
注訓 右の一首は今(いま)案(かむが)ふるに、移し葬(はふ)れる歌に似ず。けだし疑はくは、伊勢の神宮(かむみや)より京(みやこ)に還りし時に、路の上(ほとり)に花を見て感傷(かんしょう)哀咽(あいえつ)してこの歌を作れるか。


 確かに歌は大津皇子への挽歌なのでしょう。ただし、歌の作歌者は大伯皇女ではないと思われます。弊ブログでは大伯皇女は実際には和歌を詠わない女性であって、万葉集中六首は万葉集編纂の過程で成った民間に在った歌謡を題材に他の人が「大伯皇女」に仮託した大津皇子への挽歌と想像します。それも大和に住む男と石川に住む女との恋愛を元にした民謡を元にしたため、途中途中で男女の肉体交渉を前提とした出合いが顔をのぞかせるのだと考えます。
 大津皇子は、本人自身の刑死に際し、時間的、また、政治的な制約から歌を残さなかったと考えられます。その大津皇子に挽歌が無いことを悼んで、後の人々が辞世の歌や挽歌を奉げたと推定します。そのため、ここでの大伯皇女の歌六首も正面から眺めると奇妙な状況にありますし、懐風藻に載る歌も時代性や大和と云う社会性からしますと奇妙なことになっています。懐風藻の歌や日本書紀の記事からしますと大津皇子は市中で処刑され、妃山辺皇女は裸足でその市中を走り、処刑されます。大和は朝鮮半島の風習とは違い、皇族など高貴な人の刑罰は自宅で行い、処刑も血を流さない絞殺が中心です。万葉集編纂者は懐風藻の歌や日本書紀の記事に呆れて、このような歌を万葉集に埋め込んだのかもしれません。

万葉集 長歌を鑑賞する 集歌1755

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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌1755

詠霍公鳥一首并短哥
標訓 霍公鳥(ほととぎす)を詠める一首并せて短哥
集歌1755 鴬之 生卵乃中尓 霍公鳥 獨所生而 己父尓 似而者不鳴 己母尓 似而者不鳴 宇能花乃 開有野邊従 飛翻 来鳴令響 橘之 花乎居令散 終日 雖喧聞吉 幣者将為 遐莫去 吾屋戸之 花橘尓 住度鳥

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 うぐひすの 卵(かひこ)の中に ほととぎす ひとり生(うま)れて 汝(な)が父に 似ては鳴かず 汝(な)が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺(のへ)ゆ 飛び翔(かけ)り 来鳴き響(とよ)もし 橘の 花を居(ゐ)散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし 賄(まひ)はせむ 遠くな行きそ 我がやどの 花橘に 住みわたれ鳥
意訳 鶯の卵の中に、時鳥よ、お前はただひとり生まれて、自分の父に似た鳴き声も立てなければ、自分の母に似た鳴き声も立てない。しかし、卯の花の咲いている野辺を渡って飛びかけって来てはあたりを響かせて鳴き、橘の枝にとまって花を散らし、一日中鳴いていても聞き飽きることがない。贈り物はちゃんとあげよう。遠くへ行かないでおくれ。我が家の庭の花橘にずっと棲みついておくれ、この鳥よ。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 鴬し 生卵(かひこ)の中に 霍公鳥(ほととぎす) 独り生(う)まれて 己(な)し父に 似ては鳴かず 己(な)し母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺(のへ)ゆ 飛び翔(かけ)り 来鳴き響(とよ)もし 橘し 花を居(ゐ)散らし 終日(ひねもす)し 鳴けど聞きよし 幣(まひ)はせむ 遠くな行きそ 吾が屋戸(やと)し 花橘に 住み渡れ鳥
私訳 鶯の産む卵の中に霍公鳥は独り生まれて、お前の父鳥に似た声では鳴かず、お前の母鳥に似た声では鳴かず、卯の花の咲いている野辺を飛び翔けて、やって来て鳴き声を響かし、橘の花を枝に留まって散らし、一日中、鳴いているが、その鳴き声は聞き好い。贈り物をしよう。遠くには行くな。私の家の花咲く橘に住み渡って来い。霍公鳥よ。

再読、今日のみそひと歌 月

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再読、今日のみそひと歌 月

集歌117 大夫哉 片戀将為跡 嘆友 鬼乃益卜雄 尚戀二家里
訓読 大夫(ますらを)や片恋せむと嘆けども鬼(しこ)の大夫(ますらを)なほ恋ひにけり
私訳 「人の上に立つ立派な男が心を半ば奪われる恋をするとは」と嘆いていると、その人の振る舞いを嘆いたこの頑強で立派な男である私が貴女に恋をしてしまった。

集歌118 歎管 大夫之 戀礼許曽 吾髪結乃 漬而奴礼計礼
訓読 歎(なげ)きつつ大夫(ますらを)し恋ふれこそ吾が髪結(かみゆひ)の漬(ひ)ぢにぬれけれ
私訳 恋を煩う人を何たる軟弱と嘆く一方、立派な男子である貴方が私を恋して下さるので、その貴方がする恋慕のため息で私の髪を束ねた結い紐も濡れて解けてしまった。

集歌119 芳野河 逝瀬之早見 須臾毛 不通事無 有巨勢流香問
訓読 芳野川逝(ゆ)く瀬し早み須臾(しましく)も淀むことなくありこせぬかも
私訳 吉野川を流れ行く瀬の流れが速いように、ほんのわずかのあいだも淀むことがない、そのように二人の仲は淀むことなく恋して居られないでしょうか。

集歌120 吾妹兒尓 戀乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾
訓読 吾妹子に恋ひつつあらずは秋萩し咲きに散りぬる花にあらましを
私訳 私の愛しい貴女にこのように恋焦がれていられないのなら、秋萩の花が咲い誇ってから散って行く、その失せて行く花のようにあった方が良い。

集歌121 暮去者 塩満来奈武 住吉乃 淺鹿乃浦尓 玉藻苅手名
訓読 夕さらば潮満ち来なむ住吉(すみのえ)の浅香(あさか)の浦に玉藻刈りてな
私訳 夕方になれば潮が満ちて来るでしょう、その住吉の浅香の浦で美しい玉藻(=女性の比喩)を刈りたいものです。


再読、今日のみそひと歌 火

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再読、今日のみそひと歌 火

集歌122 大船之 泊流登麻里能 絶多日二 物念痩奴 人能兒故尓
訓読 大船し泊(は)つる泊(とま)りのたゆたひに物思ひ痩(や)せぬ人の児故(ゆえ)に
私訳 大船が停泊する湊で大船が揺れ動くように、あれこれと物思いをして痩せてしまった。私の思い通りにならない貴女のために。
注意 「人妻」や「人の兒」は自分ではない、他人と云う意味であって、特定の誰かの所有や配下と云う意味合いではありません。

集歌123 多氣婆奴礼 多香根者長寸 妹之髪 此来不見尓 掻入津良武香
訓読 束(た)けば解(ぬ)れ束(た)かねば長き妹し髪このころ見ぬに掻(か)き入れつらむか
私訳 束ねると解け束ねないと長い、まだとても幼い恋人の髪。このころ見ないのでもう髪も伸び櫛で掻き入れて束ね髪にしただろうか。

集歌124 人皆者 今波長跡 多計登雖言 君之見師髪 乱有等母
訓読 人皆(ひとみな)は今は長しと束(た)けと言へど君し見し髪乱れたりとも
私訳 他の人は、今はもう長いのだからお下げ髪を止めて束ねなさいと云うけれども、貴方が御覧になった髪ですから、乱れたからと云ってまだ束ねはしません。

集歌125 橘之 蔭履路乃 八衢尓 物乎曽念 妹尓不相而
訓読 橘し蔭(かげ)履(ふ)む路の八衢(やちまた)に物をぞ念(おも)ふ妹に逢はずに
私訳 橘の木陰の下の人が踏む分かれ道のように想いが分かれて色々と心配事が心にうかびます。愛しい恋人に逢えないままに。

集歌126 遊士跡 吾者聞流乎 屋戸不借 吾乎還利 於曽能風流士
訓読 遊士(みやびを)と吾は聞けるを屋戸(やと)貸さず吾を還せりおその風流士(みやびを)
私訳 風流なお方と私は聞いていましたが、夜遅く忍んで訪ねていった私に、一夜、貴方と泊まる寝屋をも貸すこともしないで、そのまま何もしないで私をお返しになるとは。女の気持ちも知らない鈍感な風流人ですね。

再読、今日のみそひと歌 水

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集歌127 遊士尓 吾者有家里 屋戸不借 令還吾曽 風流士者有
訓読 遊士(みやびを)に吾はありけり屋戸(やと)貸さず還しし吾(われ)ぞ風流士(みやびを)にはある
私訳 風流人ですよ、私は。神話の伊邪那岐命と伊邪那美命との話にあるように、女から男の許を娉うのは悪(あし)ことですよ。だから、女の身で訪ねてきた貴女に一夜の寝屋をも貸さず、貴女に何もしないでそのまま還した私は風流人なのですよ。だから、今、貴女とこうしているではないですか。

集歌128 吾聞之 耳尓好似 葦若未乃 足痛吾勢 勤多扶倍思
訓読 吾(わ)が聞きし耳に好(よ)く似る葦(あし)若未(うれ)の足(あし)痛(う)む吾が背(せ)勤(つと)め給(た)ふべし
私訳 私が聞くと発音がよく似た葦(あし)の末(うれ)と足(あし)を痛(う)れう私の愛しい人よ。神話の伊邪那岐命と伊邪那美命との話にあるように、女から男の許を娉うのは悪(あし)ことであるならば、今こうしているように、風流人の貴方は私の許へもっと頻繁に訪ねて来て、貴方のあの逞しい葦の芽によく似たもので私を何度も何度も愛してください。

集歌129 古之 嫗尓為而也 如此許 戀尓将沈 如手童兒
試訓 古(いにしへ)し嫗(おふな)にせにや如(か)くばかり恋に沈まむ手(た)童(わらは)し如(ごと)
試訳 昔、その年老いた女が恋心を持ったように、私もこの石川女郎と大伴田主との恋の物語のように昔のように恋の思い出に心を沈みこませています。まるで、一途な子供みたいに。

集歌130 丹生乃河 瀬者不渡而 由久遊久登 戀痛吾弟 乞通来祢
訓読 丹生(にふ)の河(かは)瀬は渡らずにゆくゆくと恋(こひ)痛(た)き吾弟(わがせ)乞(こ)いで通(かよ)ひ来(こ)ね
私訳 この世とあの世とを結ぶ丹生の川瀬を渡ることをしないで。常久しく心に留め心配している私の愛しい弟よ、お願いだ、あの世への丹生の川瀬から私の元に通って来い。

集歌132 石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香
訓読 石見(いはみ)のや高角山(たかつのやま)し木(こ)し際(ま)より我が振る袖を妹見つらむか
私訳 石見にある高い津野の山の木々の葉の間から、私が振る袖を恋人は見ただろうか。

再読、今日のみそひと歌 木

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再読、今日のみそひと歌 木
集歌133 小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆
訓読 小竹(ささ)し葉はみ山も清(さ)やに乱(さや)げども吾は妹思(も)ふ別れ来(き)ぬれば
私訳 笹の葉は神の宿る山とともに清らかに風に揺られているが、揺れることなく私は恋人を思っています。都への出張に際し愛しい恋人と別れて来たから。
注意 三句目「乱友」には大きく「さやげども」と「みだれとも」との訓じ論争があります。ここでは柿本人麻呂の人生とこの歌の長歌との歌意の関係から「さやげども」説を採用しています。

集歌134 石見尓有 高角山乃 木間従文 吾袂振乎 妹見監鴨
訓読 石見なる高角山の木し間ゆもわが袖振るを妹見けむかも
私訳 石見国にある高角山の木々の間から、私が別れの袖を振るのを恋人の貴女は見ただろうか。

集歌136 青駒之 足掻乎速 雲居曽 妹之富乎 過而来計類
訓読 青(あを)駒(こま)し足掻(あが)きを速み雲居にぞ妹しあたりを過ぎに来にける
私訳 青馬の歩みが速い。そのような早く流れる空にある、魂を伝えると云う雲が、恋人のいる付近を通り過ぎてからこちらにやって来ました。

集歌137 秋山尓 落黄葉 須奭者 勿散乱曽 妹之雷将見
訓読 秋山に落(ふ)る黄葉(もみちは)し須臾(しましく)はな散り乱(まが)ひそ妹(いも)し雷(れひ)見む
私訳 秋山に散る黄葉の葉よ、しばらく間、散り乱れないでくれ、恋人が別れの礼として領巾(ひれ)を振るような、そのような稲光を見たよ。
注意 五句目「妹之雷将見」は難訓です。一般には「妹のあたり見ゆ」と訓じます。

集歌139 石見之海 打歌山乃 木際従 吾振袖乎 妹将見香
訓読 石見(いはみ)し海(うみ)打歌(うつた)し山(やま)の木(こ)し際(ま)より吾が振る袖を妹見つらむか
私訳 石見の海よ。その海沿いの宇田の山の木の間際から私が振る袖を恋人の貴女は見ただろうか。

再読、今日のみそひと歌 金

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再読、今日のみそひと歌 金

集歌133 小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆
訓読 小竹(ささ)し葉はみ山も清(さ)やに乱(さや)げども吾は妹思(も)ふ別れ来(き)ぬれば
私訳 笹の葉は神の宿る山とともに清らかに風に揺られているが、揺れることなく私は恋人を思っています。都への出張に際し愛しい恋人と別れて来たから。
注意 三句目「乱友」には大きく「さやげども」と「みだれとも」との訓じ論争があります。ここでは柿本人麻呂の人生とこの歌の長歌との歌意の関係から「さやげども」説を採用しています。

集歌134 石見尓有 高角山乃 木間従文 吾袂振乎 妹見監鴨
訓読 石見なる高角山の木し間ゆもわが袖振るを妹見けむかも
私訳 石見国にある高角山の木々の間から、私が別れの袖を振るのを恋人の貴女は見ただろうか。

集歌136 青駒之 足掻乎速 雲居曽 妹之富乎 過而来計類
訓読 青(あを)駒(こま)し足掻(あが)きを速み雲居にぞ妹しあたりを過ぎに来にける
私訳 青馬の歩みが速い。そのような早く流れる空にある、魂を伝えると云う雲が、恋人のいる付近を通り過ぎてからこちらにやって来ました。

集歌137 秋山尓 落黄葉 須奭者 勿散乱曽 妹之雷将見
訓読 秋山に落(ふ)る黄葉(もみちは)し須臾(しましく)はな散り乱(まが)ひそ妹(いも)し雷(れひ)見む
私訳 秋山に散る黄葉の葉よ、しばらく間、散り乱れないでくれ、恋人が別れの礼として領巾(ひれ)を振るような、そのような稲光を見たよ。
注意 五句目「妹之雷将見」は難訓です。一般には「妹のあたり見ゆ」と訓じます。

集歌139 石見之海 打歌山乃 木際従 吾振袖乎 妹将見香
訓読 石見(いはみ)し海(うみ)打歌(うつた)し山(やま)の木(こ)し際(ま)より吾が振る袖を妹見つらむか
私訳 石見の海よ。その海沿いの宇田の山の木の間際から私が振る袖を恋人の貴女は見ただろうか。

万葉雑記 色眼鏡 百八五 今週のみそひと歌を振り返る その五

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万葉雑記 色眼鏡 百八五 今週のみそひと歌を振り返る その五

 柿本人麻呂歌に見る難訓歌を中心に振りかえってみますと、一般には次の歌が難訓歌として扱われています。
 以下に紹介します集歌133の歌では三句目の「乱友」が、集歌137の歌では五句目の「妹之雷将見」が難訓です。

集歌133 小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆
訓読 小竹(ささ)し葉はみ山も清(さ)やに乱(さや)げども吾は妹思(も)ふ別れ来(き)ぬれば
私訳 笹の葉は神の宿る山とともに清らかに風に揺られているが、揺れることなく私は恋人を思っています。都への出張に際し愛しい恋人と別れて来たから。
注意 三句目「乱友」には大きく「さやげども」と「みだれとも」との訓じ論争があります。ここでは柿本人麻呂の人生とこの歌の長歌との歌意の関係から「さやげども」説を採用しています。

集歌137 秋山尓 落黄葉 須奭者 勿散乱曽 妹之雷将見
訓読 秋山に落(ふ)る黄葉(もみちは)し須臾(しましく)はな散り乱(まが)ひそ妹(いも)し雷(れひ)見む
私訳 秋山に散る黄葉の葉よ、しばらく間、散り乱れないでくれ、恋人が別れの礼として領巾(ひれ)を振るような、そのような稲光を見たよ。
注意 五句目「妹之雷将見」は難訓です。一般には「妹のあたり見ゆ」と訓じます。

 御承知のように集歌133の歌の三句目「乱友」には、主に「さやげども」と「みだれとも」との訓じ論争があります。当然、集歌133の歌は集歌131の長歌に付けられた反歌ですから、歌の感情は集歌131の長歌と集歌132の反歌との関連性を持つ必要があります。反歌を短歌として一首単独に抜き出し、歌の鑑賞をしてはいけません。集歌133の歌は「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時謌二首并短謌」と云う標題と「反謌二首」と云う標題に拘束されます。すると、集歌133の歌で詠う「小竹之葉者三山毛清尓乱友」は集歌131の長歌での「益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而」の情景と集歌132の反歌で詠う「高角山之 木際従」の情景と整合性を持たせる必要があります。
 ここで「三山毛清尓」については、集歌131の長歌から集歌139の反歌までの歌々から「御山」の意味合いと「三山=高角山、屋上山(室上山)、打歌山」の意味合いとが暗示されているとします。そして、街道筋からしますと高角山は島根県益田市高津町の高角山、屋上山は山口県萩市弥富の白須山、打歌山は山口県阿武郡阿武町宇田の神宮山ではないかと思われますし、その山口県阿武郡阿武町宇田には平安時代までに縁起を持つ御山神社があります。およそ、人麻呂が取った旅の順路は江戸時代と同様な益田市から萩市への北浦街道筋を進んだと思われます。
そうした時、歌は奈良の都への柿本人麻呂の出立のものですから、旅立ちにあたって「みだる」と云う発声をしたかと云う問題があります。歌には言霊が宿ると信仰されていた時代、それは旅の出立で使う言葉でしょうか。
 また、この時、柿本人麻呂の旅の目的は何であったのでしょうか。公務による奈良の都への出張でしょうか、それとも職務満了による奈良の都への帰京でしょうか。出張ですと数カ月の後に戻って来ますから、残して来た「妹=妻」との再会は予定されたものです。一方、帰京ですと残して来た「妹=妻」とは今生の別れと云うことになります。集歌133の歌は確かに短歌ですが、長歌と反歌の組歌の中の一首ですから、このような情景や背景を反映したものでなければいけません。
 以上の考察から、本ブログでは都への出張の場面を詠う歌と解釈し深刻な心乱れるような別れの場面とはしませんし、また、言霊からも「乱友」は「さやげとも」と解釈します。

 次に、集歌137の歌の五句目「妹之雷将見」の訓を考えますと、一般には集歌137の歌の五句目「妹之雷将見」は難訓なため、「妹のあたり見ゆ」と云う訓じを予定して「雷」は「當」の誤記とし「妹之當将見」と校訂します。ただし、根拠は希望した誤記からの校訂となっていますから、本来ですと難訓歌として扱い、訓じ未詳とするのが良い歌です。万葉集の歌の大半は訓じられ、難訓歌とされる歌は限定されているとしますが、厳密に訓じるために任意の原歌表記の改変行為を許さないと云う縛りを与えますと、まだまだ、多くの難訓歌は存在します。
 他方、歌を原歌表記から正しく訓じなければいけないと云う立場からしますと、歌は柿本人麻呂の作品であること、作品が飛鳥浄御原宮時代の早い時期のものであることなどから、字音まで立ち返って、訓じを検討する必要があります。そうした時、「雷」の音韻は『宋本廣韻』では「luɑ̆i」ですし、「禮」の音韻は「liei」ですので、これらは近似の音韻を持ちます。古語での言葉の訛りや標準化と云うものを考慮しますと、人麻呂は字音からの言葉遊び的に歌を作歌したかも知れません。
 例えば、集歌134の歌には「木間従文」と云う表現があり、歌が木簡に表記された時代性からしますと、「木の簡に書かれた文」を「妹=妻」は見たでしょうかとも解釈が出来ます。

集歌134 石見尓有 高角山乃 木間従文 吾袂振乎 妹見監鴨
訓読 石見なる高角山の木し間ゆもわが袖振るを妹見けむかも
私訳 石見国にある高角山の木々の間から、私が別れの袖を振るのを恋人の貴女は見ただろうか。

 ただ、この集歌134の歌は創作された歌の原歌と思われ、その推敲後の歌が次の集歌132と思われます。推敲では三句目の「木間従文」から「木際従」と変え、状況がシンプルで明確になっています。一方、五句目は「妹見監鴨」から「妹見都良武香」へと変更となっています。こちらでは「妹見都良武香」に「妹=妻は奈良の都の良き武者の姿を見たか」と云う隠れた言葉遊びがあります。

集歌132 石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香
訓読 石見(いはみ)のや高角山(たかつのやま)し木(こ)し際(ま)より我が振る袖を妹見つらむか
私訳 石見にある高い津野の山の木々の葉の間から、私が振る袖を恋人は見ただろうか。

 歌はかように言葉遊びの姿を見せます。この姿からして、可能性で「妹之雷将見」に稲妻の雷光、また、雷は禮の言葉の響きがあるとして「妹之禮将見」からの「妹=妻による旅立ちの領巾(ひれ)振り神事があると考えます。

 今回も、非常な妄想の下、歌を解釈していますが、毎度、このようなもので申し訳ありません。
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