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記紀歌謡 (原文、読み下し、訓じ付) 古事記歌謡 前半部

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記紀歌謡 (原文、読み下し、訓じ付)

古事記 歌謡 前半部 歌謡歌番 一~五十


 はじめに、「記紀歌謡」とは古事記と日本書紀に載る歌謡を示し、それを柬めたものを「記紀歌謡集」と云います。この資料はその「記紀歌謡集」を紹介するものですが、その内容は正統な教育を受けていない者が『万葉集』を鑑賞する時の補助資料として整備したものです。つまり、学問はありません。従いまして、この資料を参照される場合は、補助資料としてのみご利用下さい。それ以外の使用は推薦致しません。
さて、『万葉集』を鑑賞するときに同時代性を考えますと『古事記』や『日本書紀』に載る一字一音の万葉仮名と云う表記スタイルでのみ表記された歌謡、所謂、「記紀歌謡」を合わせて鑑賞することは有意義なことです。他方、『万葉集』は詩体歌、非詩体歌、常体歌、一字一音万葉仮名歌の四区分に代表される表記スタイルで表記された詩歌集です。原万葉集と称されるもの成立が奈良時代後期としますと、数十年も先行する『古事記』や『日本書紀』に載る歌謡の表記が一字一音万葉仮名歌だけであることは非常に興味が湧くところです。
 ただ、残念なことにインターネット上では、参考に出来るような「記紀歌謡」の資料ははありません。ほぼ、印刷・出版物を紹介するものがほとんどですし、「記紀歌謡」と云うものに対して原歌、その読み下し、さらに読み下しに対する解釈文を総合的に紹介するものはありません。つまり、歌の表記スタイルの比較を一覧できるものはインターネット上で探すことは困難です。そのため趣味の世界ではありますが、ここに個人の作業で整備した「記紀歌謡」を資料として紹介いたします。
 注意事項として、紹介する「記紀歌謡」での歌番号は『記紀歌謡集(武田祐吉校注 岩波文庫)』に従っています。そのため、『古事記』の歌謡では紹介する歌番号が『古事記(倉野憲司校注 岩波文庫)』などの標準のものと相違している可能性があります。また、資料は万葉集好きの個人が行う趣味が由来ですので、紹介する原歌の表記においてその漢字文字が新字や通字になっているものがあります。さらに解釈文についても素人でも手頃に入手が出来る『古事記(倉野憲司校注 岩波文庫)』、『日本書紀(坂本太郎他校注 岩波文庫)』、『記紀歌謡集(武田祐吉校注 岩波文庫)』などと相違するものがあります。つまり、紹介するものはこれらの写しではありません。改めてのお願いですが、趣味で行う『万葉集』の読解での参考には向きますが、他への引用や参照には推薦しません。
 また、ブログ資料庫への紹介は、ブログ文字数制限のため、記紀歌謡は古事記歌謡と日本書紀歌謡とに分け、さらにともに前半・後半に分けています。不便ではありますが、ご来場者のお手によりコピペして記紀歌謡の形でご利用いただければ幸いです。

記紀歌謡
古事記 歌謡 
前半部歌謡歌番 一~五九
後半部歌謡歌番 六〇~百一三
日本書紀 歌謡
前半部歌謡歌番 一~六六
後半部歌謡歌番 六六~百二八



古事記 歌謡 
前半部 歌謡歌番 一~五十

古事記 歌謡一
原歌 夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁尾爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁
読下 やくもたつ いづもやへがき つまごみに やへがきつくる そのやへがきを
解釈 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

古事記 歌謡二
原歌 夜知富許能 迦微能美許登波 夜斯麻久爾 都麻麻岐迦泥弖 登富登富斯 故志能久邇邇 佐加志賣袁 阿理登岐加志弖 久波志賣遠 阿理登伎許志弖 佐用婆比邇 阿理多多斯 用婆比邇 阿理迦用婆勢 多知賀遠母 伊麻陀登加受弖 淤須比遠母 伊麻陀登加泥婆 遠登賣能 那須夜伊多斗遠 淤曾夫良比 和何多多勢禮婆 比許豆良比 和何多多勢禮婆 阿遠夜麻邇 奴延波那伎奴 佐怒都登理 岐藝斯波登與牟 爾波都登理 迦祁波那久 宇禮多久母 那久那留登理加 許能登理母 宇知夜米許世泥 伊斯多布夜 阿麻波勢豆加比 許登能 加多理其登母 許遠婆
読下 やちほこの かみのみことは やしまくに つままきかねて とほとほし こしのくにに さかしめを ありときかして くはしめを ありときこして さよばひに ありたたし よばひに ありかよはせ たちがをも いまだとかずて おすひをも いまだとかねば をとめの なすやいたとをおそぶらひわがたたせればひこづらひ わがたたせればあをやまにぬえはなきぬさのつとりきぎしはとよむにはつとりかけはなくうれたくもなくなるとりかこのとりもうちやめこせねいしたふやあまはせつかひことのかたりこともこをば
解釈 八千矛の 神の命は 八島国 妻枕きかねて 遠遠し 高志の国に 賢し女を 有りと聞かして 麗し女を 有りと聞こして さ婚ひに あり立たし 婚ひに あり通はせ 大刀が緒も いまだ解かずて 襲をも いまだ解かねば 嬢子の 寝すや板戸を押そぶらひ 我が立たせれば 引こづらひ 我が立たせれば青山に 鵺は鳴きぬ さ野つ鳥 雉はとよむ 庭つ鳥 鶏は鳴く 心痛くも 鳴くなる鳥か この鳥も 打ち止めこせね いしたふや 天馳使 事の 語り言も 是をば

古事記 歌謡三
原歌 夜知富許能 迦尾能美許等 奴延久佐能 賣邇志阿礼婆 和何許許呂 宇良須能登理叙 伊麻許曾婆 和杼理邇阿良米 能知波 那杼理爾阿良牟遠 伊能知波 那志勢多麻比曾 伊斯多布夜 阿麻波世豆迦比 許登能 加多理碁登母 許遠婆
読下 やちほこの かみのみこと ぬえくさの めにしあれば わがこころ うらすのとりそ いまこそはわどりにあらめ のちは などりにあらむを いのちは なしせたまひそ いしたふや あまはせつかひ ことのかたりことも こをば
解釈 八千矛の 神の命 ぬえ草の 女にしあれば 我が心 浦渚の鳥ぞ 今こそは 我鳥にあらめ 後は 汝鳥にあらむを 命は な殺せたまひそ いしたふや 天馳使 事の 語言も 是をば

古事記 歌謡四
原歌 阿遠夜麻邇 比賀迦久良婆 奴婆多麻能 用波伊伝那牟 阿佐比能 恵美佐加延岐弖 多久豆怒能 斯路岐多陀牟岐 阿和由岐能 和加夜流牟泥遠 曾陀多岐 多多岐麻那賀理 麻多麻伝 多麻伝佐斯麻岐 毛毛那賀爾 伊波那佐牟遠 阿夜爾 那古斐支許志 夜知富許能 迦尾能美許登 許登能 迦多理碁登母 許遠婆
読下 あをやまに ひがかくらば ぬばたまの よはいでなむ あさひの ゑみさかえきて たくつなの しろきただむき あわゆきの わかやるむねを そだたき たたきまながり またまで たまでさしまき ももながに いはなさむを あやに なこひきこし やちほこの かみのいのち ことのかたりことも こをば
解釈 青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜は出でなむ 朝日の 笑み栄え来て 栲綱の 白き腕 沫雪の 若やる胸を そだたき たたきまながり 真玉手 玉手さし枕き 百長に 寝は寝さむを あやに な恋ひ聞こし 八千矛の 神の命 事の 語り言も 是をば

古事記 歌謡五
原歌 奴婆多麻能 久路岐美祁斯遠 麻都夫佐爾 登理與曾比 淤岐都登理 牟那美流登岐 波多多藝母 許禮婆布佐波受 幣都那美 曾邇奴岐宇弖 蘇邇杼理能 阿遠岐美祁斯遠 麻都夫佐邇 登理與曾比 於岐都登理 牟那美流登岐 波多多藝母 許母布佐波受 幣都那美 曾邇奴棄宇弖 夜麻賀多爾 麻岐斯 阿多尼都岐 曾米紀賀斯流邇 斯米許呂母遠 麻都夫佐邇 登理與曾比 淤岐都登理 牟那美流登岐 波多多藝母 許斯與呂志 伊刀古夜能 伊毛能美許等 牟良登理能 和賀牟禮伊那婆 比氣登理能 和賀比氣伊那婆 那迦士登波 那波伊布登母 夜麻登能 比登母登須須岐 宇那加夫斯 那賀那加佐麻久 阿佐阿米能 佐疑理邇多多牟敍 和加久佐能 都麻能美許登 許登能 加多理碁登母 許遠婆
読下 ぬばたまの くろきみねしを まつふさに とりよそひ をきつとり むなみるとき はたたぎも こればふさはず へつなみ そにぬきうて そにとりの あをきみねしを まつふさに とりよそひ をきつとり むなみるとき はたたぎも こもふさはず へつなみ そにぬきうて やまがたに まきしあたねつき そめきがしるに しめころもを まつふさに とりよそひ をきつとり みなみるとき はたたぎも こしよろし いとこやの いものみこと むらとりの わがぬれいなば ひけとりの わがひけいなば なかしとは なはいふとも やまとの ひともとすすき うなかふし なかなかさまく あさあめの さぎちにたたぬそ わかくさの つまのみこと ことの かたりごとも こをば
解釈 ぬばたまの 黒く御衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも これは適さず 辺つ波 そに脱き棄て そに鳥の 青き御衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも こも適はず 辺つ波 そに脱き棄て 山県に 蒔きし あたね舂き 染木が汁に 染め衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 此し宜し いとこやの 妹の命 群鳥の 我が群れ往なば 引け鳥の 我が引け往なば 泣かじとは 汝は言ふとも 山処の 一本薄 項傾し 汝が泣かさまく 朝雨の 霧に立たむぞ 若草の 妻の命 事の 語り言も 是をば

古事記 歌謡六
原歌 夜知富許能 加尾能美許登夜 阿賀淤富久邇奴斯 那許曾波 遠邇伊麻世婆 宇知尾流 斯麻能佐岐耶岐 加岐尾流 伊蘇能佐岐淤知受 和加久佐能 都麻母多勢良米 阿波母與 賣邇斯阿礼婆 那遠岐弖 遠波那志 那遠岐弖 都麻波那斯 阿夜加岐能 布波夜賀斯多爾 牟斯夫須麻 爾古夜賀斯多爾 多久夫須麻 佐夜具賀斯多爾 阿和由岐能 和加夜流牟泥遠 多久豆怒能 斯路岐多陀牟岐 曾陀多岐 多多岐麻那賀理 麻多麻伝 多麻伝佐斯麻岐 毛毛那賀邇 伊遠斯那世 登與美岐 多弖麻都良世
読下 やちほこの かみのみことや わがをふくにぬし なこそは をにいませば うちみる しまのさきさき かきみる いそのさきをちず つまもたせらめ あはもよ めにしあれば なをきて をはなし なをきて つまはなし あやかきの ふはやがしたに むきふすま にこやかしたに たくふすま さやぐかしたに あわゆきの わかやるむねを たくずぬの しろきただむき そだたき たたきまなかり またまて たまてさしまき ももなかに いをしなせ とよみき たてまつらせ
解釈 八千矛の 神の命や 吾が大国主 汝こそは 男に坐せば 打ち廻る 島の埼埼 かき廻る 磯の埼落ちず 若草の 妻持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝を除て 男は無し 汝を除て 夫は無し 綾垣の ふはやが下に 苧衾 柔やが下に 栲衾 さやぐが下に 沫雪の 若やる胸を 栲綱の 白き腕 そだたき たたきまながり 真玉手 玉手さし枕き 百長に 寝をし寝せ 豊御酒 奉らせ

古事記 歌謡七
原歌 阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜 美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦比古泥能迦尾曾
読下 あめなるや をとたなばたの うなかせる たまのみすまる みすまるに あなだなはや みたに ふたわたらす あじしきたかひこねのかみそ
解釈 天なるや 弟棚機の 項がせる 玉の御統 御統に 足玉はや み谷 二渡らす 阿遲志貴高日子根のぞ

古事記 歌謡八
原歌 阿加陀麻波 袁佐閇比迦禮杼 斯良多麻能 岐美何余曾比斯 多布斗久阿理祁理
読下 あかだまは をさへひかれど しらたまの きみかよそひし たふとくありけり
解釈 赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり

古事記 歌謡九
原歌 意岐都登理 加毛度久斯麻邇 和賀韋泥斯 伊毛波和須禮士 余能許登碁登邇
読下 をきつとり かもつくしまに わかいねし いもはわすれし よのことごとに
解釈 沖つ鳥 鴨著く島に 我が率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに

古事記 歌謡十
原歌 宇陀能多加紀爾 志藝和那波留 和賀麻都夜 志藝波佐夜良受 伊須久波斯 久治良佐夜流 古那美賀 那許波佐婆 多知曾婆能 尾能那祁久袁 許紀志斐惠泥 宇波那理賀 那許婆佐婆 伊知佐加紀 尾能意富祁久袁 許紀陀斐惠泥 畳畳(音引) 志夜胡志夜 此者伊能碁布曾(此五字以音) 阿阿(音引) 志夜胡志夜 此者嘲咲者也
読下 うだの たかきに しぎわなはる わがまつや しぎはさやらず いすくはし くぢらさやる こなみか なこはさば たちそばの みのなけくを こきしひゑね うはなりが なこばさば いちさかき みのをふけくを こきだひゑね ええ しやこしや こはいのごふそ ああ しやこしや こはちさはや
解釈 宇陀の 高城に 鴫罠張る 我が待つや 鴫は障らず いすくはし 鯨障る 古妻が 肴乞はさば たちそばの 実の無けくを こきしひゑね 後妻が 肴乞はさば いちさかき 実の多けくを こきだひゑね ええ しやこしや こはいのごふそ ああ しやこしや こは嘲咲ふぞ

古事記 歌謡十一
原歌 意佐賀能 意富牟廬夜爾 比登佐波爾 岐伊理袁理 比登佐波爾 伊理袁理登母 美都美都斯 久米能古賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 宇知弖斯夜麻牟 美都美都斯 久米能古良賀 久夫都都伊 伊斯都都伊母知 伊麻宇多婆余良斯
読下 をさかの をふむろやに ひとさはに きいりをり ひとさはに いりをりとも みつみつし くめのこが くふつつい いしつついもち うちてしやまむ みつみつし くめのこらか くふつつい いしつついもち いまうたばよらし
解釈 忍坂の 大室屋に 人多に 来入り居り 人多に 入り居りとも みつみつし 久米の子が 頭椎い 石椎いもち 撃ちてしやまむ みつみつし 久米の子らが 頭椎い 石椎いもち 今撃たば宣し

古事記 歌謡十二
原歌 美都美都斯 久米能古良賀 阿波布爾波 賀美良比登母登 曾泥賀母登 曾泥米都那藝弖 宇知弖志夜麻牟
読下 みつみつしくめのこらがあはふにはかみらひともとそねがもとそねめつなぎてうちてしやまむ
解釈 厳々し 久米の子らが 粟生には 臭韮一本 そねが本 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ

古事記 歌謡十三
原歌 美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇惠志波士加美 久知比比久 和禮波和須禮志 宇知弖斯夜麻牟
読下 みつみつしくめのこらがかきもとにうゑしはしかみくちひひくわれはわすれしうちてしやまむ
解釈 厳々し 久米の子らが 垣下に 植ゑし椒 口ひひく 吾は忘れじ 撃ちてしやまむ

古事記 歌謡十四
原歌 加牟加是能 伊勢能宇美能 意斐志爾 波比母登富呂布 志多陀美能 伊波比母登富理 宇知弖志夜麻牟
読下 かみかせのいせのうみのおひしにはひもとほろふしただみのいはひもとほりうちてしやまむ
解釈 神風の 伊勢の海に 生石に 這ひもとほろふ 細螺の い這ひもとほり 撃ちてしやまむ

古事記 歌謡十五
原歌 多多那米弖 伊那佐能夜麻能 許能麻用母 伊由岐麻毛良比 多多加閇婆 和禮波夜惠奴 志麻都登理 宇上加比賀登母 伊麻須氣爾許泥
読下 たたなめて いなさのやまを このまよも いゆきまもらひ たたかへば われはゑぬ しまつとりうかかひがとも いますけにこね
解釈 楯並めて 伊耶佐の山の 木の間よも い行きまもらひ 戦へば 吾はや飢ぬ 島つ鳥 鵜養が伴 今助けに来ぬ

古事記 歌謡十六
原歌 夜麻登能 多加佐士怒袁 那那由久 袁登賣杼母 多禮袁志摩加牟
読下 やまとの たかさじのを ななゆく をとめとも たれをしまかむ
解釈 倭の 高佐士野を 七行く 媛女ども 誰をしまかむ

古事記 歌謡十七
原歌 賀都賀都母 伊夜佐岐陀弖流 延袁斯麻加牟
読下 かつかつも いやさきだてる えをしまはむ
解釈 かつがつも いや先立てる 兄をしまかむ

古事記 歌謡十八
原歌 阿米都都 知杼理麻斯登登 那杼佐祁流斗米
読下 あめつつ ちどりましとと などさけるとめ
解釈 天地 千鳥真鵐 など裂ける利目

古事記 歌謡十九
原歌 袁登賣爾 多陀爾阿波牟登 和加佐祁流斗米
読下 をとめに ただにあはむと わかさけるとめ
解釈 媛女に 直に逢はむと 我が黥ける利目

古事記 歌謡二〇
原歌 阿斯波良能 志祁志岐袁夜邇 須賀多多美 伊夜佐夜斯岐弖 和賀布多理泥斯
読下 あしはらの しねしきをやに すかたたみ いやさやしきて わかふたりねし
解釈 葦原の 穢しき小屋に 菅畳 いやさや敷きて 我が二人寝し

古事記 歌謡二一
原歌 佐韋賀波用 久毛多知和多理 宇泥備夜麻 許能波佐夜藝奴 加是布加牟登須
読下 さゐかはよ くもたちわたり うねびやま このはさやげぬ かせふかむとす
解釈 狭井河よ 雲立ちわたり 畝傍山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす

古事記 歌謡二二
原歌 宇泥備夜麻 比流波久毛登韋 由布佐禮婆 加是布加牟登曾 許能波佐夜牙流
読下 うねびやま ひるはくもとゐ ゆふされば かせふかむとそ このはさやげる
解釈 畝傍山 昼は雲とゐ 夕されば 風吹かぬとそ 木の葉さやげる

古事記 歌謡二三
原歌 古波夜 美麻紀伊理毘古波夜 美麻紀伊理毘古波夜 意能賀袁袁 奴須美斯勢牟登 斯理都斗用 伊由岐多賀比 麻幣都斗用 伊由岐多賀比 宇迦迦波久 斯良爾登 美麻紀伊理毘古波夜
読下 こはや みまきいりひこはや みまきいりひこはや をのかをを ぬすみしせむと しりつとよ いゆきたかひ まへつとよ いゆきたかひ うかかはく しらにと みまきいりひこはや
解釈 此はや 御真木入彦はや 御真木入彦はや おのが緒を 盗み殺せむと 後つ戸よ い行きたがひ 前つ戸よ い行きたがひ うかかはく 知らにと 御真木入彦はや

古事記 歌謡二四
原歌 夜都米佐須 伊豆毛多祁流賀 波祁流多知 都豆良佐波麻岐 佐味那志爾 阿波禮
読下 やつめさす いずもたけるか はけるたち つずらさはまき さみなしに あはれ
解釈 やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 葛多卷き さ身無しに あはれ

古事記 歌謡二五
原歌 佐泥佐斯 佐賀牟能袁怒邇 毛由流肥能 本那迦邇多知弖 斗比斯岐美波母
読下 さねさし さかむのをのに もゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも
解釈 さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも

古事記 歌謡二六
原歌 邇比婆理 都久波袁須疑弖 伊久用加泥都流
読下 にひばり つくはをすぎて いくよかねつる
解釈 新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる

古事記 歌謡二七
原歌 迦賀那倍弖 用邇波許許能用 比邇波登袁加袁
読下 かがなひて よにはここのよ にひはとをかを
解釈 日々並べて 夜には九夜 日には十日を

古事記 歌謡二八
原歌 比佐迦多能 阿米能迦具夜麻 斗迦麻邇 佐和多流久毘 比波煩曾 多和夜賀比那袁 麻迦牟登波 阿礼波須禮杼 佐泥牟登波 阿礼波意母閇杼 那賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多知邇祁理
読下 ひさかたの あめのかくやま とかまに さわたるくひ ひはほそ たわやかひなを まかむとは あれはすれど さねむとは あれはをもへど なかけせる をすひのすそに つきたちにけり
解釈 ひさかたの 天の香具山 とかまに さ渡る鵠 弱細 手弱腕を 枕かむとは 吾はすれど さ寝むとは 吾は思へど 汝が着せる 襲の裾に 月たちにけり

古事記歌謡二九
原歌 多迦比迦流 比能美古 夜須美斯志 和賀意富岐美 阿良多麻能 登斯賀岐布禮婆 阿良多麻能 都紀波岐閇由久 宇倍那宇倍那 岐美麻知賀多爾 和賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多多那牟余
読下 たかひかる ひのみこ やすみしし わかをふきみ あらたまの としかきふれば あらたまの つきはきへゆく うへな うへな きみまちかたに わかけせる をすひのすそに つきたたなむと
解釈 高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経れば あらたまの 月は来経行く うべな うべな 君待ち難に 我が着せる 襲の裾に 月たたなむよ

古事記 歌謡三〇
原歌 袁波理邇 多陀邇牟迦幣流 袁都能佐岐那流 比登都麻都 阿勢袁 比登都麻都 比登邇阿理勢婆 多知波氣麻斯袁 岐奴岐勢麻斯袁 比登都麻都 阿勢袁
読下 をはりに ただにむかへる をつのさきなる ひとつまつ あせを ひとつまつ ひとにありせば たちはけましを きぬきせましを ひとるまつ あせを
解釈 尾張に 直に向かへる 尾津の前なる 一つ松 吾兄を 一つ松 人にありせば 大刀佩けましを 衣着せましを 一つ松 吾兄を

古事記 歌謡三一
原歌 夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯
読下 やまとは くにのまほろば たたなずく あをかき やまごもれる やまとしうるはし
解釈 大和は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 大和しうるはし

古事記 歌謡三二
原歌 伊能知能 麻多祁牟比登波 多多美許母 幣具理能夜麻能 久麻加志賀波袁 宇受爾佐勢曾能古
読下 いのちの またけむひとは たたみこも へくりのやまの くまかしかはを うずにさせそのこ
解釈 命の 全けむ人は 畳薦 平群の山の 熊樫が葉を 髻華に挿せその子

古事記 歌謡三三
原歌 波斯祁夜斯 和岐幣能迦多用 久毛韋多知久母
読下 はしけやし わきへのかたよ くもゐたちくも
解釈 愛しけやし 吾家の方よ 雲居たち来も

古事記 歌謡三四
原歌 袁登賣能 登許能辨爾 和賀淤岐斯 都流岐能多知 曾能多知波夜
読下 をとめの とこのへに わかwきし つるきのたち そのたちはや
解釈 乙女の 床の辺に 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや

古事記 歌謡三五
原歌 那豆岐能多能 伊那賀良邇 伊那賀良爾 波比母登富呂布 登許呂豆良
読下 なずきのたの いなからに いなからに はひもとほろふ ところずら
解釈 那豆岐の田の 稲殻に 稲殻に 這ひ廻ろふ 野老鬘

古事記 歌謡三六
原歌 阿佐士怒波良 許斯那豆牟 蘇良波由賀受 阿斯用由久那
読下 あさしのはら しきなずむ そらはゆかず あしよゆくな
解釈 浅小竹原 腰沈む 空は行かず 足よ行くな

古事記 歌謡三七
原歌 宇美賀由氣婆 許斯那豆牟 意富迦波良能 宇惠具佐 宇美賀波 伊佐用布
読下 うみかゆけば こしなずむ をふかはらの うゑぐさ うみかは いさよふ
解釈 海処行けば 腰なづむ 大河原の 植え草 海処は いさよふ

古事記 歌謡三八
原歌 波麻都知登理 波麻用波由迦受 伊蘇豆多布
読下 はまつちとり はまよはゆかず いそづたふ
解釈 浜つ千鳥 浜よは行かず 磯伝ふ

古事記 歌謡三九
原歌 伊奢阿藝 布流玖麻賀 伊多弖淤波受波 邇本杼理能 阿布美能宇美邇 迦豆岐勢那和
読下 いさあぎ ふるくまか いたてをはずは にほとりの あふみのうみに かづきせなわ
解釈 いざ吾君 振熊が 痛手負はずは 鳰鳥の 淡海の海に 潜きせなわ

古事記 歌謡四〇
原歌 許能美岐波 和賀美岐那良受 久志能加美 登許余邇伊麻須 伊波多多須 須久那美迦尾能 加牟菩岐 本岐玖琉本斯 登余本岐 本岐母登本斯 麻都理許斯 美岐敍 阿佐受袁勢 佐佐
読下 このみきは わかみきならず くしのかみ とこよにいます いはたたす すくなみかみの かむすき ほきくるほし とよほき ほきもとほし まつりこし みきそ あさずをせ ささ
解釈 この御酒は わが御酒ならず 酒の司 常世に坐す 石立たす 少御の 噛む醸き 壽き来る欲し 豊壽ぎ 壽き廻し 奉り来し 御酒ぞ 飽さず食せ 酒

古事記 歌謡四一
原歌 許能美岐袁 迦美祁牟比登波 曾能都豆美 宇須邇多弖弖 宇多比都都 迦美祁禮迦母 麻比都都 迦美祁禮加母 許能美岐能 美岐能 阿夜邇宇多陀怒斯 佐佐
読下 このみきを かみけむひとは そのつづみ うすにたてて うたひつつ かみけれかも まひつつ かみけれかも このみきの みきの あやにうただのし ささ
解釈 この御酒を 釀みけむ人は その鼓 臼に立てて 歌ひつつ 釀みけれかも 舞ひつつ 釀みけれかも この御酒の 御酒の あやに歌楽し 酒

古事記 歌謡四二
原歌 知婆能 加豆怒袁美禮婆 毛毛知陀流 夜邇波母美由 久爾能富母美由
読下 ちばの かづのをみれば ももちたる やにはもみゆ くにのほもみゆ
解釈 千葉の 葛野を見れば 百千足る 家庭も見ゆ 国の秀も見ゆ

古事記 歌謡四三
原歌 許能迦邇夜 伊豆久能迦邇 毛毛豆多布 都奴賀能迦邇 余許佐良布 伊豆久邇伊多流 伊知遲志麻 美志麻邇斗岐 美本杼理能 迦豆伎伊岐豆岐 志那陀由布 佐佐那美遲袁 須久須久登 和賀伊麻勢婆夜 許波多能美知邇 阿波志斯袁登賣 宇斯呂伝波 袁陀弖呂迦母 波那美波 志比比斯那須 伊知比韋能 和邇佐能邇袁 波都邇波 波陀阿可良氣美 志波邇波 邇具漏岐由惠 美都具理能 曾能那迦都爾袁 加夫都久 麻肥邇波阿弖受 麻用賀岐 許邇加岐多禮 阿波志斯袁美那 迦母賀登 和賀美斯古良 迦久母賀登 阿賀美斯古邇 宇多多氣陀邇 牟迦比袁流迦母 伊蘇比袁流迦母
読下 このかにや いづくのかに ももづたふ つのかのかに よこさらふ いづくにいたる いちぢしま みしまにつき みほとりの かづきいきづき しなだゆふ ささなみぢを すくすくと わかいませばや こはたのみちに あはししをとめ うしろては をたてろかも はなみは しひひしなす いちひゐの わにさのにを はつには はたあからけみ しはには にくろきゆゑ みつくりの そのなかつにを かふつく まひにはあてず こにかきたれ あはししをみな かむかとわかみしこら かくもかと あかみしこに うたたけたに むかひをるかも いそひをるかも
解釈 この蟹や 何処の蟹 百伝ふ 角鹿の蟹 横去らふ 何処に到る 伊知遲島 美島に著き 鳰鳥の 潜き息づき しなだゆふ 佐佐那美路を すくすくと 我が行ませばや 木幡の道に 遇はしし嬢子 後姿は 小盾ろかも 歯並みは 椎菱如す 櫟井の 丸邇坂の土を 初土は 膚赤らけみ 底土は 丹き故 三つ栗の その中つ土を かぶつく 真火には當てず 眉書き 濃に書き垂れ 遇はしし女人 かもがと 我が見し子ら かくもがと 我が見し子に うたたけだに 對ひ居るかも い副ひ居るかも

古事記 歌謡四四
原歌 伊耶古杼母 怒毘流都美邇 比流都美邇 和賀由久美知能 迦具波斯 波那多知婆那波 本都延波 登理韋賀良斯 支豆延波 比登登理賀良斯 美都具理能 那迦都延能 本都毛理 阿加良袁登賣袁 伊耶佐佐婆 余良斯那
読下 いさことも のひるつみに ひるつみに わかゆくみちの かくはし はなたちばなは ほつえは とりゐからし しづえは ひととりからし みつくりの なかつえの ほつもり あからをとめを いなささば よらしな
解釈 いざ子供 野蒜摘みに 蒜摘みに 我が行く道の 香ぐはし 花橘は 上枝は 鳥居枯らし 下枝は 人取り枯らし 三つ栗の 中つ枝の ほつもり 赤ら孃子を いなささは 良らしな

古事記 歌謡四五
原歌 美豆多麻流 余佐美能伊氣能 韋具比宇知賀 佐斯祁流斯良邇 奴那波久理 波閇祁久斯良邇 和賀許許呂志叙 伊夜袁許邇斯弖 伊麻叙久夜斯岐
読下 みづたまる よさみのいけの ゐくひうちか さしけるしらに のなはくり はへけくしらに わかこころしそ いやをこにして いまそくやしき
解釈 水溜まる 依網の池の 堰杙打ちが 挿しける知らに 蓴繰り 延へけく知らに 我が心しぞ いや愚にして 今ぞ悔しき

古事記 歌謡四六
原歌 美知能斯理 古波陀袁登賣袁 迦尾能碁登 岐許延斯迦杼母 阿比麻久良麻久
読下 みちのしり こはだをとめを かみのごと きこえしかとも あひまくらまく
解釈 道の後 古波陀孃子を 雷の如 聞こえしかども 相枕枕く

古事記 歌謡四七
原歌 美知能斯理 古波陀袁登賣波 阿良蘇波受 泥斯久袁斯叙母 宇流波志美意母布
読下 みちのしり こはだをとめは あらそはず ねしくをしそも うるはしみをもふ
解釈 道の後 古波陀孃子は 争そはず 寝しくをしぞも 麗しみ思ふ

古事記 歌謡四八
原歌 本牟多能 比能美古 意富佐耶岐 意富佐耶岐 波加勢流多知 母登都流藝 須惠布由 布由紀能 須 加良賀志多紀能 佐夜佐夜
読下 ほむたの ひのみこ をふささき をふささき はかせるたち もとつるぎ すゑふゆ ふゆきの すからかしたきの さよさよ
解釈 誉田の 日の御子 大雀 大雀 佩かせる御刀 本吊ぎ 末振ゆ 冬木の 素幹が下木の さやさや

古事記 歌謡四九
原歌 加志能布邇 余久須袁都久理 余久須邇 迦美斯意富美岐 宇麻良爾 岐許志母知袁勢 麻呂賀知
読下 かしのふに よくすをつくり よくすに かみしをふきみ うまらに きこしもちをせ まろかち
解釈 白檮の生に 横臼を作り 横臼に 釀みし大御酒 美味らに 聞こしもち飲せ まろが父

古事記 歌謡五〇
原歌 須須許理賀 迦美斯美岐邇 和禮惠比邇祁理 許登那具志 惠具志爾 和禮惠比邇祁理
読下 すすこりか かみしみきに われゑひにけり ことなくし ゑくしに われゑひにけり
解釈 須須許理が 釀みし御酒に 我酔ひにけり ことなくし ゑくしに 我酔ひにけり

古事記 歌謡五一
原歌 知波夜夫流 宇遲能和多理邇 佐袁斗理邇 波夜祁牟比登斯 和賀毛古邇許牟
読下 ちはやふる うぢのわたりに さをとりに はやけむひとし わかもこにこむ
解釈 ちはやぶる 宇治の渡りに 棹取りに 速けむ人し 我が仲間に来む

古事記 歌謡五二
原歌 知波夜比登 宇遲能和多理邇 和多理是邇 多弖流 阿豆佐由美麻由美 伊岐良牟登 許許呂波母閇杼 伊斗良牟登 許許呂波母閇杼 母登幣波 岐美袁淤母比伝 須惠幣波 伊毛袁淤母比伝 伊良那祁久 曾許爾淤母比伝 加那志祁久 許許爾淤母比伝 伊岐良受曾久流 阿豆佐由美麻由美
読下 ちはやひと うぢのわたりに わたりせに たてる あづさゆみまゆみ いきらむと こころはもへと いとろむと こころはもへと もとへは きみををもひて すゑへは いもををもひて いらなけく そこにをもひて かなしけく ここにをもひて いきらずそくる あづさゆみまゆみ
解釈 ちはや人 宇治の渡りに 渡り瀬に 立てる 梓弓檀 い伐らむと 心は思へど い取らむと 心は思へど 本方は 君を思ひ出 末方は 妹を思ひ出 苛けく 其処に思ひ出 愛しけく 此処に思ひ出 い伐らずそ来る 梓弓檀

古事記 歌謡五三
原歌 淤岐幣邇波 袁夫泥都羅羅玖 久漏耶夜能 摩佐豆古和藝毛 玖邇幣玖陀良須
読下 をきへには をふねつららく くろさやの まさづこわげも くにへくたらす
解釈 沖方には 小船連らく 鞘の まさづ子我妹 国へ下らす

古事記 歌謡五四
原歌 淤志弖流夜 那爾波能佐岐用 伊伝多知弖 和賀久邇美禮婆 阿波志摩 淤能碁呂志摩 阿遲摩佐能 志麻母美由 佐氣都志摩美由
読下 をしてるや なにはのさきよ いてたちて わかくにみれば あはしま をのごろしま あぢすさのしまもみゆ さけつしまみゆ
解釈 押し照るや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば 淡島 淤能碁呂島 檳椰の 島も見ゆ 離つ島見ゆ

古事記 歌謡五五
原歌 夜麻賀多邇 麻祁流阿袁那母 岐備比登登 等母邇斯都米婆 多怒斯久母阿流迦
読下 やまかたに まけるあをなも きびひとと ともにしつめば たのしくもあるか
解釈 山縣に 蒔ける青菜も 吉備人と 共にし摘めば 楽しくもあるか

古事記 歌謡五六
原歌 夜麻登幣邇 爾斯布岐阿宜弖 玖毛婆那禮 曾岐袁理登母 和禮和須禮米夜
読下 やまとへに にしふきあぎて くもばなれ そきをりとも われわすれめや
解釈 倭方に 西吹き上げて 雲離れ 退き居りとも 我忘れめや

古事記 歌謡五七
原歌 夜麻登幣邇 由玖波多賀都麻 許母理豆能 志多用波閇都都 由久波多賀都麻
読下 やまとへに ゆくはたがつま こもりづの したよはへつつ ゆくはたがつま
解釈 倭方に 行くは誰が妻 隠り処の 下よ延へつつ 行くは誰が妻

古事記 歌謡五八
原歌 都藝泥布夜 夜麻志呂賀波袁 迦波能煩理 和賀能煩禮婆 迦波能倍邇 淤斐陀弖流 佐斯夫袁 佐斯夫能紀 斯賀斯多邇 淤斐陀弖流 波毘呂 由都麻都婆岐 斯賀波那能 弖理伊麻斯 芝賀波能 比呂理伊麻須波 淤富岐美呂迦母
読下 つぎねふや やましろかはを かはのほり わかのほれば かはのへに をひたてる さしふを さしふのき しかしたに をひたてる はひろ ゆつまつばき しかはなの てりいまし しかはの ひろりいますは をほきみろかも
解釈 つぎねふや 山代河を 河上り我が上れば 河の上に 生い立てる 烏草樹を 烏草樹の木 其が下に生い立てる 葉広 斎つ真椿 其が花の 照り坐し 其が葉の 広り坐すは 大君ろかも

古事記 歌謡五九
原歌 都藝泥布夜 夜麻志呂賀波袁 美夜能煩理 和賀能煩禮婆 阿袁邇余志 那良袁須疑 袁陀弖 夜麻登袁須疑 和賀美賀本斯久邇波 迦豆良紀多迦美夜 和藝幣能阿多理
読下 つぎねふや やましろかはを みやのほり わかのほれば あをによし ならをすぎ をだて やまとをすぎ わかみかほしくには かづらきたかみや わぎへのあたり
解釈 つぎねふや 山代河を 宮上り 我が上れば あをによし 奈良を過ぎ 小楯 倭を過ぎ 我が 見がほし国は 葛城 高宮 我家の辺


記紀歌謡 (原文、読み下し、訓じ付) 古事記歌謡 後半部

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記紀歌謡 (原文、読み下し、訓じ付) 古事記歌謡
古事記 歌謡 後半部 歌謡歌番 六〇~百十三


古事記 歌謡六〇
原歌 夜麻斯呂邇 伊斯祁登理夜麻 伊斯祁伊斯祁 阿賀波斯豆麻邇 伊斯岐阿波牟加母
読下 やましろに いしけとりやま いしけいしけ あかはしづまに いしきあはむかも
解釈 山代に い及け鳥山 い及けい及け 吾が愛し妻に い及き遇はむかも

古事記 歌謡六一
原歌 美母呂能 曾能多迦紀那流 意富韋古賀波良 意富韋古賀 波良邇阿流 岐毛牟加布 許許呂袁陀邇迦 阿比淤母波受阿良牟
読下 みもろの そのたかきなる をふゐこかはら をふゐこか はらにあれ きもむかふ こころをたにか あひをもはずあらむ
解釈 御諸の 其の高城なる 大猪子が原 大猪子が 腹にある 肝向う 心をだにか 相思はずあらむ

古事記 歌謡六二
原歌 都藝泥布 夜麻志呂賣能 許久波母知 宇知斯淤富泥 泥士漏能 斯漏多陀牟岐 麻迦受祁婆許曾 斯良受登母伊波米
読下 つぎねふ やましろめの こくはもち うちしをふね ねしろの しろたたむき まかずけばこそ しらずともいはめ
解釈 つぎねふ 山代女の 木鍬持ち 打ちし大根 根白の 白腕 枕かずけばこそ 知らずとも言はめ

古事記 歌謡六三
原歌 夜麻志呂能 都都紀能美夜邇 母能麻袁須 阿賀勢能岐美波 那美多具麻志母
読下 やましろの つつきのみやに ものまをす あかせのきみは なみたくましも
解釈 山代の 筒木の宮に 物申す 吾が兄の君は 涙ぐましも

古事記 歌謡六四
原歌 都藝泥布 夜麻斯呂賣能 許久波母知 宇知斯意富泥 佐和佐和爾 那賀伊幣勢許曾 宇知和多須 夜賀波延那須 岐伊理麻韋久禮
読下 つぎねふ やましろめの こくはもち うちしをふね さわさわに なかいへせこそ うちわたす やかはえなす きいりまゐくれ
解釈 つぎねふ 山代女の 木鍬持ち 打ちし大根 さわさわに 汝が言へせこそ 打ち渡す 八桑枝なす 来入り参い来れ

古事記 歌謡六五
原歌 夜多能 比登母登須宜波 古母多受 多知迦阿礼那牟 阿多良須賀波良 許登袁許曾 須宜波良登伊波米 阿多良須賀志賣
読下 やたの ひともとすげは こもたず たちかあれなむ あたらすかはら ことをこそ すぎはらといはめ あたらすかしめ
解釈 八田の 一本菅は 子持たず 立ちか荒れなむ 惜ら菅原 言をこそ 菅原と言はめ 惜ら清し女

古事記 歌謡六六
原歌 夜多能 比登母登須宜波 比登理袁理登母 意富岐彌斯 與斯登岐許佐婆 比登理袁理登母
読下 やたの ひともとしぎは ひとりをりとも をふきみし よしときこさば ひとりをりとも
解釈 八田の 一本菅は 独り居りとも 大君し 良しと聞こさば 独り居りとも

古事記 歌謡六七
原歌 賣杼理能 和賀意富岐美能 淤呂須波多 他賀多泥呂迦母
読下 めとりの わかをふきみの をろすはた たかたねろかも
解釈 女鳥の 我が大君の 織ろす服 誰が料ろかも

古事記 歌謡六八
原歌 多迦由久夜 波夜夫佐和氣能 美淤須比賀泥
読下 たかゆくや はやふさわけの みをすひかね
解釈 高行くや 速總別の 御襲衣料

古事記 歌謡六九
原歌 比婆理波 阿米邇迦氣流 多迦由玖夜 波夜夫佐和氣 佐耶岐登良佐泥
読下 ひばりは あめにかける たかゆくや はやふさわけ ささきとらさね
解釈 雲雀は 天に翔ける 高行くや 速總別 雀取らさね

古事記 歌謡七〇
原歌 波斯多弖能 久良波斯夜麻袁 佐賀志美登 伊波迦伎加泥弖 和賀弖登良須母
読下 はしたての くらはしまを さかしみと いはかきかねて わかてとらすも
解釈 梯立の 倉椅山を 嶮しみと 岩懸きかねて 我が手取らすも

古事記 歌謡七一
原歌 波斯多弖能 久良波斯夜麻波 佐賀斯祁杼 伊毛登能爐禮波 佐賀斯玖母阿良受
読下 はしたての くらはしやまは さかしけと いもとのほれば さかしくもあらず
解釈 梯立の 倉椅山は 嶮しけど 妹と登れば 嶮しくもあらず

古事記 歌謡七二
原歌 多麻岐波流 宇知能阿曾 那許曾波 余能那賀比登 蘇良美都 夜麻登能久邇爾 加理古牟登岐久夜
読下 たまきはる うちのあそ なこそは よのなかひと そらみつ やまとのくにに かりこむときくや
解釈 たまきはる 内の朝臣 汝こそは 世の仲人 そらみつ 倭の国に 雁来むと聞くや

古事記 歌謡七三
原歌 多迦比迦流 比能美古 宇倍志許曾 斗比多麻閇 麻許曾邇 斗比多麻閇 阿礼許曾波 余能那賀比登 蘇良美都 夜麻登能久邇爾 加理古牟登 伊麻陀岐加受
読下 たかひかる ひのみこ うへしこそ とひたまへ まこそに とひたまへ あれこそは よのなかひと そらみつ やまとのくにに かりこむと いまだきかず
解釈 高光る 日の御子 諾しこそ 問ひ給え 真こそに 問ひ給え 吾こそは 世の仲人 そらみつ 倭の国に 雁来むと 未だ聞かず

古事記 歌謡七四
原歌 那賀美古夜 都毘邇斯良牟登 加理波古牟良斯
読下 なかみこや つふにしらむと かりはこむらし
解釈 汝が御子や 終に知らむと 雁は来むらし

古事記 歌謡七五
原歌 加良怒袁 志本爾夜岐 斯賀阿麻理 許登爾都久理 賀岐比久夜 由良能斗能 斗那賀能伊久理爾 布禮多都 那豆能紀能 佐夜佐夜
読下 からのを しほにやき そかあまり ことにつくり かきひくや ゆらのとの となかのいくりに ふれたつ なづのきの さやさや
解釈 枯野を 塩に焼き 其が余り 琴に作り 掻き弾くや 由良の門の 門中の海石に 振れ立つ なづの木の さやさや

古事記 歌謡七六
原歌 多遲比怒邇 泥牟登斯理勢婆 多都碁母母 母知弖許麻志母能 泥牟登斯理勢婆
読下 たぢひのに ねむとしりせば たつこもも もちてこましもの ねむとしりせば
解釈 多遲比野に 寝むと知りせば 立薦も 持ちて来ましもの 寝むと知りせば

古事記 歌謡七七
原歌 波邇布耶迦 和賀多知美禮婆 迦藝漏肥能 毛由流伊幣牟良 都麻賀伊幣能阿多理
読下 はにふさか わかたちみれば かぎろひの もゆるいへぬら つまかいへのあたり
解釈 赤土坂 我が立ち見れば かぎろひの 燃ゆる家群 妻が家の辺

古事記 歌謡七八
原歌 於富佐迦邇 阿布夜袁登賣袁 美知斗閇婆 多陀邇波能良受 當藝麻知袁能流
読下 をふさかに あふやをとめを みちとへば ただにはのらず ふぎまちをのる
解釈 大坂に 遇うや娘子を 道問へば 直には告らず 當岐麻道を告る

古事記 歌謡七九
原歌 阿志比紀能 夜麻陀袁豆久理 夜麻陀加美 斯多備袁和志勢 志多杼比爾 和賀登布伊毛袁 斯多那岐爾 和賀那久都麻袁 許存許曾婆 夜須久波陀布禮
読下 あしひきの やまたをづくり やまたかみ したびをわしせ したとひに わかとふいもを したなきに わかなくつまを こそこそば やすくはたふれ
解釈 あしひきの 山田を作り 山高み 下樋を走せ 下訪ひに 我が訪ふ妹を 下泣きに 我が泣く妻を 今夜こそは 易く肌触れ

古事記 歌謡八〇
原歌 佐佐波爾 宇都夜阿良禮能 多志陀志爾 韋泥弖牟能知波 比登波加由登母
読下 ささはに うつやあられの たしたしに ゐねてむのちは ひとはかゆとも
解釈 笹葉に 打つや霰の たしだしに 率寝てむ後は 人は離ゆとも

古事記 歌謡八一
原歌 宇流波斯登 佐泥斯佐泥弖婆 加理許母能 美陀禮婆美陀禮 佐泥斯佐泥弖婆
読下 うるはしと さねしさねてば かりこもの みたればみたれ さねしさねてば
解釈 愛しと さ寝しさ寝てば 刈り薦の 乱れば乱れ さ寝しさ寝てば

古事記 歌謡八二
原歌 意富麻幣 袁麻幣須久泥賀 加那斗加宜 加久余理許泥 阿米多知夜米牟
読下 をふまへ をまへすくねか かねとかけ かくよりこね あめたちやめむ
解釈 大前 小前が宿禰 金門蔭 斯く寄り来ね 雨立ち止めむ

古事記 歌謡八三
原歌 美夜比登能 阿由比能古須受 淤知爾岐登 美夜比登登余牟 佐斗毘登母由米
読下 みやひとの あゆひのこすず をちにきと みやひととよむ さとひともゆめ
解釈 宮人を 足結ひの小鈴 落ちにきと 宮人響む 里人もゆめ

古事記 歌謡八四
原歌 阿麻陀牟 加流乃袁登賣 伊多那加婆 比登斯理奴倍志 波佐能夜麻能 波斗能 斯多那岐爾那久
読下 あまたむ かるのをとめ いたなかば ひとしりぬへし はさのやまの はとの したなきになく
解釈 天廻む 軽の嬢子 甚泣かば 人知りぬべし 波佐の山の 鳩の 下泣きに泣く

古事記 歌謡八五
原歌 阿麻陀牟 加流袁登賣 志多多爾母 余理泥弖登富禮 加流袁登賣杼母
読下 あまたむ かるをとめ したたにも よりねてとふれ かるをとめとも
解釈 天廻む 軽嬢子 確々にも 寄り寝て通れ 軽嬢子ども

古事記 歌謡八六
原歌 阿麻登夫 登理母都加比曾 多豆賀泥能 岐許延牟登岐波 和賀那斗波佐泥
読下 あまとふ とりもつかひそ たづかねの きこえむときは わかなとはさね
解釈 天飛ぶ 鳥も使いそ 鶴が音の 聞えむ時は 我が名問はさね

古事記 歌謡八七
原歌 意富岐美袁 斯麻爾波夫良婆 布那阿麻理 伊賀幣理許牟叙 和賀多多彌由米 許登袁許曾 多多美登伊波米 和賀都麻波由米
読下 をふきみを しまにはふらば ふなあまり いかへりこむそ わかたたやゆめ ことをこそ たたみといはめ わかつまはゆめ
解釈 大君を 島に放らば 船余り い帰り来むぞ 我が畳ゆめ 言をこそ 畳と言はめ 我が妻はゆめ

古事記 歌謡八八
原歌 那都久佐能 阿比泥能波麻能 加岐加比爾 阿斯布麻須那 阿加斯弖杼富禮
読下 なつくさの あひねのはまの かきかひに あしふますな あかしてとふれ
解釈 夏草の 阿比泥の浜の 掻き貝に 足踏ますな 明して通れ

古事記 歌謡八九
原歌 岐美賀由岐 氣那賀久那理奴 夜麻多豆能 牟加閇袁由加牟 麻都爾波麻多士
読下 きみかゆき けなかくなりぬ やまたづの むかへをゆかむ まつにはまたし
解釈 君が往き 日長くなりぬ 造木の 迎へを行かむ 待つには待たじ

古事記 歌謡九〇
原歌 許母理久能 波都世能夜麻能 意富袁爾波 波多波理陀弖 佐袁袁爾波 波多波理陀弖 意富袁爾斯 那加佐陀賣流 淤母比豆麻阿波禮 都久由美能 許夜流許夜理母 阿豆佐由美 多弖理多弖理母 能知母登理美流 意母比豆麻阿波禮
読下 こもりくの はつせのやまの をふをには はたはりたて をさををには はたはりたて をふをにし なかさためる をもひづまあはれ つくゆみの こやるこやりも あづさゆみ たてりたてりも のちもとりみる をもひづまあはれ
解釈 隠り処の 泊瀬の山の 大峰には 幡張り立て さ小峰には 幡張り立て 大小にし 仲定める 思い妻あはれ 槻弓の 臥やる臥やりも 梓弓 立てり立てりも 後も取り見る 思い妻あはれ

古事記 歌謡九一
原歌 許母理久能 波都勢能賀波能 加美都勢爾 伊久比袁宇知 斯毛都勢爾 麻久比袁宇知 伊久比爾波 加賀美袁加氣 麻久比爾波 麻多麻袁加氣 麻多麻那須 阿賀母布伊毛 加賀美那須 阿賀母布都麻 阿理登 伊波婆許曾余 伊幣爾母由加米 久爾袁母斯怒波米
読下 こもりくの はつせのかはの かみつせに いくひをうち しもつせに まくひをうち いくひには かかみをかけ まくひには またまをかけ またまなす あかもふいも かかみなす あかもふつま ありと いはばこそよ いへにもゆかめ くにをもしのはめ
解釈 隠り処の 泊瀬の河の 上つ瀬に 斎杙を打ち 下つ瀬に 真杙を打ち 斎杙には 鏡を懸け 真杙には 真玉を懸け 真玉なす 吾が思う妹 鏡なす 吾が思う妻 有りと 言はばこそよ 家にも行かめ 国をも偲はめ

古事記 歌謡九二
原歌 久佐加辨能 許知能夜麻登 多多美許母 幣具理能夜麻能 許知碁知能 夜麻能賀比爾 多知耶加由流 波毘呂久麻加斯 母登爾波 伊久美陀氣淤斐 須惠幣爾波 多斯美陀氣淤斐 伊久美陀氣 伊久美波泥受 多斯美陀氣 多斯爾波韋泥受 能知母久美泥牟 曾能淤母比豆麻 阿波禮
読下 くさかへの こちのやまと たたみこも へくりのやまの こちごちの やまのかひに たちさかゆる はひろくまかし もとには いくみたけをひ すゑへには たしみたけをひ いくみたけ いくみはねず たしみたけ たしにはゐねず のちもくみねむ そのをもひづま あはれ
解釈 日下部の 此方の山と 畳薦 平群の山の 此方此方の 山の峡に 立ち栄ゆる 葉広熊白檮 本には い茂み竹生ひ 末辺には た繁竹生ひ い茂み竹 い隠みは寝ず た繁竹 確には率寝ず 後も隠み寝む 其の思ひ妻 あはれ

古事記 歌謡九三
原歌 美母呂能 伊都加斯賀母登 賀斯賀母登 由由斯伎加母 加志波良袁登賣
読下 みもろの いつかしかもと かしかもと ゆゆしきかも かしはらをとめ
解釈 御諸の 厳白檮が下 白檮が下 忌々しきかも 橿原乙女

古事記 歌謡九四
原歌 比氣多能 和加久流須婆良 和加久閇爾 韋泥弖麻斯母能 淤伊爾祁流加母
読下 ひけたの わかくるすばら わかくへに ゐねてましもの をいにけるかも
解釈 引田の 若栗栖原 若くへに い寝てましもの 老いにけるかも

古事記 歌謡九五
原歌 美母呂爾 都久夜多麻加岐 都岐阿麻斯 多爾加母余良牟 加微能美夜比登
読下 みもろに つくやたまかき つきあまし たにかもよらむ かみのみやひと
解釈 御諸に 築くや玉垣 つき余し 誰にかも依らむ の宮人

古事記 歌謡九六
原歌 久佐迦延能 伊理延能波知須 波那婆知須 尾能佐加理毘登 登母志岐呂加母
読下 くさかえの いりえのはちす はなばちす みのさかりひと ともしきろかも
解釈 日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも

古事記 歌謡九七
原歌 阿具良韋能 加尾能美弖母知 比久許登爾 麻比須流袁美那 登許余爾母加母
読下 あくらゐの かみのみてもち ひくことに まひするをみな ここよにもかも
解釈 呉床居の の御手もち 弾く琴に 舞する女 常世にもがも

古事記 歌謡九八
原歌 美延斯怒能 袁牟漏賀多氣爾 志斯布須登 多禮曾 意富麻幣爾麻袁須 夜須美斯志 和賀淤富岐美能 斯志麻都登 阿具良爾伊麻志 斯漏多閇能 蘇弖岐蘇那布 多古牟良爾 阿牟加岐都岐 曾能阿牟袁 阿岐豆波夜具比 加久能碁登 那爾於波牟登 蘇良美都 夜麻登能久爾袁 阿岐豆志麻登布
読下 みえしのの をむろかたけに ししふすと たれそ をふまへにまをす やすみしし わかをふきみの ししまつと あくらにいまし しろたへの そてきそなふ たこむらに あむかきつき そのあむを あきづはやくひ かくのこと なにをはむと そらみつ やまとのくにを あきづしまとふ
解釈 み吉野の 小室が岳に 猪鹿伏すと 誰そ 大前に奏す やすみしし わが大君の 猪鹿待つと 呉床に坐し 白栲の 袖着そなふ 手腓に 虻掻き着き 其の虻を 蜻蛉早咋い 斯くの如 名に負はむと そらみつ 倭の国を 蜻蛉島とふ

古事記 歌謡九九
原歌 夜須美斯志 和賀意富岐美能 阿蘇婆志斯 志斯能 夜美斯志能 宇多岐加斯古美 和賀爾宜能煩理斯 阿理袁能 波理能紀能延陀
読下 やすみしし わかをふきみの あそばしし ししの やみししの うたきかしこみ わかにけのほりし ありをの はりのきのえた
解釈 やすみしし 我が大君の 遊ばしし 猪の 病み猪の うたき畏み 我が逃げ登りし 在り丘の 榛の木の枝

古事記 歌謡一〇〇
原歌 袁登賣能 伊加久流袁加袁 加那須岐母 伊本知母賀母 須岐波奴流母能
読下 をとめの いかくるをかを かなすきも いほちもかも すきはのるもの
解釈 乙女の い隠る岡を 金鉏も 五百箇もがも 鉏き撥ぬるもの

古事記 歌謡一〇一
原歌 麻岐牟久能 比志呂乃美夜波 阿佐比能 比伝流美夜 由布比能 比賀氣流美夜 多氣能泥能 泥陀流美夜 許能泥能 泥婆布美夜 夜本爾余志 伊岐豆岐能美夜 麻紀佐久 比能美加度 爾比那閇夜爾 淤斐陀弖流 毛毛陀流 都紀賀延波 本都延波 阿米袁淤幣理 那加都延波 阿豆麻袁淤幣理 志豆延波 比那袁於幣理 本都延能 延能宇良婆波 那加都延爾 淤知布良婆閇 那加都延能 延能宇良婆波 斯毛都延爾 淤知布良婆閇 斯豆延能 延能宇良婆波 阿理岐奴能 美幣能古賀 佐佐賀世流 美豆多麻宇岐爾 宇岐志阿夫良 淤知那豆佐比 美那許袁呂許袁呂爾 許斯母 阿夜爾加志古志 多加比加流 比能美古 許登能 加多理碁登母 許袁婆
読下 まきむくの ひしろのみやは あさひの ひてるみや ゆふひの ひかけるみや たけのねの ねだるみや このねの ねばふみや やふによし いきずきのみや まきさく ひのみかと にひなへやに をひだてる ももだる つきがえは ほつえは あめををへり なかつえは あずまををへり しずえは ひなををえり ほつえの えのうらばは なかつえに をちふらばへ なかつえは えのうらばは しもつえに をちふらばへ しずえの えのうらばは ありきぬの みへのこがささがせる みずたまうきに うきしあふら をちなずさひ みなこをろこをろに こしも あやにかしこし たかひかる ひのみこ ことのかたりごとも こをば
解釈 纏向の 日代の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の 日光る宮 竹の根の 根足る宮 木の根の 根延ふ宮 八百土よし い杵築きの宮 真木栄く 檜の御門 新嘗屋に 生ひ立てる 百足る 槻が枝は 上つ枝は 天を覆へり 中つ枝は 東を覆へり 下づ枝は 鄙を覆へり 上つ枝の 枝の末葉は 中つ枝に 落ち触らばへ 中つ枝の 枝の末葉は 下つ枝に 落ち触らばへ 下づ枝の 枝の末葉は 在り衣の 三重の子が 捧がせる 瑞玉盞に 浮きし脂 落ちなづさひ 水こおろこおろに 是しも あやに畏し 高光る 日の御子 事の 語り言も 是をば

古事記 歌謡一〇二
原歌 夜麻登能 許能多氣知爾 古陀加流 伊知能都加佐 爾比那閇夜爾 淤斐陀弖流 波毘呂 由都麻都婆岐 曾賀波能 比呂理伊麻志 曾能波那能 弖理伊麻須 多加比加流 比能美古爾 登余美岐 多弖麻都良勢 許登能 加多理碁登母 許袁婆
読下 やまとの このたけちに こだかる いちのつかさ にひなへやに をひだてる はひろ ゆつまつばき そがはの ひろりいまし そのはなの てりいます たかひかる ひのみこに とよみき たてまつらせ ことの かたりことも こをば
解釈 倭の 此の高市に 小高る 市の高処 新嘗屋に 生ひ立てる 葉広 斎つ真椿 其が葉の 広り坐し 其の花の 照り坐す 高光る 日の御子に 豊御酒 奉らせ 事の 語り言も 是をば

古事記 歌謡一〇三
原歌 毛毛志記能 淤富美夜比登波 宇豆良登理 比禮登理加氣弖 麻那婆志良 袁由岐阿閇 爾波須受米 宇受須麻理韋弖 祁布母加母 佐加美豆久良斯 多加比加流 比能美夜比登 許登能 加多理碁登母 許袁婆
読下 ももしきの をふみやひとは うずらとり ひれとりかけて まそばしら をゆきあへ にはすずめうずすまりいて けふもかも さかみずくらし たかひかる ひのみやひと ことの かたりごとも こをば
解釈 百磯城の 大宮人は 鶉鳥 領布取り懸けて 真柱 尾行き合へ 庭雀 群集り居て 今日もかも 酒水食らし 高光る 日の宮人 事の 語り言も 是をば

古事記 歌謡一〇四
原歌 美那曾曾久 淤美能袁登賣 本陀理登良須母 本陀理斗理 加多久斗良勢 斯多賀多久 夜賀多久斗良勢 本陀理斗良須古
読下 みなそそく をみのをとめ ほだりとらすも ほだりとり かたくとらせ したがたく やがたくとらせ ほだりとらすこ
解釈 水潅ぐ 臣の乙女 絆り取らすも 絆り取り 堅く取らせ 下堅く 弥堅く取らせ 絆り取らす子

古事記 歌謡一〇五
原歌 夜須美斯志 和賀淤富岐美能 阿佐斗爾波 伊余理陀多志 由布斗爾波 伊余理陀多須 和岐豆岐賀 斯多能 伊多爾母賀 阿世袁
読下 やすみしし わがをふきみの あさとには いよりたたし ゆふとには いよりたたす わきずきがしたの いたにもが あせを
解釈 やすみしし 我が大君の 朝門には い寄り立たし 夕門には い寄り立たす 脇机が下の 板にもが 吾兄を

古事記 歌謡一〇六
原歌 意富美夜能 袁登都波多伝 須美加多夫祁理
読下 をふみやの をとつはたて すみかたふけり
解釈 大宮の おとつ端手 隅傾けり

古事記 歌謡一〇七
原歌 意富多久美 袁遲那美許曾 須美加多夫祁禮
読下 をふたたみ をぢなみこそ すみかたふけれ
解釈 大匠 劣みこそ 隅傾けれ

古事記 歌謡一〇八
原歌 意富岐美能 許許呂袁由良美 淤美能古能 夜幣能斯婆加岐 伊理多多受阿理
読下 をふきみの こころをゆるみ をみのこの やへのしばかき いりたたずあり
解釈 大君の 心を緩み 臣の子の 八重の柴垣 入り立たずあり

古事記 歌謡一〇九
原歌 斯本勢能 那袁理袁美禮婆 阿蘇毘久流 志毘賀波多伝爾 都麻多弖理美由
読下 しほせの なをりをみれば あそびくる しびがはたてに つまたてりみゆ
解釈 潮瀬の 余波をみれば 遊び来る 鮪が端手に 妻立てり見ゆ

古事記 歌謡一一〇
原歌 意富岐美能 美古能志婆加岐 夜布士麻理 斯麻理母登本斯 岐禮牟志婆加岐 夜氣牟志婆加岐
読下 をふきみの みこのしばかき やふしまり しまりもとほし きれむしばかき やけむしばかき
解釈 大君の 御子の柴垣 八節縛り 縛り廻し 切れむ柴垣 焼けむ柴垣

古事記 歌謡一一一
原歌 意布袁余志 斯毘都久阿麻余 斯賀阿礼婆 宇良胡本斯祁牟 志毘都久志毘
読下 をふをよし しびつくあまよ しがあれば うらこほしけむ しびつくしび
解釈 大魚よし 鮪突く海人よ 其があれば 心恋しけむ 鮪突く志毘

古事記 歌謡一一二
原歌 阿佐遲波良 袁陀爾袁須疑弖 毛毛豆多布 奴弖由良久母 於岐米久良斯母
読下 あさぢはら をだにをすぎて ももつたふ ぬてゆらくも おきめくらしも
解釈 浅茅原 小谷を過ぎて 百伝う 鐸響くも 置目来らしも

古事記 歌謡一一三
原歌 意岐米母夜 阿布美能於岐米 阿須用理波 美夜麻賀久理弖 美延受加母阿良牟
読下 おきめもや あふみのおきめ あすよりは みやまかくりて みえずかもあらむ
解釈 置目もや 淡海の置目 明日よりは み山隠りて 見えずかもあらむ

記紀歌謡 (原文、読み下し、訓じ付) 日本書紀歌謡 前半部

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記紀歌謡 (原文、読み下し、訓じ付) 日本書紀歌謡 前半部
日本書紀 歌謡歌謡歌番 一~六五


日本書紀 歌謡一
原歌 夜句茂多菟 伊都毛夜覇餓岐 菟磨語昧爾 夜覇餓枳菟倶盧 贈廼夜覇餓岐廻
読下 やくもたつ いづもやへがき つまごめに やへがきつくる そのやへがきゑ
解釈 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごめに 八重垣作る その八重垣

日本書紀 歌謡二
原歌 阿妹奈屡夜 乙登多奈婆多廼 汚奈餓勢屡 多磨廼弥素磨屡廼 阿奈陀磨波夜 弥多爾 輔柁和柁邏須 阿泥素企多伽避顧禰
読下 あめなるや おとたなはたの うながせる たまのみすまるの あなたまはや みたにふたわたらす あぢすきたかひこね
解釈 天なるや 弟織女の 頸がせる 玉の御統の 穴玉はや み谷 二渡らす 味耜高彦根

日本書紀 歌謡三
原歌 阿磨佐箇屡 避奈菟謎廼 以和多邏素西渡 以嗣箇播箇柁輔智 箇多輔智爾 阿弥播利和柁嗣 妹慮豫嗣爾 豫嗣豫利拠禰 以嗣箇播箇柁輔智
読下 あまさかる ひなつめの いわたらすせと いしかはかたふち かたふちに あみはりわたし めろよしに よしよりこね いしかはかたふち
解釈 天離る 夷つ女の い渡らす追門 石川片淵 片淵に 網張り渡し 目ろ寄しに 寄し寄り来ね 石川片淵

日本書紀 歌謡四
原歌 憶企都茂播 陛爾播誉戻耐母 佐禰耐拠茂 阿党播怒介茂誉 播磨都智耐理誉
読下 おきつもは へにはよれども さねどこも あたはぬかもよ はまつちどりよ
解釈 沖つ藻は 辺には寄れども さ寝床も 与はぬかもよ 浜つ千鳥よ

日本書紀 歌謡五
原歌 飫企都利 軻茂豆勾志磨爾 和我謂禰志 伊茂播和素邏珥 誉能拠馭母
読下 おきつとり かもづくしまに わがゐねし いもはわすらじ よのことごとも
解釈 沖つ鳥 鴨著く島に 我が率寝し 妹は忘らじ 世のことごとも

日本書紀 歌謡六
原歌 阿軻娜磨廼 比訶利播阿利登 比播伊珮耐 企弭我誉贈比志 多輔妬勾阿利計利
読下 あかだまの ひかりはありと ひとはいへど きみがよそひし たふとくありけり
解釈 赤玉の 光はありと 人は言へど 君が装し 貴くありけり

日本書紀 歌謡七
原歌 于儾能 多伽機珥 辞芸和奈陂蘆 和餓末菟夜 辞芸破佐夜羅孺 伊殊区波辞 区陀羅佐夜離 固奈瀰餓 那居波佐麼 多智曾麼能 未廼那鶏句塢 居気辞被恵禰 宇破奈利餓 那居波佐磨 伊智佐介幾 未廼於朋鶏句塢 居気儾被恵禰
読下 うだの たかきに しぎわなはる わがまつや しぎはさやらず いすくはし くぢらさやり こなみが なこはさば たちそばの みのなけくを いけたひゑね うはなりが なこはさば いちさかき みのおほけくを いくたひゑね
解釈 兎田の 高城に 鴫縄張る 我が待つや 鴫は障らじ いすくはし 鷹(くぢ)等障り 古妻(こなみ)が 肴乞はさば 立ち蕎麦の 実の無けくを 幾多ひゑね 後妻(うはなり)が 肴乞はさば 斎ち賢木 実の多けくを 幾多ひゑね

日本書紀 歌謡八
原歌 伽牟伽筮能 伊斎能瀰能 於費異之珥夜 異波臂茂等倍屡 之多儾瀰能 之多儾瀰能 阿誤豫 阿誤豫 之多太瀰能 異波比茂等倍離 于智弖之夜莽務 于智弖之夜莽務
読下 かむかぜの いせのうみの おほいしにや いはひもとほる しただみの しただみの あごよ あごよ しただみの いはひもとほり うちてしやまむ うちてしやまむ
解釈 神風の 伊勢の海の 大石にや い這ひ廻る 細螺の 吾子よ 吾子よ 細螺の い這ひ廻り 撃ちてし止まむ 撃ちてし止まむ

日本書紀 歌謡九
原歌 於佐箇廼 於朋務露夜珥 比苔瑳破而 異離烏利苔毛 比苔瑳破而 枳伊離烏利苔毛 瀰都瀰都志 倶梅能固邏餓 句鶩都都伊 異志都都伊毛智 于智弖之夜莽務
読下 おさかの おほむろやに ひとさはに いりをりとも ひとさはに きいりをりとも みつみつし くめのこらが くぶつつい いしつついもち うちてしやまむ
解釈 忍坂の 大室屋に 人多に 入り居りとも 人多に 来入り居りとも みつみつし 来目の子達が 頭椎に 石椎い持ち 撃ちてし止まむ

日本書紀 歌謡十
原歌 伊莽波豫 伊莽波豫 阿阿時夜塢 伊莽儾而毛 阿誤豫 伊莽儾而毛 阿誤豫
読下 いまはよ いまはよ ああしやを いまだにも あごよ いまだにも あごよ
解釈 今はよ 今はよ ああしやを 今だにも 吾子よ 今だにも 吾子よ

日本書紀 歌謡十一
原歌 愛濔詩烏 毘儾利 毛毛那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽毘毛勢儒
読下 えみしを ひだり ももなひと ひとはいへども たむかひもせず
解釈 夷を 一人 百な人 人は云へども 抵抗(たむかひ)もせず

日本書紀 歌謡十二
原歌 哆哆奈梅弖 伊那瑳能椰摩能 虚能莽由毛 易喩耆摩毛羅毘 多多介陪磨 和例破椰隈怒 之摩途等利 宇介譬餓等茂 伊莽輸開珥虚禰
読下 たたなめて いなさやまの このまゆも いゆきまもらひ たたかへば われはやゑぬ しまつとり うかひがとも いますけにこね
解釈 楯並めて 伊那瑳の山の 木の間ゆも い行き瞻らひ 戦へば 我はや飢ぬ 嶋つ鳥 鵜飼が従 今助けに来ね

日本書紀 歌謡十三
原歌 瀰都瀰都志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 阿波赴珥破 介瀰羅毘苔茂苔 曾廼餓毛苔 曾禰梅屠那芸弖 于笞弖之夜莽務
読下 みつみつし くめのこらが かきもとに あはふには かみらひともと そのがもと そねめつなぎて うちてしやまむ
解釈 みつみつし 来目の子等が 垣本に 粟生には 韮一本 其根が本 其ね芽繋ぎて 撃ちてし止まむ

日本書紀 歌謡十四
原歌 瀰都瀰都志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 宇恵志破餌介瀰 句致弭比倶 和例破宛輸例儒 于智弖之夜莽務
読下 みつみつし くめのこらが かきもとに うゑしはじかみ くちびひく われはわすれず うちてしやまむ
解釈 みつみつし 来目の子等が 垣本に 植ゑし山椒 口疼く 我は忘れず 撃ちてし止まむ

日本書紀 歌謡十五
原歌 許能瀰枳破 和餓瀰枳那羅孺 椰磨等那殊 於朋望能農之能 介瀰之瀰枳 伊句臂佐 伊久臂佐
読下 このみきは わがみきならず やまとなす おほものぬしの かみしみき いくひさ いくひさ
解釈 此の神酒は 我が神酒ならず 日本成す 大物主の 釀みし神酒 幾久 幾久

日本書紀 歌謡十六
原歌 宇磨佐開 瀰和能等能能 阿佐妬珥毛 伊弟弖由介那 瀰和能等能渡塢
読下 うまさけ みわのとのの あさとにも いでてゆかな みわのとのとを
解釈 味酒 三輪の殿の 朝門にも 出でて行かな 三輪の殿門を

日本書紀 歌謡十七
原歌 宇磨佐階 瀰和能等能能 阿佐妬珥毛 於辞寐羅箇禰 瀰和能等能渡烏
読下 うまさけ みわのとのの あさとにも おしびらかね みわのとのとを
解釈 味酒 三輪の殿の 朝門にも 押し開かね 三輪の殿門を

日本書紀 歌謡十八
原歌 瀰磨紀異利寐胡播揶 飫迺餓鳥塢 志斎務苔 農殊末句志羅珥 比売那素寐殊望
読下 みまきいりびこはや おのがをを しせむと ぬすまくしらに ひめなそびすも
解釈 御真木入日子はや 己が命を 殺せむと 竊まく知らに 姫遊すも

日本書紀 歌謡十八A
原歌 於朋耆妬庸利 于介伽卑弖 許呂佐務苔 須羅句塢志羅珥 比売那素寐須望
読下 おほきとより うかかひて ころさむと すらくをしらに ひめなそびすも
解釈 大城戸より 窺ひて 殺さむと すらくを知らに 姫遊すも

日本書紀 歌謡十九
原歌 飫朋佐介珥 菟芸迺煩例屡 伊辞務邏塢 多誤辞珥固佐縻 固辞介弖務介茂
読下 おほさかに つぎのぼれる いしむらを たごしにこさば こしかてむかも
解釈 大坂に 継ぎ登れる 石群を たごしに越せば 越しがてむかも

日本書紀 歌謡二〇
原歌 椰句毛多菟 伊頭毛多鶏流餓 波鶏流多知 菟頭邏佐波磨枳 佐微那辞珥 阿波礼
読下 やくもたつ いづもたけるが はけるたち つづらさはまき さみなしに あはれ
解釈 八雲立つ 出雲建が 佩ける太刀 黒葛多卷き さ身無しに あはれ

日本書紀 歌謡二一
原歌 波辞枳豫辞 和芸幣能伽多由 区毛位多知区暮
読下 はしきよし わぎへのかたゆ くもゐたちくも
解釈 愛しきよし 我家の方ゆ 雲居立ち来も

日本書紀 歌謡二二
原歌 夜摩苔波 区珥能摩倍邏摩 多多儺豆久 阿烏伽枳 夜摩 許莽例屡 夜摩苔之 于屡破試
読下 やまとは くにのまほらま たたなづく あをかき やま こもれる やまとし うるはし
解釈 倭は 国のまほらま 畳づく 青垣 山籠れる 倭し美麗し

日本書紀 歌謡二三
原歌 異能知能 摩曾祁務比苔破 多多濔許莽 幣遇利能夜摩能 志邏伽之餓延塢 于受珥左勢 許能固
読下 いのちの まそけむひとは たたみこも へぐりのやまの しらかしがえを うずにさせ このこ
解釈 命の全けむ人は 畳薦 平群の山の 白橿が枝を 髻華に挿せ この子

日本書紀 歌謡二四
原歌 阿佐志毛能 瀰概能佐烏麼志 魔幣菟耆弥 伊和哆羅秀暮 弥開能佐烏麼志
読下 あさしもの みけのさをばし まへつきみ いわたらすも みけのさをばし
解釈 朝しもの 御木のさ小橋 群臣 い渡らすも 御木のさ小橋

日本書紀 歌謡二五
原歌 珥比麼利 菟玖波塢須擬弖 異玖用加禰菟流
読下 にひばり つくはをすぎて いくよかねつる
解釈 新治 筑波を過ぎて 幾夜か寢つる

日本書紀 歌謡二六
原歌 伽餓奈倍弖 用珥波虚虚能用 比珥波苔塢伽塢
読下 かがなべて よにはここのよ ひにはとをかを
解釈 かがなべて 夜には九夜 日には十日を

日本書紀 歌謡二七
原歌 烏波利珥 多陀珥霧伽幣流 比苔菟麻菟 阿波例 比等菟麻菟 比苔珥阿利勢麼 岐農岐勢摩之塢 多知波開摩之塢
読下 をはりに ただにむかへる ひとつまつ あはれ ひとつまつ ひとにありせば きぬきせましを たちはけましを
解釈 尾張に 直に向へる 一つ松 あはれ 一つ松 人にありせば 衣著せましを 太刀佩けましを

日本書紀 歌謡二八
原歌 烏智箇多能 阿邏々麻菟麼邏 摩菟麼邏珥 和多利喩祇弖 菟区喩弥珥 末利椰塢多具陪 宇摩比等破 于摩譬苔奴知野 伊徒姑播茂 伊徒姑奴池 伊装阿波那 和例波 多摩岐波屡 于池能阿層餓 波邏濃知波 異佐誤阿例椰 伊装阿波那 和例波
読下 をちかたの あららまつばら まつばらに わたりゆきて つくゆみに まりやをたぐへ うまひとは うまひとどちや いとこはも いとこどち いざあはな われは たまきはる うちのあそが はらぬちは いさごあれや いざあはな われは
解釈 彼方の あらら松原 松原に 渡り行きて 槻弓に 貴人どちや いざ鬪はな 我は たまきはる 内の朝臣が 腹内は 砂あれや いざ鬪はな 我は

日本書紀 歌謡二九
原歌 伊装阿芸 伊佐智須区禰 多摩枳波屡 于知能阿曾餓 勾夫菟智能 伊多弖於破孺破 珥倍廼利能 介豆岐斎奈
読下 いざあぎ いさちすくね たまきはる うちのあそが くぶつちの いたておはずは にほどりの かづきせな
解釈 いざ吾君 五十狹茅宿禰 たまきはる 内の朝臣が 頭槌の 痛手負はずは 鳰鳥の 潜爲な

日本書紀 歌謡三〇
原歌 阿布弥能弥 斎多能和多利珥 伽豆区苔利 梅珥志弥曳泥麼 異枳廼倍呂之茂
読下 あふみのみ せたのわたりに かづくとり めにしみえねば いきどほろしも
解釈 淡海の海 瀬田の渡りに 潜く鳥 目にし見えねば 憤しも

日本書紀 歌謡三一
原歌 阿布瀰能瀰 斎多能和多利珥 介豆区苔利 多那伽瀰須疑弖 于泥珥等邏倍菟
読下 あふみのみ せたのわたりに かづくとり たなかみすぎて うぢにとらへつ
解釈 淡海の海 瀬田の渡りに 潜く鳥 田上過ぎて 菟道に捕へつ

日本書紀 歌謡三二
原歌 虚能弥企破 和餓弥企那羅儒 区之能伽弥 等虚豫珥伊麻輸 伊破多多須 周玖那弥伽未能 等豫保枳 保枳茂苔陪之 訶武保枳 保枳玖流保之 摩菟利虚辞 弥企層 阿佐孺塢斎 佐佐
読下 このみきは わがみきならず くしのかみ とこよにいます いはたたす すくなみかみの とよほき ほきもとほし かむほき ほきくるほし まつりこし みきそ あさずをせ ささ
解釈 此の酒は 我が御酒ならず 神酒の神 常世に坐す いはたたす 少名御神の 豊寿ぎ 寿ぎもとほし 神寿ぎ 寿ぎくるほし 祭り来し 御酒ぞ 乾さず 飮せ 酒

日本書紀 歌謡三三
原歌 許能弥企塢 伽弥鶏武比等破 曾能菟豆弥 于輸珥多弖弖 于多比菟菟 伽弥鶏梅伽墓 許能弥企能 阿椰珥于多娜濃芝 作沙
読下 このみきを かみけむひとは そのつづみ うすにたてて うたひつつ かみけめかも このみきの あやにうただぬし ささ
解釈 此の御酒を 釀みけむ人は 其の鼓 臼に立てて 歌ひつつ 釀みけめかも 此の御酒の あやに 歌樂し 酒

日本書紀 歌謡三四
原歌 知麼能 伽豆怒塢弥例麼 茂茂智儾蘆 夜珥波母弥唹 区珥能朋母弥喩
読下 ちばの かづのをみれば ももちだる やにはもみゆ くにのほもみゆ
解釈 千葉の 葛野を見れば 百千足る 家庭も見ゆ 国の秀も見ゆ

日本書紀 歌謡三五
原歌 伊奘阿芸 怒珥比蘆菟弥珥 比蘆菟濔珥 和餓喩区濔智珥 伽愚破志 波那多智麼那 辞豆曳羅波 比等未那等利 保菟曳波 等利委餓羅辞 濔菟愚利能 那伽菟曳能 府保語茂利 阿伽例蘆塢等 伊奘佐伽麼曳那
読下 いざあぎ のにひるつみに ひるつみに わがゆくみちに かぐはし はなたちばな しづえらは ひとみなとり ほつえは とりゐがらし みつぐりの なかつえの ふほごもり あかれるをとめ いざさかばえな
解釈 いざ吾君 野に蒜摘みに 蒜摘みに 我が行く道に 香細し 花橘 下枝らは 人皆取り 上つ枝は 鳥居枯らし 三栗の 中つ枝の 含隱り 赤れる孃子 いざさかば 良な

日本書紀 歌謡三六
原歌 濔豆多摩蘆 豫佐濔能伊戒珥 奴那波区利 破陪鶏区辞羅珥 委愚比菟区 伽破摩多曳能 比辞餓羅能 佐辞鶏区辞羅珥 阿餓許居呂辞 伊夜于古珥辞弖
読下 みづたまる よさみのいけに ぬなはくり はへけくしらに ゐぐひつく かはまたえの ひしがらの さしけくしらに あがこころし いやうこにして
解釈 水渟る 依網の池に ぬな繰り 延へけく知らに 堰杙著く 川俣江の 菱殼の 刺しけく知らに 吾が心し いや愚にして

日本書紀 歌謡三七
原歌 弥知能之利 古破儾塢等綿塢 伽未能語等 枳虚曳之介逎 阿比摩区羅摩区
読下 みちのしり こはだをとめを かみのごと きこえしかど あひまくらまく
解釈 道の後 古波儾孃子を 神の如 聞えしかど 相枕纒く

日本書紀 歌謡三八
原歌 濔知能之利 古破儾塢等綿塢 阿羅素破儒 泥辞区塢之叙 于蘆波辞濔茂布
読下 みちのしり こはだをとめ あらそはず ねしくをしぞ うるはしみもふ
解釈 道の後 古破儾孃子を 爭はず 寢しくをしぞ 愛しみ思ふ

日本書紀 歌謡三九
原歌 伽辞能輔珥 豫区周塢菟区利 豫区周珥 伽綿蘆淤朋濔枳 宇摩羅珥 枳虚之茂知塢勢 磨呂俄智
読下 かしのふに よくすをつくり よくすに かめるおほみき うまらに きこしもちをせ まろがち
解釈 橿のふに 横臼を造り 横臼に 釀める大御酒 味らに 聞こし以ち飮せ 麻呂が父

日本書紀 歌謡四〇
原歌 阿波泥辞摩 異椰敷多那羅弭 阿豆枳辞摩 異椰敷多那羅弭 豫呂辞枳辞摩之魔 儾伽 多佐例阿羅智之 吉備那流伊慕塢 阿比濔菟流慕能
読下 あはぢしま いやふたならび あづきしま いやふたならび よろしきしましま たか たされあらちし きびなるいもを あひみつるもの
解釈 淡路島 いや二並び 小豆島 いや二並び 宜しき 島々 誰か た去れ放ちし 吉備なる妹を 相見つるもの

日本書紀 歌謡四一
原歌 訶羅怒烏 之褒珥椰枳 之餓阿摩離 虚等珥菟句離 訶枳譬句椰 由羅能斗能 斗那訶能異句離珥 敷例多菟 那豆能紀能紀 佐椰佐椰
読下 からのを しほにやき しがあまり ことにつくり かきひくや ゆらのとの となかのいくりに ふれたつ なづのきの さやさや
解釈 枯野を 塩に焼き 其が余り 琴に造り 掻き彈くや 由良の門の 門中の海石に 觸れ立つ なづの木の さやさや

日本書紀 歌謡四二
原歌 知破揶臂苔 于施能和多利珥 佐烏刀利珥 破揶鶏務臂苔辞 和餓毛胡珥虚務
読下 ちはやひと うぢのわたりに さをとりに はやけむひとし わがもこにこむ
解釈 ちはや人 菟道の渡りに 棹取りに 早けむ人し 我が對手(もこ)に来む

日本書紀 歌謡四三
原歌 智破揶臂等 于泥能和多利珥 和多利涅珥 多弖屡 阿豆瑳由瀰 摩由弥 伊枳羅牟苔 虚虚呂破望閉耐 伊斗羅牟苔 虚虚呂破望閉耐 望苔弊破 枳濔烏於望臂泥 須恵弊破 伊暮烏於望比泥 伊羅那鶏区 曾虚珥於望比 伽那志鶏区 虚虚珥於望臂 伊枳羅儒層区屡 阿豆瑳由瀰 摩由瀰
読下 ちはやひと うぢのわたりに わたりでに たてる あづさゆみ まゆみ いきらむと こころはもへど いとらむと こころはもへど もとへは きみをおもひで すゑへは いもをおもひで いらなけく そこにおもひ かなしけく ここにおもひ いきらずそくる あづさゆみまゆみ
解釈 ちはや人 菟道の渡りに 渡り手に 立てる 梓弓 檀 い伐らむと 心は思へど い取らむと 心は思へど 本辺は 君を思ひ出 末辺は 妹を思ひ出 いらなけく 彼處に思ひ 愛しけく 此處に思ひ い伐らずぞ 来る 梓弓檀

日本書紀 歌謡四四
原歌 瀰儺曾虚赴 於瀰能烏苔絇烏 多例揶始儺播務
読下 みなそこふ おみのをとめを たれやしなはむ
解釈 水底ふ 臣の孃子を 誰養はむ

日本書紀 歌謡四五
原歌 瀰箇始報 破利摩波揶摩智 以播区娜輸 伽之古倶等望 阿例揶始儺破務
読下 みかしほ はりまはやまち いはくだす かしこくとも あれやしなはむ
解釈 みかしほ 播磨速待ち 岩壞す 畏くとも 吾れ養はむ

日本書紀 歌謡四六
原歌 于磨臂苔能 多菟屡虚等太弖 于磋由豆流 多由磨菟餓務珥 奈羅陪弖毛餓望
読下 うまひとの たつることだて うさゆづる たゆまつがむに ならべてもがも
解釈 貴人の 立つる琴立 うさ弦 絶ゆ間継がむに 並べてもがも

日本書紀 歌謡四七
原歌 虚呂望虚曾 赴多弊茂豫耆 瑳用廼虚烏 那羅陪務耆瀰破 箇辞古耆呂箇茂
読下 ころもこそ ふたへもよき さよどこを ならべむきみは かしこきろかも
解釈 衣こそ 二重も宜き さ夜床を 並べむ君は 畏きろかも

日本書紀 歌謡四八
原歌 於辞弖屡 那珥破能瑳耆能 那羅弭破莽 那羅陪務苔虚層 曾能古破阿利鶏梅
読下 おしてる なにはのさきの ならびはま ならべむとこそ そのこはありけめ
解釈 おしてる 難波の埼の 並び浜 並べむとこそ その子はありけめ

日本書紀 歌謡四九
原歌 那菟務始能 譬務始能虚呂望 赴多弊耆弖 箇区瀰夜儾利破 阿珥豫区望阿羅儒
読下 なつむしの ひむしのころも ふたへきて かくみやだりは あによくもあらず
解釈 夏虫の 蛾の衣 二重著て 囲み屋たりは 豈宜くもあらず

日本書紀 歌謡五〇
原歌 阿佐豆磨能 避箇能烏瑳箇烏 箇多那耆珥 瀰致喩区茂能茂 多遇譬弖序豫枳
読下 あさづまの ひかのをさかを かたなきに みちゆくものも たぐひてぞよき
解釈 朝妻の 避箇の小坂を 片泣きに 道行く者も 副ひてぞ宜き

日本書紀 歌謡五一
原歌 那珥波譬苔 須儒赴泥苔羅斎 許辞那豆瀰 曾能赴尼苔羅斎 於朋瀰赴泥苔礼
読下 なにはひと すずふねとらせ こしなづみ そのふねとらせ おほみふねとれ
解釈 難波人 鈴船執らせ 腰煩み その船執らせ 大御船執れ

日本書紀 歌謡五二
原歌 夜莽之呂珥 伊辞鶏苔利夜莽 伊辞鶏之鶏 阿餓茂赴菟摩珥 伊辞枳阿波牟伽茂
読下 やましろに いしけとりやま いしけしけ あがもふつまに いしきあはむかも
解釈 山背に い及け鳥山 い及け及け 吾が思ふ嬬に い及き合はむかも

日本書紀 歌謡五三
原歌 菟芸泥赴 揶莽之呂餓波烏 箇破能朋利 涴碗餓能朋例麼 箇波区莽珥 多知瑳箇踰屡 毛毛多羅儒 揶素麼能紀破 於朋耆瀰呂箇茂
読下 つぎねふ やましろがはを かはのぼり わがのぼれば かはくまに たちさかゆる ももたらず やそばのきは おほきみろかも
解釈 つぎねふ 山背河を 河泝り 我が泝れば 河隈に 立ち栄ゆる 百足らず 八十葉の樹は 大君ろかも

日本書紀 歌謡五四
原歌 菟芸泥赴 揶莽之呂餓波烏 濔揶能朋利 和餓能朋例麼 阿烏珥豫辞 儺羅烏輸疑 烏陀弖夜莽苔烏輸疑 和餓瀰餓朋辞区珥波 箇豆羅紀多伽瀰揶 和芸弊能阿多利
読下 つぎねふ やましろがはを みやのぼり わがのぼれば あをによし ならをすぎ をだてやまとをすぎ わがみがほしくには かづらきたかみや わぎへのあたり
解釈 つぎねふ 山背河を 宮のぼり 我が泝れば あをによし 平山(なら)を過ぎ をだて倭を過ぎ 我が 見が欲し国は 葛城高宮 我家のあたり

日本書紀 歌謡五五
原歌 揶莽辞呂能 菟菟紀能瀰揶珥 茂能莽烏輸 和餓斎烏瀰例麼 那瀰多遇摩辞茂
読下 やましろの つつきのみやに ものまをす わがせをみれば なみたぐましも
解釈 山背の 筒城の宮に 物啓す 我が背を見れば 涙含ましも

日本書紀 歌謡五六
原歌 菟怒瑳破赴 以破能臂謎餓 飫朋呂伽珥 枳許瑳怒 于羅愚破能紀 豫屡麻志枳 箇破能区莽愚莽 豫呂朋譬喩玖伽茂 于羅愚破能紀
読下 つのさはふ いはのひめが おほろかに きこさぬ うらぐはのき よるましじき かはのくまぐま よろほひゆくかも うらぐはのき
解釈 つぬさはふ 磐之媛の おほろかに 聞こさぬ 末桑の樹 寄るましじき 川の隈々 寄ろほひゆくかも 末桑の樹

日本書紀 歌謡五七
原歌 菟芸泥赴 揶摩之呂謎能 許久波茂知 于智辞於朋泥 佐和佐和珥 儺餓伊弊剤虚曾 于知和多須 椰餓波曳儺須 企以利摩韋区例
読下 つぎねふ やましろめの こくはもち うちしおほね さわさわに ながいへせこそ うちわたす やがはえなす きいりまゐくれ
解釈 つぎねふ 山背女の 小鍬持ち 打ちし大根 さわさわに 汝が云へせこそ うち渡す 和桑枝なす 来入り参ゐ来れ

日本書紀 歌謡五八
原歌 菟芸泥赴 夜莽之呂謎能 許玖波茂知 于智辞於朋泥 泥士漏能 辞漏多娜武枳 摩箇儒鶏麼虚曾 辞羅儒等茂伊波梅
読下 つぎねふ やましろめの こくはもち うちしおほね ねじろの しろただむき まかずけばこそ しらずともいはめ
解釈 つぎねふ 山背女の 小鍬持ち 打ちし大根 根白の 白臂 纒かず来(け)ばこそ 知らずとも云はめ

日本書紀 歌謡五九
原歌 比佐箇多能 阿梅箇儺麼多 謎廼利餓 於瑠箇儺麼多 波揶歩佐和気能 瀰於須譬鵝泥
読下 ひさかたの あめかなばた めどりが おるかなばた はやぶさわけの みおすひがね
解釈 ひさかたの 天金機 雌鳥が 織る金機 隼別の み襲がね

日本書紀 歌謡六〇
原歌 破夜歩佐波 阿梅珥能朋利 等弭箇慨梨 伊菟岐餓宇倍能 娑弉岐等羅佐泥
読下 はやぶさは あめにのぼり とびかけり いつきがうへの さざきとらさね
解釈 隼は 天に上り 飛び翔り 斎槻が上の 鷦鷯捕らさね

日本書紀 歌謡六一
原歌 破始多弖能 佐餓始枳揶摩茂 和芸毛古等 赴駄利古喩例麼 揶須武志呂箇茂
読下 はしたての さがしきやまも わぎもこと ふたりこゆれば やすむしろかも
解釈 梯立ての 嶮しき山も 我妹子と 二人越ゆれば やす筵かも

日本書紀 歌謡六二
原歌 多莽耆破屡 宇知能阿曾 儺虚曾破 豫能等保臂等 儺虚曾波 区珥能那餓臂等 阿耆豆辞莽 揶莽等能区珥珥 箇利古武等 儺波企箇輸揶
読下 たまきはる うちのあそ なこそは よのとほひと なこそは くにのながひと あきづしま やまとのくにに かりこむと なはきかすや
解釈 たまきはる 内の朝臣 汝こそは 世の遠人 汝こそは 国の長人 蜻蛉島 倭の国に 雁子産と 汝は聞かすや

日本書紀 歌謡六三
原歌 夜輸瀰始之 和我於朋枳瀰波 于陪儺于陪儺 和例烏斗波輸儺 阿企菟辞摩 揶莽等能倶珥珥 箇利古武等 和例破枳箇儒
読下 やすみしし わがおほきみは うべなうべな われをとはすな あきづしま やまとのくにに かりこむと われはきかず
解釈 やすみしし 我が大君は うべなうべな 我を問はすな 蜻蛉島 倭の国に 雁子産と 我は聞かず

日本書紀 歌謡六四
原歌 於朋佐箇珥 阿布夜烏等謎烏 瀰知度沛麼 哆駄珥破能邏孺 哆耆摩知烏能流
読下 おほさかに あふやをとめを みちとへば ただにはのらず たぎまちをのる
解釈 大坂に 遇ふや孃子を 道問へば 直には告らず 當摩街を告る

日本書紀 歌謡六五
原歌 和餓勢故餓 勾倍枳豫臂奈利 佐瑳餓泥能 区茂能於虚奈比 虚豫比辞流辞毛
読下 わがせこが くべきよひなり ささがねの くものおこなひ こよひしるしも
解釈 我が背子が 来べき夕なり 小竹が根の 蜘蛛の行ひ 今宵著しも


記紀歌謡 (原文、読み下し、訓じ付) 日本書紀歌謡 後半部

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記紀歌謡 (原文、読み下し、訓じ付) 日本書紀歌謡 後半部
日本書紀 歌謡歌謡歌番 六六~百二八

日本書紀 歌謡六六
原歌 佐瑳羅餓多 邇之枳能臂毛弘 等枳舎気帝 阿麻哆絆泥受邇 多儾涴比等用能未
読下 ささらがた にしきのひもを ときさけて あまたはねずに ただひとよのみ
解釈 ささらがた 錦の紐を 解き放けて 數多は寢ずに 唯一夜のみ

日本書紀 歌謡六七
原歌 波那具波辞 佐区羅能梅涅 許等梅涅麼 波椰区波梅涅孺 和我梅豆留古羅
読下 はなぐはし さくらのめで ことめでば はやくはめでず わがめづるこら
解釈 花細し 櫻の愛(め)で こと愛では 早くは愛でず 我が愛づる子等

日本書紀 歌謡六八
原歌 等虚辞陪邇 枳弥母阿閉椰毛 異舎儺等利 宇弥能波摩毛能 余留等枳等枳弘
読下 とこしへに きみもあへやも いさなとり うみのはまもの よるときときを
解釈 常しへに 君も遇へやも いさなとり 海の浜藻の 寄る時々を

日本書紀 歌謡六九
原歌 阿資臂紀能 椰摩娜烏菟絇利 椰摩娜箇弥 斯哆媚烏和之勢 志哆那企弐 和餓儺勾菟摩 箇哆儺企弐 和餓儺勾兎摩 去樽去曾 椰主区泮娜布例
読下 あしひきの やまだをつくり やまだかみ したびをわしせ したなきに わがなくつま かたなきに わがなくつま こぞこそ やすくはだふれ
解釈 あしひきの 山田をつくり 山高み 下樋を走しせ 下泣きに 我が泣く妻 片泣きに 我が泣く妻 今夜こそ 安く膚觸れ

日本書紀 歌謡七〇
原歌 於褒企弥烏 志摩珥波夫利 布儺阿摩利 異餓幣利去牟鋤 和餓哆哆瀰由梅 去等烏許曾 哆多瀰等異絆梅 和餓菟摩烏由梅
読下 おほきみを しまにはぶり ふなあまり いがへりこむぞ わがたたみゆめ ことをこそ たたみといはめ わがつまをゆめ
解釈 大君を 島に葬り 船餘り い還り来むぞ 我が畳斎め 辞をこそ 畳と云はめ 我が妻を 斎め

日本書紀 歌謡七一
原歌 阿摩儾泮霧 箇留惋等売 異哆儺介縻 臂等資利奴陪瀰 幡舎能夜摩能 波刀能 資哆儺企邇奈勾
読下 あまだむ かるをとめ いたなかば ひとしりぬべみ はさのやまの はとの したなきになく
解釈 天飛む 軽孃子 甚泣かば 人知りぬべみ 波佐の山の 鳩の 下泣きに泣く

日本書紀 歌謡七二
原歌 於朋摩弊 烏摩弊輸区泥餓 訶那杜加礙 訶区多智豫羅泥 阿梅多知夜梅牟
読下 おほまへ をまへすくねが かなとかげ かくたちよらね あめたちやめむ
解釈 大前 小前宿禰が 金戸蔭 斯く立ち寄らね 雨立ち止めむ

日本書紀 歌謡七三
原歌 瀰椰比等能 阿由臂能古輸孺 於智珥岐等 瀰椰比等等豫牟 佐杜弭等茂由梅
読下 みやひとの あゆひのこすず おちにきと みやひととよむ さとびともゆめ
解釈 宮人の 足結の小鈴 落ちにきと 宮人動む 里人も 斎め

日本書紀 歌謡七四
原歌 飫瀰能古簸 多倍能波伽摩鳴 那那陛鳴紡 爾播爾陀陀始諦 阿遥比那陀須暮
読下 おみのこは たへのはかまを ななへをし にはにたたして あよひなだすも
解釈 臣の子は 栲の袴を 七重をし 庭に立たして 足結ひ撫だすも

日本書紀 歌謡七五
原歌 野磨等能 嗚武羅能陀該爾 之之符須登 柁惋例柯挙能居登 飫褒磨陛爾麻嗚須 (一本、以「飫褒磨陛爾麻鳴須」易「飫褒枳弥爾麻嗚須」 )飫褒枳瀰簸 賊拠嗚枳舸斯題 柁磨磨枳能 阿娯羅爾陀陀伺 (一本、以「陀陀伺」易「伊麻伺」 )施都魔枳能 阿娯羅爾陀陀伺 斯斯魔都登 倭我伊麻西麼 佐謂麻都登 倭我陀陀西麼 陀倶符羅爾 阿武柯枳都枳都 曾能阿武嗚 婀枳豆波野倶譬 波賦武志謀 飫褒枳瀰爾磨都羅符 儺我柯陀播於柯武 婀岐豆斯麻野麻登 (一本、以「婆賦武志謀」以下易「舸矩能御等 難爾於婆武登 蘇羅濔瀰豆 野磨等能矩爾嗚 婀岐豆斯麻登以符」)
読下 やまとの をむらのたけに ししふすと たれかこのこと おほまへにまをす (あるふみに、「おほまへにまをす」をもちて「おほきみにまをす」にかふ〉おほきみは そこをきかして たままきの あぐらにたたし (あるふみに、「たたし」をもちて「いまし」にかふ〉しつまきの あぐらにたたし ししまつと わがいませば さゐまつと わがたたせば たくぶらに あむかきつき そのあむを あきづはやくひ はふむしも おほきみにまつらふ ながかたはおかむ あきづしまやまと (あるふみに、「はふむしも」よりしもをもちて「かくのごと なにおはむと そらみつ やまとのくにを あきづしまといふ」にかふ)
解釈 倭の 小村の岳に 鹿猪伏すと 誰か 此の事 大前に奏す (一本「大前に奏す」を「大君に奏す」に易へたり。) 大君は 其を聞かして 玉纒の 胡床に立たし 倭文纒の 胡床に立たし 猪鹿待つと 我がいませば さ猪待つと 我が立たせば 手腓に 虻かきつきつ その虻を 蜻蛉はや囓ひ はふ虫も 大君に奉らふ 汝が形は置かむ 蜻蛉島倭 (一本「昆ふ虫も」以下を、「斯くのみと名を負はむと、そらみつ倭の国を蜻蛉島といふ」に易へたり。)

日本書紀 歌謡七六
原歌 野須瀰斯志 倭我飫褒枳瀰能 阿蘇麼斯志 斯斯能 宇柁枳舸斯固瀰 倭我尼碍能褒利志 阿理嗚能宇倍能 婆利我曳陀 阿西嗚
読下 やすみしし わがおほきみの あそばしし ししの うたきかしこみ わがにげのぼりし ありをのうへの はりがえだ あせを
解釈 やすみしし 我が大君の 遊ばしし 猪鹿の うたき畏み 我が 逃げ上りし あり丘の上の 梁が枝だ あせを

日本書紀 歌謡七七
原歌 挙暮利矩能 播都制能野磨播 伊底柁智能 与慮斯企野磨 和斯里底能 与盧斯企夜磨能 拠暮利矩能 播都制能夜麻播 阿野爾于羅虞波斯 阿野爾于羅虞波斯
読下 こもりくの はつせのやまは いでたちの よろしきやま わしりでの よろしきやまの こもりくの はつせのやまは あやにうらぐはし あやにうらぐはし
解釈 隱り国の 泊瀬の山は 出で立ちの 宜しき山 走り出の 宜しき山 隱り国の 泊瀬の山は あやにうら麗し あやにうら麗し

日本書紀 歌謡七八
原歌 柯武柯噬能 伊制能 伊制能奴能 娑柯曳鳴 伊褒甫流柯枳底 志我都矩屡麻泥爾 飫褒枳濔爾 柯陀倶 都柯陪麻都羅武騰 倭我伊能致謀 那我倶母鵝騰 伊比志柁倶弥播夜 阿柁羅陀倶弥播夜
読下 かむかぜの いせの いせののの さかえを いほふるかきて しがつくるまでに おほきみに かたく つかへまつらむと わがいのちも ながくもがと いひしたくみはや あたらたくみはや
解釈 神風の 伊勢の 伊勢の野の 栄枝を 五百経る懸きて 其が盡くるまでに 大君に 堅く 仕へ奉らむと 我が命も 長くもがと 云ひし工匠はや あたら工匠はや

日本書紀 歌謡七九
原歌 耶麼能謎能 故思麼古唹衛爾 比登涅羅賦 宇麼能耶都擬播 鳴思稽矩那欺
読下 やまのべの こしまこゆゑに ひとでらふ うまのやつぎは をしけくもなし
解釈 山辺の 小島子ゆゑに 人衒らふ 馬の八匹は 惜しけくもなし

日本書紀 歌謡八〇
原歌 婀柁羅斯枳 偉儺謎能陀倶弥 柯該志須弥儺播 旨我那稽麼 柁例柯柯該武預 婀柁羅須弥儺播
読下 あたらしき ゐなべのたくみ かけしすみなは しがなけば たれかかけむよ あたらすみなは
解釈 あたらしき 韋名部の工匠 繋けし墨繩 其が無けば 誰か繋けむよ あたら墨繩

日本書紀 歌謡八一
原歌 農播柁磨能 柯彼能矩盧古磨 矩羅枳制播 伊能致志儺磨志 柯彼能倶盧古磨 (一本、換「伊能致志儺磨志」而云「伊志柯孺阿羅磨志」 )
読下 ぬばたまの かひのくろこま くらきせば いのちしなまし かひのくろこま( あるふみに、「いのちしなまし」にかへて「いしかずあらまし」といふ )
解釈 ぬば玉の 甲斐の黒駒 鞍著せば 命死なまし 甲斐の黒駒 (一本に「命死なまし」に換へて「い及かずあらまし」と云へり。)

日本書紀 歌謡八二
原歌 濔致爾阿賦耶 鳴之慮能古 阿毎爾挙曾 枳挙曳儒阿羅毎 矩爾爾播 枳挙曳底那
読下 みちにあふや をしろのこ あもにこそ きこえずあらめ くにには きこえてな
解釈 道に逢ふや 尾代の子 母にこそ 聞えずあらめ 国には 聞えてな。

日本書紀 歌謡八三
原歌 伊儺武斯廬 呵簸泝比野儺擬 寐逗愈凱麼 儺弭企於巳陀智 曾能泥播宇世儒
読下 いなむしろ かはそひやなぎ みづゆけば なびきおきたち そのねはうせず
解釈 稻莚 河副ひ柳 水行けば 靡き起き立ち 其の根は失せず

日本書紀 歌謡八四
原歌 野麻登陛爾 瀰我保指母能婆 於尸農瀰能 莒能陀紀儺屡 都奴娑之能瀰野
読下 やまとへに みがほしものは おしぬみの このたかきなる つのさしのみや
解釈 倭辺に 見が欲しものは 忍海の 此の高城なる 角刺の宮

日本書紀 歌謡八五
原歌 阿佐膩簸囉 嗚贈禰嗚須擬 謨謀逗柁甫 奴底喩羅倶慕与 於岐毎倶羅之慕
読下 あさぢはら をそねをすぎ ももづたふ ぬてゆらくもよ おきめくらしも
解釈 浅茅原 小曾根を過ぎ 百伝ふ 鐸(ぬて)揺らぐもよ 置目来らしも

日本書紀 歌謡八六
原歌 於岐毎慕与 阿甫弥能於岐毎 阿須用利簸 弥野磨我倶利底 弥曳孺謨阿羅牟
読下 おきめもよ あふみのおきめ あすよりは みやまがくりて みえずかもあらむ
解釈 置目もよ 淡海の置目 明日よりは 深山隱りて 見えずかもあらむ

日本書紀 歌謡八七
原歌 之褒世能 儺鳴理鳴弥黎麼 阿蘇寐倶屡 思寐我簸多泥爾 都摩陀弖理弥喩 (一本、以「之褒世」易「弥儺斗」 )
読下 しほせの なをりをみれば あそびくる しびがはたでに つまたてりみゆ ( あるふみに、「しほせ」をもちて「みなと」にかふ )
解釈 潮瀬の 余波を見れば 遊び来る 鮪が鰭手に 妻立てり見ゆ(一本「潮瀬」を「水門」に易ふ。)

日本書紀 歌謡八八
原歌 飫濔能古能 耶陛耶羅枳 瑜屡世登耶 濔古
読下 おみのこの やへやからかき ゆるせとや みこ
解釈 臣の子の 八重や唐垣 許せとや 御子

日本書紀 歌謡八九
原歌 飫褒陀致鳴 多黎播枳多致弖 農儒登慕 須衛婆陀志弖謀 阿波夢登茹於謀賦
読下 おほたちを たれはきたちて ぬかずとも すゑはたしても あはむとぞおもふ
解釈 大太刀を 垂れ佩き立ちて 拔かずとも 末は足しても 遇はむとぞ思ふ

日本書紀 歌謡九〇
原歌 飫褒枳瀰能 耶陛能矩瀰枳 々梅謄謀 儺嗚阿摩之耳弥 々農倶弥柯枳
読下 おほきみの やへのくみかき かかめども なをあましじみ かかぬくみかき
解釈 大君の 八重の組垣 懸かめども 汝を有ましじみ 懸かぬ組垣

日本書紀 歌謡九一
原歌 於弥能姑能 耶賦能之魔柯枳 始陀騰余濔 那為我与釐拠魔 耶黎夢之魔柯枳 (一本 以「耶賦能之魔柯枳」易「耶陛羅枳」 )
読下 おみのこの やふのしばかき したとよみ なゐがよりこば やれむしばかき (あるふみに「やふのしばかき」をもちて「やへからかき」にかふ )
解釈 臣の子の 八符の柴垣 下動み 地震が震り来ば 破れむ柴垣(一本に「八符の柴垣」を「八重唐垣」に易へたり。)

日本書紀 歌謡九二
原歌 挙騰我瀰爾 枳謂屡箇皚比謎 施摩儺羅磨 婀我褒屡柁摩能 婀波寐之羅陀魔
読下 ことがみに きゐるかげひめ たまならば あがほるたまの あはびしらたま
解釈 琴頭に 来居る影媛 玉ならば 我が欲る玉の 鰒白珠

日本書紀 歌謡九三
原歌 於褒枳瀰能 瀰於寐能之都波柁 夢須寐陀黎 陀黎耶始比登謀 阿避於謀婆儺倶爾
読下 おほきみの みおびのしつはた むすびたれ たれやしひとも あひおもはなくに
解釈 大君の 御帯の倭文幡 結び垂れ 誰やし人も 相思はなくに

日本書紀 歌謡九四
原歌 伊須能箇瀰 賦屡嗚須擬底 挙慕摩矩羅 施箇播志須擬 慕能娑幡爾 於褒野該須擬 播屡比能 箇須我嗚須擬 逗摩御暮屡 嗚佐褒嗚須擬 柁摩該爾播 伊比佐倍母理 柁摩暮比爾 瀰逗佐倍母理 儺岐曾褒遅喩倶謀 柯尋比謎阿婆例
読下 いすのかみ ふるをすぎて こもまくら たかはしすぎ ものさはに おほやけすぎ はるひの かすがをすぎ つまごもる をさほをすぎ たまけには いひさへもり たまもひに みづさへもり なきそほちゆくも かげひめあはれ
解釈 石の上 布留を過ぎて 薦枕 高橋過ぎ 物多に 大宅過ぎ 春日 春日を過ぎ 嬬籠る 小佐保を過ぎ 玉笥には 飯さへ盛り 玉もひに 水さへ盛り 泣き沾ち行くも 影媛あはれ

日本書紀 歌謡九五
原歌 婀嗚爾与志 乃楽能婆娑摩爾 斯斯弐暮能 瀰逗矩陛御暮黎 瀰儺曾々矩 思寐能和倶吾嗚 阿娑理逗那偉能古
読下 あをによし ならのはさまに ししじもの みづくへごもり みなそそく しびのわくごを あさりづな ゐのこ
解釈 あをによし 奈良の峡間に 猪鹿じもの 水漬く辺隱り 水灌ぐ 鮪の若子を 漁り出な 猪の子

日本書紀 歌謡九六
原歌 野紡磨倶爾 都磨磨祁泥底、播屡比能 可須我能倶爾爾 倶婆紡謎鳴 阿利等枳枳底 与慮志謎鳴 阿利等枳枳底 莽紀佐倶 避能伊陀図鳴 飫斯毘羅枳 倭例以梨魔志 阿都図唎 都麼怒唎紡底 魔倶囉図唎 都麼怒唎紡底 伊慕我堤鳴 倭例爾魔柯斯紡毎 倭我堤嗚麼 伊慕爾魔柯斯毎 麼左棄逗囉 多多企阿蔵播梨 矢泪矩矢慮 于魔伊禰矢度爾 爾播都等唎 柯稽播儺倶儺梨、奴都等利 枳蟻矢播等余武 婆紡稽矩謨 伊麻娜以幡孺底 阿開爾啓梨 倭蟻慕
読下 やしまくに つままきかねて はるひの かすがのくにに くはしめを ありとききて よろしめを ありとききて まきさく ひのいたとを おしひらき われいりまし あととり つまどりして まくらとり つまどりして いもがてを われにまかしめ わがてをば いもにまかしめ まさきづら たたきあざはり ししくしろ うまいねしとに にはつとり かけはなくなり のつとり きぎしはとよむ はしけくも いまだいはずて あけにけりわぎも
解釈 八島国 妻求けかねて 春日の 春日の国に 麗し女を 在りと聞きて 宜し女を 在りと聞きて真木拆く 檜の板戸を 押し開き 我入り坐し 後取り 妻取りして 枕取り 妻取りして 妹が手を 我に纏かしめ 我が手をば 妹に纏かしめ 真木葛 手抱き交はり ししくしろ 熟睡寢し時に 庭つ鳥 鷄は鳴くなり 野つ鳥 雉は響む 愛しけくも いまだ言はずて 明けにけり我妹

日本書紀 歌謡九七
原歌 莒母唎矩能 簸都細能婆庚 那峨例倶屡 駄開能 以矩美娜開余儾開 謨等等陛嗚麼 莒等爾都倶唎 須衛陛嗚麼 府曳爾都倶唎 府企儺須 美母盧我紆陪爾 能朋梨陀致 倭我弥細麼 都奴娑播符 以簸例能伊聞能 美那矢駄府 紆嗚謨 紆陪儾莒堤堤那皚矩 野須美矢矢 倭我於朋枳美能 於魔細屡 娑佐羅能美於寐能 武須弥陀例駄例夜矢比等母 紆陪儾泥堤那皚矩
読下 こもりくの はつせのかはゆ ながれくる たけの いくみだけよだけ もとへをば ことにつくり すゑへをば ふえにつくり ふきなす みもろがうへに のぼりたち わがみせば つのさはふ いはれのいけの みなしたふ うをを うへにでてなげく やすみしし わがおほきみの おばせる ささらのみおびの むすびたれ たれやしひとも うへにでてなげく
解釈 隱り国の 泊瀬の川ゆ 流れ来る 竹の 茂み竹 吉竹 本辺をば 琴に作り 末辺をば 笛に作り 吹き鳴す 御諸が上に 登り立ち 我が見せば 角障ふ 磐余の池の 水下ふ魚も 上に出て歎くやすみしし 我が大君の 帯ばせる 細紋の御帯の 結び垂れ 誰やし人も 上に出て歎く

日本書紀 歌謡九八
原歌 比羅駄唹 輔曳輔枳能朋楼 阿苻美能野 那能倭倶吾伊 輔曳府枳能朋楼
読下 ひらかたゆ ふえふきのぼる あふみのや けなのわくごい ふえふきのぼる
解釈 枚方ゆ 笛吹き上る 近江のや 毛野の若子い 笛吹き上る

日本書紀 歌謡九九
原歌 柯羅屡爾嗚 以柯爾輔居等所 梅豆羅古枳駄楼 武左屡楼 以祇能和駄唎嗚 梅豆羅古枳駄楼
読下 からくにを いかにふことそ めづらこきたる むかさくる いきのわたりを めづらこきたる
解釈 辛国を 如何に言ことぞ 目頬子来到る 向避くる 壱岐の渡りを 目頬子来到る

日本書紀 歌謡一〇〇
原歌 柯羅倶爾能 基能陪爾陀致底 於譜磨故幡 比例甫囉須母 耶魔等陛武岐底
読下 からくにの きのへにたちて おほばこは ひれふらすも やまとへむきて
解釈 辛国の 城の上に立ちて 大葉子は 領布振らすも 大和へ向きて

日本書紀 歌謡一〇一
原歌 柯羅倶爾能 基能陪爾陀陀志 於譜磨故幡 比礼甫羅須弥喩 那爾婆陛武岐底
読下 からくにの きのへにたたし おほばこは ひれふらすみゆ なにはへむきて
解釈 辛国の 城の上に立たし 大葉子は 領布振らす見ゆ 難波へ向きて

日本書紀 歌謡一〇二
原歌 夜須弥志斯 和餓於朋耆弥能 訶句理摩須 阿摩能椰蘇訶礙 異泥多多須 弥蘇羅烏弥礼麼 豫呂豆余珥 訶句志茂餓茂 知余珥茂 訶句志茂餓茂 知余珥茂 訶句志茂餓茂 訶之胡弥弖 兎伽陪摩都羅武 烏呂餓弥弖 兎伽陪摩都羅武 宇多豆紀摩都流
読下 やすみしし わがおほきみの かくります あまのやそかげ いでたたす みそらをみれば よろづよに かくしもがも ちよにも かくしもがも ちよにも かくしもがも かしこみて つかへまつらむ をろがみて つかへまつらむ うたづきまつる
解釈 やすみしし 我が大君の 隱り坐す 天の八十光 出で立たず 御空を見れば 萬代に 斯くしもがも 千代にも 斯くしもがも 千代にも 斯くしもがも 畏みて 仕へまつらむ 拜みて 仕へまつらむ 歌杯奉る

日本書紀 歌謡一〇三
原歌 摩蘇餓豫 蘇餓能古羅破 宇摩奈羅麼 辟武伽能古摩 多智奈羅麼 句礼能摩差比 宇倍之訶茂 蘇餓能古羅烏 於朋枳弥能 兎伽破須羅志枳
読下 まそがよ そがのこらは うまならば ひむかのこま たちならば くれのまさひ うべしかも そがのこらを おほきみの つかはすらしき
解釈 真蘇我よ 蘇我の子らは 馬ならば 東国の駒 太刀ならば 呉の真刀 宜しかも 蘇我の子らを 大君の 使はすらしき

日本書紀 歌謡一〇四
原歌 斯那提流 箇多烏箇夜摩爾 伊比爾恵弖 許夜勢屡 諸能多比等 阿波礼 於夜那斯爾 那礼奈理鶏迷夜 佐須陀気能 枳弥波夜那祗 伊比爾恵弖 許夜勢留 諸能多比等阿波礼
読下 しなてる かたをかやまに いひにゑて こやせる そのたびとあはれ おやなしに なれなりけめや さすたけの きみはやなき いひにゑて こやせる そのたびとあはれ
解釈 級照る 片岡山に 飯に飢て 臥せる 其の旅人 あはれ 親無しに 成りけめや さす竹の 君はや無き 飯に飢て 臥せる 其の旅人 あはれ

日本書紀 歌謡一〇五
原歌 于泥備椰摩 虚多智于須家苔 多能弥介茂 気莵能和区呉能 虚茂邏勢利祁牟
読下 うねびやま こたちうすけど たのみかも けつのわくごの こもらせりけむ
解釈 畝傍山 木立薄けど 頼みかも 毛津の若子の 籠らせりけむ

日本書紀 歌謡一〇六
原歌 野麻騰能 飫斯能毘稜栖鳴 倭施羅務騰 阿庸比施豆矩梨 挙始豆矩羅符母
読下 やまとの おしのひろせを わたらむと あよひたづくり こしづくらふも
解釈 倭の 忍の広瀬を 渡らむと 足結ひ手作り 腰づくろふも

日本書紀 歌謡一〇七
原歌 伊波能杯爾 古佐屡 渠梅野倶 渠梅多爾母 多礙底騰衰囉栖 歌麻之之能烏賦
読下 いはのへに こさる こめやく こめだにも たげてとほらせ かまししのをぢ
解釈 岩の上に 小猿 米焼く 米だにも 食げて通らせ 山羊(かましし)の老翁

日本書紀 歌謡一〇八
原歌 武舸都烏爾 陀底屡制羅我 爾古禰挙曾 倭我底鳴勝羅毎 施我佐基泥 佐基泥曾母野 倭我底勝羅須謀野
読下 むかつをに たてるせらが にこでこそ わがてをとらめ たがさきで さきでそもや わがてとらすもや
解釈 向つ峰に 立てる夫らが 柔手こそ 我が手を取らめ 誰が裂手 裂手そもや 我が手取らすや

日本書紀 歌謡一〇九
原歌 波魯波魯爾 渠騰曾枳挙喩屡 之麻能野父播羅
読下 はろはろに ことそきこゆる しまのやぶはら
解釈 遙々に 言ぞ聞ゆる 島の藪原

日本書紀 歌謡一一〇
原歌 烏智可施能 阿婆努能枳枳始 騰余謀作儒 倭例播禰始柯騰 比騰曾騰余謀須
読下 をちかたの あさののきぎし とよもさず われはねしかど ひとそとよもす
解釈 彼方の 浅野の雉 響さず 我は寢しかど 人ぞ響す

日本書紀 歌謡一一一
原歌 烏麼野始爾 倭例烏比岐例底 制始比騰能 於謀提母始羅孺 伊弊母始羅孺母也
読下 をばやしに われをひきれて せしひとの おもてもしらず いへもしらずも
解釈 小林に 我を引入て 奸し人の 面も知らず 家も知らずも

日本書紀 歌謡一一二
原歌 禹都麻佐波 柯微騰母柯微騰 枳挙曳倶屡 騰挙預能柯微乎 宇智岐多麻須母
読下 うづまさは かみともかみと きこえくる とこよのかみを うちきたますも
解釈 大秦は 神とも神と 聞えくる 常世の神を 打ち懲ますも

日本書紀 歌謡一一三
原歌 耶麻鵝播爾 烏志賦柁囉都威底 陀虞毘預倶 陀虞陛屡伊慕乎 多例柯威爾鶏武
読下 やまがはに をしふたつゐて たぐひよく たぐへるいもを たれかゐにけむ(其一)
解釈 山川に 鴛鴦二つ居て 偶よく 偶へる妹を 誰か率にけむ

日本書紀 歌謡一一四
原歌 模騰渠等爾 婆那播左該騰摸 那爾騰柯母 于都倶之伊母我 磨陀左枳涅渠農
読下 もとごとに はなはさけども なにとかも うつくしいもが またさきでこぬ(其二)
解釈 本毎に 花は咲けども 何とかも 愛し妹が また咲き出来ぬ

日本書紀 歌謡一一五
原歌 舸娜紀都該 阿我柯賦古麻播 比枳涅世儒 阿我柯賦古麻乎 比騰瀰都羅武箇
読下 かなきつけ あがかふこまは ひきでせず あがかふこまを ひとみつらむか
解釈 鉗著け 吾が飼ふ駒は 引出せず 吾が飼ふ駒を 人見つらむか

日本書紀 歌謡一一六
原歌 伊磨紀那屡 乎武例我禹杯爾 倶謨娜尼母 旨屡倶之多多婆 那爾柯那皚柯武
読下 いまきなる をむれがうへに くもだにも しるくしたたば なにかなげかむ(其一 )
解釈 今城なる 小丘が上に 雲だにも 著くし立たば 何か歎かむ

日本書紀 歌謡一一七
原歌 伊喩之々乎 都那遇舸播杯能 倭柯矩娑能 倭柯倶阿利岐騰 阿我謨婆儺倶爾
読下 いゆししを つなぐかはへの わかくさの わかくありきと あがもはなくに(其二 )
解釈 射ゆ鹿猪を 認(つな)ぐ川上の 若草の 若くありきと 吾が思はなくに

日本書紀 歌謡一一八
原歌 阿須箇我播 濔儺蟻羅毘都都 喩矩瀰都能 阿比娜謨儺倶母 於母保喩屡柯母
読下 あすかがは みなぎらひつつ ゆくみづの あひだもなくも おもほゆるかも(其三 )
解釈 飛鳥川 漲ひつつ 行く水の 間も無くも 思ほゆるかも

日本書紀 歌謡一一九
原歌 耶麻古曳底 于瀰倭施留騰母 於母之楼枳 伊麻紀能禹知播 倭須羅庚柁麻旨珥
読下 やまこえて うみわたるとも おもしろき いまきのうちは わすらゆましじ(其一 )
解釈 山越えて 海渡るとも おもしろき 今城の中は 忘らゆましじ

日本書紀 歌謡一二〇
原歌 瀰儺度能 于之褒能矩娜利 于那倶娜梨 于之廬母倶例尼 飫岐底舸庚飫舸武
読下 みなとの うしほのくだり うなくだり うしろもくれに おきてかゆかむ(其二 )
解釈 水門の 潮のくだり 海くだり 後も暗に 置きてか行かむ

日本書紀 歌謡一二一
原歌 于都倶之枳 阿餓倭柯枳古弘 飯岐底舸庚舸武
読下 うつくしき あがわかきこを おきてかゆかむ(其三 )
解釈 愛しき 吾が若き子を 置きてか行かむ

日本書紀 歌謡一二二 (解釈は未詳)
原歌 摩比邏矩 都能倶例豆例 於能幣陀乎 邏賦倶能理歌理鵝 美和陀騰能理歌美 烏能陛陀烏 邏賦倶能理歌理鵝 甲子騰和與 騰美烏能陛陀烏 邏賦倶能理歌理鵝
読下 まひらく つのくれつれ をのへたを らふくのりかりが みわたとのりかみ をのへたを らふくのりかりが かしとわよ とみをのへたを らふくのりかりが
解釈 参らく 角鹿呉連れ 小野辺を 羅服乗り狩りか 御渡と告り神 小野辺を 羅服乗り狩りか 樫と吾よ 富雄の辺を 羅服乗り狩りか

日本書紀 歌謡一二三
原歌 枳瀰我梅能 姑衰之枳舸羅爾 婆底底威底 舸矩野姑悲武謀 枳濔我梅弘報梨
読下 きみがめの こほしきからに はててゐて かくやこひむも きみがめをほり
解釈 君が目の 戀しきからに 泊てて居て かくや戀ひむも 君が目を欲り

日本書紀 歌謡一二四
原歌 于知波志能 都梅能阿素弭爾 伊提麻栖古 多麻提能伊鞞能 野鞞古能度珥 伊提麻志能 倶伊播阿羅珥茹 伊提麻西古 多麻提能鞞能 野鞞古能度珥
読下 うちはしの つめのあそびに いでませこ たまでのいへの やへこのとじ いでましの くいはあらじぞ いでませこ たまでのへの やへのこのとじ
解釈 打橋の 集樂の遊に 出でませ子 玉代の家の 八重子の刀自 出でましの 悔はあらじぞ 出でませ子 玉代の家の 八重子の刀自

日本書紀 歌謡一二五
原歌 多致播那播 於能我曳多曳多 那例々騰母 陀麻爾農矩騰岐 於野児弘爾農倶
読下 たちばなは おのがえだえだ なれれども たまにぬくとき おやじをにぬく
解釈 橘は 己が枝々 生(な)れれども 玉に貫く時 同じ緒に貫く

日本書紀 歌謡一二六
原歌 美曳之弩能 曳之弩能阿喩 阿喩挙曾播 施麻倍母曳岐 愛倶流之衛 奈疑能母縢 制利能母縢 阿例播倶流之衛
読下 みえしのの えしののあゆ あゆこそは しまへもえき ゑくるしゑ なぎのもと せりのもと あれはくるしゑ(其一)
解釈 み吉野の 吉野の鮎 鮎こそは 島辺も宜(え)き ゑ苦しゑえ 水葱の下 芹の下 吾は苦しゑ

日本書紀 歌謡一二七
原歌 於弥能古能 野陛能比母騰倶 比騰陛多爾 伊麻柁藤柯禰波 美古能比母騰矩
読下 おみのこの やへのひもとく ひとへだに いまだとかねば みこのひもとく(其二)
解釈 臣の子の 八重の紐解く 一重だに いまだ解かねば 御子の紐解く

日本書紀 歌謡一二八
原歌 阿箇悟馬能 以喩企波々箇屡 麻矩儒播羅 奈爾能都底挙騰 多柁尼之曳鶏武
読下 あかごまの いゆきはばかる まくずはら なにのつてこと ただにしえけむ(其三)
解釈 赤駒の い行き憚る 真葛原 何の伝言 直にし宜(え)けむ

今日の古今 みそひと歌 火

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今日の古今 みそひと歌 火

僧正遍昭によみて贈りける 惟喬親王
歌番七四 
原歌 さくらはなちらはちらなむちらすとてふるさとひとのきてもみなくに
標準 さくら花ちらばちらなんちらずとてふるさと人のきても見なくに
解釈 桜花散らば散らなん散らずとて古里人の来ても見なくに
注意 「ふるさとひと」は惟喬親王の造語で、「昔、親しかった人」、「気心の知れた幼馴染」のような意味合いで解釈するべき言葉のようです。この惟喬親王は文徳天皇の第一皇子で皇位継承第一位の人物でしたが藤原良房らによる暗殺を恐れ、二十八歳で出家をして政界から身を引いています。そのような関係から遍昭と惟喬親王とは同じ出家の身と云う親しさと和歌の風流人としての交流がありました。その遍昭は京都府京都市山科区にある元慶寺を拠点としていましたから、平安京から見ると「里」や「郷」でもあります。惟喬親王が花見の宴に誘ったのに遍昭は何か都合が悪かったのでしょう。

今日の古今 みそひと歌 水

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今日の古今 みそひと歌 水

雲林院にて桜の花の散りけるを見てよめる 承均法師
歌番七五 
原歌 さくらちるはなのところははるなからゆきそふりつつきえかてにする
標準 桜ちる花の所は春ながら雪ぞふりつつきえがてにする
釈A 桜散る花の所は春ながら桜吹雪の雪が降りつつも消えづらくなっているようだ。
釈B 桜散る花の所は春ながら桜吹雪の雪が降りつつも、本当の雪の様に舞い散って消えてしまう。
注意 花吹雪を雪と見立てる歌です。末句の「きえかてに」は鎌倉時代風に濁音化して「きえがてに」とするのが伝統です。その伝統では「消えがてに」=「消えづらくなっている」と解釈します。「きえかてに」のままですと、「かて+に」と云う言葉に分解され「かて」は「~できる」と云う言葉の「か+つ(補助動詞)」と理解するようです。こうした時、「かて+に」は古語では「~できる」と「~できない」との二通りの解釈があり、「~できる」の例として万葉集に集歌845の歌があります。これを準用しますと、花吹雪なら葉や地面に散り残るのに風に舞い、どこかに消えて行ってしまったという雰囲気があります。清音の平安調と濁音の鎌倉調では歌の解釈は相当に変わるようです。

<万葉集 参考歌>
集歌845 宇具比須能 麻知迦弖尓勢斯 宇米我波奈 知良須阿利許曽 意母布故我多米
訓読 鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため
私訳 鴬がその花の咲くのを待ちかねていた梅の花よ。花を散らさずにあってほしい。私が恋いしているあの子に見せるために。

今日の古今 みそひと歌 木

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今日の古今 みそひと歌 木

桜の花の散りはべりけるを見てよみける 素性法師
歌番七六 
原歌 はなちらすかせのやとりはたれかしるわれにをしへよゆきてうらみむ
標準 花ちらす風のやどりはたれかしる我にをへよ行きてうらみむ
解釈 「花散らす風の宿りは誰れか知る我に教へよ行きて恨みむ」のままです。参考として、この歌には万葉調の発想があり、それで風の源となる「かせのやとり=風の宿り」と云う言葉となっています。このようなどこかに季節の源があると云う発想として万葉集では「冬木成 春去来者(冬こもる 春去り来れば)」のような表現があります。つまり、平安時代初期において、この歌は万葉調の古風を持った歌と思われていたと推定されます。「をさなくよめり=幼い子供のような発想で詠った歌」と評価する人もいるようですが、その人は万葉集と古今和歌集との連続性が理解できていない人かもしれません。

今日の古今 みそひと歌 金

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今日の古今 みそひと歌 金

雲林院にて桜の花をよめる 承均法師
歌番七七 
原歌 いささくらわれもちりなむひとさかりありなはひとにうきめみえなむ
標準 いざさくら我もちりなんひとさかりありなば人にうきめ見えなむ
釈A いざ桜、我も散りなむ。一盛り有りなば、人に憂き目見えなむ
釈B いざ桜、我も散りなむ。人盛り有りなば、人に憂き目見えなむ
解釈 歌の「ひとさかり」は一般に「一盛り」と解釈して歌い手である承均法師の盛時の意味合いとします。しかし、一方、「人盛り」とも解釈が可能で、この場合、宴会に招かれた多くの人々と云う意味合いになります。すると、「ひとにうきめみえなむ」の「ひと」は「一盛り」では世間一般の「人」ですが、「人盛り」では宴会を主催した亭主と云うことになります。つまり、釈Bは宴会での暇乞いの歌となります。雲林院は遍照法師の住坊で承均法師が訪ねた先となっていますから、場合によっては鎌倉時代からの標準的な釈Aよりも特別な解釈となる釈Bの方が、より、歌の本質に近いかもしれません。古語の「うきめ」は「いやなさま、ぶざまなさま」と云う意味合いですので現代とはすこし意味合いが違います。


万葉雑記 色眼鏡 百六六 巻十四 これも難訓歌ですか

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万葉雑記 色眼鏡 百六六 巻十四 これも難訓歌ですか

 以前、数回に渡って有名な難訓歌についてその訓じを紹介しました。将来的にはそれらを集めて万葉集難訓歌対する総合的な読解にしたいと考えております。今回は以前に遊びました難訓歌への訓じ(第134 「東国の歌、訓じで遊ぶ」)を、総合編集の準備のために焼き直しをしています。まったくに重複していますが、ご容赦を願います。

 万葉集巻十四は東歌の巻とも称され、岐阜・三河以東の東国地方の国々の歌と防人の歌だけで編纂されたものです。そして、この巻十四に載る歌は、原則、一字一音万葉仮名で表記された「万葉平仮名歌」の巻の様相を呈しています。つまり、歌は大和言葉一音に漢字文字一字を当てたような形式で表記されていますから、古語が理解できていれば、巻十四の万葉歌に読解不能として「難訓」という名前で処理されるものは存在しないはずです。
 ところが、一般に巻十四の歌々に難訓歌が存在し、多数の歌が意味未詳となっているとします。例として集歌3450の歌の「乎具佐受家乎等」、集歌3553の歌の「許弖多受久毛可」などが一字一音の音字として解釈しても意味未詳とされています。つまり、与えた訓じが正解なのか、どうかも不詳と云う扱いなのです。確かに万葉集は日本人が日本語で歌を詠ったはずですが、万葉集の専門家を以てしても一字一音万葉仮名で表記された「万葉平仮名歌」の一部が読めないという状況があります。
 ただ、ご存知のように建設作業員が開く弊ブログで扱う全万葉集歌には難訓歌はありません。基本に忠実に、そして、色眼鏡なく古語に従えば、歌はままに訓じることが出来ますし、意味不詳と云う状況は生まれません。今回は復習のようなものですが、巻十四の中で難訓として扱われる歌を紹介します。

集歌3356 不盡能祢乃 伊夜等保奈我伎 夜麻治乎毛 伊母我理登倍婆 氣尓餘婆受吉奴
訓読 富士の嶺(ね)のいや遠長(とほなが)き山路(やまぢ)をも妹がりとへば日(け)に及(よ)ばず来ぬ
私訳 富士の嶺の裾野が遥かに遠く長い、そのような遠く長い山路を愛しいお前の許へと思うと、一日もかからずにやって来た。
注意 原文の「氣尓餘婆受吉奴」を「気(又は息)に及ばずに来ぬ」と訓じるものもありますが、「気」ですと正訓になりますので、ここでは音仮名の「日」と訓じています。


集歌3362 相模祢乃 乎美祢見所久思 和須礼久流 伊毛我名欲妣弖 吾乎祢之奈久奈
訓読 相模嶺の小峰(をみね)見しくし忘れ来(く)る妹が名呼びて吾(あ)を哭(ね)し泣くな
私訳 相模の峰々の小さな峰を眺めたように、小さくなる姿を見て後に残して来る、そのお前が私の名前を呼びかけて、私に声を挙げさせて泣かさないでくれ。
注意 原文の「乎美祢見所久思」の「所」を「可」の誤記とするものもありますが、訓じの「見しくし」は「見+しく+し」の言葉としています。誤記説での「見隠くし」のようには訓じていません。また、古語の「忘れる」には「後に残す」の意味があります。


集歌3401 中麻奈尓 宇伎乎流布祢能 許藝弖奈婆 安布許等可多思 家布尓思安良受波
訓読 中(なか)真砂(まな)に浮き居(を)る舟の漕ぎて去(な)ば逢ふこと難(かた)し今日(けふ)にしあらずは
私訳 川の真ん中の砂地の傍に浮いて泊まる舟が漕ぎ去る。そのように私が去って行ったなら、もう逢うことは難しい。今日、貴女に逢えなかったら。
注意 原文の「中麻奈尓」は時に意味不詳の難訓とします。ここでは四文字に対して五音が必要なために「中」の文字を漢語扱いとして訓じ「なかまなに=中真砂に」と解釈しています。一方、「なかまなに」と同じ訓じですが「あの・しきりに・うるさい音を立てている」と云うような形容詞とする考えもあるようです。


集歌3407 可美都氣努 麻具波思麻度尓 安佐日左指 麻伎良波之母奈 安利都追見礼婆
試訓 髪(かみ)付(つ)けぬ目交(まぐ)はし間門(まと)に朝日さしまきらはしもなありつつ見れば
試訳 私の黒髪を貴方に添える、その貴方に抱かれた部屋の入口に朝日が射し、お顔がきらきらとまぶしい。こうして貴方に抱かれていると。
注意 原文の「可美都氣努麻具波思麻度尓」を「髪付けぬ目交はし間門に」と歌の裏の意図を想定して試みに訓じてみました。一般には「上野(かみつけ)ぬ真妙(まくは)し円(まと)に」と訓じ「上野国にある円」と云う地名と解釈します。ただし、このように解釈した時の地名の「円」についてはその存在が確認できないために場所未詳と処理します。


集歌3409 伊香保呂尓 安麻久母伊都藝 可奴麻豆久 比等登於多波布 伊射祢志米刀羅
試訓 伊香保(いかほ)ろに天(あま)雲(くも)い継(つ)ぎ予(か)ぬま付(つ)く人とお給(たは)ふいざ寝(ね)しめ刀羅(とら)
試訳 伊香保にある峰に空の雲がつぎつぎと懸かるように、先々のことをしっかり考える人間だとお褒めになる。さあ、そんなしっかりした私に、お前を抱かせてくれ。刀羅よ。
注意 ここでは、原文の「可奴麻豆久」の訓じ「かぬまづく」は「予ぬ+ま+付く」、「於多波布」の訓じ「おたはふ」は「お+給ふ」と試みに解釈しました。「可奴麻豆久」に対して地名とは処理していません。一般には「かぬまづく」、「おたはふ」は意味未詳とし、時に「かぬまづく」は、鹿沼づく、神沼づくではないかという説、「おたはふ」は、叫ぶ、騒ぎ立てる、というような意味ではないかという説があります。ただ、その解釈でも歌意は未詳とするようです。


集歌3419 伊可保世欲 奈可中次下 於毛比度路 久麻許曽之都等 和須礼西奈布母
訓読 伊香保(いかほ)背(せ)よなかなかなつぎし思(お)も人(ひと)ろ隅(くま)こそ為(し)つと忘れせなふも
私訳 伊香保の愛しい貴方。私との仲を隠す、私が恋い焦がれる貴方。人目を避けた隠れ家で貴方に抱かれたこの体をお忘れにならないでください。
注意 巻十四の歌は、原則、音仮名での万葉仮名による表記と考えますと、原文の「奈可中次下」は五文字ですので難訓です。本来、二句目は七文字のはずですが、特別に「中」と「次」の文字を漢語として「なかなかつぎし」と訓じてみました。他に「なかちうしげ」と訓じて、「今にも・動き出そう(出発しょう)として」と解釈する人もいるようです。


集歌3450 乎久佐乎等 乎具佐受家乎等 斯抱布祢乃 那良敝弖美礼婆 乎具佐可利馬利
訓読 乎久佐(をくさ)壮子(を)と乎具佐(をぐさ)つけ壮士と潮舟(しほふね)の並べて見れば乎具佐かりめり
私訳 乎久佐に住む男と小草を身に巻き着けた男とを潮舟のように並べて比べると、なるほど、魔よけの小草を身に巻き着けた男の方が優れている。
注意 この歌、原文の「乎具佐受家乎等」が難訓により歌意未詳と処理されています。ただし、古くからの風習で五月の節句に菖蒲などの葉(小草=をぐさ)を魔よけとして頭や腰に巻き付け、病気などを避けるというものがあります。歌はそのような風習を下にした地名と風習との言葉遊びと考えられます。


集歌3459 伊祢都氣波 可加流安我乎乎 許余比毛可 等能乃和久胡我 等里弖奈氣可武
試訓 稲(いね)搗(つ)けば皹(かか)る吾(あ)が緒を今夜(こよひ)もか殿の若子(わくこ)が取りて嘆かむ
試訳 稲を搗くと手足がざらざらになる私、その私の下着の紐の緒を、今夜もでしょう、殿の若殿が取り解き、私の体の荒れようを見て嘆くでしょう。
注意 原文の「可加流安我乎乎」の「乎乎」は、一般に「手乎」の誤記として「皹る吾が手を」と訓じます。ただ、「手乎」ですと「手」が正訓になりますので、巻十四では特殊な表記になります。一般的な「乎乎」の最初の「乎」が「手」の誤記を採用するより、万葉集表記論からしますと似た書記となる「弖」の誤記とするのが良いと思われます。ここでは、原文のままに試訓をしています。卑猥ですが肉体労働する階級の女性にとって貴族階級の男性に「手を握られる」というより「体を求められ、抱かれる」の方が当時の感覚としては受けが良いのではないでしょうか。


集歌3505 宇知比佐都 美夜能瀬河泊能 可保婆奈能 孤悲天香眠良武 曽母許余比毛
試訓 うち日(ひ)さつ宮能瀬川の貌花(かおはな)の恋ひてか寝(ぬ)らむそも今夜(こよひ)も
試訳 日が射し照らす宮、その言葉のひびきではないが、宮能瀬川に生える貌花のような美しい貴女の顔(かんばせ)を恋焦がれて夜を過ごす。また、今夜も。
注意 一般には原文の「曽母許余比毛」に「伎」の字を追加して「伎曽母許余比毛」として「昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も」と訓じます。当然、字を追加しますから歌意は変わります。なお、歌の「可保婆奈=貌花」とはヒルガオとされています。
一般での解釈
訓読 うち日(ひ)さつ宮能瀬川の貌花(かおはな)の恋ひてか寝(ぬ)らむ昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も
意訳 光り輝く宮の瀬川ぞいの昼顔が、夜は花を閉じて眠るように、あの子は私を恋いつつ眠っているだろうか。昨夜も、今夜も。


集歌3506 尓比牟路能 許騰伎尓伊多礼婆 波太須酒伎 穂尓弖之伎美我 見延奴己能許呂
試訓 新室(にひむろ)の子時(ことき)に至ればはだ薄(すすき)穂(ほ)に出(で)し君が見えぬこのころ
試訳 未通娘が成女になる儀式をする新室を立てる娘子の時期になると、薄の穂が出る、その言葉のひびきではないが、秀でたあの御方の姿が(新室に籠っているので)お目にできないこのころです。
注意 原文の「許騰伎尓伊多礼婆」は、一般に「蚕時(ことき)に至れば」と訓じます。ここでは巻十一の旋頭歌にちなんで訓みました。歌は腰巻祝いで未通娘と腰結役の男が部屋に籠って成女式を行っている風景と想定しています。


集歌3507 多尓世婆美 弥羊尓波比多流 多麻可豆良 多延武能己許呂 和我母波奈久尓
訓読 谷狭(せば)みやよに延(は)ひたる玉葛(たまかづら)絶えむの心吾(わ)が思(も)はなくに
私訳 谷が狭いので、谷いっぱいに生え延びた玉葛、その蔓が切れないように二人の気持は切れて絶えるとは私は決して思わない。
注意 原文の「弥羊尓波比多流」は、一般に「弥年尓波比多流」の誤記として「嶺に延ひたる」と訓じます。ここでは原文のままに訓じています。なお、「弥羊尓=やよに」は感動語として扱っています。


集歌3518 伊波能倍尓 伊可賀流久毛能 可努麻豆久 比等曽於多波布 伊射祢之賣刀良
訓読 石(いは)の上(へ)にい懸(かか)る雲の予(か)ぬま付(つ)く人とお給(たは)ふいざ寝(ね)しめ刀良
私訳 巌のあたりにいつも懸かる雲のように、先々のことをしっかり考える人間だとお褒めになる。さあ、そんなしっかりした私に、お前を抱かせてくれ。刀良よ。
注意 先に紹介しました集歌3409の「伊香保呂尓」の歌と同じ様に、「可努麻豆久」の「かぬまづく」は「予ぬ+ま+付く」、於多波布の「おたはふ」は「お+給ふ」と解釈しました。一般解釈のような意味未詳と扱ってはいません。


集歌3553 安治可麻能 可家能水奈刀尓 伊流思保乃 許弖多受久毛可 伊里弖祢麻久母
試訓 安治可麻(あぢかま)の可家(かけ)の水門(みなと)に入る潮(しほ)の小手(こて)たずくもが入りて寝まくも
試訳 安治可麻の可家の入江に入って来る潮がやすやすと満ちるように、やすやすとお前の床に入り込んで共寝がしたいものだ。
注意 原文の「許弖多受久毛可」は難訓です。ここでは「小手+助ずく+も」の意味で試訓を行っています。一般には「許弖多受久毛可=凝りて立つ雲か」、「許弖多受久毛可=こて立す来もか」、「許弖多受久毛可=こてたずくもが(意味未詳)」などの試訓があります。なかなか、一首の歌意として扱うのは難しいようです。


集歌3566 和伎毛古尓 安我古非思奈婆 曽和敝可毛 加未尓於保世牟 己許呂思良受弖
試訓 吾妹子に吾(あ)が恋ひ死なば其(そ)侘(わ)へかも神に負(おほ)ほせむ心知らずて
試訳 私の愛しいあの娘に私が恋焦がれて死んだなら、その死を戸惑うだろう。神の祟りのせいにして。私の気持ちも知らないで。
注意 原文の「曽和敝可毛」は難訓です。ここでは試訓として「其(そ)+侘(わ)へ+かも」として訓じています。

 どうでしょうか、紹介しました歌々は一般的な万葉集解説本では難訓歌として意味未詳の形で紹介されています。実に不思議と思いませんか、一字一音での万葉仮名歌ですから、言葉としての「音」は取れているはずです。でも、その音字解釈では大学などの万葉集を専門に研究する立場からは日本語の歌として意味を持ったものにはならないとします。それゆえにこれらの歌を難訓歌と分類します。
 結局は、万葉集は素人の歌好きが原文から楽しむもののようです。およそ、ここで紹介しましたものは、その由来が素人酔論からの解釈です。まずは眉に唾を付け、千に三もない千無いものとして御笑納下さい。まずは富山から見れば「トンデモ学」に分類される遊びです。まず、学問じゃありません。

万葉集 長歌を鑑賞する

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万葉集 長歌を鑑賞する

讃久邇新京謌二首并短歌
標訓 久邇の新しき京(みやこ)を讃(ほ)むる謌二首并せて短歌
集歌1050 明津神 吾皇之 天下 八嶋之中尓 國者霜 多雖有 里者霜 澤尓雖有 山並之 宜國跡 川次之 立合郷跡 山代乃 鹿脊山際尓 宮柱 太敷奉 高知為 布當乃宮者 河近見 湍音叙清 山近見 鳥賀鳴慟 秋去者 山裳動響尓 左男鹿者 妻呼令響 春去者 岡邊裳繁尓 巌者 花開乎呼理 痛可怜 布當乃原 甚貴 大宮處 諾己曽 吾大王者 君之随 所聞賜而 刺竹乃 大宮此跡 定異等霜

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 現(あき)つ神 我が大君(おほきみ)の 天の下 八島(やしま)の中(うち)に 国はしも さはにあれども 里はしも さはにあれども 山並みの よろしき国と 川なみの たち合ふ里(さと)と 山背(やましろ)の 鹿背山(かせやま)の際(ま)に 宮柱 太敷きまつり 高知らす 布当(ふたぎ)の宮は 川近み 瀬の音(と)ぞ清(きよ)き 山近み 鳥が音(ね)響(とよ)む 秋されば 山もとどろに さを鹿(しか)は 妻呼び響(とよ)め 春されば 岡辺(おかへ)も繁(しじ)に 巌(いはほ)には 花咲きををり あなあはれ 布当(ふたぎ)の原 いと貴(たふと) 大宮ところ うべしこそ 我が大君(おほきみ)は 君ながら 聞かしたまひて さす竹の 大宮(おほみや)ここと 定めけらしも
意訳 現人神であられるわれらの大君が治め給う天の下大八島の中に、国は国としてたくさんあるけれど、里は里としてたくさんあるけれど、中でもとくに、並び立つ山の姿のふさわしい国であるとて、川の流れの集まってくる立派な里とて、山背の鹿背の山のほとりに、宮柱をしっかりとお立てして、高々とお治めになる布当の宮は、川が近いので瀬の音が清らかである。山が近いので鳥の声が響きわたる。秋ともなると山もとどろくばかりに雄鹿は妻を呼び求めて鳴き叫び、春ともなると岡辺いっぱいに岩という岩に花が咲き乱れて・・・、ああすばらしい、布当の原は。何とも尊い、この大宮の地は。なるほど、だからこそ、われらが大君は、いかにも大君らしく、臣下の言葉をよしとせられて、輝く大宮をこことお定めになったのであるらしい。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 現(あき)つ神 吾が皇(すめろぎ)し 天つ下 八島(やしま)し中(うち)に 国はしも 多(さわ)くあれども 里はしも 多(さわ)にあれども 山並みし 宜(よろ)しき国と 川なみし たち合ふ郷(さと)と 山背(やましろ)の 鹿背山(かせやま)の際(ま)に 宮柱 太敷き奉(まつ)り 高知らす 布当(ふたぎ)の宮は 川近み 瀬の音(と)ぞ清(きよ)き 山近み 鳥が音(ね)響(とよ)む 秋されば 山もとどろに さ雄鹿(をしか)は 妻呼び響(とよ)め 春されば 岡辺(おかへ)も繁(しじ)に 巌(いはほ)には 花咲きををり あなおもしろ 布当(ふたぎ)の原 いと貴(たふと) 大宮所 うべしこそ 吾が大王(おほきみ)は 君しまに 聞かし賜ひて さす竹の 大宮(おほみや)此処(ここ)と 定めけらしも
私訳 身を顕す神である吾等の皇が天下の大八洲の中に国々は沢山あるが、郷は沢山あるが、山並みが願いに適い宜しい国と、川の流れが集る郷と、山代の鹿背の山の裾に宮柱を太く建てられて、天まで高だかに統治なされる布当の都は、川が近く瀬の音が清らかで、山が近く鳥の音が響く。秋になれば山も轟かせて角の立派な牡鹿の妻を呼ぶ声が響き、春になれば丘のあたり一面に岩には花が咲き豊かに枝を垂れ、とても趣深い布当の野の貴いところよ。大宮所、もっともなことです。吾等が大王は、君の進言をお聞きになられて、すくすく伸びる竹のような勢いのある大宮はここだと、お定めになられたらしい。

亭子院歌合

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延喜十三年亭子院歌合 (延喜十三年三月十三日)


 『延喜十三年亭子院歌合』と云う歌集は延喜十三年(913)に宇多法皇が自分の御所としていた亭子院において開いた歌合での歌を記録したものです。この歌合は歌人である伊勢が書き残したものによって世に知られていますが、伊勢が書き残した記録の序文からしますと、歌合は「二月」、「三月」、「四月」を題としてそれぞれ十番、十番、五番の歌を合わせた歌会であったと思われます。つまり、伊勢が残した原典では二十五番五十首の歌を載せたものとなります。
 ところが、現代に伝わる『延喜十三年亭子院歌合』の写本では、「四月」の五番にさらに五番を追加して十番二十首とし、他に「恋」と云う題で新たに十番二十首が付加されています。つまり、「二月」、「三月」、「四月」、「恋」の四つの部立でそれぞれ十番二十首、都合八十首の歌を載せた歌合歌集として伝わっています。つまり、後年に十五番三十首が追記されたことになります。
本編はその都合、四十番の歌を載せた歌合歌集となる小学館『日本古典文学全集 古今和歌集』に収容する「延喜十三年亭子院歌合」に従っています。このため、インターネットで参照が容易な国際日本文化研究センター収容の「亭子院歌合」とは相違しています。
さらに補記をいたしますと、小学館のものにおいて歌番号五九の歌は欠落していますし、歌番号七一の歌は歌合とならない歌、つまり、左右二首一組ではなく一首単独の歌として載せられています。従いまして欠落を含めますと、ある時点での写本では八十一首(歌の存在は八十首)が載る歌合歌集となります。
 なお、紹介します歌は歌番号、詠人、原歌、解釈の順とし、二首一組としています。詠人の中で身分の低い蔵人や女蔵人が詠うもに対して伊勢の記録には詠い手の名前はありません。そのため便宜的に「詠み人知れず」としています。本来は無記名です。


二月 十首
歌番号〇一 左  伊勢
原歌 あをやきの えたにかかれる はるさめは いともてぬける たまかとそみる
解釈 青柳の 枝にかかれる 春雨は 糸もてぬける 玉かとぞ見る
歌番号〇二 右  坂上是則
原歌 あさみとり そめてみたるる あをやきの いとをははるの かせやよるらむ
解釈 浅緑 そめて乱れる 青柳の 糸をばはるの 風や縒るらむ

歌番号〇三 左  凡河内躬恒
原歌 さかさらむ ものならなくに さくらはな おもかけにのみ またきみゆらむ
解釈 咲かざれむ ものならなくに 桜花 面影にのみ まだき見ゆらむ
歌番号〇四 右  紀貫之
原歌 やまさくら さきぬるときは つねよりも みねのしらくも たちまさりけり
解釈 山桜 咲きむるときは つねよりも 峰の白雲 たちまさりけり

歌番号〇五 左  凡河内躬恒
原歌 きつつのみ なくうくひすの ふるさとは ちりにしうめの はなにさりける
解釈 来つつのみ 鳴く鶯の 故里は 散りにし梅の 花にざりける
歌番号〇六 右  坂上是則
原歌 みちよへて なるてふももは ことしより はなさくはるに あひそしにける
解釈 三千代経て なるてふ桃は 今年より 花咲く春に あひぞしにける

歌番号〇七 左  藤原季方
原歌 いそのかみ ふるのやまへの さくらはな こそみしはなの いろやのこれる
解釈 いそのかみ 布留の山べの 桜花 去年見し花の 色やのこれる
歌番号〇八 右  伊勢
原歌 ほともなく ちりなむものを さくらはな ここらひささも またせつるかな
解釈 ほどもなく 散りなむものを 桜花 ここらひさしく 待たせつるかな

歌番号〇九 左  紀貫之
原歌 はるかすみ たちしかくせは やまさくら ひとしれすこそ ちりぬへらなれ
解釈 春霞 たちし隠せば 山桜 人知れずこそ 散りぬべらなれ
歌番号一〇 右  藤原興風
原歌 たのまれぬ はなのこころと おもへはや ちらぬさきより うくひすのなく
解釈 頼まれぬ 花の心と 思へばや 散らぬさきより 鶯の鳴く

歌番号一一 左  御製(宇多法皇)
原歌 はるかせの ふかぬよにたに あらませは こころのとかに はなはみてまし
解釈 春風の 吹かぬ世にだに あらませば 心のどかに 花は見てまし
歌番号一二 右  読み人知れず
原歌 ちりぬとも ありとたのまむ さくらはな はるはすきぬと われにきかすな
解釈 散りぬとも ありとたのまぬ 桜花 春は過ぎぬと われに聞かすな

歌番号一三 左  紀貫之
原歌 さくらちる このしたかせは さむからて そらにしられぬ ゆきそふりける
解釈 桜散る 木の下風は 寒からで 空に知られぬ 雪ぞ降りけり
歌番号一四 右  凡河内躬恒
原歌 わかこころ はるのやまへに あくかれて なかなかしひを けふもくらしつ
解釈 わが心 春の山べに あくがれて ながながし日を 今日も暮らしつ

歌番号一五 左  凡河内躬恒
原歌 さくらはな いかてかひとの をりてみぬ のちこそまさる いろもいてこめ
解釈 桜花 いかでか人の 折りてみぬ のちこそまさる 色もいでこめ
歌番号一六 右  凡河内躬恒
原歌 うたたねの ゆめにやあるらむ さくらはな はかなくみてそ やみぬへらなる
解釈 うたた寝の 夢にやあるらむ 桜花 はかなく見てぞ やみぬべらなる

歌番号一七 左  藤原興風
原歌 ふりはへて はなみにくれは くらふやま いととかすみの たちかくすらむ
解釈 ふりはへて 花見にくれば くらぶ山 いとど霞の 立ち隠すらむ
歌番号一八 右  読み人知れず
原歌 いもやすく ねられさりけり はるのよは はなのちるのみ ゆめにみえつつ
解釈 寝もやすく 寝られざりけり 春の夜は 花の散るのみ 夢に見えつつ

歌番号一九 左  凡河内躬恒
原歌 ふるさとに かすみとひわけ ゆくかりは たひのそらにや はるをすくらむ
解釈 故里に 霞とびわけ ゆく雁は 旅の空にや 春を過ぎらむ
歌番号二〇 右  読み人知れず
原歌 ちるはなを ぬきしとめねは あをやきの いとはよるとも かひやなからむ
解釈 散る花を ぬきしとめねば 青柳の 糸は縒るとも かひやなからむ


三月 十首
歌番号二一 左  藤原興風
原歌 みてかへる こころあかねは さくらはな さけるあたりに やとやからまし
解釈 見て帰る 心飽かねば 桜花 咲けるあたりに 宿やからまし
歌番号二二 右  大中臣頼基
原歌 しののめに おきてみつれは さくらはな またよをこめて ちりにけるかな
解釈 しののめに 起きて見つれば 桜花 また夜をこめて 散りにけるかな

歌番号二三 左  凡河内躬恒
原歌 うつつには さらにもいはし さくらはな ゆめにもちると みえはうからむ
解釈 うつつには さらにも言はじ 桜花 夢にも散ると 見えは憂からむ
歌番号二四 右  坂上是則
原歌 はなのいろを うつしととめよ かかみやま はるよりのちに かけやみゆると
解釈 花の色を うつしととめよ 鏡山 春よりのちに 影や見ゆると

歌番号二五 左  凡河内躬恒
原歌 めにみえて かせはふけとも あをやきの なひくかたにそ はなはちりける
解釈 目に見えて 風は吹けとも 青柳の なひくかたにぞ 花は取りける
歌番号二六 右  藤原興風
原歌 あしひきの やまふきのはな さきにけり ゐてのかはつは いまやなくらむ
解釈 あしひきの 山吹の花 咲きにけり 井出の蛙は いまや鳴くらむ

歌番号二七 左  読み人知れず
原歌 さはみつに かはつなくなり やまふきの うつろふいろや そこにみゆらむ
解釈 沢水に 蛙鳴くなり 山吹の うつろふ色や 底に見ゆらむ
歌番号二八 右  読み人知れず
原歌 ちりてゆく かたをたにみむ はるかすみ はなのあたりは たちもさらなむ
解釈 散りてゆく かたをだに見む 春霞 花のあたりは 立ちも去らなむ

歌番号二九 左  読み人知れず
原歌 むさしのに いろやかよへる ふちのはな わかむらさきに そめてみゆらむ
解釈 武蔵野に 色やかよへる 藤の花 若紫に 染て見ゆらむ
歌番号三〇 右  藤原興風
原歌 あかすして すきゆくはるを よふことり よひかへしつと きてもつけなむ
解釈 飽かずして 過ぎゆく春を 呼子鳥 よひかへしつと 来ても告げなむ

歌番号三一 左  凡河内躬恒
原歌 はるふかき いろこそなけれ やまふきの はなにこころを まつそそめつる
解釈 春深き 色こそなけれ 山吹の 花に心を まつぞ染めつる
歌番号三二 右  兼覧王
原歌 かせふけは おもほゆるかな すみのえの きしのふちなみ いまやさくらむ
解釈 風吹けば おもほゆるかな 住の江の 岸の藤波 いまや咲くらむ

歌番号三三 左  凡河内躬恒
原歌 かけてのみ みつつそしのふ むらさきに いくしほそめし ふちのはなそも
解釈 かけてのみ 見つつぞしのぶ 紫に いくしほ染めし 藤の花そも
歌番号三四 右  坂上是則
原歌 みなそこに しつめるはなの かけみれは はるのふかくも なりにけるかな
解釈 水底に 沈める花の 影見れば 春の深くも なりにけるかな

歌番号三五 左  藤原興風
原歌 ふくかせに とまりもあへす ちるときは やへやまふきの はなもかひなし
解釈 吹く風に とまりもあへず 散るときは 八重山吹の 花もかひなし
歌番号三六 右  紀貫之
原歌 をしめとも たちもとまらす ゆくはるを なこそのせきの せきもとめなむ
解釈 惜しめとも 立ちもとまらす ゆく春を 勿来のせきの せきも止めなむ

歌番号三七 左  紀貫之
原歌 さくらはな ちりぬるかせの なこりには みつなきそらに なみそたちける
解釈 さくら花 散りぬる風の なごりには 水なき空に 波ぞ立ちける
歌番号三八 右  御製(宇多法皇)
原歌 みなそこに はるやくるらむ みよしのの よしののかはに かはつなくなり
解釈 水底に 春や来るらむ み芳野の 吉野の川に 蛙鳴くなり

歌番号三九 左  凡河内躬恒
原歌 はなみつつ をしむかひなく けふくれて ほかのはるとや あすはなりなむ
解釈 花見つつ 惜しむかひなく 今日暮れて ほかの春とや 明日はなりなむ
歌番号四〇 右  凡河内躬恒
原歌 けふのみと はるをおもはぬ ときたにも たつことやすき はなのかけかは
解釈 今日のみと 春を思はぬ ときだにも 立つことやすき 花のかげかは



四月 五首
歌番号四一 左  源雅固
原歌 みやまいてて まつはつこゑは ほとときす よふかくまたむ わかやとになけ
解釈 深山いでて まづ初声は 郭公 夜深くまたむ わが宿に鳴け
歌番号四二 右  凡河内躬恒
原歌 けふよりは なつのころもに なりぬれと きるひとさへは かはらさりけり
解釈 今日よりは 夏の衣に なりぬれと 着る人さへは かはらざりけり

歌番号四三 左  藤原興風
原歌 やまさとに しるひともかな ほとときす なきぬときかは つけもくるかに
解釈 山里に 知る人もかな 郭公 鳴きぬと聞かば 告げもくるがに
歌番号四四 右  読み人知れず
原歌 なつきぬと ひとしもつけぬ わかやとに やまほとときす はやくなくなり
解釈 夏来きぬと 人しも告げけぬ わが宿に 山郭公 はやく鳴くなり

歌番号四五 左  凡河内躬恒
原歌 むらさきに あふみつなれや かきつはた そこのいろさへ かはらさるらむ
解釈 紫に あふ水なれや かきつばた 底の色さへ かはらざるらむ
歌番号四六 右  読み人知れず
原歌 ほとときす こゑのみするは ふくかせの おとはのやまに なけはなりけり
解釈 ほととぎす 声のみするは 吹く風の 音羽の山に 鳴けばなりけり

歌番号四七 左  凡河内躬恒
原歌 われききて ひとにはつけむ ほとときす おもふもしるく まつここになけ
解釈 われ聞きて 人に告げけむ ほととぎす 思ふもしるく まづここに鳴け
歌番号四八 右  読み人知れず
原歌 かたをかの あしたのはらを とよむまて やまほとときす いまそなくなる
解釈 片岡の 朝の原を とよむまで 山郭公 いまぞ鳴くなる

歌番号四九 左  読み人知れず
原歌 さよふけて なとかなくらむ ほとときす たひねのやとを かすひとやなき
解釈 さ夜ふけて などか鳴くらむ ほととぎす 旅寝の宿を かす人やなき
歌番号五〇 右  藤原興風
原歌 なつのいけに よるへさためぬ うきくさの みつよりほかに ゆくかたもなし
解釈 夏の池に よるべ定めぬ 浮草の 水よりほかに ゆくかたもなし


 これ以降の歌は原典である伊勢の記録にはありません。後年の写本時に追記されたと思われるものです。従いまして、これ以降では採用する写本により相違があります。ここでは小学館の『日本古典文学全集 古今和歌集』に載せる「延喜十三年亭子院歌合」(十巻本歌合 尊経閣文庫所蔵本)に従っています。そのため国際日本文化研究センター収容の「亭子院歌合」とは相違しています。国際日本文化研究センターのものは夏四月の部立において歌番号五一から歌番号六〇の十首の収載はありません。また、歌合とならない歌番号七一の収載もありません。都合、十一首に相違があります。

歌番号五一 左  読み人知れず
原歌 いつれをか それともわかむ うのはなの さけるかきねを てらすつきかけ
解釈 いづれをか それとも分かむ 卯の花の 咲ける垣根を 照す月影
歌番号五二 右  読み人知れず
原歌 このなつも かはらさりけり はつこゑは ならしのをかに なくほとときす
解釈 この夏も かはらざりけり 初声は ならしの岡に なく郭公

歌番号五三 左  読み人知れず
原歌 なつのよの またもねなくに あけぬれは きのふけふとも おもひまとひぬ
解釈 夏の夜の まだも寝なくに 明けぬれは 昨日今日とも 思ひまとひぬ
歌番号五四 右  読み人知れず
原歌 うのはなの さけるかきねは しらくもの おりゐるとこそ あやまたれけれ
解釈 卯の花の 咲ける垣根は 白雲の 下りゐるとこそ あやまたれけれ

歌番号五五 左  読み人知れず
原歌 さくはなの ちりつつうかふ みすのおもに いかてうきくさ ねさしそめけむ
解釈 咲く花の 散りつつ浮かぶ 水の面に いかで浮草 根ざしそめけむ
歌番号五六 右  読み人知れず
原歌 まつひとは つねならなくに ほとときす おもひのほかに なかはうからむ
解釈 待つ人は つねならなくに 郭公 おもひのほかに 鳴かは憂からむ

歌番号五七 左  読み人知れず
原歌 たまくしけ ふたかみやまの ほとときす いまそあけくれ なきわたるなる
解釈 たまくしげ 二上山の ほとときす 今ぞ明け暮れ 鳴きわたるなる
歌番号五八 右  読み人知れず
原歌 ほとときす のちのさつきも ありとてや なかくうつきを すくしはてつる
解釈 郭公 のちの五月も ありとてや なかく卯月を 過ぐしはてつる

歌番号五九 左  
原歌 (この歌欠ける)
解釈 
歌番号六〇 右  読み人知れず
原歌 なつなれは ふかくさやまの ほとときす なくこゑしげく なりまさるなり
解釈 夏なれば 深草山の ほととぎす 鳴く声しげく なりまさるなり


恋 各五首
歌番号六一 左  凡河内躬恒
原歌 なみたかは いかなるみつか なかるらむ なとわかこひを けすひとになき
解釈 涙川 いかなる水か 流かるらむ なとわか恋を 消す人になき
歌番号六二 右  藤原興風
原歌 みをもかへ おもふものから こひといへは もゆるなかにも いるこころかな
解釈 身をもかへ 思ふものから 恋といへは 燃ゆるなかにも 入る心かな

歌番号六三 左  凡河内躬恒
原歌 たれにより おもひくたくる こころそは しらぬそひとの つらさなりける
解釈 誰により 思ひくだくる 心ぞは 知らぬぞ人の つらさなりける
歌番号六四 右  凡河内躬恒
原歌 はつかしの もりのはつかに みしものを なとしたくさの しけきこひなる
解釈 羽束師の 森のはつかに 見しものを なと下草の 繁き恋なる

歌番号六五 左  凡河内躬恒
原歌 ひとのうへと おもひしものを わかこひに なしてやきみか たたにやみぬる
解釈 人のうへと 思ひしものを わが恋に なしてや君か ただにやみぬる
歌番号六六 右  読み人知れず
原歌 あしまよふ なにはのうらに ひくふねの つなてなかくも こひわたるかな
解釈 芦迷ふ 難波の浦に ひく舟の 綱手ながくも 恋わたるかな

歌番号六七 左  凡河内躬恒
原歌 うつつにも ゆめにもひとに よるしあへは くれゆくはかり うれしきはなし
解釈 うつつにも 夢にも人に 夜しあへば 暮れゆくばかり うれしきはなし
歌番号六八 右  読み人知らず
原歌 たまもかる ものとはなしに きみこふる わかころもての かわくときなき
解釈 玉藻刈る ものとはなしに 君恋ふる わか衣手の かわくときなき

歌番号六九 左  伊勢
原歌 あふことの きみにたえにし わかみより いくらのなみた なかれいてぬらむ
解釈 逢ふことの 君に絶えにし わが身より いくらの涙 流れいてぬらむ
歌番号七〇 左  紀貫之
原歌 きみこひの あまりにしかは しのふれと ひとのしるらむ ことのわひしさ
解釈 君恋の あまりにしかは 忍ぶれと 人の知るらむ ことのわびしさ


歌番号七一    院(宇多法皇) 左も右もこれは合わせずなりぬ
原歌 ゆきかへり ちとりなくなる はまうゆふの こころへたてて おもふものかは
解釈 ゆきかへり 千鳥鳴くなる 浜木綿の 心へだてて 思ふものかは


歌番号七二 左  読み人知らず
原歌 あはすして いけらむことの かたけれは いまはわかみを ありとやはおもふ
解釈 逢はずして 生けらむことの かたければ いまはわが身を ありとやは思ふ
歌番号七三 右  読み人知らず
原歌 あふことの かたのかたみは なみたかは こひしとおもへは まつさきにたつ
解釈 逢ふことの かたの形見は なみだ川 恋しと思もへば まづさきにたつ

歌番号七四 左  読み人知らず
原歌 ひとこふと はかなきしにを われやせむ みのあらはこそ のちもあひみめ
解釈 人恋ふと はかなき死を われやせむ 身のあらばこそ のちも逢ひ見め
歌番号七五 右  読み人知らず
原歌 ゆふされは やまのはにいつる つきくさの うつしこころは きみにそめてき
解釈 夕されば 山の端にいづる 月草の うつし心は 君に染めてき

歌番号七六 左  読み人知らず
原歌 つゆはかり たのみおかなむ ことのはに しはしもとまる いのちありやと
解釈 露ばかり 頼みおかなむ 言の葉に しばしもとまる 命ありやと
歌番号七七 右  読み人知らず
原歌 はるさめの よにふるそらも おもほえす くもゐなからに ひとこふるみは
解釈 春雨の 世にふるそらも おもほえず 雲居ながらに 人恋ふる身は

歌番号七八 左  読み人知らず
原歌 みにこひの あまりにしかは しのふれと ひとのしるらむ ことのわひしき
解釈 身に恋の あまりにしかば 忍ぶれど人 の知るらむ ことのわびしき
歌番号七九 右  読み人知らず
原歌 きみこふる わかみひさしく なりぬれは そてになみたも みえぬへらなり
解釈 君恋ふる わが身ひさしく なりぬれば 袖に涙も 見えぬべらなり

歌番号八〇 左  読み人知らず
原歌 あひみても つつむおもひの くるしきは ひとまにのみそ ねはなかれける
解釈 あひ見ても つつむ思ひの くるしきは 人間にのみぞ 音は泣かれける
歌番号八一 右  読み人知らず
原歌 なつくさに あらぬものから ひとこふる おもひしけくも なりまさるかな
解釈 夏草に あらぬものから 人恋ふる 思ひ繁くも なりまさるかな

今日の古今 みそひと歌 月

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今日の古今 みそひと歌 月

あひ知れりける人のまうで来て帰りにける後に、よみて花に挿して遣はしける 貫之
歌番七八 
原歌 ひとめみしきみもやくるとさくらはなけふはまちみてちらはちらなむ
標準 ひとめ見し君もやくると桜花けふはまち見てちらばちらなむ
解釈 「一目見し君もや来ると桜花、今日は待ち見て、散らば散らなん」のままです。解説では歌番七四の「さくら花ちらばちらなんちらずとて」を意識して作歌されたのではないかともします。詞書からしますと「きみもやくると」の「くる」は「再び、ここに戻って来る」ことを意味します。つまり、前に知人がやって来た時は、まだ、桜花は満開ではなかったようで、今、その桜花は満開になりましたと云う使いでしょうか。すると、「けふはまちみて」は「貴方を待って」と「桜花の満開を待って」との二つの意味合いがあることになります。もし、「ひとめみしきみ」の言葉に仏閣に参る女性を見初めたという背景にあるなら、艶なる恋歌となります。

今日の古今 みそひと歌 火

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今日の古今 みそひと歌 火

山の桜を見てよめる 貫之
歌番七九 
原歌 はるかすみなにかくすらむさくらはなちるまをたにもみるへきものを
標準 春霞なにかくすらむ桜花ちるまをだにも見るべき物を
解釈 「春霞、何隠すらん、桜花、散る間をだにも見るべきものを」のままです。なお、「ちるまをたにも」は「散る間もだにも」と解釈しますが、可能性として「散る間も、谷も」の解釈が成り立ちます。伝承では京都から眺めた比叡山に咲く山桜とされていますから、可能性として淡い水墨画の山影に薄桃の色を指したような風景を詠ったような景色かもしれません。「散る間もだにも」ですと、山桜だけに視線が集中しています。およそ、自然鑑賞の感覚が違います。
注意 ここでは作歌者を紀貫之としていますが、伝本の系統によっては清原深養父の作品とするものがあります。歌の姿からしますと、紀貫之よりも清原深養父かもしれません。

資料編 亭子院女郎花合 (朱雀院女郎花合)

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資料編 亭子院女郎花合 (朱雀院女郎花合)

 紹介する『亭子院女郎花合』とは宇多天皇が退位した翌年となる昌泰元年秋(898)に居を構えた朱雀院で開催された歌会での歌合集です。この『亭子院女郎花合』の「亭子院」とは天皇位から退位した後の宇多上皇又は宇多法皇を意味します。他方、『古今和歌集』では歌合が行われた場所の方を採用して「朱雀院女郎花合」の形で扱われており、都合、八首に「朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける」との詞書が付けられています。
 その昌泰元年秋の歌会のテーマは「をみなえし」ですが、集載する歌には「をみなえし」の花とは別に「をみなえし」と云う文字を織り込んだ歌や各句頭に「を」、「み」、「な」、「え」、「し」と云う文字を順に織り込んだ高度な折句の歌もあります。その歌が披露された歌会では宇多上皇と中宮温子とのお二方がそれぞれ左右の方人の頭(歌合での左右を応援する人々の長)を務めたと伝わっています。
 なお、この『亭子院女郎花合』はインターネット上ではほとんど資料が出回っておらず、非常に資料収集に苦労するものがあります。ここでは「国際日本文化研究センター和歌データベース(日文研)」から引用を行い、それに補足情報を付けています。
 歌の紹介において、次のようなスタイルを取らせて頂きます。
原歌は原則、「国際日本文化研究センター和歌データベース」の表記に従う。
原歌で掛け字と思われる箇所はそれ明記して採用する。
歌人名などは『新編日本古典文学全集 古今和歌集(小学館)』に集載する「亭子院女郎花合」より参照した。
歌番号は「国際日本文化研究センター和歌データベース」のものに従う。
 参考としてインターネットで閲覧できる古写本などとして次のようなものがあります。ただし、これらはすべて歌合十一番二十二首となっていて、五十一首を載せる「日文研」のものと大きく相違しています。
肥前松平文庫「亭子院御時女郎花合」
群書類聚13(和歌部)「朱雀院女郎花合」

 最後に重要なことですが、この資料は正統な教育を受けていないものが行ったものです。特に解釈は弊ブログの自己流であり、「小学館」からの写しではありません。つまり、まともな学問ではありませんから正式な資料調査の予備的なものにしか使えません。この資料を参照や参考とされる場合、その取り扱いには十分に注意をお願い致します。


亭子院女郎花合
一番
左  
歌番号〇一 (五句目 句頭「や」は「掛け字」としています)
原歌 くさかくれ あきすきぬへき をみなへし にほひゆゑにや やまつみえぬらむ
解釈 草かくれ 秋過ぎぬべき 女郎花 匂ひゆゑにや やまづ見えぬらむ
右  
歌番号〇二
原歌 あらかねの つちのしたにて あきへしは けふのうらてを まつをみなへし
解釈 あらがねの 土の下にて 秋経しは 今日の占手を まつ女郎花

二番
左  
歌番号〇三
原歌 あきののを みなへしるとも ささわけに ぬれにしそてや はなとみゆらむ
解釈 秋の野を みなへしるとも 笹わけに 濡れにし袖や 花と見ゆらむ
右  左大臣(藤原時平)
歌番号〇四
原歌 をみなへし あきののかせに うちなひき こころひとつを たれによすらむ
解釈 女郎花 秋の野風に うち靡き 心ひとつを 誰れに寄すらむ

三番
左  
歌番号〇五
原歌 あきことに さきはくれとも をみなへし けふをまつとの なにこそありけれ
解釈 秋ごとに 咲きは来れとも 女郎花 今朝をまつとの なにこそありけれ
右  
歌番号〇六
原歌 さやかにも けさはみえすや をみなへし きりのまかきに たちかくれつつ
解釈 さやかにも 今朝は見えずや 女郎花 霧の真垣に 立ち隠れつつ

四番
左  
歌番号〇七
原歌 しらつゆの おけるあしたの をみなへし はなにもはにも たまそかかれる
解釈 白露の 置ける朝の 女郎花 花にも葉にも 玉ぞかかれる
右  
歌番号〇八
原歌 をみなへし たてるのさとを うちすきて うらみむつゆに ぬれやわたらむ
解釈 女郎花 たてるの里を うち過ぎて うらみむ露に 濡れやわたらむ

五番
左  
歌番号〇九
原歌 あさきりと のへにむれたる をみなへし あきをすくさす いひもとめなむ
解釈 朝霧と 野辺にむれたる 女郎花 秋を過さす いひもとめなむ
右  
歌番号一〇
原歌 あきかせの ふきそめしより をみなへし いろふかくのみ みゆるのへかな
解釈 秋風の 吹きそめしより 女郎花 色深くのみ 見ゆる野辺かな

六番
左  
歌番号一一
原歌 かくをしむ あきにしあはは をみなへし うつろふことは わすれやはせぬ
解釈 かく惜しむ 秋にし遭はば 女郎花 移ろふことは わすれやはせぬ
右  
歌番号一二
原歌 なかきよに たれたのめけむ をみなへし ひとまつむしの えたことになく
解釈 長き夜に 誰れ頼めけむ 女郎花 ひとまつむしの 枝ごとに鳴く

七番
左  壬生忠岑
歌番号一三
原歌 ひとのみる ことやくるしき をみなへし あききりにのみ たちかくるらむ
解釈 人の見る ことやくるしき 女郎花 秋霧にのみ 立ち隠るらむ
右  
歌番号一四
原歌 とりてみは はかなからむや をみなへし そてにつつめる しらつゆのたま
解釈 取りて見は はかなからむや 女郎花 袖につつめる 白露の玉

八番
左  凡河内躬恒
歌番号一五
原歌 をみなへし ふきすきてくる あきかせは めにはみえねと かこそしるけれ
解釈 女郎花 吹き過きて来る 秋風は 目には見えねと 香こぞ知るけれ
右  
歌番号一六
原歌 ひさかたの つきひとをとこ をみなへし あまたあるのへを すきかてにする
解釈 ひさかたの 月人壮士 女郎花 あまたある野辺を すきがてにする

九番
左  藤原興風
歌番号一七
原歌 あきののの つゆにおかるる をみなへし はらふひとなみ ぬれつつやふる
解釈 秋の野の 露に置かるる 女郎花 払ふひとなみ 濡れつつやふる
右  
歌番号一八
原歌 あたなりと なにそたちぬる をみなへし なとあきののに おひそめにけむ
解釈 仇なりと 名にぞ立ちぬる 女郎花 など秋の野に 思ひ染めにけむ

十番
左  
歌番号一九
原歌 をみなへし うつろふあきの ほとをなみ ねさへうつして をしむけふかな
解釈 女郎花 移ろふ秋の 程をなみ ねさへ移して 惜しむ今日かな
右  
歌番号二〇
原歌 うつらすは ふゆともわかし をみなへし ときはのえたに さきかへるらむ
解釈 移らすは 冬ともわかし 女郎花 常盤の枝に 咲きかへるらむ

十一番
左  御製(宇多上皇)
歌番号二一
原歌 をみなへし このあきまてそ まさるへき つよをもぬきて たまにまとはせ
解釈 女郎花 この秋までぞ 勝るべき 勁(つよ)をも貫きて 玉に纏はせ
右  后宮(中宮温子)
歌番号二二
原歌 きみにより のへをはなれし をみなへし おなしこころに あきをととめよ
解釈 君により 野辺をはなれし 女郎花 おなじ心に 秋をとどめよ


 これ以下の歌は伝本によっては集載がありません。インターネットで参照が容易な次のものは歌合十一番二十二首までです。
群書類聚13(和歌部):「朱雀院女郎花合」
肥前松平文庫「亭子院御時女郎花合」

 以下の歌は、十巻本歌合(尊経閣文庫所蔵本)では歌合ではない歌として扱われています。

これは合せぬ歌ども
「をみなえし」という言を句の上下にてよめる

歌番号二三 (各句の頭の文字が「を」、「む」、「な」、「て」、「し」です)
原歌 をるはなを むなしくなさむ なををしな てふにもなして しひやとめまし
解釈 折る花を 虚しくなさむ 名を惜しな 今日にもなして 強ひや止めまし

歌番号二四 (各句の頭の文字が「を」、「む」、「な」、「て」、「し」です)
原歌 をるひとを みなうらめしみ なけくかな てるひにあてて しもにおかせし
解釈 折る人を みな恨めしみ 嘆くかな 照る日にあてて 霜に置かせし

歌番号二五 (初句の四字は欠字、各句の頭の文字が「を」、「む」、「な」、「て」、「し」です)
原歌 をXXXX むつれなつれむ なそもあやな てにとりつみて しはしかくさし
解釈 をXXXX 睦れな連れむ なぞもあやな 手に取り摘みて しばし隠さじ


これは上のかぎりにすゑたる

歌番号二六 (各句の頭の文字が「を」、「む」、「な」、「へ」、「し」です)
原歌 をののえは みなくちにけり なにもせて へしほとをたに しらすさりける
解釈 小野の江は 水口にけり なにもせで 経しほどをだに 知らずざりける

歌番号二七 (各句の頭の文字が「を」、「む」、「な」、「へ」、「し」です)
原歌 をせきやま みちふみまかひ なかそらに へむやそのあきの しらぬやまへに
解釈 をせき山 路踏みまがひ なか空に 経むやその秋の 知らぬ山辺に

歌番号二八 (各句の頭の文字が「を」、「み」、「な」、「て」、「し」です)
原歌 をりもちて みしはなゆゑに なこりなく てまさへまかひ しみつきにけり
解釈 折り持ちて 見し花ゆゑに なごりなく てまさへまがひ しみつきにけり


これは、その日、みな人々によませ給ふ

歌番号二九  源連(つらなり)
原歌 わかやとを みなへしひとの すきゆかは あきのくさはは しくれさらまし
解釈 我が宿を 見なへし人の すきゆかば 秋の草葉は 時雨ざらまし

歌番号三〇  源宗于
原歌 をしめとも えたにとまらぬ もみちはを みなへしおきて あきののちみむ
解釈 惜しめども 枝に留まらぬ 黄葉を みなへし置きて 秋ののち見む

歌番号三一  のちかた
原歌 いまよりは なてておほさむ をみなへし ときあるあきに あふとおもへは
解釈 今よりは なてておほさむ 女郎花 ときある秋に 逢ふと思へば

歌番号三二  源漑(すすく)
原歌 あききりに ゆくへやまとふ をみなへし はかなくのへに ひとりほのめく
解釈 秋霧に ゆくへ山とふ 女郎花 はかなく野辺に ひとりほのめく

歌番号三三  もとより
原歌 たつたやま あきをみなへし すくさねは おくるぬさこそ もみちなりけれ
解釈 龍田山 秋女郎花 すぐさねば おくる幣こそ 黄葉なりけれ

歌番号三四  藤原好風
原歌 あききりを みなへしなひく ふくかせを このひともとに はなはちるらし
解釈 秋霧を みなへし靡く 吹く風を このひともとに 花は散るらし

歌番号三五  やすき
原歌 をみなへし あきののをわけ をりつれは やとあれぬとて まつむしそなく
解釈 女郎花 秋の野を分け 居りつれば 宿あれぬとて まつ蟲ぞなく

歌番号三六  あまね
原歌 むしのねに なきまとはせる をみなへし をれはたもとに きりのこりゐる
解釈 蟲の音に 鳴きまとはせる 女郎花 折れば袂に 霧のこりゐる

歌番号三七  平稀世
原歌 なにしおへは あはれとおもふを をみなへし たれをうしとか またきうつろふ
解釈 名にしおへば あはれと思ふを 女郎花 誰れを憂しとか またき移ろふ

歌番号三八  もとゆき
原歌 ちるはなを みなへしはなの あはかせの ふかむことをは くるしからしな
解釈 散る花を 見なへし花の 遭は風の 吹かむことをば 苦しからしな

歌番号三九
原歌 ときのまも あきのいろをや をみなへし なかきあたなに いはれはてなむ
解釈 ときの間も 秋の色をや 女郎花 長きあだ名に いはれ果てなむ

歌番号四〇
原歌 あきののの くさをみなへし しらぬみは はなのなにこそ おとろかれぬれ
解釈 秋の野の 草女郎花 しらぬ身は 花の名にこそ 驚かれぬれ

歌番号四一 (各句の頭の文字が「を」、「み」、「な」、「へ」、「し」です)
原歌 をとこやま みねふみわけて なくしかは へしとやおもふ しひてあきには
解釈 をとこ山 峰踏み分けて 鳴く鹿は 経しとや思ふ しひて秋には

歌番号四二 (各句の頭の文字が「を」、「み」、「な」、「へ」、「し」です)
原歌 をくらやま みねのもみちは なにをいとに へてかおりけむ しるやしらすや
解釈 をぐら山 峰の黄葉は なにを糸に 経てか織りけむ 知るや知らすや

歌番号四三
原歌 ありへても くちしはてねは をみなへし ひとさかりゆく あきもありけり
解釈 ありへても 朽ちしはてねば 女郎花 ひとさかりゆく 秋もありけり

歌番号四四
原歌 おほよそに なへてをらるな をみなへし のちうきものそ ひとのこころは
解釈 おほよそに なべて折らるな 女郎花 のち憂きものぞ 人の心は

歌番号四五
原歌 をみなへし やまののくさと ふりしかと さかゆくときも ありけむものを
解釈 女郎花 山の野草さと ふりしかど 栄ゆくときも ありけむものを

歌番号四六
原歌 をみなへし さけるやまへの あきかせは ふくゆふかけを たれかかたらむ
解釈 女郎花 咲ける山辺の 秋風は 吹く夕影を 誰か語らむ

歌番号四七
原歌 をみなへし なとかあきしも にほふらむ はなのこころを ひともしれとか
解釈 女郎花 などか秋しも 匂ふらむ 花の心を 人も知れとか

歌番号四八
原歌 てをとらは ひとやとかめむ をみなへし にほへるのへに やとやからまし
解釈 手を取らば 人やとがめむ 女郎花 匂へる野辺に 宿や借らまし

歌番号四九
原歌 やほとめの そてかとそみる をみなへし きみをいはひて なてはしめてき
解釈 八少女の 袖かとぞ見る 女郎花 君を祝ひて なではじめてき

歌番号五〇
原歌 うゑなから かつはたのます をみなへし うつろふあきの ほとしなけれは
解釈 植ゑながら かつは頼ます 女郎花 移ろふ秋の ほどしなければ

歌番号五一  伊勢
原歌 のへことに たちかくれつつ をみなへし ふくあきかせの みえすもあらなむ
解釈 野辺ごとに 立ち隠れつつ 女郎花 吹く秋風の 見えずもあらなむ

 以上、紹介をしました。


補足資料:『古今和歌集』に載る亭子院女郎花合(朱雀院女郎花合)の歌八首
 『古今和歌集』では「朱雀院女郎花合」の名称の詞書を与えた上で歌を採歌しています。およそ、『古今和歌集』では朱雀院女郎花合から採歌したことになっていますが、群書類聚13(和歌部)「朱雀院女郎花合」や肥前松平文庫「亭子院御時女郎花合」を参照しますと、同じ歌を載せた歌合集です。そうした時、『古今和歌集』に載る亭子院女郎花合(朱雀院女郎花合)の歌八首を確認しますと、八首中三首だけが『亭子院女郎花合』に確認できるだけです。従いまして、残り五首の状況からしますと伝存する『亭子院女郎花合』と紀貫之の時代のものとでは相違している可能性があります。


古今歌番号二三〇  左大臣(藤原時平)
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 をみなへし あきののかせに うちなひき こころひとつを たれによすらむ
解釈 女郎花 秋の野風に うちなびき 心ひとつを 誰によすらむ

二  (この歌、亭子院女郎花合に無し)
古今歌番号二三一  藤原定方
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 あきならて あふことかたき をみなへし あまのかはらに おひぬものゆゑ
解釈 秋ならで あふことかたき 女郎花 天の河原に おひぬものゆゑ

三  (この歌、亭子院女郎花合に無し)
古今歌番号二三二  紀貫之
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 たかあきに あらぬものゆゑ をみなへし なそいろにいてて またきうつろふ
解釈 たが秋に あらぬものゆゑ 女郎花 なぞ色にいでて まだきうつろふ

四  (この歌、亭子院女郎花合に無し)
古今歌番号二三三  凡河内躬恒
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 つまこふる しかそなくなる をみなへし おのかすむのの はなとしらすや
解釈 つま恋ふる 鹿ぞ鳴くなる 女郎花 おのがすむ野の 花と知らずや


古今歌番号二三四  凡河内躬恒
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 をみなへし ふきすきてくる あきかせは めにはみへねと かこそしるけれ
解釈 女郎花 吹きすぎてくる 秋風は 目には見へねど 香こそしるけれ


古今歌番号二三五  壬生忠岑
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 ひとのみる ことやくるしき をみなへし あききりにのみ たちかくるらむ
解釈 人の見る ことやくるしき 女郎花 秋霧にのみ 立ち隠るらむ

七  (この歌、亭子院女郎花合に無し)
古今歌番号二三六  壬生忠岑
詞書 朱雀院の女郎花あはせによみてたてまつりける
原歌 ひとりのみ なかむるよりは をみなへし わかすむやとに うゑてみましを
解釈 ひとりのみ ながむるよりは 女郎花 我が住む宿に 植ゑて見ましを

八  (この歌、亭子院女郎花合に無し)
古今歌番号四三九  紀貫之
詞書 朱雀院の女郎花あはせの時に、女郎花といふ五文字を句のかしらにおきてよめる
原歌 をくらやま みねたちならし なくしかの へにけむあきを しるひとそなき
解釈 をぐら山 峰たちならし 鳴く鹿の へにけむ秋を 知る人ぞなき

今日の古今 みそひと歌 水

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今日の古今 みそひと歌 水

心地そこなひてわづらひける時に、風に当らじとて下しこめてのみはべりける間に、折れる桜の散り方になれりけるを見てよめる 藤原因香朝臣
歌番八〇 
原歌 たれこめてはるのゆくへもしらぬまにまちしさくらもうつろひにけり
標準 たれこめて春のゆくへもしらぬまにまちし桜もうつろひにけり
解釈 「垂れ籠めて春の行方も知らぬ間に待ちし桜も移ろひにけり」のままです。なお、「たれこめて」は一般に「垂れ籠めて」と解釈しますが、それは古語では「誰、込めて=誰が差し入れたのか」とも解釈が可能な言葉です。その「誰、込めて」ですと、床に臥せって知らぬ間にある男からの病気見舞いがなされたことになります。その時、艶な背景と数日間ですが時間の流れがある歌となります。
注意 藤原因香は清和・宇多・醍醐天皇に仕えた宮中典侍を務めた女性です。その女性が病気で部屋に引き籠っているときに詠った歌です。それで歌の初句が「(御簾を)たれこめて=垂れ籠めて」です。


今日の古今 みそひと歌 木

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今日の古今 みそひと歌 木

東宮雅院にて桜の花の御溝水に散ちりて流れけるを見てよめる 菅野高世
歌番八一 
原歌 えたよりもあたにちりにしはななれはおちてもみつのあわとこそなれ
標準 枝よりもあだにちりにし花なればおちても水のあわとこそなれ
解釈 「枝よりもあだに散りにし花なれば落ちても水の泡とこそなれ」のままです。万葉調ですと、初句は「枝しより」となるのですが、そこが古今調で初句と四句に「も」を、三句と五句に「こそ」を取り、語調よりもリズムを持たしたとします。「みつのあわ」の感覚からははらはらと舞い散る桜花のようで、風に乗る花吹雪ではないようです。
注意 御溝水(みかはみつ)は大内裏の内に流れる水路を意味します。景色には東宮雅院に流れる石積の水路があります。

今日の古今 みそひと歌 金

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今日の古今 みそひと歌 金

桜の花の散りけるをよみける 貫之
歌番八二 
原歌 ことならはさかすやはあらぬさくらはなみるわれさへにしつこころなし
標準 ごとならばさかずやはあらぬさくら花見る我さへにしづ心なし
解釈 「此如(ごと)ならば咲かずやはあらぬ桜花、見る我さへに静心なし」のままです。初句の「ことならは」は一般には「此如(ごと)ならば」と解釈することになっていて、「異(こと)」や「事(こと)」とは解釈しません。満開の桜花の散り行くさまを「此如」の言葉で示します。なお、初句の「ことならはさかすやはあらぬ」は伝統を気にしなければ「此如ならば、探すやは、有らぬ」とも解釈が出来ます。夜来の花散らしの風雨で満開の桜花がすっかり散ってしまって、探しても、もう、見つからないという解釈です。桜の花は散るのが惜しく、その季節になるとそわそわすると解釈するか、分別のついた私でも目の前から急に桜の花が無くなるとがっかりすると解釈するかの違いがあります。まぁ、歌番五三の在原業平が詠う「世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし」に引き摺られなければ、別な鑑賞にも目が行くのではないでしょうか。

資料編 是貞親王家歌合(仁和二宮歌合)(原文、解釈付)

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資料編 是貞親王家歌合(仁和二宮歌合)(原文、解釈付)

 紹介する『是貞親王家歌合』は、「宇多天皇が『新撰万葉集』を編纂するに先立って、親王に託してその元となる『是貞親王家歌合』の撰定を行っている」と紹介されるように親王の側近で形成する歌人たちが秀歌を集めてその優劣を比べた「撰歌合」と推定される歌合集です。後年のように歌会を開き左右に分かれて歌を合せたものではなかったと思われます。そうしたとき、『新撰万葉集』の成立が寛平五年(893)秋であり、『是貞親王家歌合』に載る歌が『新撰万葉集』に採用されているという関係から、この歌合集の成立はそれ以前と見なされています。おおよそ、歌合集の歌のテーマは秋であり、是貞親王の「親王」の尊称から臣籍降下から親王に復帰した寛平三年以降の秋の時期と推定されますから、寛平三年または四年の秋と考えて良いのではないでしょうか。
 弊ブログでは先に『新撰万葉集』に関係するとして『寛平御時后宮歌合』を『万葉集』を鑑賞するときの参考資料として紹介しました。ここではさらに『新撰万葉集』に関係するであろうと推定されているこの『是貞親王家歌合』を資料として紹介します。
 なお、『是貞親王家歌合』はインターネット上ではほとんど資料が出回っておらず、非常に資料収集に苦労するものがあります。ここでは「国際日本文化研究センター和歌データベース」から引用を行い、それに補足情報を付けています。
 ここで、歌の紹介において、次のような約束を取らせて頂きます。
1.『是貞親王家歌合』に載る歌と補足資料として紹介する歌集での歌が同じ場合はその歌集名を紹介します。
2.歌に異同がある場合は、『是貞親王家歌合』に載る歌の後に歌集名とその歌集に載る異同歌を紹介します。
3.歌番号は国際日本文化研究センター和歌データベースのものに従います。
4.比較参照として『新編国歌大観第五巻(角川書店)』(「角川」)を使います。
5.原歌は清音ひらがな表記とします。
6.読み易さの補助として漢字交じり平仮名への解釈を紹介します。

 最後に重要なことですが、この資料は正統な教育を受けていないものが行ったものです。特に解釈は弊ブログの自己流であり、なんらかの信頼がおけるものからの写しではありません。つまり、まともな学問ではありませんから正式な資料調査の予備的なものにしか使えません。この資料を参照や参考とされる場合、その取り扱いには十分に注意をお願い致します。


是貞親王家歌合

一番
左  壬生忠岑 
歌番〇一 新撰万葉集収載歌
原歌 やまたもる あきのかりほに おくつゆは いなおほせとりの なみたなりけり
解釈 山田守る 秋の刈り穂に 置く露は いなおほせ鳥の 涙なりけり
右  
歌番〇二 
原歌 たつたひめ いかなるかみに あれはかは やまをちくさに あきはそむらむ
解釈 龍田姫 いかなる神に あればかは 山を千種に 秋は染むらむ


二十巻本歌合巻を参照する「角川」によると、左右歌合の記録は最初の一番だけです。ただし、題詞には「是貞親王家歌合 卅五番」とありますので、以下、推定の番組を紹介します。しかしながら、あくまでも個人の推定です。

二番  
左  読み人知れず (一説に壬生忠岑の作と云う)
歌番〇三 
原歌 はまちとり あきとしなれは あさきりに かたまとはして なかぬひそなき
解釈 浜千鳥 秋としなれば 朝霧に かた間とばして 鳴かぬ日ぞなき
右  
歌番〇四
原歌 あきくれは みやまさとこそ わひしけれ よるはほたるを ともしひにして
解釈 秋来れば み山里こそ わびしけれ 夜はほたるを ともしびにして

三番
左  
歌番〇五
原歌 おとはやま あきとしなれは からにしき かけたることも みゆるもみちは
解釈 おとは山 秋としなれば 唐錦 掛けたることも 見ゆるもみぢ葉
右  
歌番〇六
原歌 をみなへし なにのこころに なけれとも あきはさくへき こともゆゆしく
解釈 女郎花 なにの心に なけれども 秋は咲べき こともゆゆしく

四番
左  
歌番〇七
原歌 あさことに やまにたちまふ あさきりは もみちみせしと をしむなりけり
解釈 朝ごとに 山にたちまふ 朝霧は もみぢ見せじと 惜しむなりけり
右  
歌番〇八 読み人知れず 忠岑集収載歌および後撰和歌集収載歌
原歌 あきのよは ひとをしつめて つれつれと かきなすことの ねにそたてつる
解釈 秋の夜は 人をしづめて 徒然と かきなすことの 音にぞ立てつる

五番
左  
歌番〇九
原歌 ひさかたの あまてるつきの にこりなく きみかみよをは ともにとそおもふ
解釈 ひさかたの 天照る月の にごりなく 君が御世をば 共にとぞ思ふ
右  
歌番一〇
原歌 よひよひに あきのくさはに おくつゆの たまにぬかむと とれはきえつつ
解釈 宵々に 秋の草葉に 置く露の 玉に貫かむと 取れば消えつつ

六番
左  
歌番一一
原歌 しくれふる あきのやまへを ゆくときは こころにもあらぬ そてそひちける
解釈 時雨降る 秋の山辺を 行くときは 心にもあらぬ 袖ぞ濡ちける
右  
歌番一二
原歌 としことに いかなるつゆの おけはかも あきのやまへの いろこかるらむ
解釈 年ごとに いかなる露の 置けばかも 秋の山辺の 色濃かるらむ

七番
左  
歌番一三 後撰和歌集収載歌、ただし、詞書は無し
原歌 たつたかは あきはみつなく あせななむ あかぬもみちの なかるれはをし
解釈 龍田川 秋は水なく あせななむ あかぬもみぢの 流るれば惜し
右  
歌番一四
原歌 いなつまは あるかなきかに みゆれとも あきのたのみは ほにそいてける
解釈 いなづまは あるかなきかに 見ゆれども 秋の頼みは 穂にぞ出でける

八番
左  
歌番一五
原歌 あまのはら やとかすひとの なけれはや あきくるかりの ねをはなくらむ
解釈 天の原 宿貸す人の なければや 秋来る雁の 音をばなくらむ
右  
歌番一六
原歌 としことに あきくることの うれしきは かりにつけても きみやとふとそ
解釈 年ごとに 秋来ることの うれしきは 雁につけても 君や問ふとそ

九番
左  
歌番一七
原歌 ひくらしの なくあきやまを こえくれは ことそともなく ものそかなしき
解釈 ひぐらしの 鳴く秋山を 越え来れば ことそとも鳴く ものぞかなしき
右  
歌番一八
原歌 あきののと なりそしにける くさむらの みるひことにも まさるつゆかな
解釈 秋の野と なりそしにける 草むらの 見る日ごとにも まさる露かな

十番
左  壬生忠岑
歌番一九 古今和歌集収載歌
原歌 あめふれは かさとりやまの もみちはは ゆきかふひとの そてさへそてる
解釈 雨降れば かさとり山の もみぢ葉は 行きかふ人の 袖さへそてる
右  
歌番二〇
原歌 くりかへし わかみをわけて なみたこそ あきのしくれに おとらさりけれ
解釈 くりかへし 我が身をわけて 涙こそ 秋の時雨に おどらさりけれ

十一番
左  
歌番二一
原歌 さをしかの しからみふする あきはきは たまなすつゆそ つつみたりける
解釈 さ牡鹿の しがらみ臥する 秋萩は 玉なす露ぞ つつみたりける
右  壬生忠岑
歌番二二 古今和歌集収載歌
原歌 かみなひの みむろのやまを わけゆけは にしきたちきる ここちこそすれ
解釈 神名備の 御室の山を 分け行けは 錦断ち切る ここちこそすれ

十二番
左  
歌番二三
原歌 わひひとの としふるさとは あきののの むしのやとりの なるそわひしき
解釈 わび人の としふる里は 秋の野の 蟲の宿りの なるぞわびしき
右  壬生忠岑
歌番二四 古今和歌集収載歌
原歌 あきのよの つゆをはつゆと おきなから かりのなみたや のへをそむらむ
解釈 秋の夜の 露をばつゆと 置きながら 雁の涙や 野辺を染むらむ

十三番
左  
歌番二五
原歌 あきのよに ひとまつことの わひしきは むしさへともに なけはなりけり
解釈 秋の夜 人待つことの わびしきは 蟲さへともに 鳴けばなりけり
右  
歌番二六
原歌 ちりまかふ あきのもみちを みることに そてにしくれの ふらぬひはなし
解釈 散まがふ 秋のもみぢを 見るごとに 袖に時雨の 降らぬ日はなし

十四番
左  
歌番二七
原歌 あさきりに かたまとはして なくかりの こゑそたえせぬ あきのやまへは
解釈 朝霧に かた間とばして 鳴く雁の 声ぞ絶えせぬ 秋の山辺は
右  壬生忠岑
歌番二八 忠岑集および古今和歌集収載歌
原歌 やまさとは あきこそことに かなしけれ しかのなくねに めをさましつつ
解釈 山里は 秋こそことに かなしけれ 鹿の鳴く音に 目をさましつつ

十五番
左  
歌番二九
原歌 おまさとは あきこそものは かなしけれ ねさめねさめに しかはなきつつ
解釈 おま里は 秋こそものは かなしけれ 寝ざめ寝ざに 鹿は鳴きつつ
右  
歌番三〇
原歌 ことのねを かせのしらへに まかせては たつたひめこそ あきはひくらし
解釈 ことの音を 風のしらべに まかせては 龍田姫こそ 秋はひぐらし
異同 後撰和歌集
原歌 まつのねに かせのしらへを まかせては たつたひめこそ あきはひくらし.
解釈 松の根に 風のしらべを まかせては 龍田姫こそ 秋はひぐらし

十六番
左  
歌番三一
原歌 しらつゆの おきしくのへを みることに あはれはあきそ かすまさりける
解釈 白露の 置きしく野辺を 見るごとに あはれは秋ぞ 数まさりける
右  
歌番三二
原歌 あきかせの うちふくからに はなもはも みたれてもちる のへのくさきか
解釈 秋風の 打ち吹くからに 花も葉も 乱れても散る 野辺の草木か

十七番
左  源宗于(古今では、詠み人知れずの扱い)
歌番三三 古今和歌集収載歌
原歌 あきくれは むしとともにそ なかれぬる ひともくさはも かれぬとおもへは
解釈 秋来れは 蟲とともにぞ なかれぬる 人も草葉も 枯れぬと思へば
右  
歌番三四 読み人知れず
原歌 からにしき みたれるのへと みえつるは あきのこのはの ふるにさりける
解釈 唐錦 乱れる野辺と 見えつるは 秋の木の葉の 降るにざりける

十八番
左  
歌番三五
原歌 よもきふに つゆのおきしく あきのよは ひとりぬるみも そてそぬれける
解釈 蓬生に 露の置きしく 秋の夜は ひとり寝る身も 袖ぞ濡れける
右  
歌番三六 読み人知れず
原歌 あしひきの やまへによする しらなみは くれなゐふかく あきそみえける
解釈 あしひきの 山辺に寄する 白波は 紅深く 秋ぞ見えける

十九番
左  紀貫之
歌番三七 新撰万葉集収載歌
原歌 なにしおはは しひてたのまむ をみなへし ひとのこころの あきはうくとも
解釈 名にし負はば しひて頼まむ 女郎花 人の心の あきは憂くとも
異同歌 後撰和歌集
原歌 名にし負へば しひて頼まむ 女郎花 花の心の あきは憂くとも

歌番三八 読み人知れず
原歌 あきのよを ひとりねたらむ あまのかは ふちせたとらす いさわたりなむ
解釈 秋の夜を ひとり寝たらむ 天の川 淵瀬たどらす いざ渡りなむ

二十番
左  
歌番三九
原歌 むらさきの ねさへいろこき くさなれや あきのことこと のへをそむらむ
解釈 むらさきの 根さへ色濃き 草なれや 秋のことごと 野辺を染むらむ
右  
歌番四〇
原歌 あきのよに ひとをみまくの ほしけれは あまのかはらを たちもならすか
解釈 秋の夜に 人を見まくの 欲しければ 天の川原を たちもならすか

二一番
左  
歌番四一 
原歌 あきのよに たれをまつとか ひくらしの ゆふくれことに なきまさるらむ
解釈 秋の夜に 誰れを待つとか ひぐらしの 夕暮れごとに 鳴きまさるらむ
右  紀貫之
歌番四二 後撰和歌集収載歌、ただし、「是貞親王家歌合」の詞書は無し
原歌 あきかせの ふきくるよひは きりきりす くさのねことに こゑみたれけり
解釈 秋風の 吹き来る宵は きりぎりす 草の根ごとに 声見たれけり

 
 次の歌番四三は歌番四四とは合わないため、個人の判断で独立とした。

歌  紀貫之
歌番四三 
原歌 あきのよに かりかもなきて わたるなる わかおもふひとの ことつてやせる
解釈 秋の夜に 雁鴨鳴きて 渡るなる 我が思ふ人の 言づてやせる
異同歌 後撰和歌集
原歌 あきのよに かりかもなきて わたるなり わかおもふひとの ことつてやせし
解釈 秋の夜に 雁鴨鳴きて 渡るなり 我が思ふ人の 言づてやせし


二二番
左  
歌番四四
原歌 おくつゆに くちゆくのへの くさのはや あきのほたると なりわたるらむ
解釈 置く露に 朽ち行く野辺の 草の葉や 秋のほたると なり渡るらむ
右  
歌番四五
原歌 あきかせに すむよもきふの かれゆけは こゑのことこと むしそなくなる
解釈 秋風に すむよも今日の 枯れ行けは 声のことごと 蟲ぞ鳴くなる

二三番
左  読み人知れず(ただし、友則集に載る)
歌番四六 友則集及び後撰和歌集収載歌(後撰では讀人志らず)
原歌 みることに あきにもあるか たつたひめ もみちそむとや やまはきるらむ
解釈 見るごとに 秋にもあるか 龍田姫 黄葉嫉むとや 山は着るらむ
右  
歌番四七
原歌 ひとしれぬ なみたやそらに くもりつつ あきのしくれと ふりまさるらむ
解釈 人知れぬ 涙やそらに 曇りつつ 秋の時雨と 降りまさるらむ

二四番
左  
歌番四八 古今和歌集収載歌
原歌 あきくれは やまとよむまて なくしかに われおとらめや ひとりぬるよは
解釈 秋来くれば 山響むまで 鳴く鹿に 我れおとらめや ひとり寝る夜は
右  
歌番四九
原歌 かりのみと あはのそらなる なみたこそ あきのたもとの つゆとおくらめ
解釈 雁のみと あはの空なる 涙こそ 秋の袂の 露と置くらめ

二五番
左  
歌番五〇
原歌 やまかはの たきつせしはし よとまなむ あきのもみちの いろとめてみむ
解釈 山川の たぎつ瀬しはし 淀まなむ 秋の黄葉の 色とめて見む
右  
歌番五一 後撰和歌集収載歌、ただし、詞書は無し
原歌 しらたまの あきのこのはに やとれると みつるはつゆの はかるなりけり
解釈 白玉の 秋の木の葉に 宿れると みつるは露の ばかるなりけり

二六番
左  
歌番五二
原歌 ゆきかへり ここもかしこも かりなれや あきくることに ねをはなくらむ
解釈 行きかへり ここもかしこも 雁なれや 秋来るごとに 音をは鳴くらむ
異同歌 後撰和歌集
原歌 ゆきかへり ここもかしこも たひなれや くるあきことに かりかりとなく
解釈 行きかへり ここもかしこも 旅なれや 来る秋ごとに かりかりと鳴く
右  
歌番五三
原歌 あきのよに かりとなくねを きくときは わかみのうへと おもひこそすれ
解釈 秋の夜に かりと鳴く音を 聞くときは 我が身のうへと 思ひこそすれ

二七番
左  
歌番五四
原歌 いまよりは いさまつかけに たちよらむ あきのもみちは かせさそひけり
解釈 今よりは いざまつ影に たちよらむ 秋のもみぢ葉 風さそひけり
右  
歌番五五 後撰和歌集収載歌、ただし、詞書は無し
原歌 あきのよの つきのひかりは きよけれと ひとのこころの くまはてらさす
解釈 秋の夜の 月のひかりは 清よけれど 人の心の 隅は照らさず

二八番
左  
歌番五六  末句、五文字欠字
原歌 ゆふたすき かけてのみこそ こひしけれ あきとしなれは ひとххххх
解釈 夕たすき かけてのみこそ 恋ひしけれ 秋としなれば ひとххххх
右  
歌番五七
原歌 いりひさす やまとそみゆる もみちはの あきのことこと てらすなりけり
解釈 入日さす 山とぞ見ゆる もみぢ葉の 秋のことごと 照らすなりけり

二九番
左  壬生忠岑
歌番五八 古今和歌集収載歌
原歌 ひさかたの つきのかつらも あきはなほ もみちすれはや てりまさるらむ
解釈 ひさかたの月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ
右  
歌番五九 後撰和歌集収載歌、ただし、詞書は無し
原歌 あきはきの えたもとををに なりゆくは しらつゆおもく おけはなりけり
解釈 秋萩の 枝もとををに なりゆくは 白露おもく 置けばなりけり

三〇番
左  
歌番六〇
原歌 ひとりしも あきにはあはなくに よのなかの かなしきことを もてなやむらむ
解釈 ひとりしも 秋には遭はなくに 世の中の かなしきことを もてなやむらむ
右  
歌番六一  
原歌 あきかせに なみやたつらむ あまのかは すくるまもなく つきのなかるる
解釈 秋風に 波や立つらむ 天の川 過ぐる間もなく 月の流るる
異同歌 新撰万葉集
原歌 あきかせに なみやたつらむ あまのかは わたるまもなく つきのなかるる
解釈 秋風に 波や立つらむ 天の川 渡る間もなく 月の流るる
異同歌 後撰和歌集
原歌 あきかせに なみやたつらむ あまのかは わたるせもなく つきのなかるる
解釈 秋風に 波や立つらむ 天の川 渡るる瀬もなく 月の流るる

三一番
左  大江千里
歌番六二 古今和歌集収載歌
原歌 つきみれは ちちにものこそ かなしけれ わかみひとつの あきにはあらねと
解釈 月見れば 千ぢにものこそ かなしけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねと
右  
歌番六三 
原歌 ゆめののち むなしきとこは あらしかし あきのもなかも こひしかりけり
解釈 夢ののち むなしき床は あらしかし 秋のもなかも 恋ひしかりけり

三二番
左  
歌番六四 
原歌 もみちはの たまれるかりの なみたには あきのつきこそ かけやとしけれ
解釈 もみちはの たまれるかりの なみたには あきのつきこそ かけやとしけれ
異同歌 後撰和歌集
原歌 もみちはに たまれるかりの なみたには つきのかけこそ うつるへらなれ
解釈 もみちはに たまれるかりの なみたには つきのかけこそ うつるへらなれ
右  
歌番六五 
原歌 あきくとも みとりのかへて あらませは ちらすそあらまし もみちならねと
解釈 秋来とも 緑のかへで あらませは 散らすそあらまし もみぢならねと

三三番
左  
歌番六六 
原歌 しつはたに こひはすれとも こぬひとを まつむしのねそ あきはかなしき
解釈 倭文幡に 恋ひはすれとも 来ぬ人を まつ蟲の音ぞ 秋はかなしき
右  
歌番六七 
原歌 あきのむし なとわひしけに こゑのする たのめしかけに つゆやもりくる
解釈 秋の蟲 などわびしげに 声のする たのめしかけに 露やもりくる
異同歌 新撰万葉集
原歌 あきのむし なにわひしらに こゑのする たのみしかけに つゆやもりゆく
解釈 秋の蟲 なにわびしらに 声のする たのみしかけに 露やもりゆく

三四番
左  
歌番六八 
原歌 もみちはの なかれてゆけは やまかはの あさきせたにも あきはふかみぬ
解釈 もみぢ葉の 流れて行けば 山川の あさき瀬田にも 秋は深かみぬ
右  
歌番六九 
原歌 もみちはの なかるるあきは かはことに にしきあらふと ひとはみるらむ
解釈 もみぢ葉の 流るる秋は 川ごとに 錦洗ふと 人は見るらむ
異同歌 後撰和歌集
原歌 もみちはの なかるるあきは かはことに にしきあらふと ひとやみるらむ
解釈 もみぢ葉の 流るる秋は 川ごとに 錦洗ふと 人や見るらむ

三五番
左  
歌番七〇 
原歌 ひしくれは よるもめかれし きくのはな あきすきぬれは あふへきものか
解釈 ひしくれは 夜もめかれし 菊の花 あきすきぬれは あふべきものか
右  紀友則
歌番七一 古今和歌集収載歌
原歌 つゆなから をりてかささむ きくのはな おいせぬあきの ひさしかるへく 
解釈 露ながら 折りてかざさむ 菊の花 老いせぬ秋の ひさしかるべく

 以上、紹介をいたしました。

 ここで『是貞親王家歌合』の編纂時期の推定では、この『是貞親王家歌合』の収載和歌が『新撰万葉集』に載るものと数首ほど共通点があるために、『新撰万葉集』成立以前となる寛平五年(八九三)九月以前に編纂されたのではないかと推定されています。しかしながらその確証はありません。あくまで、『新撰万葉集』の編纂時に『是貞親王家歌合』に載る歌、数首ほどを選定したであろうとの推定です。ただし、『寛平御時后宮歌合』から選定したと思われる歌数と比べまして圧倒的に少歌数ですので、その確証はありません。偶然と云う可能性も否定できません。
 さらに本来の歌合の歌集ですとその表記スタイルは左右に各一首の二首一組になると思われますが、この『是貞親王家歌合』はそのような形式ではありません。また、『古今和歌集』の標題に「これさだのみこの家の歌合せのうた」と案内する二十三首の歌がすべて『是貞親王家歌合』に載せられているわけでもありません。『古今和歌集』では「これさだのみこの家の歌合せのうた」と紹介しますから、「是貞親王の主催で複数回ほど開催された歌合での歌」と云う意味合いかもしれませんし、逆に伝本である『是貞親王家歌合』が本来の姿を留めていないのかもしれません。
 そうした時、作品名では『是貞親王家歌合』とありますが、この歌合は初期の歌合本である「寛平御時菊合」や「亭子院女郎花歌合」などにみられる十二番歌合のような形式で、歌会で歌人たちが左右に分かれ、それぞれが決められたテーマに合わせて寄せた歌を競い合うようなものではなかったようです。漢語通りに、あるテーマに沿った歌を集め、合わせた歌集です。この歌合のテーマは「秋」ですが、載せられる歌は初秋の「萩花」や「七夕」から晩秋の「落葉」までを詠います。およそ、旧暦七月初頭から九月月末に渡る長い季節の移ろいがあります。なお、「亭子院女郎花歌合」では歌合の宴の前に講師に寄せて左右に合わせた歌と、歌合の宴の当日に詠まれた歌とを明確に区分しています。従いまして、歌が、いつ、詠われたのかを推定することは非常に困難です。
 もう一つ、この『是貞親王家歌合』に載る歌はほとんどが無名歌人の歌か、身分の低い者たちのものです。推定でそのような人たちは是貞親王とは同席もできませんし、内庭の土間にも入れるかどうかも判断に困るような人たちです。穿って、その時代の秀歌を是貞親王とその御付の人たちが集め、選んだのかもしれません。そのような意味合いでの「歌合」かもしれません。
 確認しますが、壬生忠岑は有名歌人ですが身分は地下人ですし、この当時、紀貫之もまだ微官です。貫之は『古今和歌集』を奉呈したとされる延喜五年(九〇五)の段階でも官位不詳の御書所預と云う身分ですし、同じく壬生忠岑は右衛門府生と云う無官位の雑人の身分で書生と云う職務です。話題としています『是貞親王家歌合』の選定の時代はそれよりさらに前の時代です。

 最後に『是貞親王家歌合』と深く関係する『古今和歌集』と『後撰和歌集』に「是貞親王家歌合の歌」との標題を持って載せられている歌を紹介します。不思議に『是貞親王家歌合』に載る歌とそれらは一致しません。何かがあるのでしょうが、その何かは謎のままです。


補注一:古今和歌集に載る是貞親王家歌合の歌 二十三首
 注意事項として 『古今和歌集』で「是貞親王家歌合の歌(これさたのみこの家の歌合のうた)」との詞書を持つもので、『是貞親王家歌合』に載らない歌が十四首あります。従いまして今日に伝わる『是貞親王家歌合』と紀貫之時代のものとが一致しない可能性があります。

一 (載らぬ歌)
古今歌番一八九 
詞書 これさたのみこの家の歌合のうた よみ人しらす
原歌 いつはとは ときはわかねと あきのよそ ものおもふことの かきりなりける
解釈 いつはとは ときはわかねと 秋のよそ もの思ふことの かぎりなりける


古今歌番一九三 大江千里
詞書 これさたのみこの家の歌合によめる 大江千里
原歌 つきみれは ちちにものこそ かなしけれ わかみひとつの あきにはあらねと
解釈 月見れば ちぢにものこそ かなしけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねと


古今歌番一九四 壬生忠岑
詞書 これさたのみこの家の歌合によめる たたみね
原歌 ひさかたの つきのかつらも あきはなほ もみちすれはや てりまさるらむ
解釈 ひさかたの 月の桂も 秋はなほ もみぢすればや 照りまさるらむ

四 (載らぬ歌)
古今歌番一九七 藤原敏行
詞書 これさたのみこの家の歌合のうた としゆきの朝臣
原歌 あきのよの あくるもしらす なくむしは わかことものや かなしかるらむ
解釈 秋の夜の あくるもしらず 鳴く蟲は 我がことものや かなしかるらむ

五 (載らぬ歌)
古今歌番二〇七 紀友則 
詞書 これさたのみこの家の歌合のうた とものり
原歌 あきかせに はつかりかねそ きこゆなる たかたまつさを かけてきつらむ
解釈 秋風に はつ雁かねそ 聞こゆなる たかたまつさを かけて来つらむ

六 (載らぬ歌)
古今歌番二一四 壬生忠岑
詞書 これさたのみこの家の歌合のうた たたみね
原歌 やまさとは あきこそことに わひしけれ しかのなくねに めをさましつつ
解釈 山里は 秋こそことに わびしけれ 鹿の鳴く音に 目をさましつつ

七 (載らぬ歌)
古今歌番二一五 
詞書 これさたのみこの家の歌合のうた よみ人しらす
原歌 おくやまに もみちふみわけ なくしかの こゑきくときそ あきはかなしき
解釈 奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき

八 (載らぬ歌)
古今歌番二一八 藤原敏行
詞書 これさたのみこの家の歌合によめる 藤原としゆきの朝臣
原歌 あきはきの はなさきにけり たかさこの をのへのしかは いまやなくらむ
解釈 秋萩の 花咲きにけり 高砂の 小野辺の鹿は いまや鳴くらむ

九 (載らぬ歌)
古今歌番二二五 文屋朝康
詞書 是貞のみこの家の歌合によめる 文屋あさやす
原歌 あきののに おくしらつゆは たまなれや つらぬきかくる くものいとすち
解釈 秋の野に 置く白露は 玉なれや 貫きかくる 蜘蛛のいとすぢ

一〇 (載らぬ歌)
古今歌番二二八 藤原敏行
詞書 是貞のみこの家の歌合のうた としゆきの朝臣
原歌 あきののに やとりはすへし をみなへし なをむつましみ たひならなくに
解釈 秋の野に 宿はすべし 女郎花 汝を睦ましみ 旅ならなくに

一一 (載らぬ歌)
古今歌番二三九 藤原敏行
詞書 これさたのみこの家の歌合によめる としゆきの朝臣
原歌 なにひとか きてぬきかけし ふちはかま くるあきことに のへをにほはす
解釈 なに人か きてぬきかけし 藤袴 来る秋ごとに 野辺を匂はす

一二 (載らぬ歌)
古今歌番二四九 文屋康秀
詞書 これさたのみこの家の歌合のうた 文屋やすひて
原歌 ふくからに あきのくさきの しをるれは うへやまかせを あらしといふらむ
解釈 吹くからに 秋の草木の 萎るれば うべ山風を 嵐といふらむ

一三 (載らぬ歌)
古今歌番二五〇 文屋康秀
詞書 これさたのみこの家の歌合のうた 文屋やすひて
原歌 くさもきも いろかはれとも わたつうみの なみのはなにそ あきなかりける
解釈 草も木も 色変はれども わたつ海の 波の花にそ 秋なかりける

一四 (載らぬ歌)
古今歌番二五七 藤原敏行
詞書 これさたのみこの家の歌合によめる としゆきの朝臣
原歌 しらつゆの いろはひとつを いかにして あきのこのはを ちちにそむらむ
解釈 白露の 色はひとつを いかにして 秋の木の葉を 千ぢに染むらむ

一五
古今歌番二五八 壬生忠岑
詞書 これさたのみこの家の歌合によめる 壬生忠岑
原歌 あきのよの つゆをはつゆと おきなから かりのなみたや のへをそむらむ
解釈 秋の夜の 露をばつゆと 置きながら かりの涙や 野辺を染むらむ

一六
歌番二六三 壬生忠岑
詞書 これさたのみこの家の歌合によめる たたみね
原歌 あめふれは かさとりやまの もみちはは ゆきかふひとの そてさへそてる
解釈 雨降れば かさとり山の もみぢ葉は 行きかふ人の 袖さへそてる

一七 (載らぬ歌)
古今歌番二六六 
詞書 是貞のみこの家の歌合のうた よみ人しらす
原歌 あききりは けさはなたちそ さほやまの ははそのもみち よそにてもみむ
解釈 秋霧は 今朝はな立ちそ 佐保山の ははそのもみぢ よそにても見む

一八
古今歌番二七〇 紀友則
詞書 これさたのみこの家の歌合のうた きのとものり
原歌 つゆなから をりてかささむ きくのはな おいせぬあきの ひさしかるへく
解釈 露ながら 折りてかざさむ 菊の花 老いせぬ秋の ひさしかるべく

一九
古今歌番二七八 
詞書 これさたのみこの家の歌合のうた よみ人しらす
原歌 いろかはる あきのきくをは ひととせに ふたたひにほふ はなとこそみれ
解釈 色香はる 秋の菊をば ひととせに ふたたひ匂ふ 花とこそ見れ

二〇
古今歌番二九五 藤原敏行
詞書 これさたのみこの家の歌合のうた としゆきの朝臣
原歌 わかきつる かたもしられす くらふやま ききのこのはの ちるとまかふに
解釈 我がきつる かたもしられず くらぶ山 木々の木の葉の 散るとまがふに

二一
古今歌番二九六 壬生忠岑
詞書 これさたのみこの家の歌合のうた たたみね
原歌 かみなひの みむろのやまを あきゆけは にしきたちきる ここちこそすれ
解釈 神奈備の 御室の山を 秋ゆけは 錦たつきる ここちこそすれ

二二
古今歌番三〇六 壬生忠岑
詞書 是貞のみこの家の歌合のうた たたみね
原歌 やまたもる あきのかりいほに おくつゆは いなおほせとりの なみたなりけり
解釈 山田守る 秋のかりいほに 置く露は 稲負鳥の 涙なりけり

二三 (載らぬ歌)
古今歌番五八二 
詞書 これさだのみこの家の歌合のうた よみ人しらす
原歌 あきなれは やまとよむまて なくしかに われおとらめや ひとりぬるよは
解釈 秋なれば 山とよむまで 鳴く鹿に 我れおとらめや ひとり寝る夜は


補注二:『後撰和歌集』に載る「是貞親王家歌合」の詞書を持つ歌 五首

一  (載らぬ歌)
後撰歌番二一七  
詞書 惟貞の親王の家の歌合に 讀人しらず
原歌 にはかにも かせのすすしく なりぬるか あきたつひとは むへもいひけり
解釈 俄にも 風の凉しく 成ぬるか 秋立つ日とは むべもいひけり


後撰歌番二六五  壬生忠岑
詞書 是貞のみこの家の歌合に 壬生忠岑
原歌 まつのねに かせのしらへを まかせては たつたひめこそ あきはひくらし
解釈 松の根に 風のしらべを 任せては 龍田姫こそ 秋はひぐらし

三  (載らぬ歌)
後撰歌番三二三  
詞書 惟貞のみこの家の歌合に 讀人志らず
原歌 あきのよは つきのひかりは きよけれと ひとのこころの くまはてらさす
解釈 あきの夜の 月のひかりは 清けれど 人の心の くまは照さず

四  (載らぬ歌)
後撰歌番三二四  
詞書 惟貞のみこの家の歌合に 讀人志らず
原歌 あきのつき つねにかくてる ものならは やいにふるみは ましらさらまし
解釈 秋の月 常にかくてる 物ならば 闇にふる身は 交らざらまし

五  (載らぬ歌、諸本によりては詞書なし)
後撰歌番三三四  
詞書 是貞のみこの家の歌合の歌 讀人志らず
原歌 あきのよは ひとをしすめて つれつれと かきなすことの ねにそなきむる
解釈 秋の夜は 人を靜めて 徒然と かきなす琴の 音にぞ鳴きぬる

万葉雑記 色眼鏡 百六七 維摩講の歌

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万葉雑記 色眼鏡 百六七 維摩講の歌

 一度、「仏教と性の馬鹿話」で万葉時代での社会と仏教の関係、その仏教の万葉集への影響について遊びました。今回は直接に仏教に関わる歌で遊びます。その直接に仏教と関わるとして万葉集を探しますと、維摩経に関係する歌があります。それが巻八に載る集歌1594の歌です。今回はこの歌に注目し、その周辺を遊んでみたいと思います。
 次に紹介する集歌1594の歌は万葉集に掲載する順からしますと、天平十一年冬十月に催された維摩講で詠われた歌となります。

佛前唱謌一首
標訓 佛の前で唱(うた)ひたる謌一首
集歌1594 思具礼能雨 無間莫零 紅尓 丹保敝流山之 落巻惜毛
訓読 時雨(しぐれ)の雨間(ま)なくな降りそ紅(くれなゐ)に色付(にほへ)る山し落(ち)りまく惜しも
私訳 時雨の雨よ、絶え間なく降るでない。雨に打たれて、紅に染まる山の紅葉が散るのが惜しい。
右、冬十月皇后宮之維摩講、終日供養大唐高麗等種々音樂、尓乃唱此歌詞。弾琴者市原王、忍坂王(後賜姓大原真人赤麻呂也) 歌子者田口朝臣家守、河邊朝臣東人、置始連長谷等十數人也。
注訓 右は、冬十月の皇后宮(きさきのみや)の維摩講に、終日(ひねもす)大唐・高麗等の種々(くさぐさ)の音樂を供養し、尓(しかるのち)の此の歌詞(うた)を唱(うた)ふ。弾琴(ことひき)は市原王(いちはらのおほきみ)、忍坂王(おさかのおほきみ)(後に姓(かばね)、大原真人赤麻呂を賜へり) 歌子(うたひと)は田口朝臣家守、河邊朝臣東人、置始連(おきそめのむらじ)長谷(はつせ)等(たち)の十數人なり。


 ここで、集歌1594の歌の標題に使われる「佛」と云う漢字文字に注目しますと、万葉集ではその「佛」と云う文字に関係する作品が全部で五作品あります。逆に四千五百首ほどの作品を集めた詩集であっても特定の「佛」と云う文字に注目すると五作品しかないとも指摘できます。この背景から表面上の表記だけに注目しますと「万葉集には仏教の影響がみられない」と云う前近代の論評の論拠の一つとなります。
 先に「佛と云う文字に関係する作品は五作品」と紹介し、「五首」と紹介しなかったのには理由があります。実はその内の二作品は山上憶良の漢詩文(「沈痾自哀文」と「悲歎俗道、假合即離、易去難留詩」)に含まれるもので和歌の作品ではありません。他方、残りの三作品は和歌ですので三首として数えることが出来るものです。その和歌としては、すでに紹介した集歌1594の歌と次に紹介する巻十六に載る集歌3841の歌、集歌3849の歌及び集歌3850の歌となります。このように仏教と云うものが身近であった奈良時代を代表する文学作品である万葉集としては載せる「佛」と云う文字関連の作品は非常に少ないものとなっています。

<参考資料一>
大神朝臣奥守報嗤謌一首
標訓 大神朝臣奥守の報(こた)へて嗤(わら)ひたる謌一首
集歌3841 佛造 真朱不足者 水渟 池田乃阿曽我 鼻上乎穿礼
表歌
訓読 仏造る真朱(まそ)足らずは水渟(た)まる池田の崖(あそ)が鼻の上(うへ)を穿(ほ)れ
私訳 仏を造る真っ赤な真朱が足りないのなら、水が溜まる池田の崖のその先の上を掘れ。
裏歌
訓読 仏造る真朱(まそ)足らずは水渟(た)まる池田の朝臣(あそ)が鼻の上(うへ)を穿(ほ)れ
私訳 仏を造る真っ赤な真朱が足りないのなら、鼻水が溜まる池田の朝臣のその鼻の上を掘れ。

<参考資料二>
厭世間無常謌二首
標訓 世間(よのなか)を厭(いと)ひ、常(つね)無き謌二首
集歌3849 生死之 二海乎 厭見 潮干乃山乎 之努比鶴鴨
訓読 生き死にし、二つの海を厭(いと)はしみ潮干(しほひ)の山を偲ひつるかも
私訳 生まれ、死ぬ。この二つの人の定めの世界を厭わしく想い、海の水が引ききって再び潮が満ちる、そのような絶え間ない変化の世界から不動の山を慕ってしまう。

集歌3850 世間之 繁借廬尓 住々而 将至國之 多附不知聞
訓読 世間(よのなか)し繁き仮廬(かりほ)に住み住みに至らむ国したづき知らずも
私訳 この世の煩わしい仮の人生に住み暮らしていても、やがて訪れるであろう死して旅行く国の、そこでの暮らしぶりすら知ってはいない。
右謌二首、河原寺之佛堂裏在倭琴面之
注訓 右の謌二首は、河原寺の佛堂の裏(くりのうち)の倭(やまと)琴(こと)の面(おも)に在りと。
注意 左注の「河原寺」は飛鳥にあった飛鳥浄御原宮時代を代表する官制大寺ですが、平城京遷都でも移転することなく、かの地に残り、平安時代には衰微し、廃寺となっています。従いまして、「佛堂裏在」は「大寺が持つ仏具庫裏(くり)に保管してある」と解釈します。また、集歌3849の歌の初句及び二句の言葉「生死之二海乎」は次の華厳経の一節に由来すると指摘されています。
<補足資料:華厳経抜粋>
復與五百大聲聞倶。悉覺眞諦證如實際。深入法性離生死海。安住如來虚空境界。離結使縛著一切。遊行虚空。於諸佛所疑惑悉滅。深入信向諸佛大海。


 紹介しました和歌でも歌には特徴があります。仏教の理念を正面から見据えた集歌3849と集歌3850の歌があれば、一方、仏教仏像を単なる物と捉えたような駄洒落を詠う集歌3841の歌、仏前で詠ったと称しますが仏教とは直接には関係しないと思われる集歌1594の歌があります。この姿もまた仏教信心と万葉集の歌と云う観点からしますと、仏教の影響が薄いとするところかもしれません。

 さて、集歌1594の歌に戻りますと、歌の標題「佛前唱謌」や左注「終日供養大唐高麗等種々音樂、尓乃唱此歌詞。」からしますと、仏教に関係する歌の様に思えます。ところが、どうも、背景からしますと、そうでないかもしれません。
 歌の左注に示す「皇后宮」とは聖武天皇の皇后安宿媛(仏名、光明子)のことで、歴史では光明皇后と称されます。そして、歌の左注からしますと、光明皇后はそうとうな派手好きだったと推定されます。本来の仏教を真剣に信仰しますと、仏教教義では歌舞音曲は禁止事項ですので仏事では読経が主体になるべきです。たとえ呪術を行う密教仏教でもあったとしても高野山の戒律が示すように法会で呪法秘儀の行法を行ったとしてもそこにおいて奏楽器や鼓などを使用した音曲は行わないはずです。そのため、真言密教などでは読経が声明音楽へと変化し、また、護摩壇供養のなどの呪法秘儀の行法も形式美を持った仏教芸術へと進化を遂げています。まだまだ、戒律に対して砕け始めた平安後期から鎌倉時代ではありません。天平と云う奈良時代、戒律護持のために大唐から戒律の専門家である鑑真を招へいしようとする時代です。おおよそ、声明や呪法秘儀は仏教が教義において歌舞音曲が禁止されていることからの進化なのですが、対して、集歌1594の歌の解説からしますと光明皇后は仏供養として大唐や高麗などの異国情緒豊かないろいろな音樂を演じさせています。
 歌の左注からしますと、講の式次第において、光明皇后が主催した維摩講(後の維摩会?)では禅師による法要(講義)の後に琴などの楽器や歌声などにより大唐や高麗などの異国情緒豊かないろいろな音樂を演じ仏にささげた、その後、集歌1594の和歌を詠いその講を閉めたと思われます。
さらに歌が詠われた時期と光明皇后と云うキーワードから、この維摩講と云う法会の禅師に大唐留学僧である玄の存在が現れて来ます。玄は天平九年(737)には僧正の身分となり、皇室の仏教施設である内道場の禅師になるとともに、このころ、藤原不比等の旧邸宅であり、それを引き継いだ光明皇后が持寺に改造して天平八年以前に成った海龍王寺(隅寺)の初代住持に就任したと伝承されています。従いまして、維摩講の禅師はこの玄僧正が執ったと推定して良いのではないでしょうか。
 歌の左注から光明皇后はそうとうな派手好きとしましたが、維摩講の禅師であろう玄僧正のアドバイスによっては、歌舞音曲で仏を供養することをしなかったかもしれません。およそ、光明皇后も玄僧正も確信を持った派手好きだったと思われます。

 ここで、先祖供養としての歌舞音曲ではないかと疑問を持つお方に対して、少し、雑談をしたいと思います。
 さて、集歌1594の歌の発端となった維摩講を開設しますと、維摩講は維摩経を講ずる法会のことです。その法会の中心となる維摩経は在家の長者・維摩詰の病気に際して見舞いに行った文殊菩薩と維摩詰の問答を下にしたもので、およそ、維摩経は在家の長者である維摩詰による「空」の境地を説いた大乗仏教系の仏教経典なのです。
 日本での維摩講は、古く、近江朝時代に藤原鎌足によって創始され、毎年十月に行われたと『藤氏家伝・鎌足伝』によって伝わっています。また、『興福寺縁起』によると鎌足が病に際したとき、維摩経「問疾品(もんしつほん)」を誦ませたところ、たちまち病が平癒したそうです。なお、現代に伝わる『藤氏家伝・鎌足伝』は後期平城京時代から平安時代ごろの知識で記されたものが含まれていますし、『興福寺縁起』には治承四年十二月二八日(1181)の平重衡ら平氏の軍勢による南都焼き討ち事件に端緒を持つ南都寺院復興勧進運動の中で生まれた新しい伝承が、ある程度含まれているとされています。従いまして、どこまでが奈良時代の真実かは不明です。特に光明皇后に関係する伝承の多くは南都寺院復興勧進と云う募金活動の中で生まれた創作説話が由来であって、史実的な信頼性は無いとされています。およそ、現代に伝わる光明皇后伝説は信仰として扱う範疇のものです。
 光明皇后伝説を棚上げとしますと、その維摩講は歴史の中では呪術的な病人祈祷として始まったとされ、維摩講と病気平癒の結びつきは、少なくとも八世紀段階には成立していたと近世までの歴史研究者間ではそのように認識されていたと推定されます。なお、本来の維摩講は維摩会(ゆいまえ)と云う法会を行う会合であって、そこでは法説を聞いたり、法解釈を討議したりする仏法学問研究の場です。呪術的な病人祈祷を行うものではありません。少なくとも奈良時代の宮中の御斎会、興福寺の維摩会、薬師寺の最勝会を「南京三会(なんきょうさんえ)」と称した平安時代初期までの伝承ではないと思われます。これ以降の平安後期から鎌倉時代に生まれた伝承でしょう。
 ただその伝承では、維摩講は藤原鎌足によって創始されたとされ、鎌足の死後、すぐに講は中断、ところが時代が下って慶雲二年(705)七月の藤原不比等が病臥不豫をきっかけに不比等の「誓願」により再興したと伝承します。さらに伝承では養老四年(720)の不比等没後に維摩信仰は再び衰えたが、天平五年(733)三月になって光明皇后の自己の病平癒への「重願」で再再度、復興したとします。その後、天平後期に光明皇后と藤原仲麻呂によって財源が強化され、維摩講は藤原氏による法会から、国家の関与する法会へと発展したと伝えます。それでも奈良時代の興福寺の維摩会は学僧の見識などを確認し、高僧への登竜門的な場であって、歌舞音曲の世界ではありません。
 およそ伝承からしますと、飛鳥から奈良時代の病気平癒にかかわる維摩講は特定の権力者の個人的な嗜好に由来を持つようで、社会的な民衆信仰に由来するものではなかったようです。またそれを裏付けるように、歴史において藤原鎌足は近江朝時代に山科寺を興し、彼の死後、飛鳥浄御原宮遷都に合わせ、山科寺は厩坂寺として大和に移り、さらに平城京遷都では興福寺に移ったとされます。この山科寺、厩坂寺、興福寺の流れにおいて、その宗派は法相宗であったとされています。それで興福寺は法相宗大本山興福寺と称します。この法相宗は日本へは留学僧である道昭、智通、玄たちによって伝えられたとします。
 一般には天平五年になって皇后宮での行われた維摩講の端緒は、光明皇后による藤原鎌足七十回忌の供養と近代では考えられています。別案としては同年三月が光明皇后の母である県犬養橘三千代の四十九日にあたり、同五月には光明皇后自身が「枕席不安」の状態にあるため、母にちなむ追善法要と皇后自身の病気平癒も目的であったとも推定されています。ただし、当時は死後四十九日で成仏するとされ、よほどの悪行を積んだ人でない限り、この世から縁が切れ、あの世で仏縁を結ぶとされています。藤原鎌足七十回忌説と云うのは平安時代中期以降の神仏混淆を悪用した仏教界で生じた「喜捨」と云う集金を目的としたものが根拠のようですので、さてはて、どうでしょうか。
 参考として、飛鳥寺→法興寺→飛鳥大寺→元興寺と云う遍歴を持つ平城京にあった道昭が法相宗を説いた元興寺は平安時代には興福寺の支配下に組み込まれています。なぜ、この元興寺を紹介したかと云いますと、飛鳥時代の斉明天皇四年(658)に「飛鳥寺で福亮が維摩経を陶原に講ずる」という記録を持って維摩会の起原とされているからなのです。負け犬の遠吠えではありませんが、飛鳥寺の大切な歴史は、藤原氏と興福寺に乗っ取られたようです。

 今回も万葉集からの脱線がひどいことになりました。反省する次第です。

万葉集 長歌を鑑賞する 集歌1053

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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌1053

集歌1053 吾皇 神乃命乃 高所知 布當乃宮者 百樹成 山者木高之 落多藝都 湍音毛清之 鴬乃 来鳴春部者 巌者 山下耀 錦成 花咲乎呼里 左牡鹿乃 妻呼秋者 天霧合 之具礼乎疾 狭丹頬歴 黄葉散乍 八千年尓 安礼衝之乍 天下 所知食跡 百代尓母 不可易 大宮處

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 我が大君(おほきみ) 神の命(みこと)の 高知らす 布当(ふたぎ)の宮は 百木(ももき)もり 山は木高(こだか)し 落ちたぎつ 瀬の音(おと)も清し うぐひすの 来鳴く春へは 巌(いはほ)には 山下(した)光(ひか)り 錦なす 花咲きををり さを鹿(しか)の 妻呼ぶ秋は 天(あま)霧(ぎ)らふ しぐれをいたみ さ丹つらふ 黄(もみち)葉(は)散りつつ 八千年(やちとせ)に 生(あ)れ付(つ)かしつつ 天の下 知らしめさむと 百代(ももよ)にも 変(かは)るましじき 大宮所
意訳 われらの大君、尊い神の命が高々と宮殿を造り営んでおられる布当の宮、このあたりには木という木が茂り、山は鬱蒼として高い。流れ落ちて逆巻く川の瀬の音も清らかだ。鶯の来て鳴く春ともなれば、巌には山裾も輝くばかりに、錦を張ったかと見紛う花が咲き乱れ、雄鹿が妻を呼んで鳴く秋ともなると、空かき曇ってしぐれが激しく降るので、赤く色づいた木の葉が散り乱れる・・・。こうしてこの地には幾千年ののちまでも次々と御子が現われ出で給い、天下をずっとお治めになるはずだとて営まれた大宮所、百代ののちまでも変わることなどあるはずもない大宮所なのだ、ここは。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 吾が皇(きみ)し 神の命(みこと)の 高知らす 布当(ふたぎ)の宮は 百樹(ももき)成(な)し 山は木高(こだか)し 落ち激(たぎ)つ 瀬し音(と)も清し 鴬の 来鳴く春へは 巌(いはほ)には 山下(した)光(ひか)り 錦なす 花咲きををり さ雄鹿(をしか)の 妻呼ぶ秋は 天(あま)霧(ぎ)らふ 時雨(しぐれ)をいたみ さ丹つらふ 黄(もみち)葉(は)散りつつ 八千年(やちとせ)に 生(あ)れ衝(つ)かしつつ 天つ下 知らしめさむと 百代(ももよ)にも 易(かは)るましじき 大宮所
私訳 吾等の皇子で神の命が天まで高く統治なされる、その布当の宮は、多くの木々が生い茂り、山には木が高く生え、流れ落ちる激流の瀬の音も清らかで、鶯がやって来て啼く春になると、岩には山の麓を輝かせるように錦のような色取り取りに花が咲きたわみ、角の立派な牡鹿が妻を鳴き呼ぶ秋には、空に霧が立ち、時雨がしきりに降り、美しく丹に染まる黄葉は散り行き、数千年に生まれ継ぎながら天下を統治なされるでしょうと、百代にも遷り易ることがあるはずも無い、ここ大宮です。

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